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異世界転生港区おぢ ── 金なし、地位なし、戦闘力ゼロ。武器は口だけ。──  作者: 八乙女モモ
第2章

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第13話 帰還の代償

 その手紙は、雨の日に届いた。


 広告代理店の件が片付いた、翌朝のことだった。隆之介りゅうのすけ竜宮城りゅうぐうじょうの扉を開けると、土間に一通の便箋が落ちていた。誰かが扉の下から差し入れたらしい。封蝋ふうろうなし。差出人の名前もない。


 便箋を開く。短い文章だった。


『近くレンドールで、ノルデスハイム魔術師協会の博士が講演を行う。次元の裂け目について話すだろう。お前は、この機会を逃すな』


 筆跡ひっせきは、整っていた。男とも女とも判別がつかない、几帳面きちょうめんな筆跡。


 隆之介は便箋を見つめたまま、しばらく動けなかった。


 リーナが奥から出てきて、便箋を覗き込んだ。


「……これは」


「分からない。誰が、いつ、置いていったのか」


「リュウさんを知っている人、ですね」


「『お前』って書き方からして、知り合いっぽいけどな。心当たりはないけど」


 リーナは便箋を裏返した。何も書かれていない。封筒もない。手がかりはなかった。


「……気味が悪いですね」


「同感」


 だが、書かれた情報は無視できなかった。次元の裂け目。「噂」だった話が、急に具体性を帯びてきた。


◇ ◇ ◇


 その三日後、商業ギルドの掲示板に「ノルデスハイム魔術師協会・特別講演」の貼り紙が出た。


『次元論研究の最新成果について 講師:エルゼ・フォン・リヒテンベルク博士』


 パルムが肩の上で、貼り紙の文字を覗き込んだ。


「リュウ……あの手紙のとおりだね」


 隆之介は頷いた。


 「噂」が、目の前に降りてきた。もしかして、元の世界に帰れるのか?


◇ ◇ ◇


 講演会は商業ギルドの大広間で開かれた。聴衆は三十人ほど。半分は魔術師協会の関係者、残りは好奇心で来た商人や学者だった。隆之介とリーナは後ろの席に座った。パルムは肩の上で、こっそり鑑定眼かんていがんを発動させていた。


 壇上に上がったのは、思っていた人物像と違った。


 エルゼ・フォン・リヒテンベルク博士。


 見た目は二十代後半くらいに見える、若い女性だった。腰まで届く銀髪。銀縁の眼鏡。地味なローブを着ているが、それでも整った顔立ちは隠せない。化粧っ気はないが、必要もない。眼鏡の奥の目には、年齢に似合わない知性の光が宿っていた。


 会場の半分が、一瞬ざわめいた。「博士」という肩書きから想像していた老学者の姿ではなかったからだ。ぶっちゃけ普通のメガネ美少女だ。可愛い。


 エルゼがマイクを持ち、講演がはじまった。


「次元論は、長らく『魔術師の妄想』とされてきました」


 博士の声は静かで、低かった。


「異世界の存在を仮定し、その境界を理論化する学問。実証手段がなく、机上の空論扱いされてきた。しかし、ここ三年の研究で、次元の『裂け目』が観測可能であることが分かってきました」


 博士は黒板に図を描いた。二つの円が、わずかに重なる絵。


「これが、世界と世界の境界です。完全に独立しているわけではない。ある条件下で、薄くなる場所が生じる。私たちは、その場所を観測する技術を確立しつつあります」


 会場がざわめいた。学者たちが質問を投げる。


「観測できるなら、開けることもできるのか?」


「理論上は可能です。ただし——」


 博士が一拍置いた。


「裂け目を開くには、莫大な魔力が必要です。人ひとりが持つ全魔力の、千倍以上。複数の魔術師の集団詠唱でも、十分ではありません」


「では、どうやって開く?」


「強い感情に紐づいた魔力なら、増幅できる可能性があります。たとえば、そうですね『元の世界に戻りたい』という、転生者本人の感情とかが必要です」


 隆之介の心臓が、跳ねた。


 パルムが肩の上で、ぎゅっと小さくなっていた。


◇ ◇ ◇


 講演の後、隆之介は博士に直接話を聞きに行った。


 ギルドの応接室。リーナと共に、博士と向き合った。リーナは隆之介が転生者であることを知っている。早い段階で、隆之介自ら明かしていた。


「博士。先ほどの講演で、転生者の感情が裂け目を開く鍵になる、と言いましたね」


「ええ」


「私は、転生者です。日本という世界から、こちらに来ました」


 博士の眼鏡の奥の目が、わずかに動いた。


「……そうでしたか」


「元の世界に戻ることは、可能ですか」


「可能性は、一応あります」


 間を置いて、博士は続けた。


「ただし、金城さん。代償があります」


◇ ◇ ◇


 博士は、慎重に言葉を選んだ。


「裂け目を開くには、転生者本人の魔力源を消費します。あなたの場合、固有の鑑定眼に宿る精霊。いや、失礼、表情から察するに、あなたには鑑定眼がありますね?」


「あります」


「鑑定眼に宿る精霊は、本来、転生時にあなたに付与されたものです。あなたの世界とこちらの世界をつなぐ、ある種の『くさび』として機能している。その裂け目を開くということは、その楔を抜くことです」


