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1 上


「おかしい」


 西日のさす執務室で、ツギッタハート国第二王子にして同国将軍であるラウレンツはそうのたまった。

 雪のような銀髪に海色の瞳。王家の特徴をそのまま受け継ぐ青年は、月の神の化身かというほど美しい。

 紳士淑女から様々な好意を寄せられる麗しの王子だが、彼の目は八つの頃からたった一人しか映していない。


 ゼンファ公爵家のメルツィア姫である。


 朝日を見てはメルツィアの微笑みを思い出して公爵邸へ朝の挨拶へ赴き、昼になればメルツィアは何をしているだろうかと抜け出し、仕事の書類を見ればこれもメルツィアの平穏のためと励みにし、夕になればメルツィアとの夕食が待っているときっかり夕の鐘に仕事を終わって公爵邸へ帰る。

 寝るだけの王城より公爵邸に住んでいるのではないかという有り様だ。

 それだけ会っていてもまだ物足りないのか、その上しょっちゅう手紙を交わす。


 これほどの愛情表現では嫌がる女性もいるだろうが、幸いメルツィアはそうではなく、むしろ喜んでたびたび差し入れを持ってくるほどだった。


 ところが。


「おかしい、もう二十四時間もメルツィアの顔を見ていない」


 明日世界が終わる、とでも言いたげな重大な口振りである。


「殿下、何度も言いましたがソレ普通です」


 せっせと書類を仕分けながら従者のボニフリッツ、通称ポニーはピシャリと言った。

 鼻の長い面長の顔に、クリクリとした純真な瞳がいかにも子馬ポニーを思わせることからついた通称だが、乳兄弟だけあって遠慮ない。


「フッ。普通? 普通とはなんだ。所詮、異端を排除することで一体感を得る虚構にすぎないではないか」

「ハイハイ」

「ああ……! メルツィア、我が愛しの君よ……! もう一刻も我慢ならない、馬をもて! いますぐ公爵邸へ、ぐえっ」

「夕の鐘が鳴るまではきちんと仕事なさるお約束でしょうが」


 椅子に座ったまま王子を蹴飛ばしたポニーはすまし顔だ。

 ラウレンツは腰をさすりつつわざとらしくため息をついた。


「ああ、なんと冷たい従者なんだ! 私はたいそう傷ついた。メルツィアに癒してもらうほかないな!」

「戯れ言を聞いて差し上げている分、十二分に優しいと思いますけどね」


 とポニーが目で指し示したのはがらんとした執務室、以前は側近の机が置いてあった所である。皆、滝のように絶え間なく流れ続けるラウレンツの愛の言葉に耐えかねて隣の部屋へ引っ越したのだ。


「軟弱者どもよな」


 ラウレンツは悪びれない。ポニーは打つ手なしと頭をふった。


「まあ、同情しないこともないです。一日に三回は婚約者殿の顔を見ていたのに昨夜からずっと避けられていますからね」

「避けられ……ぐはっ」


 ラウレンツは胸をおさえて崩れ落ちる。他意のない言葉だけになおさら突き刺さっていた。

 ぐっと拳をにぎりしめて己を鼓舞し。


「あ、愛は……愛は不滅なのだー!」


 不死鳥のように復活するが。


「え、なに言ってるんですか殿下……」


 従者には本気で引かれていた。


「俺、たまに婚約者殿を本気で尊敬しますね。殿下のそれについて行ける所とか」

「ふっ、当然だ。私のメルツィアだぞ、もっと尊敬しろ! 褒め称えよ!」

「まあそれで話戻しますけど、お心当たりないんですか? 昨日のお昼までは普通でしたよね、お二人」

「そうなのだ……」


 ラウレンツは力なく頷いた。感情の乱高下の激しい青年である。


「しばしの別れの時も、夕刻までと告げつつも引き裂かれそうな胸の」

「あ、そこらへんはいいです。最後まで特にいつもと変わりなかったってことですね。夕方にお会いになるおつもりであったと」

「さっさいご……ぐはっ」

「……いえ、はい、すいません。別れるときまでですね」

「わかれ…………」


 ラウレンツの目はもはや虚ろに空を見つめている。

 ポニーはちょっと困った(うえにかなり面倒だった)がそのまま話を続ける。


「ところが婚約者殿は夕方になるとお会いしたくないと部屋に引きこもられた。ということは昼から夕方の間に何かが……殿下、殿下!? ちょっと息してください! 婚約者殿をおいていくことになりますよ!」

