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(Chapter,23)

(Chapter,23)


「1988年・5月13日・ダニロ・チュブリノヴィッチの証言・ビデオ映像」


 はい、私の軍籍は当時プラウダ連邦監視軍にありました。

数回の降下作戦に参加した私の経歴を、最も高く買ってくれたのが、当時のプラウダ連邦監視軍、その中でもニェーバ家だったと言う訳です。


 世界的恐慌から始まった不況で、人々は誰も拝金的になっていましたし、職を失った軍人だけがその例外であるはずもありません。


 政府の無策と労働者の軽視は、どの国でも同じようなものでしたから、例え傭兵のような立ち居地であっても、自分を高く買ってくれる軍隊に身を売る兵士は多かったのです。


 能力の高い兵士ほど、そう言った傾向にありました。

私たちが山岳基地の攻略に参加したのは、開戦三日後だったと思います。


 貴方は空と陸からの両面での侵攻と言われましたが、お互いがお互いの内情を知っている訳でも、連携した作戦を行った訳でもありません、それは間違いありません。


 事実私たちは、現地で近隣諸国連合の兵士とは全く接触していません。上官たちは一様に、誰よりも早く重要拠点を自国の軍隊、自分の軍閥、自分の部隊が確保するのだ、という考えで行動していました。


 どの国の軍隊も、どの部隊も、まるで砂糖に群がるアリのように、我先にパルトの鉱山利権に群がっていたのです。そう言う訳で、私たちを乗せた降下部隊は、サボルマール空軍基地から飛び立った訳ではありません。


 私たちの部隊は、ニェーバグラートの航空基地から発進した大型の四発機で戦地に向かったのです。機種は覚えていませんし何機で出撃したかも判りませんが、ご質問にあったグライダーでの降下は無かったと思います。


 作戦は全体的に言って、指揮系統全般が、降下作戦に対する専門的な経験を持った人間の不在を証明するようなものばかりでした。


 プラウダ監視軍は一刻も早く、バラーニャの重要拠点に、自軍の旗を立てたかったのでしょう。作戦的、人事的な矛盾が多かったのも、そのせいだと思います。


 第1に、降下が非常に高い高度から行われた事、兵士達は予定降下地点に終結する事が出来ず、我々は南や西に、かなり流されてしましました。着地した我々は、様々な装備や迫撃砲の部品を担ぎながら、険しい山岳地帯を延々と移動せざるをえませんでした。


 私の参加した部隊は、第二次降下部隊だったのですが、散り散りになった兵を再編成する間もなく、地上攻撃機による空からの攻撃にさらされ、多くの犠牲者を出しました。


 山岳基地は、要塞といっても過言ではありませんでしたし、敵には地形的な利点も多く、攻略は非常に困難でした。迫撃砲等も、運搬性の良い、もっと小型の物を多用するべきでした。


 空から襲い来る、地上攻撃機による犠牲者は、最も深刻でした。私達は、多くの犠牲者を出しながら、険しい山肌を進軍しました。


 転機は、敵航空戦力の沈黙と、第3次降下部隊の到着によって訪れました。度重なる近隣諸国連合の航空戦力によって、山岳基地の航空戦力が無力化したのです。我々が地上のレーダー施設を破壊、占拠し、敵の管制を無力化させた事も、敵航空戦力の無力化に貢献したのだとは思いますが。


 山岳基地に取り付いた兵員の中で、私は最も早く基地内の戦闘に加わった者の一人でした。内部に攻め入ってみれば、基地内の戦力は想像以上に疲弊していました。本格的な戦闘は30分も無かったと思います。


