第1話 まず飯を食え、話はそれからだ
城壁の街は「レンドール」という名前だった。
石畳の大通り。木造の建物が並び、人々が行き交う。獣の耳を持つ者、青い肌の者、背中に小さな羽がある者——種族の多様性は港区のインターナショナルパーティーの比ではない。
隆之介はキョロキョロしながら歩いた。異世界の景色に感動している——わけではない。
【鑑定眼】が止まらないのだ。
道沿いの露店に並ぶ商品を見るたびに、数字が浮かぶ。
『鉄の剣:市場価値 12,000G この店の販売価格 20,000G 利幅率 67%』
『回復ポーション(低級):市場価値 1,500G 販売価格 4,000G 利幅率 167%』
『干し肉(標準品):市場価値 200G 販売価格 500G 利幅率 150%』
「ぼったくりじゃん。全部」
思わず声に出た。
港区の飲食店だって原価率三十パーセントが相場だ。つまり利幅率は二百三十パーセント程度。それでも高いと言われる。
だがこの街の商売は、それ以上にデタラメだった。同じ商品でも店によって値段が倍違う。価格競争という概念が存在しないらしい。
「てことは——相場を知ってるだけで勝てるってこと?」
ビジネスマンの脳が回転し始める。
だが、その前に解決すべき問題があった。
腹が減っている。死ぬほど腹が減っている。そして所持金はゼロ。
隆之介は干し肉の露店の前で足を止めた。武骨な男が一人で店番をしている。客はいない。
「おっちゃん、暇そうだね」
「……暇じゃねえ。客が来ねえだけだ」
「それを暇って言うんだけど。——なあ、ちょっと聞いていい? その干し肉、一日何個売れる?」
店主は怪訝な顔をしたが、答えた。
「五個くらいだな。良い日で」
隆之介は【鑑定眼】で干し肉を見た。
『干し肉(標準品):市場価値 200G 原材料コスト 120G 1個あたり粗利 380G(販売価格500G時) 1日粗利合計 1,900G』
一日1,900G。日本円で言えば1,900円。六本木のランチ一回分にもならない。話にならない。
だが、隆之介は干し肉そのものではなく、別のことに気づいていた。
この干し肉——塩で固めただけ。味付けという概念がない。保存食としてしか認識されていない。
しかし肉の質は良い。歯ごたえはしっかりしていて、脂のバランスも悪くない。
「おっちゃん、この肉、火で炙ったことある?」
「……なんで干し肉を炙るんだ?」
「いいからいいから。あと、そこの露店で売ってるハーブみたいな草あるでしょ。あれ一束もらえない?」
「お前、金は持ってんのか?」
「ない」
「じゃあさっさと帰れ」
「まあ待って。提案がある」
隆之介は笑った。港区で何百回と繰り返してきた、あの笑顔だ。相手の警戒を解き、「こいつの話、もう少し聞いてみるか」と思わせる笑顔。
「俺がおっちゃんの干し肉の売上を三倍にする方法を知ってる。その代わり、今日の飯を一食おごってくれ。どう?」
店主は隆之介を上から下まで見た。
まともな装備もない。剣も持っていない。魔力の気配もゼロ。どこからどう見ても、ただの怪しい男だ。
だが、こいつの目だけは——妙に自信に満ちている。
「……三倍は無理だろ」
「無理だったら何もいらない。タダ働きでいいよ。でも三倍いったら、明日からの取り分も話させて」
店主は五秒ほど考えて、干し肉を一切れ投げてよこした。
「食え。話はそれからだ」
◇ ◇ ◇
隆之介がやったことは、シンプルだった。
まず、干し肉を薄くスライスした。次に、隣の露店から交渉で手に入れた香草を細かく刻んで肉にまぶした。そして火で軽く炙った。
それだけ。
だが、この世界の食文化は「素材をそのまま食う」が基本だった。調理に手間をかけるのは高級料理店だけの発想。屋台レベルで「ひと手間加える」という概念は存在しない。
炙った干し肉から、香草の混ざった香ばしい匂いが立ちのぼった。
通行人の足が止まる。
「——なにこの匂い」
「干し肉? 嘘でしょ、干し肉からこんな匂いする?」
隆之介は人が集まり始めたのを見て、次のカードを切った。
「はいはい、いらっしゃいませ! 本日限定、『炙り香草ステーキ』!
