初恋の貴公子は、私だけに意地悪な顔を見せる
学園には貴公子だと名高い人がいる。
この国の公爵家のご子息で、名前をギルバート・グランディール様。
濡れガラスのような漆黒の髪に深海のような碧い瞳を持つ美丈夫で、学園では常にトップの成績を誇り、剣術大会でも決勝トーナメントに進めるほどの実力を持つ完璧な人。
そんな権力も地位も名声も力も美貌も何もかも持ち合わせている名高い人なら、周りを見下したりしてもおかしくはないのに、それもない。
学園では爽やかな笑顔で平民や貴族分け隔てなく接してくれると男女問わず人気者だった。
女子生徒達の憧れの的であり、彼に恋をする人も少なくない。
チェルシー・アグリアーネこと私もまたそんな彼に恋をする一人だった。
___________
『アグリアーネ令嬢?重そうだね、手伝うよ。』
『っあ、ありがとう…ございます』
『日直?』
『はい、本日の授業に使う資料だそうです。』
『女子にこんな荷物持たせるか普通?』
恋の始まりは、そんな彼からしたらなんてことのない手伝いだったと思う。
別に私が特別ってわけじゃない。
私以外にも困ってる人がいたら真っ先に手を差し伸べている姿をよく見かけるから。
でも私にとってはすごく大きな出来事だった。
他クラスなのに手伝いをしてくれたことも、自分の名前を覚えていてくれたことも、こんなにかっこいい男の子に優しくしてもらったこともなかったから。
前から目立っていた彼のことは知っていたけれど、いざ隣を歩いてみたら、心臓が早鐘のようにうるさくなって話しかけられたら嬉しくて。
一度意識したら止まれなくなってしまった。
でも遠目に見てるだけでもよかった。
だってグランディール様の周りはいつだってキラキラしているから。
この国の王太子殿下や騎士団長や宰相のご子息、公爵令嬢や、商家を束ねる侯爵家のご令嬢に、隣国のプリンセス。
他にも彼らに話しかけるのは煌びやかな人達ばかりだ。
「返却ですね、ありがとうございました。」
「あ、この本借りたいですけど…」
「それなら先日返却がありましたので、棚に戻してありますよ。」
「本当ですか!?
前回借りられなくて困ってたんですよ…」
「人気なのでお早めに」
「はい!」
私は日頃図書委員をしている。
それだけで想像に難くないと思うが、私はとても地味な容姿をしていて、彼らの近くに寄っただけで輝きに消されてしまいそうになるほど。
そして、私の実家、アグリアーネは王都の都市部から外れたところにある港町。
伯爵家の称号を王家から賜っているものの、漁業を中心にした穏やかな土地のため、あまり派閥争いに興味もなく社交も特にしない。
だから私と友人になったり、恋人になったりする旨みが彼らには何もないのだ。
まるで住む世界が違うな、と思う。
恋心を今すぐに消すのは難しいけれど、そもそも叶うとも思っていない恋だった。
「アグリアーネ嬢、返却された本を片付けたら本日はもう帰っていいですよ。
戸締りは私がやりますので。」
「はい、わかりました。」
先生の言葉にふぅ…と小さく息が漏れる。
そしてチラリと横目に見た、本の山。
返却された本を定位置に戻すのは何も珍しい仕事でもないけれど、この量を見てはげんなりさせられるのは毎度のことだった。
「歴史書…こっちは文学書…」
「アグリアーネ嬢」
「これは…生物学かな」
「アグリアーネ嬢?」
「ん?っは、はい!?」
「よかった、気がついてくれて。
集中していたところにごめんね?」
本の仕分け作業に集中していたせいでいつの間にか目の前にいた人に気が付かなかった。
慌てて作業する手を止めて、顔を上げて、もう一度止まった。
視界がグランディール様の笑顔でキラキラしていたから。
「は、はい…あ、あ、いいえ?大丈夫です。
い、如何しましたか?」
「驚きすぎ。落ち着いて。」
「……すみません、それで何か困り事ですか?」
「あ、そうそう。
本を探しているんだけど見当たらなくて」
「タイトルはわかりますか?」
