パルト燃ゆ (Chapter,1)~(Chapter,6)
(Chapter,1)
1937年12月13日
近隣諸国連合軍は、神聖パルト公国国境を越え侵攻を開始した。
予想外の大規模で行われた近隣諸国連合軍による進軍は、瞬く間にパルトの国境線を突破、開戦二日目にして公国は60キロ以上の侵攻を許し、100キロ以上の制空権を失った。
傑出した航空機と秀でたパイロットを有するパルト空軍の善戦も、頭痛の種であった機械化の遅れた陸軍の脆弱を補うには至らなかったのである。
近隣諸国連合は、パルト陸軍の脆弱が近々、その同盟国ヴァシュリクス共和国よりの大規模な陸軍戦闘車両の供与もって補填されるであろうと言う確信を持っていた。事実、開戦があと一月遅れていれば、これ程の圧倒的な進軍は不可能であった。
これら情報戦による勝利の背景には、近隣諸国連合と同様に、ヴァシュリクス共和国の勢力拡大を危惧する、プラウダ連邦を統べる貴族たちの情報網と姦計が、陰に陽に介在していたことは間違いがなかった。
ヴァシュリクス共和国および同盟国は、西に近隣諸国連合、東にプラウダ連邦という外患に挟まれ、苛烈な経済的弾圧の果て、ついに領土的主権の危機を迎えたのだ。
近隣諸国連合軍は、開戦初日に突破した国境線から、広大な穀倉地帯を北へ西へと我先に確保するような進軍は行わなかった。
その目標及び目的が、人口密度の低いヨモーティの平原ではなかったからである。
侵攻した各軍の目的は、ヨモーティ平原の東に隣接するバラーニャ郡の山岳地帯に眠る莫大な石炭資源の迅速な確保であり、気候的な問題で収穫の比較的低い倉地帯は、一部の例外を除いて、戦災を受ける事がなかった。
バラーニャ郡は、バラーニャ丘陵とセンゲル山地で構成され、最も高い山は聖センゲル山で千七百四十八メートル。特に丘陵地帯には、パルト公国が自国産出する石炭量の80%を誇る、数々の炭鉱が存在していた。
近隣諸国連合は、この国土の5%にも満たない地域を制圧することで、パルト公国の資源的な命脈を一気に絶ち、迅速な降伏を引き出そうとしていたのだ。
80%の石炭資源を、国境線に沿う一山岳地帯に有していると言うパルト公国の急所は、長年内憂として問題視されていたが、結果的に外患となって顕になった。
一方、近隣諸国連合各国は、パルト降伏後の石炭利権を夢想し、予想外の大規模部隊を各々が惜しみなく供出した。
より多くの利権を貪る為、少しでも多くの軍勢を、パルトの戦線に投げ込む必要があったからである。
軽微な損耗でヨモーティ平原南部を確保した近隣諸国連合は、バラーニャ郡山岳地帯を攻略する為の橋頭堡として、ほぼ無傷で確保したサボルマール航空基地に各々の航空戦力を結集させ、さらなる攻略の準備を急いだ。
一方、事変の一報を受けたヴァシュリスク共和国総統、ツェーザル・キルヒアイゼンは、即座に同盟国への大規模救援を陸空軍に厳命した。
ザーリッシュ文化圏に対する外圧はこの日、後の世に言う「西方大戦の引き金」となって顕在化したのである。
(Chapter,2)
「そもそも貴女まで志願したのが間違いなのよエレオノーレ!」
「貴女一人で全てを背負えばそれで満足とでも言うの?」
「そうよ、それで充分だったはずなのに!」
「それを傲慢と言うのよアーデルハイド」
「貴女こそ傲慢だわ、一体自分が何をしたか判っているのエレオノーレ!」
「それこそこっちのセリフよアーデルハイド、同盟国の為に死にに行くのが、貴女にとってお父様への恩返しだとでも言いたいの?」
「違うわ、軍令には逆らえないでしょエレオノーレ」
「それでも貴女が手を上げる必要は無かったわ!」
「前線と言っても軽微で補助的な任務でしょ?私は1日でも早く、より多くの経験を積みたいの、そんなことも判らないの?」
「判るものですか!実際来て見れば、私たちは早速こんな目に…」
けたたましいエンジン音を押し退ける様な姉妹の激しい応酬に、
ザビーネ・モーラーが呆れ顔でため息をついた。
「こんな場所でも始めるんだなあ、この姉妹ときたら…」
山岳地帯を進む人員輸送車。
車両は、険しい山道を走破する為に、後輪は無限軌道に換装されていて、その乗り心地は少女達にとって最悪だった。
名も知らぬ木材で作られた安普請の固い長椅子の座り心地と振動は、麓を出発してから数時間、少女たちを容赦なく攻め抜いていた。
「寒い…あとお尻痛い…」
ギルベルタ・ルンゲの素直な感想に一同の雰囲気が少し和んだ。
確かにどうにも尻が痛かった。不機嫌そうに黙り込んでいたアーデルハイドとエレオノーレの姉妹喧嘩も、2時間以上続いた寒さと振動による拷問に耐えかねた末に始まったのだ。
「全くですわ、これではまるで捕虜の移送ではなくて?」
エレオノーレ・ライヒテントリットが不機嫌な表情で賛同した。
「お嬢様が釣れた!」
ギルベルタは小さな身体をさらにすくめ、しめたとばかりに言葉を続けた。
「人員輸送車って言っていたけどコレ…荷台の両端に安物のベンチを貼り付けて屋根を付けただけのトラックだよね…」
内側の不満を、外側の不満を共有させる事で摩り替える、ギルベルタの得意技の一つだ。
「乗れるだけ有難いと思え、今は戦時でここはもう戦場なだぞ、大体お前達、少し兵士としての自覚が足りないんじゃないのか?」
リーダー気取りのザビーネが、少女たちの愚痴をよく通る高い声で遮った。
「見ろアンナを!私同様ここまで一つの愚痴も無く耐えているぞ、お前達も少しは見習ったらどうだ?なあアンナ?」
ザビーネは腕を組んで無言で座るアンナ・ビューロを指差し、
彼女に同意を求めた。
「そうねザビーネ、今は戦時で、ここは戦場だわ、そして私たちは作戦中のはずね」
抑揚のない声でアンナ・ビューロは答えた。
「そして作戦中の私語は禁止のはずでしょザビーネ…」
突き放すようなアンナの言葉に、ザビーネが眉ひそめた。
「その通りだヒヨコども!」
運転席から鳴り響いた大声に、少女達は肩をすくめた。
「人員不足で上官の私が運転手までやっているんだ、少しは我慢しろ!あ!それから現地では私を中尉と呼べよヒヨコども!お前たちはもう立派な軍人なんだからな表向きは。あっちで私に恥をかかせるなよ!」
いかにも女傑といった良く通る声、しかしそれは野太くも低くもない、むしろ美声の部類に入るだろう。言葉だけが粗暴なのだ。
「はい中尉殿!」
シューレ(学校)では教官、今は上官であるヴェラ・ブロッホ大尉の怒号に、5人の少女は体を強張らせて即答した。
政府による戦時発令により、第三ザーリッシュ・シューレ(事実上の少年士官学校)を繰り上げ卒業した少女たちは2ヶ月前、プロパガンダとしての色合いの濃い流れの中で、ヴェラの中尉への異例的な昇進同様、兵長及び伍長と言う分不相応な軍籍を慌ただしく与えられ、この日、初めて戦地に送り込まれたのである。
「本来なら私だってその硬い椅子で座っていられたんだ、そうすりゃ作戦遂行中の私語や軍務への不服を口にするヒヨコの横っ面を張り倒せたんだがな」
「申し訳ありませんでした中尉殿!」
アンナを除く少女達は、首をすくめて小さくなった。
「それがどうだ?到着するなり、スイマセエン今人員不足でえ…ときやがったよ!パルトの連中、レディの扱いがなっとらん!大体こんなタイプの車両、私は運転した事がないんだ!どこの世界に学徒兵の運転手をさせられる大尉がいるってんだ全く、お互い名ばかりの昇進はつらいな。お前達もそう思うだろ、なあヒヨコども?」
