潁川の名士
行軍する軍勢の先頭に大柄な偉丈夫の呂布に連れられた二人の将がいる。一人は金メッキの鎧をまとった壮年の派手男と鎧から顔や風格に至るまで平凡な地味男。其の二将を連れ呂布は機嫌良く高笑いを上げていた。
「ハッハッハ、ハーッハッハッハ!
空前絶後の弱さだ!!袁術軍は!!!」
「まぁったく!
体の大きな頭が三つの豚と言ったところ。
しかし一つは縄で縛られ一つは大きいが腐っている。なれば唯の肥えた豚と変わりませぬ」
「郝将軍。其の例えは些か侮りが過ぎますぞ。
袁術の元には我が友、鄭泰。その弟子の紀霊がおります。
せめて三つの頭に虎狼二頭を足すべきかと」
過分な侮りを助長させそうな派手男を諌めたのは地味男だった。陳宮が袁紹の不穏な動きを調べついでに李進と共に水軍を統括している為、呂布の軍師代理として働く彼は傲慢と慢心を戒める為に機嫌の良い話を絶った。
「軍師殿。虎狼の頭が有ったとして体は豚で顔一つが腐っているのは変わらない。
腐った頭から全身が腐るのを待つべきではないかな?」
「その奇怪な豚だけを相手取るならばそうでしょう。しかし我らの背後には臓腑に龍を仕込んだ虎が控えている」
「荀攸、状況はそうも切迫しているか」
「ハハッ。袁紹は曹孟徳の献策によって皇帝陛下を鄴に連れ行こうとしている様です。沮授、田豊が来朝し還都を上奏したとの知らせが故知の鍾司隷校尉から」
「ヤケに焦っているな。
しかし今代の廉頗、老いて尚益々盛んな朱衛将軍が黙ってはいなかったろう」
「正しく。
沮田両名は智者で年長者への礼節を知る。
其れが仇となった様で朱衛将軍に怒鳴りつけられ謹慎中の楊殿にまで説教されたとか」
「劉備は?」
「お待ちを。
・・・若について行った郭嘉の坊主が曰く何も出来ずと。袁術との長期戦が祟りましたな」
「ハッハッハ!!人が悪い。貴公の策だろう?」
「いえ将軍。劉備、袁術双方と商いを行っただけの事。策と言えるほどのことでは御座いません」
「ハッハッハ!
ああも的確に双方の数ヶ月後に必要になる物資の取引で絞り増やしを繰り返し戦を煽って、豫州の大半を袁術のモノにした処で双方共に疲弊させ戦を止める事が商いか?
更に此の私に損の一つもさせずにな!!」
「しかし往々にして予想は外れるもの。公孫瓚が打たれ焦ったのか此の現状で奴めは皇帝を自称した。
口惜しい。これが分かっていれば袁術に豫州を全て取らせていれば良かった。
袁術が相手ならば被害を置いておけば負けはあり得ぬのですから」
「ハッハッハ、ハーッハッハッハー!!」
此の策士は荀攸、字名を公達と言う。
平時は張邈を手伝っているが此の汝南戦に置いては呂布の側で策を練るのが仕事であり、豫州潁川を得た際に陳宮が引き入れた人物だ。董卓を暗殺しようとして名を挙げた潁川荀氏の人間で、曹操の元にいる荀彧の甥である。まぁ、荀攸の方が年上だが。
又、その出自と何進の元で働いていた事で人脈が広く朝廷の事にも詳しい。
太守の仕事と軍師の仕事で手が回らなくなった陳宮にとって喉から手が出る程に欲する策謀家であった。
策士で智者な賢者的彼は此の職場を楽しんでいる。何故かと問われれば荀攸が呂布への士官を決めた陳宮との問答にその答えがあった。
それは豫州に近い荊州の屋敷でのこと。
客間に入って来た陳宮を眺めながら荀攸は又かという思いしか無かった。荒んだ心を益州でのんびりと過ごし癒そうと考えていたのに劉焉の所為で荊州で劉表や袁術からの耳障りな士官要請を聞く羽目になっている。
腹心と呼べる陳宮が出向いたという事は呂布までそうする積りらしいと面倒臭げにため息を吐いた。
「陳宮殿。態々出向いていただいた故はっきりと言わせていただく。お帰り願おう。
私などを要する暇あれば文若辺りを寝返らせる方が何倍も良い。私達の故郷を得たのだ。あるいは荀彧も貴公らに下るやもしれん。何処ぞの分家者も喜ぶだろうしな」
「うーむ。まぁ、そう言わずに。