「『中世隣国拷問集』ってやつなんだけど」
「なんて?」
「え?だから『中世隣国拷問集』」
優しくて爽やかな貴公子から発せられるとは思えない言葉だった。
一瞬聞き間違いかと思って咄嗟に聞き返してしまったけれど、変わらず。
気を持ち直し、本なのだからきっと様々なジャンルを読んで見聞を広げようとしているのだと考えることにした。
図書室で借りるなよ。とは思うけれど。
「探してまいりますので少々お待ちください」
「あ、俺もついていくよ。」
「え…」
「ん?」
「い、いいえ…わかりました。」
なぜだろう。
いつも見かける爽やかな笑顔なはずなのに、どことなくその笑顔の裏に黒い影を感じてしまったのは。
きっと気のせいだと首を振って図書室の奥にある隣国の本を取り扱うスペースへ向かった。
不思議といつもならちらほら居る生徒の影がその日は一つもなくて、この時にその違和感に気がついていればまた違ったのかもしれない。
「えっと…多分この辺りに…あ。」
棚の一番上。
私の背丈ではギリギリの位置に本はあった。
背伸びをして取ろうとしてみるも周りの本がギチギチに詰まっているせいで抜き出すことは無理そうだ。
諦めて脚立を持ってくるしかないか。
そう思ったところで気がついた。
いつもの彼なら助けてくれるはずなのに、と。
チラッと背後に視線を向けたら、彼は私が棚の一番上に精一杯手を伸ばすところをニコニコと見守っているだけだった。
「取ってあげようか?」
「え?いや…あの…」
そもそも貴方の求めていた本でしょ。とか言いたいことはあるけれど、グランディール様の笑みが、怖くて言える雰囲気にない。
「…脚立持ってくるので大丈夫で…」
「ねぇ」
「つっ!?」
少し距離が取りたくてそう言ったのに、私の手は彼の手によって本棚に縫い付けられた。
抵抗しようとしてもビクともしないし動かそうとするたびに関節が痛む。
吐息が当たる位置にある顔はとても綺麗で、いきなりこんなことをされて怖いはずなのに、身体は素直にドキドキして緊張で頬が熱くなった。
「やっぱり」
「…あ、あの離して…ください」
「アグリアーネ嬢、俺のこと好きでしょ。」
「へ?」
訳が分からず固まる私を見下ろしながら、グランディール様は妖艶に笑うと、突然私の首筋に噛み付いてきた。
痛いし、恥ずかしいし、いきなりこんなことされて混乱しない訳がない。
でも相手が好きな人だからか、不思議と嫌悪感はあまりなかった。現実味もないけれど。
ちゅっと首筋から音がして、思わずビクッと身体が跳ねてしまった。
私の首筋から離れたグランディール様と目が合ったけれど、綺麗な碧いその瞳に影がさしてまるで深海のように暗く見えた。
「ふっ…真っ赤だな。」
「…グランディール様?」
甘い声で腰のラインを撫でられて余計に混乱する。
これじゃ、まるで………
でも、なぜ私?
何これ?何なのこれ?
ぐるぐると思考が回る。
知識がないわけじゃない。
一般的な男女の知識は学園でも習うから。
でもだからこそ分からなかった。
ゾクゾクして、撫でられたところがむず痒くて、それでも力の入らない手でなんとか彼の身体を押したら意外なほどに簡単に離れてくれた。
「俺さ、この前君が日直の時に助けたよね?」
「…は、はい」
「何でお礼に来なかった?」
突然何を言い出すのだろう。
お礼ならその場でしっかり伝えたはずだ。
「お前のせいで掛けが台無しなんだよ。」
「え…」
「『助けたやつが改めて俺のクラスまで何人連続してお礼をしにくるか』」
「えっと…」
「お前でちょうど20人目だったのに。
地味なお前を、この俺がわざわざ声をかけて、助けてやったのにその場のお礼だけで終わる訳ないよな?普通は?」
何を言ってるんだろうこの人は。
私は確かにあの場でお礼を伝えた。
改めてのお礼を考えなかった訳じゃないけど、私が逆の立場だったら、たいしたことしてないのに改めてお礼をされても、しつこく感じる気がして控えたんだけど…。
それが賭けに使われていた?