空港に到着した直後から、ヴェラの機嫌が最悪だったことは少女達も感じていた。半ば義勇軍として一早くはせ参じた女性兵士に対して警備も付けず、山頂近くの任地まで運転しろと、兵卒風情にトラックのキイを渡されれば無理もない。
「普通男にキイを渡されたら少しトキメクじゃないか乙女なら、チョット良い男の将官が、義勇兵の皆様、遠路はるばるを早速のお越しに感謝いたします!さあレディ、お疲れでしょう?とか言って、部屋でも取ってくれたのかと思えば張り切れるってもんだろうにな!」
少女達がクスリと笑った。ヴェラはかなり美人の部類に入る、だが年齢は来月で27才だ、乙女を自称するにはかなり無理があった。
「お前等!基地に到着したら腕立て伏せ100回な100回っ!」
怒号に萎縮した少女たちをミラー越しに覗き込み、ヴェラは少し微笑んだ。
「基地内雑務に一部支援的飛行って、そんな額面を信じられる状況じゃないぞこれは、そんな悠長な任務にしては色々と性急に過ぎる」
そう頭に浮かんだ最悪の見解を、ヴェラは口に出さなかった。
「なあお前達…戦況はもしかしたら本国で聞いていたよりもずっと悪いかもしれないぞ」
暫く黙り込んだヴェラは、やがて静かに唇を開いた。
その声は、けたたましいエンジン音にかき消されるほど小さなものだったが、ヴェラの一挙手一投足に敏感になっている少女達の耳には明瞭に届いていた。
自分を凝視する少女たちに気づいたヴェラは、しまったとばかりに再び視線を前方に戻し、小さく息を吐き出すと、大きく息を吸い込んだ。
「結果には原因が必ずある、特に戦場でのそれは厳しい、事もあろうかパイロットに護衛どころか運転手さえ居ないのも、手配ミスなんかじゃない、そう考えないと命がいくつあっても足りないぞ、よく見てよく考えろ、偶然を許すな、常に悪意の存在を意識するんだ、戦場で生き延びる為にな」
いやな予感がする、途轍もなくいやな予感が。出来れば生徒であり部下である少女たちにこの空を飛ばせたくはない。
しかし憂慮すべきその予感と予想は、ヴェラの脳裏で不気味な現実味を帯びて刻一刻と肥大化していた。
「人員が足りてる戦場なんてどこにもありはしないのさ、だってそうだろう?実際、祖国ヴァシュリクス共和国様でさえ、ご立派な階級章を付けた学徒動員兵でお茶を濁しているじゃないか、なあ新兵さんたちよ?」
義勇軍としての派兵にあたり、ヴェラは准尉から中尉へ、少女達は繰り上げ卒業にも関わらず、一切の実戦経験もないままに兵長及び伍長の階級を与えられた。
これは、「同盟国の存亡に対して迅速に即戦力を提供した」と言う事実を、本国は書類上だけ取り繕った事に他ならない。
ヴェラはそれを、パルトに対しての不遜であり無礼であると唾棄したのだ。
「パルトみたいな小国では尚更だ、だから、今回の任務だって額面どおりとは限らない、その覚悟だけはしておけよヒヨコども」
「解りました教官どの!」
少女たちの敬礼を、ヴェラは挙手で制した。
「中尉殿だヒヨコども!」
「はいっ中尉殿」
「運が悪ければお前達はめでたくここで初陣を飾れるだろうよ」
先を急ぐ必要を感じたヴェラの運転は、より乱雑になっていた。
それから少女たちが第六山岳飛行基地に到着したのは、さらに一時間後、ヴェラの予感が的中したのはそのさらに三時間後だった。
(Chapter,3)
「ライナー中佐が基地にいない?それは一体どういうことだアルニム少佐!」
ヴェラ・ブロッホ大尉の怒号が会議室に鳴り響いた。
第六航空基地に辿り着いて3時間、マルク・アルニム少佐の召集を受け緊急に行われた会議で聞かされた最初の議題が、第六航空基地司令官であるライナー・エスレーベン中佐の不在と、残された人員と機体による再編成だったからである。
「私たちの任務は後方支援ではないのか?私が連れてきたのは事実上の学徒兵だけなんだぞ、まさかあいつらを前線にでも送り込むつもりなのか少佐?」
マルク・アルニム少佐が、一呼吸あって口を開いた。
「サボルマール航空基地からの敵機に攻撃を受けているのです、昨日、予想以上の規模と迅速さで攻撃を受けた第三・第四山岳基地の防衛に当たる為、殆どのパイロットは出撃したのです、ライナー中佐も出撃されました」
第六航空基地の司令官ライナー・エスレーベン中佐に代わり、基地の責任者となったマルク・アルニム少佐の抑揚のない口調と聞き捨てならない内容との不自然な剥離に、ヴェラは益々混乱した。
「サボルマール航空基地?サボルマール航空基地を敵軍が使用しているのか?」
ヴェラは驚愕した。あれ程大規模な航空基地がたったの2日で陥落するとは信じ難かったのだ。
「サボルマール航空基地はほぼ無傷です、航空戦力と人員の移動を最優先して一切の破壊工作を行わずに放棄しました」
「無傷であの基地を手放したのか?一度の交戦もせずにか?」
到底納得がいかなかった。
いくら寡兵といえども、サボルマール航空基地は、全くの抵抗もせずに放棄して良い基地ではなかったからである。
敵にとっては国内最大の炭鉱地帯を攻め取る為に最適な橋頭堡となる拠点だ、それをこうも簡単に明け渡すパルト公国軍の意図が、ヴェラには全くもって理解が出来なかった。
「空軍が抵抗しなかった?放棄にしても、滑走路の破壊くらいは出来たはずだ、その愚かな判断が敵の電撃を許したのだぞ!それで責任者連中は自ら操縦桿を握って逃げ出したのか?どうなんだ少佐」
ヴェラの辛辣な言葉に、マルク・アルニム少佐は無言だった。しかし、その言葉に檄した一人の将官は、ヴェラを指差し立ち上がった。
「中佐は昨日、僅かな護衛機と共に第2山岳基地に向かわれ、現在消息不明です」
怒号にも近い声の主は、昨日から事実上の副官を務めているハイデミル・ブルマー大尉だった。
「大体サボルマール航空基地の放棄はヴァシュリスク空軍参謀の指示ではありませんか!援軍の条件とまで言われれば、我が軍に他の選択肢など無かった!貴方方は同盟国からいらした義勇の兵なのか?それとも宗主国から派遣された督戦兵なのか?」
抑え切れぬ激情でまくし立てるハイデミル・ブルマー大尉を、マルク・アルニム少佐は、右手で静かに制した。
「もういいやめろ、言い過ぎだ大尉」
「良くはありません少佐、そのツケは確かに高くつきました、第二山岳基地は既に連合軍降下兵によって制圧されましたからな」
「何?本当かそれは?」
尋常な話ではなかった。どれ程危機的な状況であるかを推察したヴェラは言葉を失った。
「聞いていなかったのですか大尉?第一山岳基地も、もってあと数時間でしょう…」
ヴェラの表情から全てを悟ったマルク・アルニム少佐は、一瞬眉をひそめた後、さらに言葉を続けた。
「我々が申請した人員補充は、飛行時間一千時間以上のパイロット二十名なのですよ、結果、4時間前に非常招集の退役軍人が十一人補充されました、
確かに一千時間以上の飛行時間をお持ちでしたがね、平均年齢が40才を軽く超えていました。お分かりいただけましたか?」
マルク・アルニム少佐の言葉が途切れると同時に、ハイデミル・ブルマー大尉が踵を返し、再びヴェラに厳しい視線を向けた。
「年齢的に飛行時間の大半は一世代以上前の旧型、複葉機でのものでしょう、本基地に配備された機体を効果的に運用出来るかどうかは、甚だ疑問ですな」
ハイデミル・ブルマー大尉が、嘆息交じりにそう吐き捨てると、再び彼を右手で制したマルク・アルニム少佐が静かに口を開いた。
「そして貴国から六名、合計十七名のパイロットが本日付で到着したと言う訳です」
穏やかな口調ながら、冷め切った表情と視線で、マルク・アルニム少佐は話を締めくくった。
