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第二話 五色の金平糖

 カシオペアを見つめながら、星の海を渡る銀河鉄道に乗って、どのくらいの時間が過ぎただろう。わたしは、時間を確かめるための腕時計を鞄の中に置いてきてしまったことを思い出した。今頃、持ち主のいなくなってしまった鞄は、駅のホームで心細く思っているだろう。

 相席したブルーの瞳の男の子はもうとっくの昔に降りてしまった。アルフェラッツ駅からの新しい乗客の姿はなく、静かな車内でわたしは一人で窓の外に見える、星の海を見つめていた。幸いだったのは、あれから涙はこぼれていない。だから、ブルーの瞳の男の子がくれたハンカチは、大事にブレザーのポケットに仕舞ってある。

 莫迦なわたしにも、現実的なものの見方をする「ものさし」がある。だって、わたしだって、息をして、水を飲んで、食べ物を食べて生きている人間だもの。だから、そういうものさしは誰にでも備わっている。ただ、ちょっとだけ違うのは、わたしのものさしは、他のみんなのものさしよりちょっとだけ短かった。

 その、短くても、現実的なものの見方をするものさしに照らし合わせれば、わたしが見ている車窓の眺めは、ありったけ不思議なものだった。

 本を読むのは好き。とくに、外国の童話やファンタジーの本を読むのが好き。一番好きなのは、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」。もうページが擦り切れるくらい、何度も読み返した。ジョバンニとカムパネルラという二人の男の子が銀河鉄道に乗って、旅をする不思議な物語。

 その物語が不思議であれば不思議であるほど、わたしは本の世界に没頭して、たったひと時でも、心が重いことを忘れられた。だから、本を読むのが好きだった。

 そんな本の世界に、車窓からの眺めはよく似ていた。

 いくつもの星が輝いて、漆黒の空を彩る。時折、それらはパッと明るく輝いて、そして消えていく。だけど、次の瞬間には、新しい星がキラリと生まれる。それは、写真でしか見たことのない宇宙のよう。だけど、少し固いガラスの窓を開ければ、星の海を渡る、すこし甘い匂いのする風が、わたしの長い髪をそよそよとなびかせるのだ。

 その理由を探る気にはなれなかった。わたしの現実的なものの見方をするものさしは、短くて、そんなことどうだっていいことのように思えたから。ここが何処で、何故わたしが銀河鉄道に乗っていて、何処へ行くのか、それを知ることは、きっととても大切なことじゃない。

 大切なことは、わたしはこの列車に乗って、行くべき場所があるということだけ。

 だけど、その旅の理由は話してはいけない決まりだと、ブルーの瞳の男の子は言った。だから、口にはしない。今はただ、ぼんやりと星の海を眺めていたい。


 カシオペア・レールウェイは、みずかめ座のフォーマルハウトを通り過ぎて、くじら座をぐるりとまわって、次の駅を目指す。そのフォーマルハウトが後ろに小さくなっていく頃、突然前の車両から繋がるドアが、がらりと開いた。ぼんやりし続けていたわたしは、窓から顔を離して、車内に視線を移した。

 がくんと、列車が大きく飛び跳ねる。同時に「ひゃあっ!」とお婆さんの悲鳴が聞こえて、わたしはとるものもとりあえず、席を立った。

「大丈夫ですか?」

 通路の真ん中でしりもちをつくお婆さんに恐る恐る尋ねると、お婆さんは少しばかり顔をしかめつつ、わたしの顔をジロリと見つめた。少しだけ、怖かった。

 お婆さんは、藤色の着物を着ていて、その首元には風呂敷包みを巻き、日傘を手にしていた。何処から見ても、奥さまと呼ばれていたに違いない。もちろん、それは勝手な想像で、名前も知らないお婆さんだった。わたしは、そんなお婆さんの視線に怯えて、何を言われるのか、今すぐ逃げ出したい気持ちになった。それだけ、お婆さんの眼は鋭かった。

 でも、逃げ場所なんてない。わたしが困った顔をしていると、お婆さんは、ゆっくりと立ち上がり、着物のすそを軽くはたいた。

「よっこらしょ。歳をとると、どうにも足元が覚束ない。恥ずかしいところを見せてしまった。どうやら、足をくじいてしまったみたいだ。すまないけれど、あんたの席まで、肩を貸してはくれないかい?」

 お婆さんはそう言うと、さっきまでの鋭い目つきが嘘のように、上品な笑顔になって、わたしに微笑んだ。わたしは、お婆さんに肩を貸し、わたしの座っていた座席の向かいに案内することにした。