此度、心動かせず来て頂けないと言うなら二度と此処へは参りません」
ついーーー。
「ハァ…いいでしょう」
「さて荀文若。確かに彼は素晴らしい軍師だ。
私など木っ端軍師に過ぎず、対して彼は蕭何、張良の才を合わせ持つ。しかし彼は曹操に魅入られておりましょう」
ついーーー。
「そうでしょうな。
盧綰、樊噲に相当する夏侯一族と曹一族の勇士達。そして曹操は項羽を越える才を以って太祖を真似る。私と志を同じくする文若が魅入られぬ訳が無い。
後は韓信と陳平に相当する傑物が揃えば名士達は太祖を連想し曹操の元へ集まりましょう。
惜しい事に北方の僻地を拠点にして居ますが」
「同感です。しかし私は今此の状況は左還のそれに類すると考えました。
口惜しいですが今の我らは気が抜けていて覇王の驕りに等しい。故に覇王の失態から学ぼうと考えました」
ついーーー。
「ふむ?」
「劉備と我が軍に一人づつ。曹操に足りぬ韓信を連想させる男がおります」
「関将軍と高将軍ですな。」
「然り、彼らは不忠を嫌う故不安は無いが、しかし我が眼前に陳平がおります」
「何をおっしゃるかと思えば私を陳平と?
私があの節度信義の無き輩と同じとは良い気はしませんな」
「そうですな。確かに無礼でした。
貴方は陳平などより才を持つ余程タチの悪いお方だ。
陳平は己を偽らぬが、貴方は自分の風態を理解し董卓の暗殺を愚直に行う事で気骨と礼節深い人物と見せかけている。
しかし其の実、貴方は事を成すのに戸惑いがない。
仰ったそうですな。四十万の人間を生き埋めにした白起の行いは絶賛すべきだと」
荀攸は恐れた。その論議は何進の前で語った事だ。当時、力ある者として見ていた何進に自分を受け入れられるか試した結果、遠ざけられる事になった自論である。
荀攸は開き直った。
「其れは何進の前で言った言葉だ。その言葉を知る者は少ないのだが良く知っておられる。
貴方はそう思えぬかな?私はあの行いを殊更非難する気にはならん」
「何故そう思われました?
荀子の子孫、潁川荀氏の一族である貴方が。
更に言わせていただくがなぜどこにも士官されぬのか?
その才有れば引く手数多でありましょうし潁川荀氏である貴方が清流派の縁故を辿れば皇帝の重鎮にとてなれましょうに」
ピクリと荀攸の眉が上がった。陳宮は予想通りだったのかと言う驚きを押し殺し身構えた。
「ハッハッハッハッハッハ!!
私が清流派の事を良く思っていると?
さて、陳公台を随分と高く見積もっていたらしいな。まさに傑作」
「いやはや落ち着いて頂きたい。
感情的になりすぎておいでですぞ。私も殊更、清流派を持ち上げようとは思いません」
ついーー。
「ほう。何故かな?」
「力無き故。彼等は綺麗事を吐かし理想を挙げ連ねる事は出来ましょう。しかしそれを実行する事は出来ない。気概も実力も無い故に。
気概のある者は実力が無く、実力のある者は気概がない。双方が補い合うかと思えば宦官を相手にした党錮の禁から董卓を相手にした反董卓連合を経て此の乱世にあって何も成し遂げていない」
陳宮の考えに荀攸は狂喜した。一族の所属していた清流派を貶されたが、どうとも思えない。寧ろ同志を得たような感覚だった。
自分はそれ程に清流派を名乗る大多数の者に失望していたのかと納得しつつも鬱憤を晴らす様に早次に言葉を爆発させた。
「同感だ陳宮殿。口だけだ奴らは。清流?笑わせる。
その一翼を担っていた我らとて保身の為に一族の幼子であった文若に宦官の一族という重石を乗せ、党錮の禁が起これば仲間を救うでも無く遠地に逃げる。
荀子の子孫、清流派で力を持つ我が一族で此の程度。
当初、一将軍として気骨を有していた董卓を歪めた他の清流派など統治者になれなかった腹いせとして日がな呪詛の様に奴を非難し、己が全てを引き換えに殺してやるとまで息巻いていた連中だ。奴等が狂ってしまった董卓の暗殺を失敗した私に何と言ったか知っているか?