 やがて、戦意を失った基地内の兵士たちが、次々と降伏しました。

しかし、二日以上にわたり、散々に仲間を殺された我々兵士は、平常心を失っていました。両手を挙げた敵兵士や人員に対しても、引き金を引いたのです。


 当時では珍しくも無い情景が、そこでも繰り広げられたに過ぎません。

兵士たちは基地内の金品や金目の物を漁り、隠れていた人間を探し出すと、その全てを血祭りに上げました。


 暫くすると、基地の陥落を知らない敵の戦闘機が2機、滑走路に舞い降りました。1機が先に着陸し、10分もしない内にもう1機が降りてきました。


 機体はどちらも機銃で散々に打ち抜かれ、ボロボロでした。直後に「おいおいこれは神のお恵みだぞ!」と、パイロットを引きずり出した兵士が叫びました。


 2人のパイロットは、若い女性でした。

1人は子供のような身長の少女で、2人は姉妹のようでした。


 私たちは少女たちを縛り上げ、小さな部屋に閉じ込めました。

少女たちは、趣は違いましたが、どちらも大変に美しかったことを覚えています。


 我々は、少女たちを貪る為の最低限の秩序について話し合いました。

ええ、少女たちの目の前でです。少しでも不公平があれば争いになりかねない、それほどに兵士達は高揚していた上、少女たちは美しかったのです。


 自分たちの運命を察し始めた少女たちは、真っ青な顔で戦慄していました。


 その内、姉と思われる少女は、国際法や自分の出自の話などを、私たちに口走っていましたが、全てが無駄だと悟ると、やがて沈黙し、下を向いてしまいました。


 妹の方は、姉に対ししばらくの間、自分が通信で基地の陥落を知らせたのに、何故戻って来たのかと、激しく罵声を浴びせていましたが、やがて大声で泣き出し、父親に何度も謝罪し始めました。


 申し訳ありませんが、彼女たちの言葉は、細かく覚えていません。

確かお互いを名前で呼び合っていましたが、覚えていません、申し訳ないのですが。


 私は少女たちに、大人しく従えば、命は助けてやると言いました。

無論、無駄な抵抗を避ける為の嘘です。


 暫くして、下を向いていた姉の方が急に立ち上がり、自分が妹の分も男たちの相手をするので、妹には手を出さないで欲しいと言い出しました。


 はい、この時点で人間としての道徳観や理性に何ゆえ目覚めなかったのか、今では悔やんでいます。しかし、当時は何処でも同じような事がありましたし、我々だけが、例外的な行動をとった訳ではありません。


 戦後生まれの方々には分かっていただけないと思いますが、皆が普通の人間なのです、戦争が終われば、こうして懺悔する心も取り戻せる程度ではありますが。


 続けてもよろしいですか?

私たちは少女の申し出を快諾しました。妹に見られたくなかったのでしょう、少女の申し出で、行為は別室で行われました。


 姉の少女は気丈に振舞ってはいましたが、その実怯えている事は明白でした。パイロットスーツを脱がしてみると、下着どころか、足元まで小便まみれでした。撃墜されそうになった恐怖が大きかったのでしょう。


 それをからかわれて、少女は赤面しながら涙を流していましたが、我々は彼女にシャワーを浴びせる時間を与える事もなく、お構いなしにその身体を犯し始めました。


 妹の身の安全を保証していた為か、少女は大人しく健気に男たちの欲望に耐えていました。当時の道徳観です、少女は当然乙女でした。心身ともに辛かったと思います。

 

 少女は15人以上の男を相手したはずです。その為か、夕方には疲労しきっていました。

それでも「お前が無理なら妹に働いてもらう」と言えば、よろよろと起き上がり、呆然とした表情のまま、手や口を動かしてでも、男たちの相手を務めました。


 それでも限界が来たのか、少女は数時間後、完全に意識を失ってしまいました。殴っても水をかけても、もう意識が戻りませんでした。


 完全に意識を失ってしまった少女に、誰も関心を持たなくなっていました。それゆえに我々は仕方なく、今度は妹で楽しむ事にしたのです。


 子供の様な面持ちと体型で、大した魅力はありませんでしたが、それでも戦場で女体にありつけるのであれば充分に贅沢だと皆が考え始めていました。


 妹の方は、監禁した部屋で姉さま姉さまと呟きながら泣きじゃくっていました。「お前の姉が死んだので今度はお前が俺たちの相手をしろ」と誰かが言いました。


 悪い冗談です。戦場ではそれ以上の冗談が当たり前のように飛び交っていましたから、それを口にした男も、大して意識した訳では無かったはずです。


 少女は男の言葉に激昂し「殺してやる」と叫んでいました。

しかし、そうした彼女の怒りでさえも、私たちの愉悦の対象でしかありませんでした。自らに殺意を抱く女を犯して殺すことは、戦場では快楽の一つでしかありません。


 戦闘の緊張から解き放たれた私たちは正気ではありませんでした。どんな残酷なことも出来たと思います。


 しかしその直後、戦場で極端に判断力を失った状態がいかに危険かという事を私達は大きな犠牲を払って思い知ることになりました。


 私たちは興奮して襲いかかる少女の妹を、笑ったり罵ったりしながら三人がかりで押さえつけていました。涙を流して抵抗する少女は、パイロットスーツをナイフで引き裂かれ、、白玉の様な肌の上半身をあらわにしていました。後はもう、姉と同じ運命を辿るはずでした。


