偽りの記憶を持つ少女-見知らぬ騎士が追いかけてきますー
「ここにいたのか!」
夜の居酒屋に響き渡る声。エリーは思わず顔を上げた。
そこには鎧を着た男性が立っている。おそらく騎士だろうか。彼の視線はエリーに向けられていた。
彼はこちらにズカズカと歩みより、エリーの手首を掴んだ。
「私から逃げられると思ったのか!」
「ちょっと……あなた、誰ですか!」
エリーはその手を振り解こうとする。だが、力強い彼の手は簡単には離れてくれない。
はじめて見る人だった。友人でもなければ、客としてきたことがある人でもない。
「私はあなたを知りません。その手を離してください!」
強く言うと、相手の手が震えているのに気が付いた。目を向ければ、縋るような目でこちらを見ている。
「おいおい、だめだろう。女性に乱暴なことをしちゃあ」
キッチンで料理をしていた店主が手を止めて、間に入ってくる。
「君はエリーの知り合いかい?」
店主がそう尋ねる。だが、男性は返事をしなかった。
するりと彼の手が離れた。
「……私のことを本当に知らないのか」
「知らないと言ってるじゃないですか。あなた、誰ですか」
冷たくあしらうと、相手はやっと納得してくれたようだ。
「嘘だろ……」
ずいぶんとショックを受けているようで、片手で口を覆っている。
よく考えたら当たり前の話だ。エリーはただの町娘。相手は国に仕える騎士。接する機会などないはず。そんなことも考えられないほど、その相手に会いたかったのだろう。
騎士は店を見渡す。周りの客はこちらの様子を窺うようにチラチラと視線を向けている。今の状況がわかったのだろう。
「……わかった」
やっと帰ってくれる気になったのか。彼は店の出口まで歩みを進める。一応見送ろうとついていくと、彼はこちらを向いた。
「ボトルをキープしておいてくれ。また来る」
「……はぁ?」
思わず声が零れた。慌てて口を手で覆うが、相手は気にした様子を見せない。
「頼んだぞ」
彼はそう言って店を出ていく。彼がいなくなった後、店に賑やかさが戻った。
エリーはこの街に生まれ、この街で育った。家は居酒屋で手伝いをしながら生活している。今まで平和で特に問題なく過ごしていた。……あの騎士が来るまでは。
「エリー。あの人、知り合いか?」
「知らないわよ」
店主である父親が心配した様子でこちらを見ている。
エリーはふくれっ面でキープするボトルを選ぶ。初対面では失礼だった。だが、客として来るなら話は別だ。
「これなんかいいんじゃない?」
店の中で一番高い酒を選ぶと棚に置いた。
「エリー、お前なぁ」
「ボトルをキープしておけっていたのはあっちよ。どれがいいって言わなかったんだから、いいじゃない。嫌がったらその時に変えればいいんだからさ」
店主は呆れたように息を吐く。エリーはそれに気づかないふりをした。
仕事に戻れば、いつものように夜は更けていった。
騎士が来たのは次の日だった。昨日とは違い、鎧などは脱いで、上等な服を着ていた。身分が高いのだろう。
「いらっしゃいませー」
彼はエリーの顔を見ると、嬉しそうに顔を綻ばせた。だが、エリーはあくまで客の一人として接する。
「酒を」
彼の言葉通り、エリーはキープしてたボトルから酒を注いだ。彼はそれを一口飲むと、目を大きく開いた。
「これは……」
「お気に召さなかったですか?」
「いや……俺の好きな酒だ」
彼は嬉しそうに頬を緩ませた。
本当なのか、口からの出まかせなのかわからないが、文句を言わないのならいいだろう。エリーはそのまま彼から離れようとした。
「エ……君は、名前をなんていうんだ?」
「……エリーですけど」