お一つ500G!」
店主が慌てた。
「おい、名前勝手に変えるな——」
「おっちゃん、いい? これは干し肉じゃない。『炙り香草ステーキ』なの。同じモノでも名前と見せ方を変えれば価値が変わる。港区の……いや、俺の故郷の商売の基本」
一人目の客が恐る恐る買った。
一口食べて、目が丸くなった。
「——うま。なにこれ、うまいぞ!」
その声を聞いて、二人目が買った。三人目が買った。
昼過ぎには行列ができていた。
『炙り香草ステーキ(元・干し肉):販売価格 500G 原材料コスト 150G(香草代含む) 本日販売数 43個 本日粗利 15,050G』
四十三個。普段の一日の約九倍。粗利は15,000G超え。
店主は目を丸くして売上を数えていた。
「……本当に三倍どころじゃねえ」
「でしょ?」
隆之介は満足げに腕を組んだ。この感覚だ。ゼロから何かを生み出す感覚。ビジネスが噛み合う瞬間の快感。港区でも、ここでも、これだけは変わらない。
「——すみません」
声がした。
振り向くと、赤い髪の若い女が立っていた。革の胸当てに短剣を帯びた、冒険者風の格好。
ただし、表情は険しい。
「この屋台、営業許可は取ってますか?」
「え?」
「レンドールの屋台営業規則第十二条。新規の食品販売は、商業ギルドへの届出と衛生検査の通過が必要です。届出なしの営業は違反行為。——罰金50,000G」
隆之介は固まった。
「ちょっと待って。おっちゃんの屋台を手伝っただけだよ?」
「既存の届出は『干し肉の販売』です。加工品は別カテゴリです。『炙り香草ステーキ』は新規の加工食品に該当します」
赤い髪の女は淡々《たんたん》と台帳を確認している。
店主が青ざめた。
「に、兄ちゃん……」
「いやいやいや。ちょっと待って。罰金50,000G? 今日の売上全部吹っ飛ぶんだけど——」
「規則ですから」
隆之介は天を仰いだ。太陽が二つ、相変わらず呑気に光っている。
——法規制。許認可。届出。
地球でも異世界でも、ビジネスの前に立ちはだかるのはいつもこれだ。
「……あのさ」
隆之介は深呼吸して、女に向き直った。
「君、名前は?」
「リーナ。レンドール商業ギルドの臨時取締官」
「リーナちゃんね。聞きたいんだけど——」
「『ちゃん』はやめてください」
「——リーナさん。商業ギルドへの届出って、今から出したら間に合う?」
「審査に三日かかります」
「三日……。じゃあその間、この屋台は?」
「営業停止です」
店主がうなだれた。
隆之介は考えた。港区の脳みそがフル回転する。
「……リーナさん、もう一個聞いていい?」
「なんですか」
「臨時取締官って、正規の職員じゃないよね。臨時ってことは——契約社員みたいなもの?」
リーナの目が一瞬だけ揺れた。
「……それが何か」
「報酬、安いでしょ。見たところ装備もだいぶ使い込んでるし。冒険者やってた頃の借金とか、残ってない?」
リーナの表情が凍った。図星だ。
隆之介は畳みかけなかった。ここで押すのは悪手だと、港区での経験が教えている。追い詰めると人は壁を作る。選択肢を与えろ。
「提案がある。俺、この街でまともに商売がしたい。でも法律も規則もわからない。ガイドが必要なんだ。——商業ギルドの規則に詳しくて、腕も立つ人がいたら、ビジネスパートナーとして組みたいと思ってる」
「……何が言いたいんですか」
「今日の罰金は払う。売上から出す。——でもその代わり、明日から俺のビジネスのアドバイザーになってくれない? 報酬は売上の二割」
リーナは無言で隆之介を見つめた。
胡散臭い。明らかに胡散臭い。装備もない、魔力もない、どこの誰かもわからない男が「ビジネスパートナー」と言い出している。
だが——
この男は、たった半日で屋台の売上を九倍にした。それは事実だ。
「……罰金は必ず払うんですね」
「払う払う。約束する」
「三日後までに届出が通らなければ、即座に営業停止」
「もちろん」
「あと、『ちゃん』呼びは二度としないでください」
「善処する」
「善処じゃなくて確約してください」
「……確約します」
リーナはため息をついた。自分でも信じられないが——こんな怪しい男の提案を、なぜか断る気になれなかった。
「——わかりました。ただし試用期間です。三日間だけ。結果が出なければ終わりです」
隆之介は拳を握った。
金なし。地位なし。戦闘力ゼロ。
だが今、この異世界で初めての仲間ができた。
そして今日の売上から罰金を引いた残金は——。
ゼロ。
完全にゼロ。
しかし隆之介は笑っていた。
「よし。明日から本番だ」
「……これで本番前なんですか」
「当然でしょ。今日はただのテストマーケティングだよ」
リーナは今日だけで三回目のため息をついた。
◇ ◇ ◇
「——で、あんた。名前は? 結局聞いてなかったんですけど」
「金城隆之介。長いからリュウでいいよ」
「リュウ……。ここに来る前は何をしてた人なんですか」
隆之介は一瞬だけ、東京の夜景を思い出した。六本木の灯り。シャンパンの泡。インスタライブの視聴者数。
全部、もうない。
「——ただの商人だよ。ちょっとだけ調子に乗りすぎた、ただの商人」
それは嘘ではなかった。
異世界の夕陽が、二つの太陽を同時に沈めていく。
金城隆之介の新しい商売が、明日から始まる。
お読みいただきありがとうございます!
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作者が港区おぢ並みに調子に乗って更新速度が上がります。
誤字報告も大歓迎です。
隆之介の所持金と同じくらい、作者の注意力はゼロなので。




