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第六話 わたしとわたし

 わたしは始発の「おおぐま座のドゥーベ駅」からカシオペア・レールウェイに乗車した。つまり、このままスピカの切り替えポイントで、春の大曲線に乗っかってしまうと、出発地点に戻ってしまうのだ。レールのない、星の海なのに、どうしてそんなことになるのかは、よく分からなかった。

 わたしと宇宙飛行士のお姉さんは、窓から身を乗り出すようにして、スピカの方角を見つめた。ここからではよく分からなかったけれど、連結ポイントと呼ばれる場所には、プリズムで出来たレバーがあって、それを引けば、路線が変わるようになっていた。ところが、そのレバーを背もたれにして、女の人がすやすやと寝息を立てている。どうやら、その女の人が、切り替えポイントの係の人みたい。列車がぐんぐん近づいても、彼女は、目を覚まさない。

 すると、ぱたぱたと車掌さんの足音が、わたしたちのところに戻ってくる。そして「ちゃんと、席に座るように言ったでしょ?」と、めくじらを立てながらも、車掌さんは宇宙飛行士のお姉さんを指差した。

「あの、あなた! あなたのその服は宇宙飛行士の服でしょ? お願い。切り替えポイントに行って、居眠り女神を起こしてきて欲しいの」

 車掌さんがそう言うと、宇宙飛行士のお姉さんは驚いた顔をした。

「わたしが? だけど、わたしはまだタマゴで……」

「タマゴでも何でも構わないから、列車をおおぐま座に戻すわけには行かない。それは、銀河鉄道の決まりなのよ。あなただって知っているでしょう?」

 懇願というよりは、どちらかと言えば命令のように、車掌さんは宇宙飛行士のお姉さんに言う。だけど、お姉さんは首を立てに振らなかった。たしかに、それじゃ貧乏くじと一緒だ。わたしがそう思ったけれど、お姉さんが首を縦に振らなかった理由は違った。

「それでも無理よ。この宇宙服、ここに穴が開いているの」

 宇宙飛行士のお姉さんはそういうと、くるりと身をひねって、わき腹の辺りを車掌さんに見せた。宇宙飛行士のお姉さんが言うとおり、宇宙服に小さな綻びが見える。わたしは、その綻びを見つめ、あることを思い出した。

 それは、博士にもらった銀色のつるつるした布切れ。博士は、それを宇宙服の切れ端だと言った。宇宙飛行士のお姉さんが着ている宇宙服のものとは違うみたいだけど、それがあれば、綻びをふさいでしまうことが出来る。

 だけど、わたしはポケットの中に入れた銀色の切れを取り出すことが出来なかった。宇宙飛行士のお姉さんがどう思っていても、それを渡せば、間違いなく宇宙飛行士のお姉さんは、貧乏くじを引くことになってしまう。それに、車掌さんはわたしに何も求めていない。だから、お姉さんが気づいていなければ、わたしがそれを出す必要はないと思った。知らないフリをしようと思った。

「ねえ、そのポケットにあるもの、出して」

 突然、宇宙飛行士のお姉さんがわたしの方を向く。わたしはドキリとしてしまった。また、顔に出ていたのだろうか。それとも、わたしの様子がおかしいことに気づいたのだろうか。いずれにしても、宇宙飛行士のお姉さんは、有無を言わさない瞳でわたしを見つめた。

 わたしは、視線を泳がせながら、ポケットから銀色の切れを取り出した。

「でも、カシオペア・レールウェイを降りたら、二度と銀河鉄道には乗ることが出来ないっていう決まりなんですよね? ここで降りたら、お姉さんは旅の理由を果たせなくなってしまいます」

「旅の理由か……それは残念だわ。でも、ここでわたしが降りなかったら、あなたはいて座に行くことが出来ない」

 と言うと、宇宙飛行士のお姉さんはわたしの手から、銀色の切れをむしり取って、それをぺたぺたと宇宙服のほころびに貼り付けた。

「それにね、わたし、星を眺めて暮らすのは夢だった。ここで降りれば、見飽きるほど星を見ていられる。でも、あなたはずっと下を向いている。この先も下を向いたら、夜空の星は見えない。だから、あなたは、いて座へ行かなくちゃいけないのよ」

 にっこり。別れ際に、皆が見せてくれるその笑顔を、宇宙飛行士のお姉さんも、わたしに見せてくれた。わたしは、涙腺が緩むのを感じた。わたしは何もしないで、お姉さんに貧乏くじを引かせようとしている。そんなのダメだって思うなら、今すぐ、お姉さんの手を掴んで引き止めればいい。自分を犠牲にする覚悟があるなら、お姉さんより先に、窓から飛び出せばいい。居眠りする女神をたたき起こすくらい、わたしにだって出来る。それなのに、わたしは何も出来なかった。違う……何もしなかった。いざそう思っても、足がすくんでしまい、何も出来ない。

