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野良猫と七人の飼い主  作者: 益次郎
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4

 緑色の芝の上で、私は大きく伸びをした。

 よく手入れの行き届いた綺麗な芝は心地がいい。きっと刈り取ったばかりなのだろう。タイミングのいいときに来たものだ。

 あまりの心地良さに、私は思わずゴロゴロと転がっていた。昼寝をするには最高の場所だ。

 住宅街の一角にある、白い壁が印象的な一戸建ての庭先である。

「あー」

 甲高い声が遠くに聞こえた。綺麗にしたばかりの芝へやってきた闖入者を突っぱねる声色ではなく、それは歓喜の色を含んでいた。

 ――早速見つかってしまったか。

「ママー、くつしたが来てるよー」

 少女がさらに大きな声で母親を呼んだ。

 見つかったからには仕方ない。私は彼女の方へゆっくりと歩を進めた。

「おいでー、くつしたー」

 ――行ってるから待ちなさい。

 彼女の小さな足元へ、私は身を屈めた。途端に勢いよく私の頭を撫でつけてくる。人間の子供は加減を知らないから厄介だ。彼らの可愛がり方は、痛さと気持ち良さが同居する。悪気がないからこちらも爪を立てない。私も愛情表現の一つだと理解しているからだ。

「久しぶりね。くつしたちゃん」

 少女の母親が小皿に水を注いでどうぞ、と私の足元に置いた。最近、私の体はあまりミルクを受け付けなくなっていた。飲めないわけではないのだが、どうにも腹の調子が良くない。私も年を取ったということだろうか。だからその辺の水たまりの水よりも、こうして出される水がことのほか美味い。

「最近見ないからカオリも心配してたのよ。ねぇ、カオリ」

「そうだよー、くつした」

 冷たい水が舌から喉へ通って行く。

 ここのところ、私はミサエの所に入り浸っていた。

 最近体の調子が芳しくないようで、彼女の娘が足しげく通ってくれている。幸い入院するまでには至らないようだが、負担を少なくするために身の回りの世話をしているようだ。ミサエは私の姿を見るといくらか元気が出るようなので、なるべく外回りを控え、彼女のそばにいるよう心掛けていた。ミサエの娘――ユキと呼ばれていたか――も、そんなミサエの気持ちを汲んでくれているのか、私に食事を用意してくれた。だから私も一日の大半をミサエの家の縁側で過ごしていた。

 一週間ほどでようやくミサエの体調も回復し、安心した私も散歩がてら他の飼い主への顔見せに繰り出したのだ。

「くつした来てるよ、パパ」

 ひとしきり水を飲んだあと、私は毛づくろいへと移っていた。そこへ、ここでの名付け親でもあるカオリの父親が顔を出した。最初にここへ来たとき、私を見つけた彼が「この猫靴下履いてるみたいだな」と言ったのがきっかけで、ここでは「くつした」で通っているのだ。

「久しぶりだな、くつした。芝の手入れしたばかりだからフンはやめてくれよ」

 父親は笑って私の喉を指で撫でた。

 ――承知している。

 飼い主の住まいで排泄行為をしないのが私のルールだ。

「それにしても――」

 父親はカオリを膝に抱え、芝の上に腰を下ろした。

「お前は変わってるな」

「変わってるって模様のこと? 前足の先だけ白いって確かに珍しいよね。だからお名前、くつしたなんだけど」

 カオリは父親の膝の上で幸せそうに笑った。

「なにが変わってるの?」

 母親が私の食事を持ってやってきた。白米にかつおぶしがのっている。私の好物だ。「こんなに我が家に馴染んでる野良猫なんて変わってるだろ。時々ふらっとやって来て、目の前で飯食ってる。大体、初めて来たときからこいつは僕らに対して無警戒だったろ。普通、猫ってのは相手との距離を計るんだよ。敵か味方か見定めるんだ。自分の領域にズカズカ入ってきたら攻撃もするし、距離を置いたりね。ところがカオリが走って追いかけても、こいつは全然逃げる素振りもなかった。自分より大きな相手が走ってくれば逃げるもんなのにさ。よっぽど肝が座ってるか変わってるんだよ、こいつは」

 我が家の周りにフンもしないしね、と父親は食事をする私の頭を撫でた。

「世渡り上手なのかもね。こうやっていろんな家でご飯貰って生活してるのかも」

 ――当たっている。母親の推理は中々なものだ。

「でも気をつけろよ、くつした」

 父親はカオリを降ろして立ち上がった。

「最近、猫に毒盛って殺すって事件が多いみたいだからな」

「ひどいことするわね」

「ニュースで言ってたけど、殺鼠剤を混ぜて食わせたってさ。ネズミ駆除の薬。強力なやつは猫も殺せるらしい。よっぽど野良猫が憎いのか愉快犯なのか――。どちらにせよ、そんなことする奴の気が知らないよ」

「でも食べてるときに気付かないのかしら。匂いとか味で」

「どうなんだろうなあ。細かく砕いてたら案外分からないんじゃないか。人間だって毒盛られてても気付かないもんだろ」

 ――人間と一緒にされたは困るな。

 食事を終えた私をおもちゃにしているカオリをよそに、私は目の前で苦しんで死んだあの黒ぶち模様の野良猫を思い出していた。

 あいつもきっとその手の毒を盛られて死んだのだろう。

 私のように複数の飼い主を持たず、腹を空かせていれば、出された飯に飛び付くのも無理はない。異物の臭いや味にも気付かないほど飢えていたのならば、「意地汚いからだ」とか「毒にも気付けない間抜けだ」などと馬鹿にできるものではない。

 ひとつ間違っていれば、私もあの黒ぶち模様のあいつのようになっていたかもしれない。

 我々の世界は弱肉強食だ。

 縄張り争いも激しい。冬になれば食事にありつけない奴も出るし、暖かい寝床を狙って熾烈な争いも起きる。昔と比べて、我々の生活圏も狭くなってしまったと、知り合いの老猫も言っていた。争いに負け、はじき出されたものはすぐにカラスの餌である。この世界では生き抜く知恵と力がモノを言うのだ。

「用心しろよ、くつした。何でもかんでも食べたら駄目だぞ」

「お腹空いたらうちにおいでね」

 ありがたい話である。

 私の生き抜く知恵が彼や彼女たちだ。

「さ、お出かけするから準備しなさい、カオリ」

 カオリは「はーい」と返事をすると、私の頭を力任せに撫でて家の中へと入っていった。

 私は彼女の背中に向けて「いってらっしゃい」とひと鳴きした。

 生き抜くための知恵と力――それともうひとつ。

 運。

 自由の身でありながら、いい「飼い主」と巡り会うこと。

 毒を紛れさせるという悪魔のような行為をしない人間に出会えた私は、実に運がいい。

 私は五番目の「飼い主」たちが車で出かけるのを芝生の上で眺めながら、大きなあくびをした。

 もう少しここでゆっくしていこう。 

 

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