ヴェラはその信じ難い状況と、そこから容易に導き出せる自分達の絶望的な運命に狼狽しながらも、何とか口を開いた。
「そんな、ウチの娘達にいきなり空戦をしろと言うか?まだ実戦経験もない、飛行時間三百時間以下の、文字通りのヒヨコなのだぞ」
ヴェラの狼狽を、マルク・アルニム大尉は一瞥して笑殺した。その死人のような視線に、彼女は改めて戦慄した。
「充分ですよ大尉、彼女達はあの新型機のテストパイロットも兼ねていたのでしょう?機体も届いておりますし、パイロットが不足した分、燃料弾薬には困りません、ここが陥落するかどうかも、これからの空戦次第です、是非とも皆様には階級に見合った責務を全うしていただきますよう、期待しておりますよ中尉」
「なんだとっ」
「誤解なさっては困りますな中尉、サボルマール航空基地の放棄を進言されたのは貴国のギラ・フリードハイム空軍参謀ですぞ」
ヴェラの言葉を遮る様にマルク・アルニム少佐の言葉は続いた。
「ご存知でしょう?少佐と同じく参謀は、神聖パルト公国からヴァシュリクス共和国への帰化人でありましたな」
ヴェラは当然知っていた。パルト系の軍人であれば意識せざるを得ない人物だ。ギラ・フリードハイム参謀は、両親が神聖パルト公国からの移民であった。様々な困難の果てにヴァシュリスク共和国へ帰化を果たし、ただならぬ功績を積み上げ、空軍内で異例の出世を果たした女傑だ。
ヴェラもまた、パルト系移民出の帰化人として同様の辛酸を舐め、当時から事実上の士官学校であった第三ザーリッシュ・シューレを卒業し軍籍を得た。
ゆえに、それがどれ程の偉業か、骨身にしみて理解が出来た。
自分と同じ軍功を上げた同期の者達は、誰一人このような戦線に送り込まれる事はないだろう、来るべき大戦に備えるべき貴重な本国人の同期たちには。
「少佐の部隊には確か、パルト系帰化人どころか、現在も我がパルト公国の国籍を持つ者さえおりますな」
「アンナ・ビューロ伍長…そうか…」
マルク・アルニム少佐が何を言わんとしているのかを、ヴェラは理解した。
「我々は、いや我が国はヴァシュリクス共和国の属国なのですかな?それとも、来るべき大戦において時間稼ぎに消費される緩衝地帯に過ぎないとでも?」
ヴェラには、マルク・アルニム小佐に返す言葉がなかった。それどころか自分がどの立ち居地で思考しているかさえ、曖昧になっていた。
「確かに、ヴァシュリクス共和国は、この戦線において、純粋な国民の疲弊を望んでいないようだな少佐、私やアンナのような帰化人や供給物資でこの戦線を賄おうとしているのかもしれない」
ヴェラはやや自虐的な調子でそう呟くと沈黙した。
「責任問題に関しても同様ですな、しかし意向は絶対に譲らない、強権的なまでに」
マルク・アルニム少佐が、ヴェラの言葉を続けるように呟くと、彼の後ろに侍る部下たちは、歯噛みをする様に頷いた。
「そうか」
ヴェラは悲嘆した。例えサボルマール航空基地の放棄が結果的に失敗であったと言う幕引きになっても、それはあくまでパルト人、もしくはパルト系の人々による判断であったと言う形が必要なのか。
その作戦における兵員的犠牲は、援軍だとしても、出来る限りヴァシュリスク本国人から遠い人材に担わせる必要があるのか。
誰に?
決まっている、ヴァシュリスク共和国空軍最高司令官シャルロッテ・アーレンス大将にだ。
彼女は参謀であるギラ・フリードハイムに、自分の意思を押し付けたに違いない。来たるべき大戦に向け、彼女はヴァシュリスク本国の人的な消耗を嫌ったのだ。
「空軍は私に、とんだ里帰りをプレゼントしてくれたようだな」
ヴェラは、同じ帰化人として同胞を売り渡したギラ・フリードハイム参謀に対し、言い様のない怒りを感じていた。
「しかし、シャルロッテ大将は、パルトの宗主国にでもなったつもりなのか、だとすれば、それはとんでもない傲慢だぞ」
それはヴェラの立場上、公の場で口にして良い言葉ではなかった。しかし放たれた言葉はもう止まらなかった。
「まさか同盟国を盾に時間稼ぎをするつもりなのか?パルトはヴァシュリスク共和国の属国ではないぞ」
移民の子供として舐めた辛酸と、同じ努力と功績で得られる立場の理不尽な差に対する憤慨の過去が、ヴェラの脳裏に交錯していた。
「サボルマール航空基地の放棄に限って言えば、完全にそう言った物言いでしたな」
マルク・アルニム少佐は、皮肉を込めてヴェラの見解に同調した。
「それがヴァシュリクス空軍、いやシャルロッテ大将の個人的見解に限ったものであれば良いのですがね」
追ってハイデミル・ブルマー大尉が吐き捨てた。ヴェラは頷いた、全くの同感だった。現状を見れば最早疑い様も無い。
ギラ・フリードハイム参謀は自身の出世と保身のために、シャルロッテ空軍最高司令官に同郷人であるパルトの民を売り飛ばしたのだ、そうに違いない。
しばしの沈黙の後、ヴェラは再び口を開き、静かに語りだした。
「私はこの作戦で部下の誰も殺すつもりは無いぞ少佐、私の教え子を生贄にしてたまるか!パルト人の意地を見せてやる!」
ヴェラは自分の認識を改めた。自分たちは最前線に死を前提として投入されたのだ、それくらいの感覚で良いだろう。問題は、責務を全うした上で、この地獄からどうやって脱出するかと言う事なのだ。
「同感です中尉、しかしそれは私の責務である事をお忘れなく」
「失礼した、私は勿論督戦の者などではではない、援軍に当たり、身に余る階級を急ぎ取ってつけられた援軍の一兵士に過ぎない事は自覚している、少佐、それに関しては、どうか信じて頂きたい」
ヴェラは自分の感情から発せられた言葉が、パルト人に「宗主国からの傲慢な言葉」として受け止められる事を恐れて弁明した。
「ただ少しでも多くの情報が欲しい、教えていただけるだろうか」
ヴェラは深々と頭を下げた。その様子を厳しげな眼差しで一瞥した後、マルク・アルニム少佐は一転、にっこりと微笑んだ。
ヴェラは自らを「一尉官」とは口にせず「一兵士」と名乗った。
それは、列席した全てのパルト軍人にとって「謝罪」にも等しい言葉だった。
「勿論ですとも大尉、私だって犬死したいとは考えておりませんよ」
会議室の雰囲気が一変した。ヴェラの憤慨には価値があった。
基地内の事実上の実務権限を昨日継承したハイデミル・ブルマー大尉のヴェラに対する印象が劇的に好転したこともその一つであった。
「そうですとも中尉、こうなったら我々パルトの意地を見せてやりましょう」
彼はヴェラがパルト系であることを知らなかった。
それを知った今、彼にとってヴェラは強権を押し付けにきた異邦人ではなくなったのだ。
「先ほどはすまなかった大尉、ライナー・エスレーベン中佐の崇高な志を侮辱した、英霊の魂の安寧を祈るとともに、心から謝罪する」
ヴェラに頭を下げられたハイデミル・ブルマー大尉は、当惑した。
「そんな、おやめください中尉!もう良いんです、頭を上げてください!」
ヴェラは頭を上げなかった、そして言葉を続けた。
「私もパルト人の意地をこの戦場で見せるつもりだ、しかし死ぬつもりはないぞ、生き延びて本国に、少なくともギラ・フリードハイム参謀に一言文句を言うまでは!」
ヴェラは頭を上げて一同を見つめ、再び頭を下げた。
それを目にする全員が、ヴェラに先程までとは違う印象を持っていた。
「パルト人である」という共通意識が、寄せ集めの将官たちを結束させた。
いや、それ以上の何かをこの若い大尉は持っている。
マルク・アルニム少佐は、ヴェラの認識を改めた。