 宇宙飛行士のお姉さんは、金魚鉢を逆さにしたようなヘルメットを被り、車窓の窓を大きく全開にして、その淵に足をかけた。そして、ちらりとこちらに振り向く。

「よい旅を」

 ガラス越しに唇がそう動いたように見えた。次の瞬間には、お姉さんは窓の外に飛び出していた。列車よりも速い速度で、でもふわふわと宇宙遊泳でもするかのように、切り替えポイントのスピカへと向かう。そしてまもなく、宇宙飛行士のお姉さんは、居眠り女神を起こした。

 半分寝ぼけたような顔だった女神は、カシオペア・レールウェイが近づいていることを知り、目を丸くして、プリズムで出来た切り替えレバーを引いた。その途端に、わたしの乗る列車は、ぐんっと左に引っ張られる。

 カシオペア・レールウェイが、春の大曲線から反れて、ヘラクレス座への路線に入った。

 わたしは、女神の傍で手を振る宇宙飛行士のお姉さんは、明るい笑顔でカシオペア・レールウェイとわたしを見送った。車窓から、その笑顔を見つめたわたしの目に涙が、ぽろぽろと溢れてくる。他人のために泣くなんて、そんなこと今まで一度もなかった。なのに、どうしてこんなに悲しくて、涙が溢れてくるのか、わたしには分からなかった。分からないことだらけ。そんなのが、みんな嫌で仕方がなかった。


 いつの間にか、列車は平穏を取り戻し、車掌さんの姿は再び前の車両へと消えていった。車掌さんにとって、宇宙飛行士のお姉さんが永遠に旅の目的地へ辿り着けなくなってしまったことも、わたしが泣いていることも、全部他人事なのかもしれない。それを冷たいと思っても、わたしも他人事だと思っている。結局、わたしはみじめなんだ。

 へびつかい座を横切り、ヘラクレス座が目前に迫ってきても、わたしは、座席に座って一人で泣いていた。星くずの絹のハンカチで、涙を拭うこともせず、スカートに落ちる涙をじっと見つめながら、泣いていた。

「あんたは、自分さえよければ、それでいいと思っている」

 向かいの席に座る、もう一人のわたしが、わたしを睨み付ける。そのことばに違うとはいえない。

「言葉が足りない所為にして、相手に伝えることを怖いから、何もなかったフリをする。そうやって、自分の首を絞めて、どこまでも暗闇の底に落ちていく。分かっているのに出来ない。でも、それを他人は理解してくれない。あなたが、堂々巡りをしている間に、時間だけが過ぎていく」

 もう一人のわたしは、わたしが何も言わないのをいいことに、説教じみた声で、わたしをなじった。

「積極性が足りない。協調性が足りない。何度も言われてきたことよね。でも、直そうとしなかった。そのことに価値を見出せなかった。わたしはわたしのままでいいんだって、変な勘違いをしてた。だから、友達もいない。未来も描けない。一人ぼっちでいることに、追い詰められて苦しむことが、あなたの喜びだった」

 もっと積極的になればいいんじゃない? もっとみんなと一緒にやろうって、声をかけたらいいんじゃない? 何になりたいの? 何がしたいの? いつもお父さんとお母さんがわたしに言った。だけど、わたしは逃げるようにしてきた。そうして、追い詰められていることを実感して、自分は生きていると確かめられる。その代わり、心はどんどん重たくなっていき、未来と現実をみんなと同じように歩けなくなっていた。

 一日中誰とも口をきかなくても、生きてこれた。未来を想像できなくても、生きてこれた。だけど、この先も同じようでは進めないことは分かっている。大人になって、未来になって、心から信頼できる友達もいない、心から生きていく未来もない。そういった寂しい未来が来ることが、分かっているのに、どうしてちゃんとできないのか。

 それは、わたしが莫迦だから……じゃない。わたしに勇気がないから。苦しみを味わえば、その分だけ幸せが待っている。希望めいたそんな言葉も嫌い。希望なんてどこにもなくて、苦しみは永遠に続く。だけど、苦しみと幸せの中間あたりで、生ぬるい日々を送っていけば、それはとても楽なことだった。

「人が怖い。話すのが怖い。そう言って、避けていたのは、結局苦しみを味わうことが怖かったから。あなたは、とても弱い人間。そんな人間をだれが気に留めてくれると思うの? みんなは、一生懸命生きてる。涙だって、ちゃんと流してる。他人の未来が明るいと羨んで、自分の未来をちゃんと見ようとしないのは、ただ単にあなたが弱いから」