 パルムが肩の上で、震えた。


「裂け目を通って元の世界に戻った瞬間、精霊は消えます。あなたが帰る代わりに、精霊が——」


 博士は最後まで言わなかった。だが、意味は明らかだった。


 パルムが消える。


 隆之介は、言葉に詰まり息ができなかった。


 パルムは肩の上で、無言だった。普段の半分以下に縮んでいる。光が、ほとんど消えていた。


◇ ◇ ◇


 博士はゆっくりと続けた。


「もう一つ、選択肢があります。裂け目を開かず、こちらの世界に残ること。その場合、精霊は消えません。これからもあなたと共にいます」


「博士は、どちらを勧めますか」


「私には判断できません。これはあなたの人生の問題です。ただ、一つだけ。多くの転生者を観察してきた経験から言えば、『帰りたい』という気持ちは、時間と共に変わります。最初の一年は強いが、三年でぼやけ始める。十年で——」


 博士はそこで言葉を切った。


「十年で?」


「十年経ったとき、自分が誰なのか、分からなくなる。元の世界の記憶は薄れ、こちらの世界の記憶は濃くなる。『帰る』という言葉の意味が、自分でも分からなくなるのです」


 博士は資料をまとめながら、最後に言った。


「金城さん。あなたは異世界転生から、まだ一年半ほどと聞きました。今ならまだ、『帰りたい』と『残りたい』の選択肢が、両方あなたの中にあります。だが、急ぐ必要はありません。私はあと一週間、レンドールに滞在します。決断は、その間にしてください」


◇ ◇ ◇


 応接室を出てから、隆之介とリーナは無言で炙りあぶりていに向かった。


 パルムは肩の上で、ずっと縮んだままだった。


 石畳の道を歩きながら、隆之介はぽつりと呟いた。


「……俺、帰っても、待ってる人なんていないんだよな」


「本当にそうですか?」


 リーナの声は、いつもの辛辣な響きではなかった。


「え?」


「あんたの世界で、本当に誰も待っていないんですか。それとも、待っていないと思いたいだけですか」


 隆之介は答えなかった。


 答えられなかった、と言ったほうが正確かもしれない。


 リーナはそれ以上、何も言わなかった。雨上がりの石畳を、二人と一匹は無言で歩き続けた。


◇ ◇ ◇


 炙り亭に着いて、隆之介はカウンターに座った。バルドが目で「飲むか」と聞いた。隆之介は頷いた。エールが出てきた。


「リュウ」


 ゴルドが既にカウンターの隣にいた。隆之介が話す前から、何かを察しているような顔だった。


「ゴルドさん。ちょっといいですか」


 隆之介は、講演で聞いたことを話した。次元の裂け目。代償としてのパルムの消滅。一週間の決断期限。


 ゴルドは黙って聞いた。エールを一口飲んで、ぽつりと言った。


「……重い話だな」


「はい」


「リュウ。一つ聞く。お前、帰りたいか」


「分からないんです」


 隆之介は正直に答えた。


「港区のタワマンに、特別な人がいるわけじゃない。仕事はあった。でも、ここを離れたくない理由が、最近、増えてきてる」


「具体的には?」


「バルドのおっちゃんと、ゴルドさんと、リーナさんと、パルム。それから、フローラさんとヴェルクさん、エレナさん、ドルフさん。半年後の評議員会の戦い。書きかけのビジネス。日々、何かが続いてる。続きがある」


「港区には、続きがないのか」


「あった気がする。でも、思い出せない」


 ゴルドはしばらく黙ってから、言った。


「リュウ。お前が帰りたいなら、止める権利は誰にもない。お前の人生だ。だが、決める前に、一つだけ自分に聞け」


「何を聞くんですか?」


「『帰る』ことが目的なのか、『戻る』ことが目的なのか。同じようで違うぞ。帰るのは場所への移動だ。戻るのは、過去の自分への退行だ。今のお前は、もう港区時代の金城隆之介じゃない。そっちに『戻る』ことは、たぶんできんだろう」