「激するだけの人物ではなさそうだ、激しい言動の中にも冷静な判断が見て取れる、我が基地は意外に人材をあてがわれたのかもしれないな」
そう心の中で呟くと、机上に各種書類を広げ、優先順に並べた。
「それでは本筋に入ろうか諸君、御覧の通り、この先も敵機の主力は間違いなくこのポリカフ16、コレも御承知の通りで、機体兵装は…」
(Chapter,4)
「おいビューレ伍長!」
トイレから控え室に戻ろうとするアンナに、両手に書類を抱えるヴェラが声をかけてきた。
「はっ!」
アンナは直立した後、振り向いて敬礼した。ヴェラは周りをキョロキョロと見回し、誰もいないと悟ると、アンナに近寄って耳打ちした。
「ちょっと顔を貸せアンナ、相談があるんだ」
ヴェラ足早に自分に割り当てられた個室にアンナを連れ込み、机の上に抱えていた書類をぶちまけた。
「クソッタレな事になったぞアンナ、これを見ろ」
机上に散乱した書類を見て、アンナは緊張した。
表紙の文面を一瞥したただけで、それらが自分の立場で今この瞬間、目を通して良いものでは無い事が明白だったからである。
ヴェラの意図が、アンナには全く読めなかった。
「なぜ自分にそんなことを仰るのですか…」
ありえない展開に、アンナは警戒した面持ちでそう尋ねた。
「良いから読め、話しを聞ながらでも良いから、それとも何か?実戦経験のない新兵に上官が意見を求めるのは不満か?」
「いえ…不適格かと」
しかたなく渡された書類のページを捲りながら、アンナは言葉を選んで答えた。
「謙遜はもう良い、この際ハラを割って話さないかアンナ・ビューロ伍長?」
ヴェラの表情や態度は、もう上官のそれではなかった。それがアンナの不安をさらに加速させた。
「とぼけるなよ、シューレに中途転入した直後から、色々とあっただろう?ああっ時間がない、解りやすく話すぞアンナ、お前が座学で提出した回答のいくつかが現在どういった評価を受けているかお前は知っているか?」
奇妙な、そして危険な質問だとアンナは直感した。そして、ここからは慎重に言葉を選ぶ必要があると即座に判断した。
「いえ…」
「答えは、最も適正かつ最新の対処法として各種教本にそのまま掲載されている、だ」
ヴェラはウィンクをしてアンナを指差した。
「お前には、ずば抜けた優秀な成績が必要だったのだろう?恐らくは帰化人と言う不利な立場で確実にパイロットに選抜される為にだ、しかしお前の異常な優秀さは、一般人が知っていてはならない情報で支えられてもいた」
「はあ」
ヴェラは自分に何が言いたいのか?
いや、自分から何を聞きたいのだろうか?
考える程にアンナは困惑した。
「お前の回答と意見と立ち振る舞いは、知ってはならない領域の知識と経験に基づいていると、一部の教師に確信されたのだ、覚えているだろうアンナ?」
ヴェラはアンナの困惑などお構いなしと言った勢いで話を続けた。
アンナはヴェラの言葉に、この上もない危険を感じた。兎に角、迅速に自分の出自や経歴からくる憶測に対して、取り繕う必要があると判断せざるを得なかった。
「確かに自分はパルト人と言っても、母親はプラウダ連邦の軍人でした。更に言えば、自分も8歳まではプラウダ国民でありました、つまり遠からず敵国となる国家の血を持つ人間です。疑われても仕方はありませんが」
ヴェラの言葉に警戒感を抱いたアンナは兵士的な口調で、機械的に即答した。
「おいおい安心しろ伍長、私が知りたいのはそんな事じゃない、違うんだ違う違う」
ヴェラは両手の平を上にして、アンナの猜疑心を制しようとしたが、アンナの警戒心は高まるばかりであることに変わりは無かった。
「教官、いえ中尉、中尉も私がヴァシュリスク共和国への帰化申請を提出した事をご存知のはずです、私の忠誠心に偽りはありません、連合もプラウダも私の敵である事をこの作戦で証明して見せます」
アンナはいつになく多弁であった。こんなに捲くし立てるアンナをヴェラは見た事が無かった。
ヴェラは如何したものかと思案した。冷静かつ慎重な振る舞いを崩すことは無いものの、アンナは激しく狼狽している。
しかし、何とかこの誤解を解かなければ、自分や部下たちの命に関わるのだ。
「わかっているアンナ!官憲が今、お前を嗅ぎ回っていないことは知っているだろう?恐ろしく上からの圧力でそれは止められている、詳しい事は知らん、興味も関係もない、今の私に、いや私達に必要なのは、お前の本当の能力と知識だけなんだ」
ヴェラの意図は何か?
アンナの中で様々な考えが交錯しては消えた。
あまりに突然な展開なのだ、今は判断を下すために少しでも多くの情報が必要だ、今、彼女が自分に敵対して何か得られるとも思えない。
まずは彼女の話を聞き、その意図と本心を探らなければならない。
しかし、それでも警戒心を緩めるべきではない、アンナはそう考え、沈黙を出来るだけ護る事に徹っした。
「天才と呼ばれたお前はある時期から、まあ優秀と呼ばれる程度の生徒に転落した、異常な知識と能力を披露する事もなくなった、少しだけ賢しくなったお前は、尻尾を丸めて隠す事を覚えたのさ、そうだろう?」
意外な視点と感性で自分がヴェラに認識されていた事に、アンナは少々面食らった。
「いえ、それは買い被りではありませんか?」
アンナはテーブルに霧散した書類の一つを手に取って、自虐的な微笑を浮かべた。ヴェラにはそれが、アンナの普段見せる演技力からは遥かに劣っているように思えた。まるで三文芝居だ。
「大賢は愚者に似たり、東洋のことわざだな、お前はある時期から、時折この言葉を呟くようになった。お前はまだ若い、優れた能力を隠し、恥辱に塗れるのには、精神的に相当な苦労があったのだろう、なあアンナ?」
アンナは書類に目を通して集中するフリをしながら、自分の浅はかさを悔いた。猜疑の目から逃れられていないと知りながら、口にすべきではない言葉を、自分は口癖にしていたのだ。
「腹違いの妹を追って転入してきた世間知らずのお嬢様に、お前が成績で抜かれた時も、お前は呟いていたな、大賢は愚者に似たり、と」
エレオノーレとアーデルハイド姉妹の事を、元教師かつ上官であるヴェラがこうも口汚く表現する事に、アンナは違和感と嫌悪感を覚えた。
しかし同時に、自分の優秀さを承知していたヴェラと、自分への高い評価に対し、アンナは不思議な高揚感を覚えてもいた。
「撤退はお考えにならないのですか?」
「出来ないな、これでも私はヴァシュリクス空軍の一軍人なのさ、それに手塩にかけて育てた娘たちを、初陣で軍法会議送りにしたくはないしな」
「分かりました」
アンナは緊張したが、ある種の安心感も得ていた。
ヴェラが自分を詮索するのはここまでだろう、彼女は自分が隠匿している知識と能力をもって、この危機を脱出しようとしているに過ぎない。
書類に示された状況が、それを裏打ちしている。
「確かに、これはかなり危機的な状況ですね」
「ああ、この状況をお前はどう考えるアンナ?」
「陸空軍が同時に行動を起こす電撃戦は、本来我が軍が予定していた戦術ですね、それゆえに、状況によっては対処法があると思います、それに」
「それに、なんだ?」
「大局的に考えれば、ギラ・フリードハイム参謀、いえ、シャルロッテ・アーレンス空軍最高司令の戦略で、敵軍は壊滅するでしょう」
「どういうことだアンナ?」
「敵の初戦における大勝利は、陸空軍上下からの同時攻撃によってなされました。しかし、意図的に制空権だけを大きく譲り渡すことで、航空戦力のみによる我が方への侵攻を誘ったのでしょう、目的は陸軍と空軍の分断に間違いないと思います」