名前も知らないくせに、昨日はよく怒鳴れたものだ。エリーからの冷たい視線にも動じず、彼は何度もエリーの名前を口にする。
「じゃあ、エリー。私と少し話をしないか?」
「しません。忙しいので」
頭を下げて、エリーは仕事に戻る。彼はもっと話したそうにしていたが、エリーを眺めながら酒を口にしていた。
しばらくしたころ、店主がエリーに声をかけた。
「あの人、人気だねぇ」
見れば、先ほどまで一人で酒を飲んでいたのに、気づけばいろんな客と一緒に酒を飲んでいる。
「エリーちゃん」
常連の客に呼ばれ、彼のいる卓に近づくと、客はにこやかに言った。
「ジェイクは騎士をやってるんだって」
彼の名前はジェイクというらしい。はぁ、と言いながら彼に目を向けると、彼は少し恥ずかしそうに目を逸らした。
「しかも、少し前までは聖女様の護衛をやっていたそうだ。とても強いらしいよ」
聖女様。それはこの国を救った救世主だ。
この国では闇の魔力が至る所で発生していた。それを浄化したのが聖女様だ。聖女様は役目を終え、今は他国に嫁に行ったと噂されている。
今は聖女の護衛としての役目を終え、自由がきくのだろう。だから、こんな街にある小さな居酒屋で時間を潰すことができるようだ。
「へぇ……」
すごい人だと聞いても、初対面の印象が悪すぎて、尊敬の気持ちが湧いてこない。
そう思ったとき、ズキン、と頭に鈍い痛みが走った。だが、痛みはすぐに引く。エリーは不思議に思いながらも、ひらひらと手を振る。
「じゃあ、ごゆっくりー」
話は終わりだと言わんばかりに、卓から離れていく。ちらりと視線を彼に向けてみたが、彼は楽しそうに客と酒を飲んでいた。
夜も更け、閉店時間を過ぎると、客たちは帰っていく。
「お勘定」
ジェイクが声をかけてくる。最初こそ、エリーにかまってほしそうにしていたが、なんだかんだ途中からは店の客と楽しそうに飲んでいた。
「また来ていいか?」
「ボトル、キープしてるんでしょ?」
「実は……あれはもう空けてしまったんだ」
「はぁ?」
「みんないい人ばかりで……みんなで飲んでしまったんだ」
思わず顔が引きつる。あれは店で一番高い酒だ。それを一日で空けてしまうとは。
「……また同じのキープしておく?」
エリーの言葉にジェイクは顔を輝かせる。
「頼む」
彼はそう言うと、ほかの客の分まで勘定を済ませて店を出ていった。
「いい人じゃないか、あの人」
「……そう?」
「ああ。あの堅物のイアンじいさんも心開いていたぞ」
「イアンじいさんが?」
イアンじいさんは店に来ても誰とも接さず、一人で飲んでいるおじいさんだ。店員とも関わるのを嫌がり、いつも同じものしか頼まない。だから、エリーたちも何も聞かず、彼が店に来たら同じものを出していた。
「イアンじいさん、いつもは手を付けない料理もジェイクに勧められて食べていたし、ほかの客とも楽しそうに飲んでいたぞ」
「へぇ」
エリーは彼が座っていた席に目を向ける。気にしないようにしていたが、たしかに彼の席を中心に賑わっていた。彼がまた来たら、客が集まるだろう。
「エリーも毛嫌いせず、ちゃんと接するんだぞ」
「……はぁい」
そう返事をして、ジェイク用に新しい酒を用意する。エリーはジェイクと書いた札をボトルにかけて、棚の上に置いておいた。
一週間後、ジェイクは店に顔を出した。彼の登場に客は嬉しそうに迎える。
「ジェイク来たか!」
「こっちに座れよ!」
「いや、俺たちと飲むんだよ!」
一夜にして、これほどまでに人気になってしまったのか。エリーは苦笑いをしながら、注文を取りに行く。
「ご注文は?」
「みんなと一緒に食べるよ。おすすめ教えてくれる?」