 隆之介は黙った。


 ゴルドはエールを飲み干して、立ち上がった。


「考えろ。だが、考えすぎるな。一週間しかないんだろう」


 ゴルドが店を出ていった。


◇ ◇ ◇


 夜。客が引けた炙り亭で、隆之介はパルムと二人きりになった。リーナは「考える時間が必要でしょう」と言って、先に帰った。


 パルムが肩の上で、ようやく口を開いた。


「リュウ……ボク、消えるの?」


「分からない。まだ、決めてない」


「ボクは、リュウが帰りたいなら、消えてもいいよ」


「……」


「だってボク、リュウのために生まれた精霊だもん。リュウが幸せになるなら、ボクは——」


 隆之介は、大声を出した。


「やめろ!!」


 炙り亭の静かな店内に、隆之介の声が響いた。バルドが厨房から顔を出したが、何も言わず、また奥に引っ込んだ。


 隆之介は声を落として、パルムに向かって言った。


「お前、消えていいなんて、軽く言うな」


「リュウ……」


「お前は俺の鑑定眼に宿った精霊だけど、もう道具じゃない。仲間だ。仲間が消える代償で、俺が幸せになるなんて、計算が合わない」


 パルムの目に、涙が浮かんだ。


「リュウ、ボク、嬉しい。すごく嬉しいけど——」


「分かってる。お前を理由に決めるのは、ずるいって言いたいんだろ?」


「……うん」


「だから、お前を理由にはしない。俺自身の理由で決める。ただ、お前が消える選択肢は、もう外した。それだけは決めた」


 パルムは何も言わずに、隆之介の頬に小さな手を当てた。


 涙が、隆之介の頬を伝った。パルムには見えるが、他の誰にも見えない涙だ。


◇ ◇ ◇


 決断の朝。


 博士の滞在期限の最終日。隆之介は、応接室を訪ねた。


「博士。決めました」


「どちらに」


「裂け目を開きません。こちらに残ります」


 博士は静かに頷いた。


「分かりました。理由を聞いても?」


「俺の世界には、続きがあるから」


「あちらの世界ですか?」


「いえ。レンドールです」


 博士は、初めて笑顔を見せた。学者然とした顔が、一瞬だけ柔らかくなった。


「金城さん。私は今まで、十二人の転生者と話してきました。九人が『帰りたい』を選び、二人が『残る』を選び、一人がまだ迷っています。あなたは、『残る』を選んだ三人目です」


「九人は、帰ったんですか」


「いえ。九人とも、最終的に『残る』を選びました。決断のタイミングが違っただけ。みな、こちらの世界で続きを作ってから、決めたのです」


 博士は資料をまとめながら、最後に言った。


「もう一つ。精霊に伝えてあげてください。『あなたは消える存在ではなく、共に在る存在だ』と」


 隆之介は深く頭を下げた。


◇ ◇ ◇


 博士はその日のうちに、ノルデスハイムへ出発していった。


 炙り亭で、隆之介はリーナにエール一杯おごった。リーナは普段は飲まないが、今日は受け取った。


「リュウさん。決めたんですね」


「決めた」


「それは正解でしたか」


「分からない。でも、後悔はない」


 リーナは少しだけ目を細めた。微笑みに近い表情。


「あんたの『分からない』は、最近、誠実な意味になりましたね」


「成長したんだよ」


「九割くらいは信じます」


「結構上がったね」


「残りの一割は、怖いままです」


 パルムが肩の上で、満開の大きさに戻っていた。光が、いつもより明るい。


「リュウ。ボク、これからも一緒だね」


 隆之介はグッと親指を立てて答えた。


「一緒だ。これから死ぬまでな!」


「えっ、それは長すぎるよ! ボク、休みも欲しい!」


 隆之介は吹き出した。久しぶりに、心から笑った。


◇ ◇ ◇


 その夜。竜宮城に戻った隆之介は、机の引き出しを開けた。


 あの手紙が、底に置いたままになっていた。整った筆跡。差出人なし。


 捨ててもよかった。役目は終わったのだから。


 だが、隆之介は捨てなかった。


 便箋を丁寧に折り直して、引き出しの奥に仕舞った。


「……誰なんだろうな、お前」


 答える者は、いない。


 二つの太陽が沈んでいく。竜宮城の窓に、夕暮れが差し込む。


 帰る選択肢を、隆之介は手放した。だが、それは「失った」のではなく、「選び直した」ということだ。


 港区の金城隆之介は、もういない。


 ここにいるのは、レンドールの「リュウさん」だ。

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