「ほう」
「敵の主力機であるポリカフは、第6山岳基地までの飛行でかなりの燃料を失います。わずかな滞空時間で、我が軍のFH-2との空戦を行えば、ポリカフと旧世代の地上攻撃機による航空戦力は簡単に削ぎ落とせるでしょう。FH-2の前では、ポリカフなどハエ以下の存在ですから」
「ちょっと待てアンナ、第7山岳基地とはどういうことだ?ここは第6山岳基地だぞ?」
「今申し上げた戦略の展開に、どうしても一定の時間が必要だったのでしょう、つまりこの基地は…」
アンナの見解にヴェラは息を呑んだ。成程そういう事か、これは自分が最悪の見解としていた事態を更に上回る悪意に満ちた状況だったのか、と。
「この基地は完全な捨て駒、という訳なんだなアンナ?」
アンナは、大きく見開いたヴェラの視線に頷いた。
「はいFH-2で航空戦力を叩いた後、再び取り戻した制空権で航空機による地上攻撃を行う、そして最後に登場する新兵器、多脚戦車による丘陵地帯および平原地帯の敵戦力の完全なる殲滅…」
アンナはヴェラの表情を探り、彼女の頷きを確認すると、一呼吸おいて再び口を開いた。
「しかし、このシナリオには一定以上の時間が必要で、その時間を得る為には、私たちの犠牲がどうしても必要なのでしょう」
援軍さえ間に合わすつもりは無いという本国の判断がアンナの結論か、まあ現状を見ればそれに異論は無い、しかし。
「しかしなアンナ、それでも分からん事がある」
「何でしょう?」
「敵もバカじゃないはずだ、何故こうも簡単に敵中深くまで航空戦力のみで攻めてくるんだ?」
「重砲を除く地上兵力はもう直にここに手が届くはずです少佐、今や降下兵の運用は常識となりつつありますから」
「あー小型の組み立て式迫撃砲とかあったな、次世代の戦争とやらがいよいよ始まったか」
ヴェラの吐き捨てたセリフにアンナは静かに頷いた。
「それに見合った紛争が起きていなかっただけです、敵も味方も次なる大戦では砲撃よりも先に敵の勢力圏深くに大規模な降下兵をまず穿つはずです」
「無論それは私も承知しているが、実戦での運用が皆無な戦術はどうもなあ…」
アンナは口を閉ざしてヴェラの言葉に耳を傾けるような気配を見せたが、その内容を途中で見限ると、彼女の意見を完全に無視した形で、再び語り始めた。
「大きな理由は他にもありますよ中尉、この山岳地帯には、パルト公国が保有する八割以上の石炭鉱山が存在します、お忘れですか?それに近隣諸国連合はその名の通り、一国ではありません、各国の軍勢は、我先にパルトの鉱山利権を簒奪するべく競って襲来しているのですよ」
「あー成程、しかし何でも知っているなお前は」
ヴェラはもう、何の役にも立たない自分の意見や見解を口にするのを止めた。一方、彼女がそう判断した事を承知したアンナもまた、躊躇なく言葉を続けた。
「もちろん、強力な空軍を有するヴァシュリクス軍が到着する前、パルト軍が寡兵の内に、一早くという考えもあるでしょうが、基本的には鉱山目当ての勇み足でしょう、鉱山の利権を餌に国家間の溝を作り、指揮系統の分断を誘う、シャルロッテ空軍最高指令の狙いはそこだと思います」
「お前、本当にパイロットとかより作戦本部とか目指した方が良いぞアンナ」
ヴェラはアンナの見解に少々呆れた。彼女の思考はまるで、地図上から戦況を俯瞰する作戦参謀のようだった。
「まあ大局は納得した、というより理解したよ、しかし私が知りたいのは、私達が生き残る術だよアンナ、何か思いつかないか?」
「ファイルフェンの高い対弾性能を活用して、適当に被弾してから北東に進路を取って不時着し、第7基地に撤退…ではどうでしょう?ファイルフェンなら敵機の20ミリを多少食らっても敵機以上の速度で飛行することが可能だと思います…」
アンナは出来るだけ感情を外に出さず、淡々とした口調で考えを口にした。
軍人にあるまじき具申ではあったが、初陣の新兵に対して死ねといわんばかりの作戦自体に憤りを感じたアンナには、微塵の罪悪感も無かった。
「凄いこと考えるなお前…しかしそれは無理だよアンナ、この基地はまだ健在で人員も多く残っているんだ、全員でそれをやったら誰かの不信を買って軍法会議ものだぞ、量産前の最新鋭機を片っ端から不時着させて敵に鹵獲なんてされてみろ、生き延びたって全員銃殺だぞアンナ、私はこれでも軍での出世を目指しているんだ、あと危ないだろソレ」
アンナの言葉に、ヴェラは軍人として模範的な回答を口にした。しかしアンナは、ヴァラの表情が一瞬、ピクリと動いたことを見逃さなかった。
魅力のある選択肢であるとは感じたのだろう。しかし立場が選択肢を狭める事もある。
仕方の無いことだが。
「そうですか…」
「うん、だから何かもっと戦術的なアドバイスを頼むよアンナ!」
「…そうですか…それでは…」
もはや恥じ入ることも無く自分に尋ねてくるヴェラに、アンナは少し当惑した。
しかし同時に、次の策を練り始めてもいた。
「パルトの山岳基地には昨年以来、ヴァシュリクスから供与されたレーダー管制施設が配備されています。また友軍の各機体にはトランスポンダー(2次レーダー)が搭載されています。コレを有効活用しましょう中尉。待ちに徹しながら、いち早く敵機を察知して出撃し、戦闘が始まれば全機が管制の察知した敵機の位置情報を、音声通信を交えて確認しあい、最も有効な位置にいる機体での一撃離脱戦を徹底する。特に離脱時の友軍機の安全を、有利な位置にいる友軍機でカバーする。現時点では十分に斬新な戦術のはず…です」
「なるほど、またまた新世代の戦術だな、しかし凄いなアンナ、改めて感心するよ」
「敵にはまだ、音声通信で連携した空戦を行うという概念が、と言うよりも、その必要性が、完全には浸透していません、レーダーと通信機器の性能の低さが原因ですが、この状況を有効に利用した上で、格闘戦を極力行わない、と言う作戦を、全パイロットに徹底させましょう」
「それが難しいんだアンナ、補充のパイロットが全員、複葉機世代の爺さん達なのさ、やつらが搭乗するカメーリエも典型的な軽戦闘機で、格闘戦がすこぶる得意な機体とくれば、爺さんたちは決闘よろしく格闘戦を始めるのが目に見えているしな」
「大問題ですね、しかし、せっかく各機体に搭載したトランスポンダー(識別波を発信する機械)です。少佐から皆さんに、識別の発信だけは絶対に怠らないように指示してください」
「了解だアンナ、古参兵だって敵味方の位置が一早く判る事を、嫌がるバカはいないだろ」
「私達は、お互いの位置確認を行い、一撃離脱を徹底するべきだと思います。繰り返すようですが、かなり有効な選択肢のはずです」
「ダメだアンナ、あの子たちは初陣なんだぞ、せめて2人1組にする必要がある」
「自分も初陣ですが?」
「とにかくダメだ、2人1組で3チームならどうする」
「中佐がギルベルタと組んで、自分がザビーネと組む、それならどうでしょう?」
「そうだな、あの姉妹は超問題児だが、天才であることは間違いない、2人なら初陣でも充分使えるだろう」
アンナの提案をヴェラは快諾した。エレオノーレとアーデルハイドの才能は確かに傑出している。
エレオノーレの射撃能力とアーデルハイドの索敵能力は、間違いなく現役パイロット以上のレベルである、それはヴェラも以前より確信していた。
また、逆に彼女たち姉妹を引き離せば、お互いを案じてかえって実力が出せないだろう。ザビーネに劣るギルベルタを上官の自分に付けるアンナの判断も、ヴェラには初々しく思えた。
