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第四話 シリウスの検札

 星を探そうとしたことがある。わたしは、天文学に興味があるわけではない。ただ、夜空に浮かぶ、キラキラしたものを見つめていたいと思った時期がある。まだ、心が重たくなる前の話。両親にせがんで買ってもらった、星の図鑑は、子どものわたしには難しすぎて、その一部も理解することは出来なくて投げ出してしまった。やがて、年月が経って、学校で天体の授業を受けた頃には、そういう興味もなくなっていて、星の図鑑が何処へ行ってしまったのかも思い出すことは出来なくなっていて、わたしはただ、教科書に書いてある文字をひたすらに追いかけるだけになってしまっていた。

 簡単な話、現実と理想はけして繋がり合うことのない、二つの軸で出来ている。

 それでも、いくつかの星の名前は知っている。そのひとつが、シリウス。夜空で一番明るい星だから、両親が寝静まっても、こっそり夜更かしして部屋の窓からずっとシリウスを探し続けた。だけど、結局見えなかったのは、わたしの住んでいた家が、他の家に囲まれていたからで、そのずっと下に目指す星があったことを、わたしはついに知ることはなかった。

 どこか中途半端な人生なのだ。自分で諦めのラインを引いて、そこで立ち止まる。待っているのは、暗闇だけだと知っているのに、わたしは立ち止まることを躊躇しなかった。そうして、心が重たくなっていくことが、いつの間にか当たり前になって、夜空を見上げることなんてなくなっていった。

 本当は、そういうキラキラしたもの、自然なもの、やわらかく棘のないものが、一番大切で、そうした中でしっかりと地面を踏みしめて生きていくことが出来たなら、わたしは心が重いと感じなくて良かったのかもしれない。そう分かっているのに、出来ないのは、わたしが悪い。

 それでも、わたしは車窓からの眺めに、少しだけうっとりとした。いくつもの星雲の海岸を地表に例えるなら、その虚空に燦然と青く輝くその星は、わたしがずっと探していた、シリウス。

 ふと、わたしの頭の中に、疑問が過ぎる。いくつもの駅、いくつもの星座を通り過ぎてきた、この列車からは、もう「カシオペア座」は見えない。それに、わたしがこの列車に乗ったのは、始発の「おおぐま座」。カシオペアの駅には一度も立ち寄っていない。それなのに、どうして、カシオペア・レールウェイと言うのだろう。

「カシオペアは、伝説の王さまケフェウスの妻だった。とても、自慢することが好きなカシオペアは、ある日、海の妖精と、自分の娘であったアンドロメダの美しさを比べ、娘の美しさを自慢して廻った。すると、それを耳にした、海の神様ポセイドンは烈火のごとく怒り、ケフェウス王の国に、災いをもたらした」

 博士は、わたしの疑問を察知したのか、大きな手の中で切符を転がしながら、カシオペア座にまつわる伝説を話し始めた。

「ポセイドンの怒りを鎮めるためには、アンドロメダをくじらの生贄として捧げるしかない。ケフェウス王とカシオペアは、泣く泣くアンドロメダを生贄に差し出した。このアンドロメダ姫は、後に勇者ペルセウスによって救い出されるのだが、それはまた別のお話だ……。やがて、歳月が過ぎ、カシオペアは星になった。だが。ポセイドンは、カシオペアを星の海の下で休息を取ることを許さなかった。そのため、カシオペアは永遠に星の海を巡り続けなければならなくなった」

「悲しいお話ですね」

「一度の過ちが、永遠の罰になる。この伝説が由来なのかどうかは知らないが、旅人を乗せて、星の海を巡り続ける列車にはおあつらえ向きの名前だと思う」

 そう言って、博士は切符の隅に書かれた、Wのマークを指し示した。

 一度の過ち……。わたしに過ちがあるとすれば、いや、たくさんあるけれど、その中でも一番大きな過ちは何なのだろう。ふとそんなことを考えてしまう。たくさんの過ちの中で、人は生きているのかもしれない。星よりもキラキラした未来を歩く同級生たちも、過ちの中で生きているのかも知れない。ただそれらに、比べるまでもなく、わたしの過ちは許されるものじゃない。

 沈黙の中で、わたしはずっと考えていた。わたしが手元の切符で行き着く場所は、わたしが思っているような場所ではないかもしれないと。一度そう思うと、だんだんと不安がこみ上げてくる。博士の言ったとおり、不安は恐怖に変わり、わたしの心を重たくしていく。