「ハッ! あまりにも衝撃的な話でつい」

「ちょっと打たれ弱すぎやしませんか」


 と苦言を呈したところでゴーンゴーンと夕の鐘がなる。

 ラウレンツはまたしても不死鳥のごとく生気を取り戻した。


「我が愛しのメルツィアー!! 今行くぞ!」

「あっ待ってください殿下、本日の夕食もご一緒できないと婚約者殿から伝言が……殿下ーー!?」


 白目を向いてばったり倒れ伏すラウレンツ。

 ポニーが肩に手を伸ばした瞬間、失礼しますという声とともに扉が開く。

 やましいことはないのに、なぜかギクリと振り向いてしまうポニー。西日がその顔を照らし出し、扉を開けた女官は。


「きゃああああっおとものポニーがラウレンツ殿下を襲っているわああああっ」

「えっ待って、ちがっーー」


 黄色い悲鳴を上げながら逃げていく。

 残されたのはラウレンツの肩に片手を置いてもう片手を扉の方へ伸ばしたまま固まっているポニーと、女官に案内されてきたと思しき女性。彼女の目は氷よりも冷たい。


「ポニーさん、軽蔑しました。報われない思いの辛さはわかりますが、無理やりラウレンツ殿下に手を出そうなど」

「何から何まで全部誤解なんですけどーー!?」


 変な汗が出てくるポニーの手の下で、ラウレンツは麗しの王子にあるまじき醜態しろめをさらしながら忘れ去られていた。








 *************




 ポニーがどう手を尽くしてもおきないラウレンツだったが、女性が手巾を取り出した瞬間にまたしても不死鳥のごとき復活をみせた。


「ハッ、メルツィアの香りがする!」

「ええ、姫様のお縫いになった手巾でございます」


 手巾に突進するラウレンツを、女性は熟練の闘牛士のように鮮やかにかわす。

 ヒラリ、ヒラリ、とかわして三度目で女性はその手巾をラウレンツの顔に投げつけた。突進の勢いで壁にぶつかりながらもラウレンツは手巾を胸におしいただいて感涙で目を潤ませる。

 はじめから手巾を渡していればよかったんじゃ? ポニーの疑問に答える人はいなかった。


 コホンと咳払いして気を取り直し、ポニーはラウレンツと女性に椅子を勧めた。

 なぜ王子の執務室で従者のポニーが主然あるじぜんとしているのか? 気にしてはいけない、状況を収集する気のあるほど常識が残っているのがポニーだけだったのである。


「殿下、ご存知とは思いますが婚約者殿の侍女のデルガルト嬢です。さすがにご様子がおかしいので来ていただきました」

「でかした、ポニー!」


 そう言うラウレンツは、メルツィアの手巾を胸におしいただいたまま、潤む目を自前の手巾で拭いている。

 なぜ婚約者殿の手巾を使わないのか? ポニーの疑問はラウレンツとデルガルトの冷たい目に抹殺された。神聖な手巾を涙で汚すなどと言語道断、という視線だ。


 デルガルトもまたラウレンツ同様にメルツィアを至上とする激しすぎる愛ーー愛の種類は異なっているがーーを抱く一人なのであった。

 彼女は常に陰日向なくメルツィアに付き従い、その信頼を得ている。メルツィアがラウレンツを避けはじめた原因を知るにはうってつけの人材だった。


 しかし。デルガルトは、わたくしどもにも確とはわかりかねるのです、と語った。


昨日さくじつはお昼に殿下とお会いした後、姫様は予定通りテスガスト侯爵家のお茶会へ赴かれました。奇術師をお招きしての余興がございまして、姫様はそれはもう愛らしく驚かれーー」


 と、ひとしきりデルガルトとラウレンツでメルツィアの賛美を尽くしたのち。


「お茶会はそのまま終わり、姫様のご様子も常に愛らしさを刻一刻高められるといういつもの驚異的なお可愛らしさ以外は、興奮が少し残って目が輝き頬がうっすらと赤くなってーー以下略(ラウレンツは私も奇術を学ぼうかと検討しはじめた)ーー、邸へお帰りになりました。

