1 下
「テスガスト侯爵家の茶会に出席する。明後日の昼食後の予定を開けておいてくれ」
「わかりました、殿下」
と、つい答えてしまったのは不覚であった。
流れるように手紙の代筆をしていたポニーは数呼吸おいて、ガバリと顔をあげる。
メルツィアがラウレンツを避けたことに端を発する騒動から数日たった、執務室でのことだった。
「いま茶会っておっしゃいました?」
この国において、昼に催されるお茶会はもっぱら女性の世界である。
ラウレンツも王城で行われる茶会なら、母である王妃に呼ばれて顔を出すこともーー母とは不仲なため稀だがーーないではないが、他家へわざわざ行くものではないし、王子を呼ぶとも考えがたい。
そもそも王妃と不仲なラウレンツは、王妃と仲の良いテスガスト侯爵家も避けがちである。
「うむ。メルツィアの名代で行くのだ」
「は? お加減でもよろしくないのですか? だとしても欠席で良いと思いますが」
朝、ポニーが見た限りでは普通だったが、メルツィアに関して無限の愛の力を備えたラウレンツはメルツィアの体調を指先のほんの小さな傷に至るまで瞬時に見抜く。
「いや、メルツィアの代わりにマドレーヌを見て嫌がらせをしてくる。大丈夫だ、私のドレスはメルツィアが用意してくれる」
「……は?」
頑としてオドレーヌの名前を覚えるつもりのないラウレンツの中で、オドレーヌはマドレーヌとして落ち着いてしまっていた。
だが問題はそこではない。
え、ドレス? 着るのか? 一国の王子が? ドレスを着て婚約者の名代として茶会に出るのか? 何が大丈夫なんだ?
ポニーは口をパクパクさせてラウレンツを見た。
ラウレンツの瞳は澄み切っていた。俗世を超越した愛の殉教者の瞳であった。
その澄み切った瞳の中に、メルツィアを悲しませないように己が悪役となる、という決意だけが燃え盛っていた。その決意の前に世評だとか体裁だとかは物の数にも入らないものであった。
だが、負けるとわかっていても立ち向かわねばならないときがある。
「いや頭大丈夫ですか殿下。殿下の女装姿なんてどう考えても気持ち悪いものを衆目にさらすおつもりですか」
「フッ。メルツィアの用意するものだ、気持ち悪いわけがない!」
「着るのは殿下なんですが?」
謎の自信に跳ね返された。
そしてラウレンツは話を再開する。
「メルツィアから詳しいことを書いた手紙をもらったのだ。ことは狩猟祭から始まるようだが、その後にメルツィアが茶会で嫌がらせをするんだそうだ。狩猟祭の前にマドレーヌとやらを見ておきたいし、ついでに嫌がらせをしておくつもりだ。
残念ながら妖精女王は変えられないようだからな」
妖精女王の役はオドレーヌが指名されたのだ。
ラウレンツの眉間に深いシワが刻まれる。
「私の目的は二つだ。メルツィアが悲しまないようにすること、メルツィアが神子と認定されないようにその『予言』を外すこと。
女装した私に嫌がらせされればマドレーヌとやらも私を諦めるだろう」
「マドレーヌじゃなくてオドレーヌ嬢ですが。なにも女装しなくても」
「いや、マドレーヌとやらは母上の後ろ盾を持っている。相手の意表をつく手を打たねば」
「意表をつくどころじゃないと思いますがね!?」
二日後、ラウレンツはドレスを着て意気揚々と茶会へ赴いた。
美男でも許されないことはあるのだ。
あえてその容姿に言及はせず、目をそらしたポニーに出来るのは、せめて参加した淑女方の心の平安を祈ることだけだった。
*************
狩猟祭の当日、空はからりと晴れ渡っていた。
裏腹にどんより曇り顔のポニーの背中を、ラウレンツはバシバシ叩く。美しく装ったメルツィアに祝福をねだって頬にキスを贈られたラウレンツは上機嫌だ。
狩りの開始を告げる角笛はすでに鳴り響き、狩人たちが馬を駆けさせる中、今年はやる気のないラウレンツとポニーは早々にはぐれていた。
「なんだポニー、私たちの愛がうらやましくなったのか? 気持ちはわかるが我が愛しのメルツィアはやれんぞ!」
「ちっがーーーーう! 俺はねえ、最近婚約者殿が不安がってるからって何が何でも夕の鐘で帰る将軍をやってるどこぞの王子のかわりに! 狩猟祭の警備の手配を徹夜続きで終わらせたと思えば! どこぞのわがまま王子が婚約者殿を喜ばせるために奇術師を探せとか言い出して!? おまけに巷では俺が殿下を襲ったショックで殿下が女装をはじめたとか意味わからないこと言われてるんですよーーー!!!」
「そうかそうか、残念だが私はすべてメルツィアの物だから私を分けてやることもできん!」
「そもそも欲しくないわーーー!」
とうとう敬語も剥がれおちる。
まあまあとラウレンツはポニーを宥めた。
「今年は優勝を狙わないからな、そこらで寝てもいいのだぞ。私はその間に着替えてマドレーヌに嫌がらせするからな!」
「ありがとうございます、でもさすがに寝るわけには……ってはあっ!? ひょっとして女装が気に入ったんですか、茶会から帰ってきたときも妙に上機嫌だったし!」