 しかしその直後、部屋に三発の銃声が鳴り響きました。同時に、少女を押さえつけていた男の一人が動きを止めました。


 見ると、男の頭部は顎の上からきれいさっぱりと吹き飛んでいました。銃声はさらに二発ずつ、ほとんど同時と言っていいほどの速さで部屋中に木霊しました。妹に襲いかかっていた残りの二人が、頭部を失っていました。


 部屋の入口に、先ほどまで死人のように意識を失っていた少女が仁王立ちしていました。少女はその手に、当時まだ珍しかった自動小銃を構えていました。


 ああいうものが既に準量産体制に入っていたのは、御存じの通りヴァシュリクス共和国くらいのものです。まったく恐ろしい武器でした。


 少女は、小銃の安全装置らしきものを、グリップを握る親指でカチリと弾くように跳ねあげました。当時の私は彼女が何をしたのか解りませんでした。


 今では誰でも解ります。少女は小銃をフルオート射撃にするため、セレクターを操作したのです。


 拳銃弾を使う短機関銃とは段違いの破壊力で、少女は壁際の見物人たちを掃射しました。6人か7人が瞬時にミンチです。

女子供でも保持できるようなサイズの小銃であの威力と正確な射撃です。


 射撃時の反動が驚くほどに小さかった事も印象的でした。

まるで手品を見ているかのような気分でした。もちろんそんな心の余裕はありません、我々は恐怖で動くこともできませんでした。


 しかし、掃射は弾切れとともに一旦止まりました。

その時、部屋にはまだ、8人程が無傷で生存していました。


 そのうちの3人が、今だとばかりに少女に襲いかかりました。

私もこれで惨劇が終わるものと確信していました。しかし、結果はこうです。


 1人目の男が正面から襲いかかりました。

しかし、その蛮勇は、恐るべき素早さで繰り出された銃剣の一突きで喉を串刺しにされるという結末で締め括られました。


 少女は、跪く様に倒れこんだ男の顔を足蹴にして、喉から銃剣を抜きました。同時に、カチャリと言う音がしました。一拍遅れて、串刺しにされた男の血しぶきを浴びた妹が悲鳴をあげました。


 串刺しにされた男が倒れた時、私たちは改めて絶望しました。

小銃には既に次のマガジン(弾装)が装てんされていたのです。

次の瞬間、32発のライフル弾が襲いかかった残りの2人をミンチにしました。


 少女は先ほど同様、素早く次のマガジンを小銃に装てんしました。

私たちは凍り付いていました。勿論、もう少女に襲い掛かろうとする兵士はいませんでした。


 悪魔に魅入られた子犬ように、皆の体は硬直していたのです。

少女はずっと無表情でした。口元だけが少し笑っているようにも見えましたが。


 頭部を失った2人が倒れこんだ時、それを目の当たりにした妹が再び悲鳴を上げました。

妹の顔や引き裂かれたパイロットスーツ、真っ白な上半身の柔肌は、血飛沫や脳漿で真っ赤に染まっていました。悲鳴を上げるのも当然です。


 少女は一瞬、その悲鳴に反応し、妹に顔を向けると何か話しかけました。妹を安心させるためかどうかは分かりません、とにかく殺戮を一瞬中断して中腰になり、妹の顔を覗き込むようにして、何か話しかけていました。


 しかしその妹は、少女と目を合わせた途端に泡を吹いて気絶してしました。

それがどんな言葉か、どんな表情かと言われましても、ちょっと解りません。


 なぜならば、位置的に私は少女の右後ろにいましたので、囁くような小さな声も聞こえませんでしたし、少女の顔も見えませんでした。恐怖に震える妹の絶叫は、その肩ごしに目の当たりにしましたが。