「ジェイク、あれ食べろよ。絶品だぞ」
「あれもいいぞ。エリーちゃん、俺のおすすめ持ってきてくれよ!」
「もう、あれはメニューにないでしょ?」
客はジェイクを取り囲んでガハハと笑う。その様子にエリーも頬を緩めた。
ジェイクが初めて来たときはどうしたもんかと思っていたが、こうやって常連と仲良くしてくれて、楽しそうに飲んでくれるならありがたい。
エリーがそのまま卓から離れようとすると、ジェイクが声をかけた。
「エリー」
「何ですか?」
「今は楽しいか?」
その質問の意図がわからず、首をかしげる。
「まあまあですが」
「そうか。困ったことはないか?」
相変わらず、何が言いたいかわからない。だが、困っていることがあると言えば、一つある。
「最近、よく来る客がお金を支払ってくれないんですよね」
「客が?」
「そう。昔からの常連だから、邪険にしたくないんですけど、さすがにちょっと……って感じで」
悪い人じゃないのだ。きっと理由はある。けれど、もう四回も支払いをもらえていない。そんな簡単に店は潰れはしないが、困りはする。
それをジェイクに伝えると、彼は店を見渡した。
「それは誰だ?」
「あそこの席に座ってる……」
ジェイクはゆっくりと席を立ちあがる。そして、その客のいるところへ足を向けた。
彼は酒を飲みながら、彼の話を聞いていた。何やら熱心に聞いていたので、エリーはその様子を気にしながら仕事をしていた。すると、ジェイクと話していた客が突然泣き出して、ぎょっとした。
「あの、すみません。一体何を……」
慌てて声をかけに行くと、ジェイクが顔を上げた。
「金がないんだとよ」
「へ」
「仕事がなくなってしまったそうなんだ」
客はジェイクの手を拝むように覆って、ポロポロと泣いている。
「仕事を紹介するって言ったら、泣き出して……どうしたら……」
さすがにジェイクも泣いている人には、どうしたらいいかわからないらしい。
「エリーちゃん、ごめんねぇ」
客は泣きながら両手を拝む。
「ずっと言おう言おうと思っていたが、プライドが邪魔して言えなかったんだ」
ジェイクは泣いている客の肩を励ますように叩く。
「今日は俺もお暇するよ。エリー。勘定をお願いしてもいいか?」
彼はその客を連れて店を出る。勘定はその人の分まで済ませていった。
その背中を見て、エリーは呟いた。
「……なんだ。かっこいいじゃん」
次、ジェイクが店に顔を出したとき、エリーは真っ先に彼のもとに行った。
「ジェイクさん」
声をかけると、彼は驚いたように顔を上げた。
「今、私の名前を……」
「この前のお礼。何がいいですか?」
「お礼?」
「うん。常連さんを助けてくれたお礼。何かするよ。何でもとは言えないけど」
ジェイクは驚いた様子で目を瞬かせると、頬を緩ませた。
彼は頬杖をついて、エリーを見上げる。
「じゃあ、私と一緒にでかけてほしい」
「おでかけ? どこに?」
「どこでもいいよ。エリーの行きたいところ。服屋でも飯屋でも隣町でも。どこにでも行こう」
そう言われ、エリーは「うーん」と考える。行きたいところは簡単に思いついた。
「じゃあ、明日出かけましょうよ。汚れてもいい服で来てください」
「汚れてもいい服?」
「はい。朝、店の前で集合しましょう」
それだけ言うと、エリーは仕事に戻る。彼はこちらを気にしている様子があったが、彼が呼んでくる様子もなかったため、それ以上彼に近づかなかった。
次の日、店の前でジェイクは待っていた。その恰好を見て、エリーは唇を尖らせる。
「本当に汚れていい服ですか? 上等な服じゃないですか」
「これ以外に良いものがなかったんだ」
「これだから、お坊ちゃんは……」