 本当の意味で、弱虫で泣き虫なわたしは、誰にも触れられない。他人に自分がどんな風に見られるのか気にして、人が怖くなり、話すのが苦手になって、うじうじと思い悩む。

「そうして、カシオペア・レールウェイに乗っかってもまだ、他人に迷惑をかけ続ける。弱い『わたし』は!」

 もう一人のわたしの叱責は、わたしの心を貫いていった。何も聞きたくない、聞こえたくない。両手で耳を塞いで、わたしは座席の上にうずくまった。もっともっと、小さくなって、とこにもわたしと言う存在がなくなってしまえばいい。

「そう思うなら、あなたは何のために生まれてきたの? 何のために生きてきたの?」

 それは、わたしが問いかけたい。わたしは何のために生まれてきたのかな。

 人と話すのが苦手。人とあわせるのが苦手。おおよそ社会の中で、ちゃんと生きて行けないわたしは、どうして生まれてきたんだろう。そして、何のために、わたしは生きてきたのだろう。分からない。分からないから不安になって、怖くて立ち止まる。生まれてこなきゃ良かった。

 だったら、そんなわたしなんか、最初からなかったことになればいい……。

 わたしはそんなことを願いながら、ただじっとうずくまって泣いた。いつの間にか、宇宙飛行士のお姉さんのために流した涙は、わたしのために流れていた。だけど、どれだけ泣いても、涙はかれなくて、気が付くとわたしは眠っていた。

 長い長い眠り。もしかすると、もうひとりのわたしが現れたのも全部夢だったのかもしれない、とわたしは思った。


「おはよう」

 眠りから目覚めたのは、こと座のベガを横目に通り過ぎる頃だった。声がした。目を開けると、いつの間にか、向かいの席に見知らぬ制服姿の男の子が座っていた。わたしと同い年くらい。すこし丸顔だけど、瞳はとても優しそうだった。

「これを渡そうと思ったんだけど、君がぐっすり眠っているから、起こしちゃ悪いと思って。そうしたら、俺も居眠りしてしまった」

 男の子はそう言うと、手の中の切符をわたしに差し出した。それは、「おおぐま座→いて座」と記された、わたしの切符だった。多分、宇宙服の切れ端を取り出すときに落としてしまったんだと思う。

「でも、君より早く起きたんだ。だって、もうすぐ、こと座のベガ。その後、はくちょう座のデネブを通り過ぎたら、トンネルをくぐって、天の川を南へ。そこで君の旅は終わってしまうから。その前に、その涙をふかなくちゃね」

 口調はおっとりとしていたけれど、訳知り顔はわたしの涙の跡も見つけていたらしい。わたしは慌てて、ポケットからハンカチを取り出した。ブルーの瞳の男の子にもらった、星くずの絹のハンカチ。

「俺は、アキラ」

「アキラさん……?」

 鼻をすすって、わたしが問い返すと、アキラさんは、ちょっと笑って「アキラって呼んでよ。腕振り合うのも、なんとかかんとかって言うでしょ?」と言った。成績の悪いわたしでも、「袖振り合うのも多少の縁」という言葉くらい知っている。

 わたしは、なんだかつかみ所のないおかしな男の子を、アキラと呼び捨てにすることにした。男の子の名前を呼び捨てにするのは、初めてだった。そもそも、男の子と顔を向かい合わせて、お話しするのも初めてだった。だけど、アキラはどこか、そんなものを感じさせない雰囲気があった。

 その雰囲気は、わたしにアキラが、また対極の人種であることを悟らせてくれた。

 だけど、アキラは宇宙飛行士のお姉さんとは違い、好きなことをぺらぺらと喋ったりしない。ただ、穏やかな春の風のように、ニコニコとしながら、わたしと一緒に窓の外を見つめていた。

 輝く星の海。その不思議な光景を、アキラはどんな風に思いながら見つめているのか。いすれにしても、嫌な沈黙じゃないことだけは確かで、わたしは、そんなことがつい気になってしまった。

 車窓を眩い星が見える。よく見ると、それはシリウスのプリズムと同じような形をしていて、ひとつだけ違うことは、まるで灯台のように光がぐるぐると廻っている。その下で光の強さを調節する小さなコックを回しながら働いているのは、年老いたハゲワシだった。

 その星の名をわたしは知っていた。止まり木のハゲワシ……。

「ベガ」

 わたしがつぶやくと、アキラはわたしのほうを向いた。

「こと座のベガは、昔は駅として使われていたんだけど、今は銀河鉄道の道しるべに使われているんだって。その名も、星の海のアーク灯。ああして、ハゲワシが光をまわし続けているんだ。君は星が好きなの?」

 アキラにそう問いかけられたわたしは、少しばかり迷ってから、頭を左右に振った。

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