「大尉それから」
「なんだ?」
「ポリカフですが、ご承知の通り、高度3千m前後で混合気の手動調整が必要になります。しかし、この作業が極めて熟練を要するということが、問題視されているようです。そのため、額面上の気圧低下によるパワーダウン以上に、深刻な性能低下が3千m付近でポリカフには起きるはずです」
「そういう話を聞きたかったんだよアンナ!」
ヴェラがバンバンとアンナの肩を叩いた。
アンナの知識は、プラウダ空軍に保管された報告書の一文であり、ヴァシュリクス空軍内ではまだ、この情報を中央情報軍から正式に受理してはいなかった。
ヴェラは大いに喜んだが、それ以上の態度でアンナの情報を歓迎してみせた。
彼女には、そうする必要があったからである。
(Chapter,5)
第六山岳基地へ到着以来、少女達は5時間以上の待ちぼうけを食らっていた。
控え室の暖房は効きが悪く、隙間風の冷たさが、少女たちの身体を凍えさせている。
学徒兵同然とは言え、いち早く駆けつけた同盟国のパイロットである。
もう少しマシな待遇はないのものかと、少女たちの不満は刻一刻と募っていった。
「アンナはどうした?」
「トイレに行ったきり、帰って来ませんわね」
ザビーネの問いにエレオノーレが興味なさ気に答えた。
「かわいそうにアンナ、寒さでお腹壊したのかな?」
不必要なまでに心優しいアーデルハイドが、アンナを気遣った。
「それにしても寒いですわねこの控え室、援軍にはせ参じた第三校出身者をもてなすにしてはちょっとお粗末に過ぎませんの?」
第三ザーリッシュ・シューレは、事実上の士官学校で、特に優秀な者達が在学するギムナジウムであった。
十六歳以下の少年兵を禁止する国際法に基づき、表向きは士官学校と銘打ってはいなかったが、世界的孤立を端に軍事政策を進めるヴァシュリクス国内では、それも形骸化して久しかった。
選び抜かれた学徒たちは、13才で入学した後、二月目にはもう、実射訓練を始めていた。
さらに、航空科の学生に至っては、十四歳で最初の飛行訓練が行われる程の苛烈な教科過程を経験し、生徒達はそれ相応の誇りと優越感を持ち合わせてもいた。
エレオノーレはそれをぶちまけたのだ。
「あまりエリート風を吹かせるなよエレオノーレ、戦場で後ろから撃たれるぞ」
長身を暖炉側の壁にもたれかけさせたザビーネが、エレオノーレを気だるそうに嗜めた。
「でも確かに…こんな形で戦地入りとは、夢にも思わなかったわ」
熱いココアをすすりながら、愛国者のギルベルタですらが愚痴を溢し始めた。
「そう言うの良くないよギルベルタ、同盟国への支援だって、立派な任務だよ、そうだろう?」
留まらぬ仲間の愚痴に、ザビーネは嘆息した。不安と恐怖が、不満となって噴出すのだ。
「ごめんザビーネ…でも私は…」
遠くない未来、周辺諸国連合に対し電撃的な進軍を行う共和国空軍編隊の中にこそ自分の初陣があるはずだ、ギルベルタはそう夢想していた。
極端な愛国者であり、ツェーザル・キルヒアイゼン総統を盲信するギルベルタは、ヴァシュリクス本国の為にこそ、初陣を飾りたかったのである。
「戦時における繰り上げ卒業と言われれば、いよいよ我が国が宣戦布告か!と思いましたものねえ、でも首脳部がグズグズしていたお陰で逆に先手を打たれたみたいですわねえ」
エレオノーレが意地悪く目を細め、ギルベルタの妄信を皮肉った。
「違うわ!総統はまず同盟国の軍備増強を優先させることをお考えになったのよ、自国で陸軍を機械化出来なかったパルトを守る為には、戦端を開けなかった!それが判らないのエレオノーレ?」
ギルベルタは、総統への歪んだ忠誠心のあまり、偏狭なナショナリズムで了見の狭い持論を展開することが多く、エレオノーレはそれが気に入らなかった。
「相変わらずの愛国者ぶりですわねギルベルタ、貴女のためにも、総統閣下の偉大なるお考えと慧眼が間に合わなかった事が、残念でなりませんわ」
徹底した軍国主義に舵を切った現政権に強い嫌悪感を抱いていたエレオノーレは、ギルベルタの持論を無慈悲に論破し、彼女の主張を切って捨てた。
軍事衝突をカードとして外交を行う首脳部の無能と、軍部の言うがままに軍備拡大を是認する官僚の不道徳を、エレオノーレは常日頃から罵って憚らなかった。
「それは近隣諸国が卑劣にもパルト公国との不可侵条約を破ったからでしょう?」
エレオノーレはギルベルタの激情的な言葉に目を細め、嗜虐的な笑みを浮かべた。
「破ってはいませんわよギルベルタ、パルト公国と近隣諸国連合との不可侵条約は4年毎の更新でしょう?」
「その通りよエレオノーレ!それなのに連合は条約更新の6ヶ月前に布告もなく国境を越えて侵攻を開始したわ、これが条約違反なくてなんだと言うの?」
「お勉強が足りませんわギルベルタ、国際法的に条約は更新前六ヶ月で該当理由があれば破棄が可能ですわよ、それに連合にはそれ相応の理由がおありでしょう?」
「連合の卑劣な不意打ちに、一体どんな正当性があるというのエレオノーレ?」
「当然わが祖国、ヴァシュリクス共和国が原因ですわ」
「なんですって?」
ギルベルタは、エレオノーレの意外な言葉に立ち上がった。
しかし、エレオノーレはそれを意にも介さずに言葉を続けた。
「近年、極端に右傾化したわが祖国、ヴァシュリクス共和国に対する、規制量をはるかに超えた物資援助に粉飾した軍事物資の迂回輸入、わが国に対する非合法な援助が、今回の原因でしょう?律儀で義理堅いパルトの皆様は、そのとばっちりでご苦労されているのですわギルベルタ」
「それは近隣諸国や周辺諸国による不当な外圧が原因でしょう?わが祖国がこの卑劣な仕打ちに抗うのは当然の権利よ!」
「それはもう、論理的な意見ではありませんわねギルベルタ」
「貴女はパルト公国を、同盟国を見捨てれば良いとでも言うのエレオノーレ?」
「いいえ、安全保障条約を結んだ同盟国を救うのは、私にとっても正義ですわ。私ただ、ヴァシュリクスと近隣諸国連合との間に入ったパルトの方々が不憫だという事を言いたいだけですのよギルベルタ」
「なるほど、ヴァシュリクス共和国とは安全保障条約、近隣諸国連合とは不可侵条約か…あまり考えた事はなかったけれど、確かに我が祖国は近年、パルト公国に苦労をかけていたのかもしれないね」
エレオノーレの弁舌に痛く納得したザビーネが、素直な感想を口にした。
その言葉に激高したギルベルタは、踵を返し、ツカツカとザビーネに詰め寄った。
「貴女までそんな事を言うのザビーネ、だからこそこうやって一早く私たちが先遣隊として派遣されているのでしょう?」
ギルベルタは、ザビーネがよりによってエレオノーレの肩を持つような言葉を吐いた事が、許せなかった。
「そうだな、その通りだよギルベルタ…」
何時になく興奮したギルベルタに驚いたザビーネは、動揺して黙り込んだ。
卑屈な笑みで長身を屈め、ギルベルタに手まで合わせている。
「人一倍大きな身体をしてなんですのザビーネ」
二人のやり取りを見てイラついたエレオノーレの嗜虐性が、さらに加速した。
しかし、そうしたエレオノーレの言葉をギルベルタはもう耳に入れようとはしなかった。少し落ち着いた風を装いながら、ギルベルタは振り返り、再びエレオノーレを睨んだ。
「エレオノーレ、あなたが軍籍にありながらそう言う反国家的な物言いをしても無事でいられるのは、お父様がいらっしゃるからでしょう?それを少しは自覚して、自分の立場に見合った物言いをしたらどうなの?」