 みっともないとは分かっているのに、わたしはぽろぽろと涙をこぼした。博士は、びっくりして「どうしたんだい!?」と、わたしに問いかけたけれど、わたしは答えられなかった。

『次は、おおいぬ座のシリウス駅。シリウス駅では、二十分間、検札のために停車いたします。検札が終わるまで、どうぞ席をお立ちにならないようにお願いします』

 わたしの泣き声を隠すように、車内にアナウンスが響いた。やがて、列車は徐々にブレーキをかけて、シリウスの駅舎へと入っていく。シリウス駅は、青い二つのプリズムで出来ていた。ひとつは、複雑な形をしながらも、キラキラと輝いていて、もうひとつはとても小さくぼやけた白い光を放っていた。

「伴星はもう駅として使われていないんだ。その代わり、銀河の氾濫を教えてくれる標として、使われている」

 わたしの気を逸らそうと、博士は白い小さなプリズムを指差した。そこには、プラットホームらしき名残があるだけで、中には計器がたくさん付いた機械のようなものと、そこで忙しなく働く作業着姿の人影が見えた。

「ああして、つねに銀河の流れを見張っている。働いているのは、犬だけどね」

 と、博士の言うとおり、人影に見えたそれは、よくよく目を凝らすと、出っ張った鼻と顎、つんと尖った耳をした銀色の犬だった。

「彼らは天狼と呼ばれているんだ。銀河の流れは、銀河鉄道の運行にも影響がある。特に、星の海中を巡るカシオペア・レールウェイには。だから、彼らはひと時も休むことなく、ああして働くんだ。それを哀れと思うか、それとも素晴らしいと思うかは、君次第だがね」

 博士の言葉を他所に、犬たちはせっせと機械のレバーを操作して、プリズムの先端に取り付けられた、輪っかのようなものを動かす。それを「天気輪」といい、銀河の流れに狂いがないか調べる装置なのだそうだ。

 彼らは、何を思い、何を考え、何を感じ、働いているのか、わたしには到底分かるわけもなく、哀れだとも、素晴らしいとも思えなかった。その代わり、彼らは定刻になると、機械に開けられた小さな窓から、一切れの肉が落ちてきて、それを美味しそうに頬張っている。彼らに与えられる、それが報酬だった。報酬のため、彼らは働き、時を費やしていく。それは、彼らにとって理想の仕組みなのかもしれない。

 そういう歯車に、ちゃんと乗っかることの出来ないわたしには、一切れの肉に、魅力は感じない。

 がらり。後ろの車両からつながっているのドアが開けられて、黒い服を着た小さな女の子がやってきた。その黒い詰襟の制服は、おおぐま座でわたしの切符を切ってくれた車掌さんとおなじものだったけれど、あの車掌さんは男の人だったのを覚えている。

「乗客を泣かせるのは、感心しないわ、博士」

 女の子の車掌さんは、わたしが泣いたのは博士の所為だと思ったのか、博士を睨み付けると、小さな手を腰に当てて頬を膨らませた。妙に大人びた口調と、鈴の鳴るような可愛らしい声のアンバランス加減が少しだけ、可笑しかった。

「いや、私が泣かせたわけではないんだが……。うむむ」

 博士は、困ったような顔をしながら、わたしと車掌さんを交互に見た。わたしは、「博士の所為じゃない」と言おうとしたのに、なぜかその言葉が出なかった。困ったことに、どう説明していいのか分からない。わたしがおたおたしていると、車掌さんは溜息をつきながら、

「言いたいことがあるなら、はっきりいいなさい」

 とわたしに言って、左手を差し出した。切符を見せろ、という合図だ。わたしはまだ切符をポケットから出していないことを思い出して、慌てて制服のポケットを探った。そして、切符を取り出した拍子に切符と一緒に星くずのハンカチが床に落ちて、中に包んでいた金平糖がその場に散らばった。

「まあ、綺麗な金平糖」

 車掌さんの前を、金平糖は飛び跳ねて、反対側の通路から飛び出していく。そして、駅舎の向こうへとまるでボールが弾むように飛んでいくと、それは、銀河の見張り台がある伴星へと飛んでいき、そこで働く犬たちの口の中に入った。

 わたしは、半ばあっけにとられて、その不思議な光景を見つめていた。

「全部天狼に捕られちゃったわね。ご愁傷様」

 車掌さんは、にべもなくそう言うと、ハンカチとわたしの切符を拾い上げてくれた。そして、ついでに、切符を確認して、スタンプを押す。『検札・シリウス』と書かれた、スタンプの文字は青色だった。