エリーは文句を言いながら、荷車に手をかける。空っぽの荷車だから、エリーが持っても重くない。
「それを運ぶのか?」
「うん。隣の村まで」
「じゃあ、私が運ぶよ」
「いいんですか?」
「君よりは力があるからね」
彼がそう言って、荷車を引いてくれる。たしかに力があるようで、彼は軽々と引いていた。
「隣の村に行くと言ったね。何しに行くんだ?」
「食材を受け取るために。いつもは運んできてもらうことの方が多いんだけど、たまには顔を出したくて。お世話になっていますからね」
そう喋りながら歩いていると、不意に彼が足を止めた。
「敬語」
「へ?」
「敬語やめてほしいな」
「でも、あなたの方が身分は上でしょう?」
「それでも」
なぜそんなことにこだわるのかわからない。けれど、変にごねられるのも面倒くさいと思った。
「うん。わかった」
「名前も、さん付けじゃなくて、そのままジェイクと呼んでほしい」
「はいはい。ジェイクね」
そう適当に答えても、彼は嬉しそうに笑う。
「ありがとう」
「…………」
なんだか、その笑顔が見ていられなくて、エリーは目を背けた。
隣の村はそんなに離れていない。街を出てしばらくすると、隣の村が見えてきた。その村では農業が盛んで、広い畑が広がっている。
「あそこが私たちがお世話になっている農家よ」
歩みを進めていくと、村の人が目に入った。彼らはこちらに近づくと手を振ってくれる。
「エリーちゃん。久しぶりだねぇ」
「おじいちゃんも、元気そうで」
村のおじいさんは手を止めて、こちらに来てくれる。
「何か手伝うことはある?」
「いつも悪いねぇ。実は母さんが腰を悪くしてな。母さんの手伝いをしてほしいんだ」
「もちろんよ」
おじいさんはジェイクの方に目を向ける。
「その方は?」
「この人は……」
なんて説明をしたものか。知人にはなったが、親しいわけでもない。店の客だと伝えたら、どうして連れてきたのかという話もなるし……。考えていると、ジェイクが口を開いた。
「エリーの友達です」
「友達ぃ?」
エリーは思わずジェイクを見てしまう。
「何だよ」
「友達かぁ。友達ねぇ……」
二人の様子を見て、おじいさんは楽しそう笑う。
「仲のいい友達だ。じゃあ、君は俺の手伝いをしてくれるか? エリーちゃんは母さんの手伝いをしてきてくれ」
エリーは背の高いジェイクを見上げる。お出かけと言いながら、畑仕事を手伝わせるのだ。普通の男性なら騙されたと思うだろう。
「ジェイク、お手伝いお願いしていい?」
できるだけ、甘えたように言ってみた。効果があるかわからないが。
「ああ、もちろんだ」
ジェイクは当たり前のように受け入れてくれる。彼の厚意に甘えることにした。
「じゃあ、よろしく」
エリーはジェイクを残して、おじいさんの家に向かう。戸を開けると、おばあさんが台所で作業をしていた。
「おばあちゃん、腰が悪いんじゃないの?」
「あら、エリーちゃん。久しぶりねぇ。元気にしてた?」
「もう、無理しちゃだめよ。今日は私が手伝うから」
おばあさんを座らせ、エリーは甕に水を追加したり、料理したりとおばあさんの指示を受けながら作業をしていった。
時折、外の様子を見れば、ジェイクがおじいさんの指示に従って汗をかいている。その表情に曇りはなく、素直に働いているようだった。
気づけば、外は夕暮れになっており、空が赤くなっている。
「ただいまぁ」
土で汚れたおじいさんとジェイクが家の中に入ってくる。
「エリーちゃん。荷車にいっぱい野菜入れておいたからなぁ。持って帰ってくれ」
「わあ、ありがとう!」
エリーはジェイクの方に駆け寄ると、彼を見上げる。彼は汗と土で顔が汚れている。