 さて、そうした絶望の最中、私は二つの幸運を神に感謝しました。

一つは生き残った人間を血祭りに上げる順番を、少女が部屋の左奥の人間から先にと決めた事、もう一つは私がこの部屋で、最もドアから近く、少女の右後ろの位置に立っていた事です。


 生き残った仲間が次々と撃ち殺されている間に、私は地獄から抜け出すだた一つの道へ向けて、全力で走りました。


仲間たちがミンチに変えられてゆく様など、私は一瞥もしていません、そんな事は私にとってどうでも良い事でした。それどころか、少しでも長い時間をかけて彼らが殺されてくれれば、私が逃げ出す時間稼ぎになる、そう考えていました。


 私の脱出は成功しました。結果的に、少女はドアの向こうから、私を追ってくる事はありませんでした。そうして私はあの部屋から生きて帰る事の出来た唯一の人間になったのです。


 私の話はこれで終わりです。後の顛末は、貴方たちの方がお詳しいでしょう?あの基地と周辺で行われた報復の惨殺に関しては。


 ああ、成る程、そう言う事でしたらあえてお話しましょう。


 先ほどお話しした時より数時間後の事でしょうか、尋常ではない規模のヴァシュリクス軍が基地を取り囲みました。信じられない程の大軍でした。


 基地を攻略すると言うよりは、すでに兵站基地として運用する為に到着したと言う様相でした。


 その間、少女たちの居た部屋がどうなっていたのかは知りません。

私も仲間も、恐ろしくて近寄りませんでした。

何しろ少女は、自動小銃で武装していただけでなく、体中に手りゅう弾を巻き付けていたのですから。


 それよりもまず、我々は逃げるか戦うかを判断しないとなりませんでした。御存じの通り、僅かに残って応戦したものは、当然に全滅しました。ヴァッシュは捕虜を取りませんでした。皆殺しです。


 基地を放棄して逃げ出した者たちも地獄を見たはずです。

空からは無数の航空戦力による容赦のない地上攻撃、山肌からは敵の新兵器、多脚戦車が押し寄せて来たそうです。


 千人以上いた兵士達の中で、あの基地から逃げおおせることが出来たのは、たったの数十人しかいなかったと、数年後に聞いて、改めて驚いた事を覚えています。


 さて、貴方が御聞きになりたい私の事ですが。敵の反撃が始まって直ぐに、私はその圧倒的な戦力に驚愕しました。


 特に恐ろしかったのは、先程申し上げた多脚戦車と、膨大な数の航空戦力およびその性能です。友軍の航空戦力の支援も、一度はありました。そう、第4次攻撃と言えるものですか。


 しかし、かなりの大規模っであったにも関わらず、友軍機はそれこそハエのように次々と叩き落されて全滅しました。


 残って応戦しても、逃げ出しても、助からないことは明白でした。


 そこで私は、応戦する仲間の兵士を尻目に、パルト兵の死体を漁って、自分と同じ背格好の兵士の死体から、制服を剥ぎ取ってそれに着替えました。


 次に、没収したパルト軍の小銃と拳銃を、それらをまとめていた倉庫まで取りに行き、予備弾薬とともに装備しました。


 後は適当に仲間を撃ち殺しながら、ヴァシュリクス兵が基地を完全に制圧するのを待ちました。ヴァシュリクス兵から見れば、私は最後まで奮戦した生き残りのパルト兵に見えたはずです。


 勿論、その目論見は成功しました。


 私を保護してくれたヴァシュリクス兵たちは、私が話すデタラメな戦況について、何一つ疑いはしませんでした。それはそうでしょう、私の話すイントネーションは完璧です。ご存知の通り、私は生粋のパルト人なのですから。


 そう言うわけで、私はヴァシュリクス兵の車両で無事に麓まで帰還しました。丁重に、護衛の車両までつけて貰いました。勿論、途中で逃亡しましたが。


 それからですか?部隊を後にした私は、プラウダ監視軍からの謝礼は前金だけで諦める事にして故郷のパルトに帰りました。何事も命あってのモノダネだと考えたのです。


 その後、私はヴァシュリクス軍とともにパルト兵として戦役に付いた事すらありますが、なんとか無事に戦役を終え、こうして戦後50年経った今でも生きていると言う訳です。


 これで満足ですかな、お嬢さん?後は貴女のご随意になされば良い。


この写真ですか?…おお神よ…


(テープはここで終わっている)

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