 夕食のためにお召し替えをされ、紫のドレスをまとった姫様は妖精女王もかくはあらずというーー以下略ーー、最後にブローチをつけたいわと仰せになって、侍女のミリーケがお持ちしたのですが、針が指に刺さってしまい、」

「なんだと! 我がメルツィアの白魚のごとき手を傷つけるなど打ち首拷問でもまだ甘い! ミリーケとやらはどこにいる!?」

「私もそう思ったのですが、寛大にして慈悲深き姫様は、大丈夫だからこれからもよく励んでほしい、と仰せになって……ああ、姫様なんとお優しい……」


 デルガルトとラウレンツは感動の涙にくれているようだ。

 ポニーは疎外感に悲しくなった。彼らに染まりたいのではない。常識人が自分しかいないことが悲しいのだ。


「ですが姫様はそれから気持ち悪いからと仰ってお部屋にこもられたのです。その時はまだ特にラウレンツ殿下を避けるというご様子ではありませんでした。ですが、朝にはラウレンツ殿下にお会いしたくないと……あら」


 ラウレンツは白目を剥きかけながらメルツィアの手巾にすがってなんとか意識を保っている様子だ。

 デルガルトはこころもちラウレンツから距離をとった。


 寝不足か泣きはらしたか、とポニーは推測する。


「では婚約者殿は、お顔の調子が整わないために殿下にお会いしたくなかったということでしょうか?」

「いえ、そうではありません。もちろん姫様はどんなときでも至高の美しさであってお顔の調子が整わないなどと有り得ないことではありますが、その時はお顔よりも気になることがあるご様子でした」


 デルガルトは言葉をきり、考えながらゆっくり言葉を押し出していった。


「これは姫様から特に私一人にお聞かせ頂いたことなのですが、……姫様は、ご存知のとおり、人を信じる純粋なお心をお持ちで、それでいて意思のお強い方なので、」


 思い込みが激しい、とも言う。


「理由はわかりませんが、自分はお話の世界にいるのだと」


 ラウレンツとポニーの顔に疑問符が浮かぶ。


「王陛下のご生誕式に出席されていたタルブ男爵家のオドレーヌ様を覚えていらっしゃいますか?」


 ポニーが頷いた。


「テスガスト侯爵のご長男にエスコートされていた方ですね。なんでも妃殿下の遠縁だとかで」


 妃殿下、すなわち王妃は隣国アンダイエの出身だ。タルブ男爵領はアンダイエとの国境に接している。数代前の当主がアンダイエの娘と恋に落ちて一緒になったらしく、その娘がアンダイエ王族傍系の末裔だったとか。眉唾な話ではあるが。

 テスガスト侯爵家は親アンダイエ派で王妃と親しく、そのつながりでタルブ男爵の娘をテスガスト侯爵家がエスコートすることになったのだろう。


「そのオドレーヌ様と、ラウレンツ殿下の恋物語の世界にいらっしゃると、姫様は思っておいででして」


 デルガルト自身も困惑した口振りである。


「ご自分がラウレンツ殿下の運命の恋の障害になるのだと苦しんでおられるご様子なのです」

「まさか、私がメルツィア以外に恋をしたりするものか! ましてやマドレーヌなどと何の覚えもない!」

「マドレーヌじゃなくオドレーヌです、殿下。あと妃殿下の勧めで一回踊ったことがありますよ」

「メルツィア以外の女など覚えておらん! メルツィアを苦しめるものなどマドレーヌで十分だ!