「大変だった?」
「騎士の訓練に比べたら、それほどでも。でも、畑仕事はいいな。頭を空っぽにして体を動かせる」
強がりでも格好つけでもなく、本当にそう思っているのだろう。彼はすがすがしい表情をしていた。
「へえ……」
エリーはジェイクの顔をじっと見つめる。
「な、なんだ……」
ジェイクは少し顔を赤らめてエリーを見る。
「かっこいいじゃん」
思ったことを口にすると、彼は顔を真っ赤にした。
「な、な……っ」
「言われ慣れてないの?」
「そうじゃない。君に言われたからだ」
真っ赤な顔をした彼にそう言われ、エリーも少し恥ずかしくなる。
「おやおや」
「まあまあ」
おじいさんとおばあさんは微笑ましそうにこちらを見ている。
「そろそろ帰ろうかな!」
エリーがごまかすようにそう言うと、同調するようにジェイクも言った。
「ああ、そうだな! 夜は危ないしな!」
二人が帰ろうとすると、おじいさんとおばあさんはこちらに来た。
「エリーちゃん、また来てね」
「ジェイクさんとやらも。次はもてなさせてね」
二人の声かけにジェイクは目を細める。
「ああ、ありがとう」
村を出るころには、辺りは暗くなっていた。明かりのない夜道は暗く、月明かりを頼りに歩くことしかできない。
荷車を運びながらジェイクが口を開く。
「いつも、一人でこんな夜道を歩いているのか?」
「いつもじゃないよ。たまにかな。こんなに遅くなるのは稀だけど」
「……次から、私を呼ぶといい」
月明かりに照らされて、彼の横顔が浮かび上がる。
「危ないから、私が一緒に同行しよう」
「……じゃあ、またお願いしようかな」
そう言ってみると、彼は顔を輝かせた。
「ああ! いつでも呼ぶといい!」
どうやら彼は頼られるのが好きらしい。今日といい、先日といい、エリーが頼ると嬉しそうにする。変わった人だ。
そんなことを思っていると、彼が真剣な表情をした。
「……誰かがいる」
エリーは視線だけ周りに目を向ける。だが、そこは木々ばかりで人がいる気配がしない。
「エリー。荷車代わってくれるか?」
ジェイクに言われ、エリーは荷車を手に取る。彼は懐に手を入れた。そこには短剣が入っていた。
「ちょっと止まれ」
ガサガサッと音が鳴り、木々の方から二人の男が現れる。彼らの手には剣があった。
「痛い目にあいたくなければ、その荷物を置いていきな」
彼らはニヤニヤと下品な笑いを浮かべながらこちらを見ている。その瞬間、ジェイクが動いた、
「うおっ」
一人の男の手元を狙い、剣を払い落す。そして、もう一人の男の手首を掴むと、捻り上げ、剣を落とした。その男の喉に短剣を当てる。
「動くな。動けば切る」
落とされた剣を拾おうとした男にそう言う。彼は奥歯を噛んで動きを止めた。
「飯に飢えて、こんなことをしてしまったのはわかる。今回は見逃す。もうこういうことをするな」
彼は短剣を光らせ言う。
「次は斬る」
開放すると、男たちは怯えた様子で逃げていった。ジェイクは「ふぅ」と息を吐く。
「エリー。大丈夫か?」
さきほど男たちに怯えられた表情を消して、彼は心配そうにエリーの方に来た。
「大丈夫。ありがとう、ジェイク。強いんだね」
「ああ。守りたい人がいたからな。強くならなきゃいけなかったんだ」
「そっか。……かっこよかったよ」
そう言うと、彼は優しく目を細める。その表情に目が離せなかった。
守りたい人。きっとそれは聖女のことなのだろう。エリーはたまたま一緒にいたから、守ってもらえただけだ。
……きっと、彼は聖女様を守りたかった。
頭に鈍い痛みが走る。エリーは自分の額に触れると、顔を下げた。