「そういうわけではない。今日はドレスにかぎ裂きをつくるのだ!」
「鬼畜ですか殿下。せめて他の日にしましょう。妖精女王といえば女性の憧れですよ、オドレーヌ嬢にとって一生に一度の晴れの日です。それを台無しにするつもりですか」
「それが悪役というものだ!」
ラウレンツはキリリと顔を作って告げた。
「殿下ほんとその顔するときはろくなこと言わないですね!」
「大丈夫だ、替えのドレスも用意してあるのだ。お前の名前でな!」
「やめてくださいよ、一度会ったことがあるかどうかの相手に服を贈るなんてどんな変態ですか!?」
「心配するな、サイズはピッタリだ」
「それこそ心配です、って殿下ーー!?」
「悪いようにはしない、安心して待っておけー!」
ラウレンツは大変良い笑顔でグッ!と親指を立てると、馬首を返して女性たちの待つ本営へ駆けていった。
*************
「ちょっとそこのあなた、お水をとってきてちょうだい」
「はい、ただいま!」
子馬の通称は伊達ではない。
小姓の服を着、前髪を下ろして目元を隠すと、ポニーは『どこかの誰かが連れてきた小姓』として女性たちの間に見事にとけ込んでいた。
ちらりと中心を見やると、美しく着飾った高貴な女性たちが団欒している。
王妃に、側妃。第一王子妃に、第二王子の婚約者であるメルツィア、そして妖精女王役のオドレーヌ。
うふふふふと笑い声が聞こえるが、あの面子ではきっと会話は吹雪いている。
ラウレンツがどうやってあの中にいるオドレーヌの服にかぎ裂きをつくるつもりなのかポニーは知らないが、今度ばかりは阻止してやると固く心に誓っていた。
ポニーはモテない。
それは定時で帰ってしまう王子の従者として大量の仕事を押し付けられて忙しいからでもあり、隣にとてもおモテになる麗しの王子がいるからでもある。
さらに王子を襲った云々と妙な噂が流れて最近は人々から避けられがちなのに、ほぼ見知らぬ女性に服を贈る変態という評判が加わればどうなるか。
孤独死まっしぐらである!
それは何が何でも嫌だ!
改めて決意を新たにするポニーのもとへ異様なざわめきが聞こえてきた。
伸び上がって見ると、そこには。
艶のある銀の短髪。
女性としては異様な背丈。
がっしりとした体の線も露わなドレス。
なぜか膨らみのある胸。
神のごとき男性的な美貌。
ーーラウレンツ(女装)であった。
まさか、堂々と乗り込んでくるとは!
あんぐり開けた顎を落とさないように手で押さえながら、ポニーはこそこそ身を屈めてついていく。
ラウレンツ(女装)はそのまま王妃たちの輪に乗り込んでいった。
しん、と恐ろしい静寂が満ちる。
だがそれを全く感じていない者が二人だけいた。
「まあ、ラウ! その姿も素敵ですわ!」
「そうかしら? でも美の女神も恥ずかしがって隠れてしまいそうなメルツィアには敵わないわ」
……裏声だった。
ラウレンツ(女装)と裏声という組み合わせはこれほど背筋に悪寒を走らせるのか。とその場のほとんどーーつまり、メルツィアと当のラウレンツ(女装)以外ーーの者は理解した。あまりにも高い授業料であった。
「嬉しいわ、うふふ」
メルツィアはころころと笑う。
王妃がいち早く我を取り戻した。
「ラ、ラ、ラ、ラ、ララ、ラララウレンツ、いったいどうしたのです」
「まあ、母上。ご機嫌麗しう。狩りに飽きてしまいましたので、こちらにお邪魔しようと思いましたの」
一礼するその所作は女性として完璧だった。
王妃は白目を剥いて倒れかける。白目の剥き方は息子にそっくりだ。
「メルツィア、お話しましょうよ。ここ宜しくて?」
と言いながらラウレンツ(女装)は返事も聞かずにメルツィアとオドレーヌの間に割り込んだ。
オドレーヌはラウレンツ(女装)が現れたときから哀れなほど真っ青になっていて、よろしくないのは明らかだったが、声を出すこともできないようだ。
まあ、オドレーヌ様?とメルツィアはオドレーヌを気にかける様子を見せたーーメルツィアはラウレンツの計画を知らないようだ、とポニーは考えたーーが、ラウレンツ(女装)は図々しい笑顔で押し切る。
ポニーの胸は罪悪感に鈍く痛んだ。
国王生誕式で見たオドレーヌは、万人の目を引きつける美しさはなくても、溌剌とした若さを持った可愛らしい少女だった。
ところが今は狩猟祭というのに顔に笑みのかけらもないどころか血の気さえなく、硬く縮こまる姿は怯えた小動物のようで哀れみを誘う。
これ以上この少女を傷つけてはならないと、ポニーは思わずラウレンツ(女装)へ駆け寄っていた。
「殿下!」
と叫ぶものの続く言葉を思いつかない。
「あら、ポニー」
ラウレンツ(女装)は意外そうだが裏声を使うことは忘れない。
「殿下、えー」
オドレーヌとラウレンツ(女装)の間に体を滑り込ませながら、ポニーはやっぱりうまい言葉を思いつかずにいた。
陛下がお呼びだ、とか言ってもバレバレだろうし、狩りに戻りましょうと言って聞く人でもないし。
と、後ろでさっと立ち上がる気配。
「ボニフリッツさん!」
えっ誰それ?