「すまないねえ」

 座席に腰を下ろすと、お婆さんはほっと息をつく。そうして、わたしに再び優しく微笑みかけた。向かいに座る頼りないちっぽけな女の子が、本当は超がつくくらい口下手で、人付き合いが苦手なことに気づいて落胆し、微笑が消えることが怖くて、わたしは「あの、足。大丈夫ですか?」とお婆さんに尋ねた。

 お婆さんは、少しばかり身をかがめると、着物のすそからのぞく白い足袋に包まれた踝にそっと触れて、

「しばらくすれば、痛みも引くだろうよ」

 と、わたしに答えてくれた。

 だけど、それから思うように会話は進まない。会話を見つけたくても、わたしは何を話していいのか分からなかった。いくつか、お婆さんから質問されても、短く答えるだけで、ぶつりと会話が消えてしまう。だんだんとお婆さんの顔は曇っていき、とうとう、わたしたちの間には沈黙が訪れ、やがて列車の音だけしか聞こえなくなってしまった。

 わたしは、所在無く、身動きも取れないままで、窓の外をぼんやりと眺めた。

 一日中だれとも口をきかなくても平気だった。言葉らしい言葉を発しなくても、生きていくだけなら、息をしていればいい。見ず知らずの人に話しかけて、怖い思いをするくらいなら、ずっと一人ぼっちでいいと思った。そんな気持ち、誰にも分からないと思う。何を言ってるんだコイツって、白い目で見られても、わたしは何にも触らずなににも触れられない場所で、ただじっと星の海を眺めていられたら、それでよかった。

 だけど、お婆さんは沈黙が嫌いな人だったみたい。しばらくすると、おもむろに口を開き、

「あんたは、おおぐま座のドゥーベから来たのかい?」

 とわたしに尋ねた。その顔は、まるで超能力者……ううん、魔女のお婆さんみたいだった。わたしは、思わず驚きを口にせずにはいられなかった。

「どうして分かったんですか?」

「どうしてって、そんなもの顔を見れば分かるさね。人は何処から来たのか、何処へ行くのか、ぜーんぶ顔に書いてある」

 お婆さんはそう言うと、にっこりと笑った。顔に書いてある、と言われても、わたしにはお婆さんが何処から来て、何処へ行くのかまるで分からなかった。

 再び会話が途切れてしまう。そこから、どんな風に広げればいいのかも、わたしには分からなかった。すると、お婆さんは溜息をふうっと吐き出して、

「あんたは、よほど物静かなお嬢さんなんだね」

 とわたしに言った。その言葉の裏にどんな意味が込められているのか、そんなことを想像してしまう。だけど、お婆さんの言った言葉は、額面どおりの言葉だった。

「あたしの娘によく似ているよ、あんた。あの子も、引っ込み思案で友達がいなかった。寂しい毎日を送ってたんだ。遠い遠い昔の話だけどね」

 そう言うと、お婆さんは膝の上においた、風呂敷包みを開いた。中には、漆塗りの小さなお弁当箱のようなものがあって、お婆さんはにっこりと笑うとその蓋を開いた。わたしはそのお弁当箱の中身に驚いて、思わず「わあっ!」と声を上げてしまった。

 お婆さんはからからと笑う。わたしは恥ずかしくて俯いた。すると突然、「お裾分け」と言って、お婆さんはお弁当の中身を一つまみだけ、わたしのひらの上にそれをいくつか載せてくれた。そのしぐさは、ブルーの瞳の男の子とよく似ていたけれど、わたしの手のひらに乗せられたものは、星くずの絹のハンカチではなかった。

 とげとげのつぶつぶ。青、赤、白、黄に緑。色とりどりの小さな砂糖の塊には、二十四個の棘がついていた。わたしはそれを「金平糖」と呼ぶことを知らなかった。

「暗い顔をしているときには、甘いものが足りないんだ」

 そう言って、お婆さんは金平糖を一粒自分の口に放り込んだ。そして、わたしにも「お食べ」と勧めてくれる。わたしは、手のひらから、一番きれいな青い金平糖を一粒つまみ上げると、それを口に運んだ。

 甘い味が口いっぱいに広がっていく。甘いものはあまり食べないけ、嫌いなわけじゃない。ただ、甘味の奥に、すーっとハッカの味がする。ハッカはちょっと苦手だった。

「お、おいしいです」

 わたしが無理してぎこちない顔をして感想を述べると、お婆さんはまたからりと笑って、

「嘘が苦手なのも、あたしの娘によく似ている」

 と言った。

「ハッカが苦手なら、他の色をお食べ。赤は桜の味。黄色はかりんの味。緑は梅の味がつけてあるからね。白いのは、砂糖だけ。あたし特製の金平糖だ。どれか気に入った色があるはずさ。だから好きなのをお食べ」

