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野良猫と七人の飼い主  作者: 益次郎
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 二日ぶりに私は彼の部屋へとやってきた。

 七人の飼い主がいる私はこうみえて忙しい。

 それぞれの前にちょくちょく顔を出さないと、どこかで死んでしまっているのではないかと心配されてしまうのだ。先日も三人目の飼い主のミサエは私の顔を見て、涙を流すほど喜んだものだ。

 ミサエは一人身の婆さんだ。数年前パートナーを亡くしたらしい。

 庭先でくつろいでいた私を見つけて、「ニャンチャン」と声を掛け、食事を用意してくれた。それから彼女の家に行くたびに食事を用意してくれる。しかも彼女の用意してくれるものは格別に美味く、癖になってしまった。その辺に売ってある専用の食事でなく、彼女の手造りである。毎日通おうものなら、ぶくぶく太ってしまって自慢のスタイルが崩れそうなので、日にちを置かなくてはならないほどだ。

 ミサエの方も一人身で淋しいらしく、私を相手に色々と身の上話をしてくれる。その中で、愛する夫を失った悲しみや寂しさをとうとうと語るのだ。私は当然聞き役だが、食事のお礼と思えば苦ではない。

 そんなミサエは、五日私が顔を出さなかっただけで心配してくれるのだ。そこまで大事にしてくれるのだから、あまり間を置きすぎないよう気をつけなければならない。

 その日は、縁側の下でミサエが床につくまでの時間を過ごすことにした。彼女を心配させてしまった、私なりの謝罪のしるしだった。 

 さて、二日ぶりに来た七人目の飼い主といえば、真っ昼間だというのにカーテンを閉め、部屋に閉じこもっているようだ。太陽がこれでもかと世界を照らしているというのに、彼はじめじめとした湿っぽくて薄暗い世界に閉じこもっている。

「ニャオ」

 腹は空いていないが、私はひと鳴きしてみせた。挨拶は大事なのだ。

 室内の反応はない。気配は確かにある。私の感覚がそこに人間がいることを感じ取っている。

 とりあえずもうひと鳴きしてみて、なんの反応もなければ、よそに行こう――。

「あら」

 その音に反射的に体が反応し、飛び退いた私は戦闘態勢に入った。前足を踏ん張り、立てた尻尾でいつでも動けるようにバランスを取る。視線は音のした方から外さない。

「かわいい」

 メス――いや、人間の女の声だ。

 部屋同士を結ぶベランダの衝立の向こうから、長い黒髪の女がこちらを覗いていた。いつからそこにいたのか分からないが、私は完全に虚を突かれてしまった形だ。これが縄張り争いしている相手だったなら致命傷だ。飼い主の前で無防備になる癖を直さなくてはならない。

「ちっちっ」

 黒髪の女は細い指を動かして私を誘惑する。

 彼の部屋に来て、隣の住人に会うのは初めてだ。ここは五階建てアパートで、各階に部屋が三つ並んでいる。私の七番目の飼い主の部屋は東側で、隣の家の屋根から飛び移りやすい。彼女は真ん中の部屋の住人ということになる。

「おいでー」

 ベランダの手すりから身を乗り出し、彼女は私を呼んだ。悪い人間ではなさそうだ。私は少しだけ警戒を解いてひと鳴きしてみせると、彼女は笑顔で喜んだ。

 我々の様な決まった住まいを持たず、路上生活をしている猫たちを嫌う人間は掃いて捨てるほどいる。そういう連中は我々を見つけると、モノを振り回したり大声を出して追い立ててくる。それだけならまだしも、いい顔をして近寄って網で捕まえようとしたり、中には食事に毒を盛って殺そうとしてくるものまでいる。先日も知り合いのオス猫が毒にやられた。我々の集会場にやってきたかと思ったら、急に苦しみ出し、泡を吐いて倒れた。辺りには異様な臭いが漂って、みな慌ててその場から逃げ出した。あの苦しむ姿は今でも目に焼き付いている。黒ぶち模様のいい奴だったが気の毒に。

 人間というものは油断ならない生き物だ。

 味方と思っていても、その裏には憎しみの顔が潜んでいるとも限らない。単に猫が嫌いだ邪魔だ、という感情ならこちらとしても受け入れ、近づかないよう心掛けたりもできるが、暇つぶしであったり八つ当たり、中には生き物を殺したいという欲求から攻撃してくる人間もいるから恐ろしい。

 この女はどうだろう。

 私は注意深く観察する。

 敵か。

 はたまたただの猫好きか――。

 黒髪の女は手すりから離れ、衝立の下の隙間に身を屈めてこちらを呼んでいる。その目に悪意は潜んでいない――気がする。

「ニャー」

 私はそちらに行くぞ、という意思表示を込めて鳴いた。

 そのときだ。

「おい、タロウ」

 ガラス戸を開けて七番目の飼い主が姿を現した。私があんまり鳴くので様子を見に来たのか、それとも――。

「すみません」

 男はベランダへ出てくるやいなや、黒髪の女に謝罪した。

「いいえ。猫の声がしたものだから。あなたの猫ちゃん?」

「いやいや、僕のじゃないですよ。腹でも空かせてるのかとエサをやったら、ときどきこんな風にやってくるようになって。それにこのアパートはペット禁止だし。すみません、迷惑掛けたみたいで」

「迷惑なんてとんでもない。猫好きなんですよ、私」

気を削がれて毛つくろいをしている私に、黒髪の女は「おいでー」とほほ笑んだ。寝ころんだまま、それにひと鳴きして応える。続けたまえ、という意味を込めて。

「人懐っこいですよね、この子。どこかの飼い猫なのかな」

「どうだろう。首輪もしてないし、エサを食べに来るってことは野良なんじゃないかな。どうなんだ、タロウ?」

 異性の前のせいか、いつもより男の態度が馴れ馴れしい。いつもは素っ気なく食事を出して部屋に引っ込むくせに、分かりやすい男である。

「タロウって変な名前。犬みたいですね」

 黒髪の女が笑った。手すりに体を預けたまま、隣のベランダにいる私を覗きこんでいる。太陽の光がまぶしいのか、目を細めている。

「昔実家で飼ってた犬の名前なんですよ。なんとなく、そう呼んでただけなんだけど」

 人間に媚びて、四六時中尻尾を振ってるような犬の名前を付けられていたとは心外だ。文句代わりに鳴いてやると、男が私の頭を撫でた。この飼い主に触れられたのは初めてのことだ。今日はどこか具合でも悪いのかと思ってしまう。

「野良猫にしては毛並みが綺麗ですよね。足だけ真っ白模様なのもオシャレ。品のいい子ね、この子」

 七番目の飼い主より、よっぽどこの黒髪の女の方が私を分かっている。八番目の飼い主にしてもいいくらいだ。

 それからふたりは私をよそに、いろいろと世間話を始めた。

 学生さんですか――。

 おいくつですか――。

 今日はお休みですか――。 

 そんなものに興味のない私は、ふたりの間をすり抜けるようにその場を離れた。人間同士勝手にやってくれ。

 去り際、ふたりが声を合わせるように「バイバイ、タロウ」と言っている声が聞こえた。



    

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