 博士の切符も確認した後、車掌さんはいつの間にか、いなくなっていた。

「もったいなかったな。あんな綺麗な金平糖を、全部天狼どもに持っていかれて、残念だったな」

「いえ……その、わたしっ」

 わたしが謝ると、博士は少しばかり驚いて、きょとんとする。

「ああ、さっきのことか。いや、気にしていない。検札係の車掌は、すこし言葉に棘がある。ああいう性格なんだ、気にしていたらキリがない。べつに、乗客を泣かせたら、降ろされるなんて決まりはないからな」

「でも、わたしの所為で……」

「そう思うなら、泣かないこった。君だって、ガキじゃないんだから」

 わたしは、博士の言葉に頷いて見せたけれど、でも自信はなかった。


 辛くても、苦しくても、わたしの感情は薄っぺらで、泣いたり笑ったりするのは、あんまり得意じゃない。人前で笑うことなんてないし、だからと言って泣くのは莫迦らしいと思う。わたしは、そういう自然なことが、自然に出来ない。

 病気じゃなくて、頭が悪いから。だから、言葉が足りなくて、勘違いさせたり、落胆させたりする。せめて、足りない言葉でも、必死に伝えようとすれば、それは必ず伝わると、人は言う。だけど、伝わらないものは、どんなにしたって伝わることはない。わたしの思いは、誰にも届かない。

 届いたところで、わたしにはどうしたらいいのか、全然分からない。ありがとう、ごめんなさい、おはよう、こんにちわ。そんな当たり前のような言葉も怖くて口に出来ない。

「ありがとう」『べつに感謝される覚えはない』「ごめんなさい」『許さない』「おはよう」『……』「こんにちわ」『……』

 そんなに怖い思いをするのなら、わたしは何も言わない。言わなければ、怖い思いをしなくてもいい。笑わなくても、泣かなくても、息は吸える。

 心にちゃんと鍵はかけてある。誰にも触れられないように、誰にも触れないように。

 それなのに、わたしはカシオペア・レールウェイに乗ってから、涙を流し続けてる。きっと貯めていた分の涙を全部使い切るつもりなのだろう。

 それでもいい。もうなんだっていい……。見つめるべきものは、もうこの先にはないのだから。


 わたしがハンカチに引っ付いた金平糖を見つけたのは、カシオペア・レールウェイがシリウス駅を発車してから、しばらく経ってのことだった。

 お婆さんにたくさんもらったのに、あっという間に儚く消えた、金平糖はあと二つしかなかった。わたしはそのうちのひとつ。白い金平糖を博士に手渡した。お詫びのつもりだったけれど、それも言わないから伝わらない。

 だけど、「甘いものは苦手だ」と言いつつも博士は、白い金平糖を口の中に放り込んだ。わたしは、黄色の金平糖を食べた。甘い味が口いっぱいに広がる。やっぱりハッカよりも、こっちのほうが好きだな、と思っていると、博士はごそごそと上着のポケットを探り、なにやら銀色の紙を取り出した。

「私は次の駅で降りる。これは、金平糖のお礼と餞別代りだ。こんなもので申し訳ないが、とっておきたまえ」

 これは何だろう。と思いながら銀色の紙をしけしげと見つめてしまう。ちょうど、手のひらにすっぽりと収まるくらいの大きさで、紙ではなく、布ともビニールともプラスチックともいえない、不思議なつるつるしたものだった。

「それは、宇宙服の切れ端だ。ちょうど手帳の間に挟まっていたんだ。君の役には立たないかもしれないが、この偉大なる自分博士と君が出会った記念に」

 そう言うと、博士はにっこりと笑った。記念に宇宙服の切れ端なんていうおかしなものをもらえるとは、思っても見なかったわたしは、少しだけ嬉しくなった。

 列車は、すべるように星の海を渡り、やがて目の前に、しし座が見えてくる。

『次は、しし座のズブラ駅。お降りの方は……」

 車内にアナウンスが聞こえて、博士はおもむろに立ち上がった。そして、わたしの顔を見つめると、

「よい旅を……」

 と言った。

 やがて、列車はしし座のズブラ駅に到着する。透き通ったプリズムの小さな駅だったけれど、そこで博士を待っていたのは、博士と同じ顔をした男の人だった。博士は、乗降口のタラップを駆け下りながら、「やあ、私。待たせたね」と言った。きっと博士は、ようやく自分という答えに辿り着いたのだろう。それは、わたしの勝手な想像だけど、列車がホームを離れるまで、わたしは銀色の切れを握り締めて、博士たちの姿を眺めていた。

 

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