 わたしは、こくりと頷いて、黄色い金平糖を、すーすーする口に放り込んだ。わたしの好きな味だった。わたしは何故だか嬉しくなって、手のひらに残された金平糖のつぶつぶを眺めた。それは、星の形に似ている。きっと星くずは金平糖で出来ているんじゃないかな、と想像が翼を広げ始める。

 そんなわたしのことを、ほほえましく目を細めていたお婆さんは、不意に涙を流した。わたしは、驚いてしまった。鋭い目つきから一変して、やさしい顔になって、そして今度は悲しそうな顔をする。わたしみたいに、作り笑顔と能面しか持っていない子には、どうしてそんなに顔色が変わるのか分からなかった。

「あたしの娘もね、星の砂糖で出来た金平糖が好きだった……」

 ぽろぽろと落ちる涙は、お婆さんの膝の上で、灰色の金平糖になって砕け散っていく。わたしはどうしていいのか分からず、おろおろとしてしまった。そのとき、ふとわたしの制服のポケットに仕舞われたハンカチのことを思い出した。

 わたしは左手で、もらった金平糖を握り締めると、ポケットからハンカチを取り出して、お婆さんに差し出した。お婆さんは少しだけ驚いた顔をしながらも、ハンカチを受け取り、その角で頬を伝う涙をふいた。涙は、たちまち星くずの絹のハンカチに吸い取られていった。

「また、みっともないところをみせてしまったね。いやだね、歳をとると涙もろくなってしまう。みっともないついでに、あたしの思い出話にでも付き合ってもらおうかね。あたしの降りる駅はまだ遠い……」

 お婆さんは、わたしが答える前に、列車の揺れにあわせて揺れるランプを見つめながら、その黒い瞳に遠い昔を映し出していた。

 お婆さんには、一人娘がいた。それをお婆さんは遠い昔のことだと言った。お婆さんの娘さんはわたしと同じで、引っ込み思案で消極的で、どこか存在さえもないような女の子。だけど、わたしとは違って、彼女には取り柄があった。詩をつくること。毎日、誰とも交差しない単調な日々の中で、彼女はいくつもの詩を取りとめもなく、ノートに綴った。

「それが、このノートさね」

 と、お婆さんはお弁当箱の下から、一冊の大学ノートを取り出した。タイトルも名前も書かれていないけれど、その古びたノートを開くと、小さくて丸くて可愛い文字で、たくさんの言葉が書き添えられていた。詩に詳しくはないけれど、その言葉一つ一つが、とても透明に透き通っていて、読んでいるだけで、すっと身に染みてくる。それは、お婆さんの娘さんに神さまが与えた、才能だと、わたしは思った。

 彼女が、同じように思ったのかは、知ることは出来ないけれど、彼女は大学ノートに言葉を綴るうち、詩を書く人になりたいと言う夢を持った。

「あの子はどちらかと言えば無口で、言葉が足りない子だった。一方、あたしは女手一つであの子を育てて、苦労も一通り経験した。だから、せめてあの子には、何不自由ない人生を歩んで欲しくて、あたしはあの子にレールを押し付けたんだ。そして、あの子は最後の詩を綴った」

 そう言って、お婆さんは大学ノートの最後のページをめくった。


『わたしの瞳に映った透明な世界の中で

 わたしの傍を過ぎる鮮やかな季節の中で

 生きることが難しくて 頬を涙にぬらしてる


 鳥になる翼はなく 星にも花にもなれない  

 誰も代われない自分 わたしはわたしだって


 泣きたくもないのに 涙があふれる

 本当は弱いから

 振り返って躓いてる自分が ただ嫌いだった』


 少しだけ文字が震えていた。最後のあたりには、点々と染みが落ちている。言葉少なく、込められた思いはわたしの胸をぎゅっと締め付けた。

「とうとう最後まで、あの子が何を想い、何を考えて、何を感じていたのか、あたしには分からなかった。ただ、確かなことは、あたしがあの子の夢を台無しにして、二度とあの子は金平糖を口にすることはなかった。星に似てるって、喜んで頬張っていた、金平糖を……」

 お婆さんの話を聞きながら、わたしは手のひらの上の、金平糖を見つめた。

「だから、届けに行くんですか?」

 不意にわたしは、お婆さんに尋ねた。するとお婆さんは、「顔に書いてあったかい?」と言いつつ、人差し指を口許に当てた。

「旅の理由は話してはいけない決まりなんだよ。あたしには、次の駅に待っている人がいる。教えられるのはそれだけだ」

 それが誰なのかは、すぐに分かった。だけど、わたしも口にはしなかった。

「でも、あんたの思っている通りかもしれないね……。言葉が足りなかったのは、あたしの方かもしれない。その言葉を、見つけることがようやくできたんだ。」

 お婆さんはそう言うと、まだ涙が目じりに残る顔で、にっこりと笑った。

 

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