……彼のことはどうとも思っていない。
そう言い聞かせるのは何回目になっただろうか。エリーは彼が顔を出さない間、何度も自分にそう言い聞かせていた。
先日、村に行ってから、ジェイクはまだ顔を出していない。次、いつ来るだろうと考えてしまう自分が嫌だった。
「……だって、無理でしょ」
自分はただの町娘だ。相手は騎士。あの身なりや金払いの良さを考えると、貴族である可能性もある。自分とはどう考えたって、釣り合わない。
あの人は客。ただの客。そんなことを考えていると、客の声が耳に入った。
「お、ジェイクじゃないか!」
体がピクリと反応する。目を向けると、ジェイクが入り口に立っていた。
「エリー、久しぶり」
彼は蕩けるような目でエリーを見ている。それを見て、ズキンと頭痛がした。
「……いらっしゃいませー」
目が合わせられない。自分の方を見ないことに気づいたのか、ジェイクはエリーの顔を覗き込んだ。心臓の音が早くなると同時に頭の痛みも強くなっていく。
「どうしたんだ、エリー」
「いや、ちょっと……頭が痛くて」
「大丈夫か?」
彼はエリーの額に手のひらを当てる。温かくて大きな手のひらに、強く頭が痛む。
「大丈夫、大丈夫だから……!」
ジェイクの手を軽く払いのけて、彼から離れていく。エリーはカウンターの陰に隠れると、息を吐いた。
「エリー、どうした?」
「……ちょっと頭が痛くて」
そう言い訳して、ジェイクの接客を他の人に任せた。自分は他の客を接客する。彼は心配した様子でこちらの方をちらちらと窺っていた。けれど、エリーは気づかないふりをした。
「エリー」
閉店間際、ジェイクが声をかけてきた。仕事している間、気にもならなかった頭痛がまたしはじめる。
「何?」
「どうして避ける?」
「……避けてないよ」
嘘だった。意図的にジェイクを避けた。けれど、それで引き下がる彼ではなかった。
「避けているだろう。……私は君に何かしてしまったんじゃないか」
「してないよ。ジェイクは何もしてない」
エリーは黙り込む。すると、店主が声をかけてきた。
「エリー。会計代わるから、ジェイクと話してこい」
気づけば、彼の後ろに列ができていた。エリーはこの場から離れたかった。けれど、ジェイクが素直に帰るとは思えない。
エリーは言葉に甘えて、ジェイクを連れて店の外に出た。
外は真っ暗だった。居酒屋のような店も閉じるころで、普通の店は明かりすら灯っていない。
エリーはジェイクと向き合う。
「ねえ、ジェイク。もう店に来ないでほしいな」
ジェイクはエリーの願いを何でも聞いてくれていた。だが、今回は聞いてくれないだろう。
……初めて会ったときみたいに怒鳴るだろうか。
「なぜ?」
「どうしても。このお願いは聞いてもらえない?」
「……どうして」
そっと顔を上げる。見れば、ジェイクは涙を零していた。
「どうして、君は私から離れようとする」
彼は強く手を握り締める。
「ずっと探していたんだ。君のことを、探していたんだ」
彼はまだ他人と勘違いしていたようだ。エリーは息を吐いて言う。
「私はあなたの探している人じゃないよ」
「いや、君だ。私が探していたのは君だ。ほかの国に行ってしまったんじゃないかと思った。私が知らされていないだけで、他国に嫁いでしまったんじゃないかと、他国まで調べた。だが、君の情報はなかった。……まさか、町娘になっていたとは」
彼は涙を零して言う。
「君に記憶を消されたって、私は思い出せた。……自分の力で思い出せたんだ。君を探し出し、そして見つけた。……エメライン。どうか、思い出してくれ」