オドレーヌの呼ぶポニーの本当の名前に、本人でさえ一瞬戸惑った。
「あっハイ!」
振り向きざまに見えたのは、同じくらいの高さにある瞳の、妙な気迫。小動物なんてとんでもない!
と考えてる間に。
「まあ足がすべりマシタワー」
恐ろしいほどの棒読みで。
恐ろしいほど的確に。
少女が足払いをかけてきた。
「へうわああああっ!?」
かっくんと膝が折れて前のめりに倒れ込む。
当然そこにはオドレーヌがいて、押し潰さないように引き寄せて体をひねって体勢をいれかえて。
頭をしたたかにぶつけながら、腕の中の人を守れたことにほっとして。
気づいてしまった。
衆人環視の中であったと。
「……え?」
沈黙と穴があきそうなほどの視線がポニーめがけて突き刺さる。
「あらあら」
嬉しそうなラウレンツ(女装)の裏声が。
「これは責任をとって求婚するしかありませんわ!」
「はっ!?」
「まあ嬉しいですありがとうございますお受けします!」
倒れたままのオドレーヌがまくしたてる。
まだ求婚してませんけど、とは言えずにポニーは呆然とした。
まあおめでとうございます、とよくわからないなりにメルツィアが拍手をはじめれば、一つ二つとつられて音が増え、ついには皆が祝福の拍手を送る。
ここになし崩し的に王子の従者に婚約者ができて、それを祝福する拍手は帰還した国王が己の息子の女装に驚愕して雷を落とすまで続いたのだった。
*************
「で、どういうことなんですか」
ラウレンツともども謹慎を言いつけられたポニーは公爵邸でジトッと冷たい目を送るが、不安が消えて久しぶりに心の底から晴れやかな顔のメルツィアといちゃいちゃすることに忙しいラウレンツは気づきもしない。
「そもそも謹慎っていうのは公爵邸じゃなくて王城で、ってことだと思うんですが?」
「あら、ラウ、そうなんですの?」
「そんなわけがない。だって私の家は君のいるところなのだからね! ポニー、自分が婚約者に会えないからってそうすねるな」
「拗ねてなーーーい!」
ポニーは耳の先まで赤くする。自分の婚約者という言葉に慣れていないのだ。
「だ、いたい、なぜオドレーヌ嬢はあんなことをしたんですか」
あんなこと、とは求婚ーーしてないがーー強要事件のことである。
あの中で足払いをされてすっ転ばせたのは、オドレーヌを押し倒す、という状況をつくって求婚せざるを得なくさせるためだろう。
古式ゆかしい婦人の罠だ。あれほどの力業ははじめてみるが。
つまりオドレーヌ嬢はポニーからの求婚を望んでいたことになるが、ポニーにはとんと身に覚えがない。
「ああ、オドレーヌ嬢にお相手が見つかれば我が愛しのメルツィアの心配も減ると思って」
「まあ、ありがとうございます、ラウ!」
「当然のことだとも、メルツィア。これで私の愛を信じてもらえるかな?」
「もちろんですわ! 疑ったわけではないのよ、ただどうしようもなく心配になってしまって……ごめんなさい……」
「感謝のキスをもらえるなら許してさしあげようかな」
「あら、ラウったら!」
「……えと、すいません、つまり殿下の指示だということですか?」
「まさか! 私はお前の名前でドレスを贈ってからごり押ししようと思ってたんだぞ。あれは予想外もいいところだった。まあ、母上の手前、ああでもしないとアプローチは難しかったんじゃないか」
「俺、妃殿下になぜか嫌われてますからね」
あれ、ということは、オドレーヌ嬢に好かれているってこと?
ポニーはそう考えてボンッと赤くなる。
抱き止めたときの柔らかさなんかを思い出してしまって急に胸がドキドキしてくる。
女性に縁のない青年の悲しい性であった。
「恋愛というのは古今東西、恋文からはじまるものだよ」
「あ、そうなんですか」
興味のない風を装いながらポニーは急にソワソワしだし、モゴモゴ口の中で呟いたかと思うと部屋を飛び出していく。
「応援してますわ~」
メルツィアの声に、ドテッと転ぶ音が答えたのだった。
お読みいただきありがとうございました。