「で、賭けに負けた俺は殿下に3ヶ月以内に婚約者を連れて来いって言われたんだよ。」
「は…はぁ…それは…」
「お前が直接お礼に来ていれば、なかった話だ。
どう責任を取ってくれる?」
知らんがな。と思った。
聞けば聞くほど私には何も関係がない。
勝手に助けて、勝手に賭けの対象にして、勝手に負けて責任を問われても困る。
むしろ私の方こそ初恋の彼のイメージをどんどん壊されて責任を問いたいくらいなのに。
「だから、お前が俺の婚約者になればいい。」
「はぁ?」
「勘違いするなよ。
お前は俺に惚れてるかもしれないが、俺はお前に興味なんてない。
お前は惚れてる俺の側にいられるし、俺はそこら辺の物分かりの悪い女を仮にも婚約者に置きたくないから…な?丁度いいだろ?」
「…まさか、そのために?」
「察しがいい奴は嫌いじゃない。」
元々人の少ない図書室に来て、さらにその奥に誘導したのか。
何も丁度良くないその話をするために。
「断ってもいいけど、それをしたところで俺はお前のことを周りに話す。」
「なぜ?」
「この俺がお前に惚れてると噂が流れた時お前はどうする?
女子達はこぞってお前を攻撃するだろうな?」
「このっ…鬼畜!!」
「褒め言葉だよ。
地味なお前が否定したところで信じるやつがどれくらい居る?
そもそも最初からお前に拒否権なんてねぇんだよ。」
「でも、この提案を飲んだところで私は…」
「その時は俺が守ってやる。」
そのまっすぐな目に思わず息を呑んだ。
こんな最低な提案をされていると言うのに絆されそうになっている私が情けなかった。
証拠も何もないこの状況で、私が彼に勝てる要素は現時点ではない。
「それに期限はこの学園を卒業まででいい。
契約が終了したら公爵家から金だって払ってやるし、お前の相手も見繕ってやるよ。」
「……わかりました。」
_________
かくして私は初恋の貴公子の裏の顔を知り、拒否権のない偽装婚約者として過ごす日々が幕を開けた。
王家の派閥争いには巻き込まれるし、ギルバートに想いを寄せていた隣国のプリンセスの手の者から誘拐されそうになるし、彼のお家事情に巻き込まれるしで、とても割に合わない、散々な目に遭うことになるのだが…。
「チェルシー?何考えてんの?」
「何でこうなったのかしらって。」
「こっち見ろって。」
「嫌よ。今考え事で忙しいの。」
「チェルシー」
「何…っちょっと…ん…っ離して…っ…てば…ぁ…」
「…は…嫌だね。」
そして再びキスをされる。
ギルバートは約束の通り私がトラブルに巻き込まれるたびに必死に助けてくれたし、守ってくれた。
共に過ごす時間の中で自然とお互いのことを知り、彼からの好意も見えるようになってきて。
ある日突然、彼らしくもない、今にも泣き出しそうな表情を見せてきて「契約を取り消したい」なんて懇願されたのは記憶に新しい。
そして偽装じゃなくて本物の婚約者になった。
今ではすっかりこの通り。
降ってくるキスに溺れてしまいそうだった。
なんだかんだ言っても、どんな裏の顔を見ても、私は最初から彼が好きだから、どんなことでも許してしまうのだけれど。
きっとこれから先も。
そして私は目を閉じた。
最後までお読みいただきありがとうございました。
楽しんでいただけましたら幸いです。
また次の作品でお会いできたら嬉しいです。