彼の表情を見て、強い頭痛がした。頭に血がどくりどくり、とめぐっているように脈を打つ。立っていられないほどの痛みに、エリーはしゃがみ込んだ。
「いた、痛い……」
頭を締め付けられるような痛み。今までに感じたことのないほどだった。目をぎゅっと閉じ、痛みを耐える。
「エメライン……!」
そっと目を開けると、彼は駆け寄ってくる。隣にしゃがみ、顔を覗き込んだ。その心配そうな表情が頭痛を強くする。
「だめだ、私から離れないでくれ、エメライン……っ」
その表情が誰かと重なった。景色が、あの人の呼ぶ声が頭の中で流れる。
……だめ、思い出してはいけない。心の声が聞こえた。
けれど、思い出したいとも思った。思い出さなければいけない。
「ジェイク……」
名前を呟く。頭がぎゅっと締め付けられた。
エリーは大きく目を開く。バチンと弾かれたような感覚。気づけば頭痛はなくなっていた。
ぽろぽろと涙が零れでる。エリーは拭うことなく呟いた。
「……そっか、私」
頭の中に流れてくるのはあのときの記憶。
思い出したくなかった。思い出したかった。
懐かしくて、大切で、かけがえのない……ジェイクとの記憶。
「……ずっと好きだったんだ」
エリー……いや、エメラインは聖女だった。
貴族の家に生まれ、聖女としての能力に目覚めた。国をあげて担ぎ上げられ、聖女としての役割を全うした。
聖女として活動をしている間はよかった。国民のことを救うことができたからだ。闇の魔力をすべて浄化し、聖女としての役割は終わった。……そう思っていた。
――聖女として、他国に嫁げ。
聖女としての役割はそれで終わらなかった。国の象徴として、他国との友好のために利用しようとしたのだ。……ジェイクという恋人がいるにも関わらず。
「エメライン……」
ジェイクは心配そうな面持ちでこちらを見ている。エメラインは彼の方を見た。
「……どうして、記憶を取り戻したの」
「へ?」
「私が消したのに」
「エメライン、記憶が……っ」
「……私を忘れていた方が、あなたも幸せだったでしょう?」
聖女を思い通りにできなければ、ジェイクにも危害が及ぶ。だが、彼がエメラインを忘れてしまえば、危害も及ばず、喪失感を抱くこともない。
「あなたは私と出会わなければ……順調に出世できて、今頃家族もできていたかもしれない。中途半端な魔法をかけてごめんね。……また、記憶を消すよ」
「そうやって、私からまた逃げるのか」
ジェイクは顔を歪める。
「……幸せだったものか」
ジェイクは手を強く握る。
「君のいない生活は違和感だらけだった。何かが足らない。そう焦燥感を抱いて生活していたんだ」
彼はエメラインの手を取る。
「けれど、君との思い出の地に行ったんだ。そこで誰かが隣にいたことを思い出したんだ。私は記憶のかけらを必死に探した。そして、思い出したんだ」
ジェイクはエメラインの手を包み込む。
「もう逃げないで、エメライン。私は君がいなければ生きていけない」
「けれど、私がまた姿を現せば、貴族たちに利用されてしまうの」
「守るよ」
ジェイクは言う。
「次こそ、君を守る」
ジェイクに手を引かれ、立ち上がる。
「君を守るよ。そのために強くなった。それに、また記憶を消されたって、また追いかける。次は決して逃がさない。覚悟しておけ」
彼はそう言ってウインクする。
「私の執念は強いことがわかっただろ?」
エメラインは目を瞬かせると、くすくすと笑った。
「ええ、十分わかったわ」
彼は聖女じゃなくなっても、町娘になっていたとしても、離れなかった。離さなかった。きっと彼からは逃げられないのだろう。
「今度は逃げないわ。私を守って、私の騎士様」
そう答えると、彼は彼女の頬にキスを落とした。




