会話
貴方が初めて生まれてから、私と貴方の共同生活が始まるには、そう時間はかからなかった。
小学生になった私には、今まで箱の中の世界だったものより大きな現実が待っていた。そして私には…もう一人の私がいること。これから幾度と無く現れる貴方と、私は向き合うことになっていった。
首元を引きずられて階段の隅へ投げつけられ、殴られ続ける貴方が見える。小さな身体は玩具の様にゆさぶされて跳ね飛ばされた。音だけが反響して聞こえる、景色は飛ばされた方向へ向かう。でも私に痛みは無い。その日は雨だった。仕留めた獲物を隅に追い詰める為の遣らずの雨…そこに美しさはない。貴方は冷たい目をしてその人を見つめた。その人は一瞬言葉を失ったかの様に捨て台詞を吐いた。『雨が悪いんだ…雨なのに校庭にいるから…』そそくさと去っていく後ろ姿に、貴方は吐き捨てた。『教師にもなれない糞が。せいぜいその汚い心を洗う為に花でも植えてろ。』
私は怖かった。悲しかった。不安だった。
貴方は大丈夫なの?痛く無いの?どうしてこんな事になってしまうの…?突然の出来事に動揺するが、誰に話せる訳でも無く、ただ静かに乱れた服を直して同級生の呼ぶ声の元に走る。
ねえ?あなたまた私と入れ代わったよね…?
一年生の私の宿題は本読みだった。音読なんてしたことが無い私は上手くスラスラ読もうとして何度も失敗した。その度に母は少し嬉しそうに私を罵倒した。『頭悪いのね?こんなものも読めないなんてね。』その繰り返し…その繰り返しに頭が狂いそうになった時、入れ代わった貴方が口を開いた。
『五月蝿い』
刹那、凍りついた部屋にヒステリックな罵声が響く。彼女は企んだ様だ。父を煽って私を殴る様、示唆した。父はおだてに弱い人間で、頼まれると正義感で人を殴るのも躊躇わない人だった。貴方は私の為に殴られた。ゴキブリを殺す為の丸めた新聞紙で、何度も何度も殴られた。勿論、私に痛みは無い…。ひと通り終えると、私の視界もほぼ塞がっていた。皮膚が薄いからか顔が変形しているらしい。私を取り戻した私は悲しくなった。
どうしてこんなことするの?どうして…?
悲しくて悲しくて、もう目を開けていたくなかった。なのに父は直後驚く事を口にした。『どうしてそんな目で見る?』私はわからずに聞き返しパニックを起こして『なにをいっているの?どんなめをしているの?なにもしてない!!』身体中の震えが止まらない…形相が正気じゃ無い。殺される。母は更に嬉しそうに煽っている。父は変形した私の顔を見て睨んでいると思ったらしい。
更に皮膚が剥けてしまう程鈍い音は部屋に響いた。その時聞こえたんだ。私に話しかける声。
『これはストレス発散。本なんかもうどうだっていいんだ。お前に今している事が今のあいつらの正義なんだからな!今はあいつらの世界が上手く回っているんだから。』
高笑いする貴方は更に続けた。
『これが現実。キャラメルみたいに噛んだって溶けて無くならないんだよ?』
初めて話した。
鏡の前に立ち、腫れた自分の顔を見た。
涙がしみて痛い。唇はめくれ上がっている。
必然。そうこのタイミングは必然的だった。私は勇気を出して鏡に映るもう一人に声話しかけてみた。『あなたはどうしてなぐられるの?わたしはどうしてなぐられるの?あなたはどうしてつよいの?わたしはどうして?ねらわれてるの?』
すると鏡の向こう側でこう言った。
『いずれわかる時が来る。こんな腐った世界には、腐った目をして歩いてるくらいで丁度いい。』
ただ悲しくて、深く深く苦しくて耐え難い会話の中、貴方しか信じる事が出来なかった。