ザビーネがギルベルタの右肩を掴み、ギルベルタの小さな体を引き寄せた。
「やめなよギルベルタ、仲間同士でする話じゃないよ」
ザビーネは不安げな表情でたしなめた。ザビーネはタブーに近い暴言を放たれた相手の表情を恐る恐る探ったが、エレオノーレは意外なまでに泰然としていた。
「良いのですよザビーネ」
「いやしかし…」
エレオノーレは右の掌を少し上げて、言葉を続けようとするザビーネを制した。視線を再びザビーネに戻したエレオノーレは、少し落ち着いた表情になっていた。
嗜虐的な表情の中に、少し自虐的なものが混ざり始めている事にアンナは気が付いたが、特に何をする事もなく、成り行きを静観していた。
「そうですわね、確かにこの戦役でもお父様は存分に蓄財なさるはずですわギルベルタ、私たちが使う13mm機関砲も7.7mm機銃も計器類も、通信機器も不凍性グリースも最新の排気タービンも、全てアインファングが開発した製品ですもの」
「改めてそう聞くと凄いな父君の会社は」
ザビーネは、再び口を開いて素直な感想を漏らしたが、ギルベルタの強い視線を感じて、それ以上言葉を続けなかった。
「会社ではありませんわ、コングロマリッド、企業共同体と呼びますのよザビーネ」
「死の商人ね、虎の衣を借りて好き勝手出来るはずだわ…」
ギルベルタは、嫌味を込めてエレオノーレの過去における言動と行動を皮肉った。
「その通りね、全くその通りですわギルベルタ、それについても返す言葉はありませんわね」
エレオノーレは、ギルベルタの皮肉を意にも介さず切り捨てる、ギルベルタがさらに切り返す、これもいつものパターンだった。
エレオノーレ・ライヒテントリットの父、ヒルデブラントは、陸空軍に最新の滑空砲や、十三ミリ機関砲を初めとする、各種軍事物資を納入する企業共同体「アイン・ファング」を統べる企業家であり、資本家であった。
ヒルデブラントは、総統を初めとする与党有力者に対し、政権奪取以前より多額の金銭的援助を惜しまなかった人物であった。
天才的経済学者である彼はまた、今や経済省の重鎮であるアルマール・ジャハトの親友であり、若き日のジャハトを経済的に援助した後見人でもあった。
ジャハトもまた、政権に参画する以前よりヒルデブランドとの親交を経て、現在も公私共に心を許し助け合う関係にあった。
近年、多脚戦車の秘匿技術の一部をアイン・ファングが開発した経緯も、そうした関係性を背景とした流れがあることは間違いがなく、国内軍事産業においてアイン・ファングは、不動の地位と莫大な利益とを獲得していた。
「親を選んで産まれる事はできないでしょうギルベルタ、私もその例外ではありませんわ」
そう言うと、エレオノーレノ表情が険しく暗転した。
「誰が好き好んであんな男の娘に生まれるものですか…」
エレオノーレは吐き捨てるように小声でそう呟いた。
「死の商人」と一部の民衆に揶揄される父を軽蔑していたからである。
しかも彼女にとってのそれは、ヒルデブラントの職業と風評だけが原因ではなかった。
「自分の娘を戦場で始末しようとする様な恥知らずの人非人を父に持つ苦痛と恥辱が、貴女に解ってギルベルタ?」
「やめてエレオノーレ、私の事でお父様を悪く言うのはもうよして!」
アーデルハイドが堪りかねて叫んだ、しかし少女達にしてみれば、この展開でさえ、退屈さえ覚える日常の風景だった。
「本当の事よアーデルハイド」
「違うわエレオノーレ、お父様には本当に私がお願いしたのよ、何度言ったら解ってくれるの?」
「そうやって自分の判断であるように相手を陥れる、あの御方の常套手段だわ」
「お願いエレオノーレ、もうやめて、私を放っておいて!」
「あの拝金主義者は、この戦役で娘の命を捧げた愛国者になりたいのでしょう?そうすればまた、陸海空の三軍からたっぷりと受注が受けられますもの」
「やめて!もうやめてエレオノーレ」
アーデルハイドは膝を着いて泣き出した。エレオノーレは静かにアーデルハイドに寄り添うと、愛しげに彼女を抱きしめた。
「父親に殺されようとしている妹を見捨てる姉がどこの世界にいるというの?」
両手で顔を覆いながら、アーデルハイドは泣き続けた。蚊帳の外に放り出されたギルベルタが、両手を広げて溜息をついた。
「始まるわね」
ギルベルタが、呆れた表情でザビーネに同意を求める。
「ああ、そろそろ最高潮だね、ほら…」
半目のザビーネが、姉妹を指差し、眼下のギルベルタに答えた。
「…私は貴女の妹じゃないわエレオノーレ…私はお父様の娘だけれど貴女の妹じゃない、それが一番良いの、もう私に付きまとわないでエレオノーレ、お願いよ」
「どうして解ってくれないのアーデルハイド、私は貴女のお母様の不幸の分も、貴女には幸せに生きて欲しいの、姉として貴女をこんな所で死なせる訳にはいかないわ!」
「お母様を侮辱しないでエレオノーレ、私に構わないで!もうお父様の所へ帰って!」
「そんな…私は貴女に…」
エレオノーレの瞳に涙が溢れた。
やがて決壊した涙がエレオノーレの頬を伝い、アーデルハイドの背中にボトボトと零れ落ちた。
「侮辱しないで、私もお母様も幸せだったわ!大人になってエレオノーレ!もううんざりよ!」
「酷いわアーデルハイド…」
アーデルハイドの背中に突っ伏して、エレオノーレがワーワーと泣き出した。
なりふりを構わずに泣き叫ぶその様は、お高く留まった普段からは想像が出来ない程の醜態であったが、それも少女たちにとっては、すっかりと見飽きた光景に過ぎなかった。
「おいお前等!あ!」
ガチャリとドアを開き、ヴェラ・ブロッホ中尉の上半身が覗いた。
その後ろには、アンナの姿が続いている。
両手いっぱいの書類を抱えるアンナにギルベルタとザビーネの視線が向けられた。
二人はアンナに声をかけようとしたが、ヴェラの拍子抜けした様な言葉がそれを遮った。
「こりゃ何時もの小芝居か?もう終わったのか?」
バームクーヘンのように丸まって固まるエレオノーレとアーデルハイドを指差して、ヴェラが少女達に尋ねた。
「はっ中尉殿っ10秒程前におおよその過程を終了しましたっ」
ザビーネ・モーラーが敬礼とともに即答した。
「そうか、おいライテントリット、クルツ喜べ、お前達姉妹の小芝居に強力なエピソードが追加できそうだぞ、良かったなあ」
「?」
ヴェラにミドルネームで呼ばれたエレオノーレとアーデルハイドの嗚咽が止まった。
自分達が何を言われているのか、その意味が理解できなかった。
「中尉、それは一体どういう意味ですか?」
ザビーネ・モーラーがキョトンとした表情で尋ねる。
「ああ、どうやら私たちはな、明日明後日のうちに空戦で全員戦死するらしいぞ」
ヴェラはテーブルに書類をバサバサと置いて、少女たちを見回した。
アンナはもう、並べられた書類を、なにやら順番に並べ始めていた。
ザビーネは緊張した面持ちでテーブルに歩み寄り椅子に座った。
ギルベルタはゴクリと息を呑み立ち尽くし、事の成り行きを見守っていた。
エレオノーレとアーデルハイドは顔を上げ、抱き合ったまま震えてヴェラを見つめた。
「つまり地獄へようこそという訳だ!座れヒヨコども!」
ヴェラの怒号に硬直する少女達の眼前に、書類を机上に並べ終えたアンナが屹立していた。
「皆聞いて、皆にはこれから話す通りに飛んでもらいたいの、皆がこの作戦通りに行動できれば、必ず全員が生き延びられるわ」
普段以上に厳しげな表情で語るアンナの言葉に、少女達は息をのんだ。
「飛ぶ?」「生き延びる?」それは何を意味するのか、まさか自分たちに空戦でもさせるつもりなのか?