お前達の所為で私達は殺される。何と余計な事をしてくれたものだ。
そう我らに詰めよった。
片腹痛い。
何もせずに綺麗事を吐いていた奴等の腹底にあったのは権と財への渇望と三度目の党錮の禁への怯えだけだった。
マトモな者など一握りだ」
「それは・・・!!余りに。」
「失望したか?私もそうだ。
何が清流派、何が濁流派。どちらもそうは変わらん。己が欲が為に何もしないか出来ないか程度の違いしか無い。
人脈を武器にするでも無く、綺麗事をほざき何もせず喚くだけの無能共。国庫に平然と手を付け、際限無く権力を欲する強欲な無能共。皇帝の親族となって己を見誤り、国を疲弊させる無能共。そもそも皇帝の肩書きを持つ者さえ己が力量を図りかねる無能以外の何物でも無い!!
私が四十年かけて見て来た者の内七割が斯様な人間だ」
「存外、私も貴方を見誤っていた。
その激情、この天下をどうしたいので?」
「せめて変えねばならん。力無く名だけで高い地位を得る事が出来る士官制度の在り方を、
皇帝の親族であるからと公の場にて政を操る無能共の存在が許される歪な政を。
だが、其れに必要な物が有る。
儒学と言う常識。その強固な鎖を断ち切る非常識な絶対強者だ。曹孟徳は後一歩と言うところであったが残念ながら貴公らのおかげで力を取り戻すには時間がいる。
私は他に非常識な者を知らない。その様な者が出てくれば私は平身低頭し士官を願っただろう」
「ならば尚更、我が軍に来てくだされ荀攸殿、儒教的観点から言えば何を置いても禁忌とされる義父殺しをして尚も英雄と呼ばれる呂奉先。その圧倒的な力に足りぬ知の力を貸して頂きたい。
その先に何があるかは分かりませんが今貴方が欲しいのは世を変えるほどの圧倒的な力。そもそも此の天下をも変える力あるのは袁本初、呂奉先、劉景升、袁公路、劉季玉。
誰がその非常識かと言えば呂奉先か曹孟徳に御座います」
「良いだろう。
袁紹の事は元同僚故良く判る。私を使えないし使わないだろう。袁術など大領を得て尚論外だ。
劉表、劉璋の王族連中は領地に引き篭り何も成せず朽ちていくのは目に見えている。
必然、残るは呂布。
乱世は改変の時だが長引けば民は疲弊する。天下に最も近い呂布の元で此の知を振るうとしよう。
だが忘れるなよ陳宮殿。呂布よりふさわしき者有れば躊躇なく私は寝返るぞ?」
「ハハハハハ。…ご忠告感謝しますぞ」
荀攸はあの問答を思い出しては気を引き締める。あれだけの事を言ったのだ。結果を残さねば自身の嫌っていた口だけの者達と同じになってしまう。
決意新たに策を練っていると食客が荀攸に向かって来た。
「荀殿、御目出度う御座います。
策が成りました。汝南潁川西岸の城が開場して御座います」
「何と!!其れは真か?」
「はい。その通りです呂将軍」
「ハッハッハ、ハーッハッハッハ!
素晴らしいな荀攸。一体何をした!?」
「何、単純な事。
高将軍の進軍と共に汝南出身の黄巾兵を岸沿いの城に張り付かせて、態と薄く城を囲み陸路の通づる城を全力を持って囲みました。
必然敵は薄い包囲程度の潁川の水運を補給戦にせざるおえず、高将軍が興平を落とせば物資は届かなくなります。
元より同郷の者と争いたく無かった沿岸部の民達は挙って我らに降り、後の者達も其の報を聞けば物資は届かず反抗は不可能と悟って降ったのです」
「ハッハッハ!!ハーッハッハッハッハ!!!
良くやったぞ荀攸!!!!」
「お褒めの言葉、有難うございます」
おー。と感嘆の声を上げる者達と狂笑を上げる呂布の相手をしながら、荀攸は次の策を考えた。




