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虚ろ舟  作者: tesseract
3/4

Randomness over Creativity

 翌朝、社内の空気はいつもと変わらなかった。

 誰もが自分のモニターを見つめ、ヘッドホン越しに冷却音を聞いている。『キリアクス・ミトス』の話題は、まだどこにもなかった。


 変化が現れたのは、昼前だった。


 共有ダッシュボードの一角で、視聴データが更新される。

 深夜枠にしては、初動が少しだけ高い。だが、それだけなら珍しくない。


 「……維持率、落ちてない?」


 隣の島から、誰かの声が聞こえた。

 通常、AIアニメは一話の前半で視聴者が半分以上離脱する。だが『キリアクス・ミトス』は違っていた。最後まで見た割合が、妙に高い。


 午後になると、海外プラットフォームの数字も伸び始めた。

 翻訳はまだ追いついていない。それでも、再生されている。


 理由は、分からない。


 会議室では、経営陣が小声で話し始めていた。

 「広告、追加したっけ?」

 「してないはずだ」

 「じゃあ、なんで……」


 誰も「面白いからだ」とは言わなかった。

 それは、理由にならない言葉だからだ。


 亜耶伽は自席で、再び第一話を再生していた。

 修正者としてではなく、視聴者として。


 やはり、分からない。

 完璧な構成ではない。説明不足だし、テンポも悪い。理屈で言えば、失敗作に近い。


 それでも、目を離せない。


 夕方、社内通知が出た。

 《『キリアクス・ミトス』、第二期放送決定》


 量産枠では異例の扱いだった。

 同時に、関連グッズと配信展開の検討が始まる。


 誰が作ったのか、という話は出ない。

 必要がないからだ。作ったのはAIで、管理したのは会社。個人名は、どこにも入らない。


 その夜、亜耶伽は帰りの電車でSNSを眺めていた。

 考察、ファンアート、歴史解説。

 人々は、物語の「意味」を必死に探している。


 ――そんなもの、最初からなかったのに。


 彼女は知っていた。

 この作品は、狙って撃たれた矢ではない。無数に放たれた中の一本が、たまたま当たっただけだ。


 だが、当たってしまった以上、世界は理由を求める。


 「神話」

 「新しい物語」

 「時代の象徴」


 そう呼ばれ始めた瞬間、亜耶伽ははっきりと理解した。


 この作品は、もう誰のものでもない。

 そして、この成功は――次の何かを壊す。


 「創造性は、狙った瞬間に死ぬんです」


 その言葉を最初に聞いたのは、社外の勉強会だった。

 参加は任意で、半ば形骸化しているイベントだ。亜耶伽も、ただ業務評価のポイントになるからという理由で出席していた。


 登壇していたのは、大学の研究者だった。

 専門は人工知能と創作理論。スライドには、聞き慣れない言葉が映し出される。


 ――Randomness over Creativity。


 人間は、創造するとき「当てにいく」。

 過去の成功例を分析し、文法を学び、期待される地点を狙って矢を放つ。その結果、矢は的の周辺に集中する。


 一方、AIは狙わない。

 評価も期待も理解もなく、ただ無数に生成する。方向はばらばらで、ほとんどは外れる。だが、試行回数が人間の数百倍、数千倍になれば、必然的に当たりは出る。


 しかも、その当たりは偏る。


 「人間が考えるランダムは、均等なんです。でも本当のランダムは、歪んでいる」


 研究者は、宇宙の画像を示した。

 銀河が密集する領域、何もない虚空、ブラックホール。均一とは程遠い、極端な偏り。


 「創造性も同じです。均された感性からは、均された作品しか生まれない」


 亜耶伽は、その言葉を聞きながら、『キリアクス・ミトス』を思い浮かべていた。

 あれは、整っていない。説明不足で、バランスも悪い。だが、その歪みこそが、人の目を止めた。


 勉強会の後、社内ではこの話題が冗談交じりに語られた。

 「じゃあ、もう人間いらないじゃん」

 「AIにガチャ引かせとけばいい」


 誰も本気ではないように笑った。

 だが、亜耶伽には分かった。経営陣は、すでに理解している。


 狙う必要はない。

 量を撃てばいい。


 その思想は、静かに、しかし確実に現場を侵食していた。


 数日後、彼女は社内資料で見た。

 次期投資計画。

 「企画選定AI」の導入。生成された無数のプロットの中から、放送に値するものを選ぶ役割を、人間からAIへ移すという内容だった。


 修正者の次は、選定者が消える。


 亜耶伽は、ようやく理解した。

 『キリアクス・ミトス』は奇跡ではない。予兆だ。


 創造性が、人の手を離れる瞬間の。

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