幾らなんでもそれは無いだろう、自分たちは数百時間しか飛行経験のない、増してや実戦経験など皆無のヒヨコなのだから。
「大尉…まさか自分達に飛べと言う話じゃないですよね?」
震える声でザビーネがヴェラに不安を打ち明けた。
「いや、残念ながらそういう事だザビーネ、死にたくなければ、これから始まるアンナの講義を、一言一句聞き逃すんじゃないぞ」
「…」
少女達は、事態が飲み込めないままに無言で戦慄していた。
そうした感情もまた、アンナの語る戦況と自分たちの立場を知るに至った頃には、すっかり絶望へと変質していた。
(Chapter,6)
「目標発見、ザビーネ後は任せて」
「よろしく頼むアンナ」
ザビーネは敵機に向かってダイブ(降下)するアンナの白い機体を認め、ようやく安堵した。
「常識ではとても信じられないけどね…」
高速ですれ違った(であろう)アンナの機影に軽く敬礼したザビーネは、そう呟くと、呆れ顔で嘆息した。
自分を追って上昇して来た敵戦闘機の機影、その豆粒のように小さく、かつ高速で移動する機影でさえ、アンナは目標発見と言ったのだ。
「見えているんだろうねアンナには、もしかしたら私の敬礼だって見えているかもしれない」
ザビーネは、アンナと自分の索敵能力や動体視力に関する実力差については、もはや劣等感すら持っていなかった。
対抗心や劣等感などと言うものは、もっと実力の拮抗した者達の間で交わされる感情なのだろうと、ザビーネは割り切ることにしたのだ。
「こいつも息切れしている」
アンナは見開いた眼差しで敵機の動きを認めると、心の中で小さく呟いた。ザビーネの機体によって上空まで誘い出された敵機ポリカフは、すでに上昇を止め、フラフラと水平飛行に転じていた。
設計者の思想で極端に短くずんぐりとした胴体と、近過ぎる主翼と尾翼の距離から来るフォルムの印象から、当時「ハエ」と呼ばれた単葉戦闘機だ。
「愚かな」
高度を上げれば空気は薄くなり、当然エンジンパワーも減少する。
2千メートル辺りでは機敏なポリカフの動作も、3千メートルを超えれば必要な吸気圧を得られなくなり、エンジンパワーは想像以上に低下する。
貧弱な固定式過給機しか装備しないポリカフが、排気タービンを装備し、優れたロール性能を有する戦闘機「ファイルヒェン」を捕らえることなど、どだい不可能なのだ。
無論、初速の遅い20ミリ機関砲でザビーネの白い機体に火を付ける事も、この高度ではほとんど不可能と言って差し支えない。
「マニフォールド不足(燃料の供給不足)でこんな高度まで上がって来るから、そんな事になる…」
アンナは息切れしながら飛行する敵機ポリカフを照準機のスクリーンに捉え、適切なリード量を測って、主翼の十三ミリ機関砲の発射レバーを握った。
瞬間、アンナの操縦する白い機体が、その両翼から火を噴く。
ヴァシュリクス空軍の誇る最新鋭重戦闘機「ファイルフェン」が放った13ミリ機関砲の素早く直線的な弾道が、ポリカフの背中と両翼に吸い込まれる。
「とどめよ」
アンナは確実にしとめる為、プロペラ軸内の20ミリ機関砲をポリカフの胴体に打ち込んだ。13mmと比べれば緩やかな線を描く、しかし遥かに破壊力の勝るその弾道が、再び敵機胴体に飲み込まれる。
「性能差を見誤った結果ね…」
20mmの炸裂弾が命中し、ポリカフは、木製モノコックの機体を、防弾銅版ごと空に四散させた。アンナの射撃は正確かつ最小限であった。
ポリカフの撃墜までに20発も使わなかったはずだ。
アンナは一機でも多くの敵機と対峙する為に、非常識なレベルで弾数を制限していた。彼女は帰りの駄賃に、地上攻撃さえ行おうとしていたのだ。
それは常識的には愚かな行為であったが、後世の研究者の中には、アンナの天才性であれば、現実的な判断ですらあったかもしれないと断言する者も少なくはなかった。それ故に戦後、この戦闘におけるフィルムデータは、アンナの特殊能力が、戦時における最初期より開花していた証拠として保管されている。
「愚かな敵…」
アンナは、スロットルをほぼ動かさず、スティックを手前に引くと同時に緩やかに機体を左に傾けてスパイラル上昇し、ゆっくりと回るジャイロコンパスと、僅かな上昇率を指針する昇降計を見つめながら無感動に呟いた。
「これほど簡単に敵機を振り切れるとも撃ち落せるとも、正直思わなかったよアンナ」
ポリカフを上空まで誘い出したザビーネの声が、ヘッドフォンを介して聞こえる。泰然自若、リーダー気取りが身上の彼女にしては、やや落ち着きのない声だった。
彼我の性能差がいくら大きいと言っても、20ミリ機関砲を尻に突きつけられたまま上昇してきたのだ、それなりの恐怖は味わったのだろう。初陣とくれば尚更だ。
「油断は禁物よザビーネ、例とえ流れ弾でも、20ミリを何発も食らえばファイルフェンでも無事ではすまないわ、それに、下で戦ってくれているカメーリエの奮戦がなければ、私たちがこうも簡単に敵機を撃破出来たかどうか…」
カメーリエは、パルト公国の純国産戦闘機で、ファイルフェンのエンジン「イーリス」の元になった1100馬力の液冷エンジン「ダフネ二型」を搭載する新型軽戦闘機だ。
性能的には、敵機のポリカフに対し、優位に戦える機体ではある。
しかし、結果的にカメーリエは、高度2千メートル付近でポリカフとの空中戦を行う展開となっていた。カメーリエの格闘戦能力が優れている事、緊急補充されたパイロットの義勇兵達が、単機同士の格闘戦を基本戦術としていた複葉機世代の老兵だった事、それが大きな要因であった。
一方、ファイルフェンの6機は、機体に搭載されたトランスポンダー(2次レーダー)を有効に活用して、地上のレーダー管制から送られる、敵機の位置情報を音声通信で確認し合い、最も有効な位置にいる機体が、一撃離脱で敵機を戦闘空域外から刈り取ることで、予想以上の戦果をあげていた。
最新の試作機であるファイルフェンとポリカフとの性能差は圧倒的であったが、それ以上に、地上からのレーダー管制による情報と、音声による通信を駆使した戦術が、大きな効果をもたらしたのだ。
「了解!下で格闘して下さっているおじ様たちには感謝しないとな!」
ザビーネが呆れたような、つまらなそうな声で応答した。
「上はもう片付いたわ、それからもう…」
「もう敵は燃料切れで十分とこの空域に居られない、そうだろうアンナ?」
言われるまでもない事をレクチャーされたくなかったザビーネが口を挟む。
ポリカフは、280km以上後方のサボルマール航空基地から飛来している。最大航続距離800キロ強のポリカフは、この空域でそう長くは戦えないのだ。
「そう言う事よ、解っているわねザビーネ?」
「勿論だアンナ、一撃離脱に徹する、空戦エネルギーを過度に失う格闘はしない、だろ?」
「そうよザビーネ、お互い一機を仕留めたら、出来るだけの高速で離脱して帰投するのよ」
「ああ、こいつの桁外れの機体剛性なら音速で降下しながら離脱できるさ!」
「それでは機体がバラバラになるわねザビーネ」
「冗談の分からん奴だなあ」
ザビーネが舌打ちした。
「ともかく、下でご苦労されているオジサマたちの助太刀をしないとなアンナ」
「そういうことね、カメーリエが減れば、私たちの危険も増大するわ、確実にね」
「そうね」
アンナとザビーネは、通信を切ると同時に、急降下による一撃離脱を敢行した。高度2千メートル周辺では、滞空時間の限界を迎えていたポリカフが、既に浮き足立っていた。
アンナはその内の一機を仕留めて戦線を離脱し、第六航空基地に帰投した。ザビーネは一機に重大な手傷を負わせながらも、帰りの手土産を仕損じた。
この出撃で第六山岳基地は、来襲した50機のポリカフの内、38機を撃墜した。
しかし、友軍の被害も深刻であった。出撃した30機の内、5機が撃墜されていたのである。
特に援軍である少女達にとって深刻だったのは、撃墜された機体の中に、一機のFH-2(ファイルフェン)が含まれていた事、しかもそれが、学徒兵同然のアンナ達少女5人を指揮・指導する、ヴェラ・ブロッホ中尉の機体であった事、少女達は初陣で、早くも頼るべき上官を失ったのだ。