 馬をもて! そのような不安を抱かせるなど我が愛の足りぬ証拠! 今すぐメルツィアに会い、我が愛を証明する!」


 いきり立つラウレンツ。

 これ以上の『愛』なんてどうなるんだ? ポニーには見当もつかない。確実なのは真っ先に被害を被るのはポニーだろうということだけであった。

 ポニーは先を憂いながらうまやへ向かうが、なぜか馬丁はみなポニーを一目見るや逃げていく。

 ひとりで馬を準備するポニーは知らなかった。ポニーが王子を押し倒したという噂がすでに王城中を駆け巡っていたことなどーー。






*************




 ラウレンツにとって、ゼンファ公爵邸は勝手知ったる場所だ。

 ポニーとデルガルトをつれてメルツィアの自室まで強行したラウレンツは、最後の関門ーー部屋の扉を愛の力(物理)で突破する。


「我が愛しのメルツィア! 話は聞いた、会いに来たぞ!」

「ラウ!」


 寝台に顔を伏せ、メルツィアは涙に暮れているようだったが、ラウレンツが腕を広げるとその中にとひこんだ。


 ……避けていたんじゃないのか? とポニーは理不尽を感じずにいられない。

 蹴り壊された扉とポニーをかわるがわる意味ありげに見つめる公爵家の執事が隣にいては尚のこと。


 だがポニーがそんなことを考えている間にラウレンツは物騒なことを言い出していた。


「メルツィア。君が不安にならないよう、君以外の人を見る目はえぐり取ってしまおう。最後に愛しい君の姿を目に焼き付けることを許しておくれ」


 恐ろしいことにラウレンツは本気である。デルガルトもウンウン頷いていた。メルツィアに目を捧げるくらい当たり前、と考えていそうだ。

 だが幸いメルツィアはそうではなかった。


「およしになってください、わたくしが悪いのです。わたくしが身を引けば……」

「なんて恐ろしいことを言うんだ! メルツィアは私の世界を照らすたった一つの光だ。君がいない世界など地獄より暗く恐ろしい世界になりはてる。私の愛はたとえマンドラゴラといえども引き裂けない!」


 マンドラゴラ? と人々が戸惑う中、メルツィアだけはオドレーヌのことを指していると理解していた。以心伝心な愛の力である。しかし肝心要は伝わっていない。


「嬉しい。でもそう言っていただけるのも今だけなのです。わたくしは知っているのですわ。狩猟祭でかたが妖精女王の役に選ばれ、優勝したラウに花冠を授けたときに恋がはじまるのです。わたくしは二人の邪魔をしようとするほど、彼の方に意地悪をすればするほど、ラウに嫌われてしまうのです。わたくしに出来るのは身を引くことだけなのですわ!」


 メルツィアの瞳からポロポロと涙がこぼれはじめる。


 ラウレンツとポニーは目を見交わした。


 妖精女王の役は、社交界デビューから一年以内の少女の中から最も妖精女王に相応しい心身の美しさをもつ者が選ばれる。非常に名誉あることだから誰もが狙っているが、その選出は王の胸一つだ。

 オドレーヌは男爵家の出で、傑出した美しさをもつというわけでもなく、本来ならば選ばれることはまずあり得ない。


 だが、今年の妖精女王の決定権は王妃が持っているーーということをラウレンツとポニーは知っている。公にはなっていない、新年のちょっとした賭けの結果だ。

 そして王妃が選ぶなら、遠縁の娘と公言してテスガスト侯爵家の長男にエスコートもさせたオドレーヌを妖精女王に抜擢することは十分ありうる。


 ーーつまりメルツィアは『知るはずのないこと』を『知っている』。


 その指し示す可能性は二つあった。

 一つ目は、ただの偶然。

 たまたま恋物語でも読んだメルツィアが感化されて思い込んでしまった。オドレーヌを恋敵と設定したのは、あまり他の女性と踊ることのないラウレンツが、以前オドレーヌと踊っていたからだろう。もともと思い込みの激しいメルツィアだから、ありうることではある。


 二つ目は、先見の力の発現。

 ごくごく稀に超常の力を発現する人がいる。彼らはは神子みこと呼ばれて神殿に祭り上げられ、終生神殿から出ることはなく、結婚も許されない。

 中には力を持ちながら神殿から逸脱する者もいるが、魔法使いーー血と死を糧に闇に住み理をもてあそぶと言われる不吉の存在だ。


 ラウレンツはしばし考え込んでいたが、やがてキリリと顔を引き締める。


「わかった。メルツィアが私の恋路とやらを邪魔しないというのなら、私がしようではないか! そのマンドリンとやらを排除する! これが私の愛だ!

 私は悪役になる!」

「まあ、ラウ……!」


 意地でもオドレーヌの名前を覚える気がないらしいラウレンツ、感動しているメルツィア、メルツィアを見て嬉しげなデルガルト。

 嫌な愛だなあ、とポニーは思った。

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