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桜エッセイ

桜は散ってしまったけれど、

作者: 千羽稲穂

 この日に桜を撮りに行くぞ、と決めたのに豪雨であっさり散ってしまい、そこから四月のエッセイの書く機会を逃して、幾週か。もうすっかり五月の下旬になってしまいました。

 紫陽花が咲き始め、毎日のごとく雨が降ってくることを懸念してしまい気持ちが落ち着かない上に、雨にさらされた後のように肌も心も粘つく今日この頃。


 みなさま、お元気に過ごされていましたか。

『四月にエッセイを書こう!』と奮起し、書き続けた桜エッセイ、今年は九年目になります。


 何かを話そうとするのにもとりとめくなってしまったり、文字数を稼いだりしてしまい、何回も没にしてしまった末の今年のエッセイになります。

 現在、何回も没しています。

 九年目なのに。

 そう、九年目なのに!

 継続とは力なり、とは何だったのでしょう。


 こんなに書けないとなると、『ライ麦畑の反逆者』というサリンジャーを題材にした映画がぱっと思い出されます。

 サリンジャーは、かの有名な『ライ麦畑でつかまえて』の作者です。彼の半生を綴った映画になります。

 映画の前半でサリンジャーは、日常生活の端々から、作品を取り入れていくシーンがくりだされます。

 昔は、サリンジャー作品の要素を取り込んだ前半場面が好きだったのですが、今は後半が身に沁みます。

 後半、サリンジャーは戦争経験を経て一文字も書けなくなります。戦争のあまりの凄絶さに折れてしまう。そこで、一人の男性に出会います。瞑想を勧められ、そこから一文字、一文字、と書き始め、それら全てを破ります。


「今日は十枚も破れた!」


 嬉しそうに、そう報告するサリンジャー。

 今日は、十五枚、今日は二十枚、なんと今日は三十枚も破れたんだ!……没、没、没、と紙屑を放り投げていく楽しそうな彼。そして、次の原稿も破ろうとした、そのとき。踏みとどまって、破らずに何かを見て、原稿を書き続けます。それが、『ライ麦畑でつかまえて』を再び書き始めるきっかけになったのです。


 没は爽快なものである方が楽しいはず。

 昨年から今年にかけて、私は没にすることが多く、根詰めてしまっていました。ですが、今、ふっと思い出されたこのシーンが私を救ってくれるはずです。

 これも没にしてしまったら、そのときはそのときかもしれません。そのときは楽しく没にします。


 行き詰まったときにすることが私には三つあります。


 まず一つ目は酒を呷る。

 おいおい、酔っ払った頭で書けるのかよ、と突っ込みが入りそうですね。むしろ、酔っ払いだからこそ、間違いを恐れずに書き進められたりします。誤字脱字だらけだろうと、そんなものは後からなんとでもなります。


 大事なのは書く今!


 しかも、酔っ払いという言い訳は何にでも使えます。酔っているから文章と幅も広がり、想像もはるか彼方に。普段は夢見がちな私は、むしろ酔いっぱりの方が理性が働いて居住まいを正します。

 眠気を来さない程度の酒は、一時期の私のマストアイテムでした。まさに酔わなきゃやってられない、です。


 最近で言えば、鳥貴族に行って原稿を書いています。アルコール度数の低い飲料を頼み、焼き鳥をつまみに読書や執筆を美味しくいただきます。ぐいっと一杯のみつつ、がやがいる中で字を書く。

 鳥貴族での文字は美味いんだ、これがまた。しかも、電源がある! しかもしかも、安い! 鳥貴族が第二の執筆故郷になる日も近いかもしれません。


 場所で言えば、二つ目の喫茶店。

 コーヒーを呷りにいきます。酒よりも文字は美味しくはないのですが、仕事帰りに家に直帰せず喫茶店に寄って書きます。空きっ腹ですが、喫茶店という場所が私に執筆欲と読書欲をかき立てる。さすがに夕食前ですのでお腹もぐうたら言ってくるので、たまにケーキを食べたりします。ちょっと太ります。


 読書オンリーな場所ですと、携帯電話を使えない喫茶店の利用をしたりもします。駅近くにある喫茶店はジャズレコードを愛しすぎている店主さんがいて、携帯電話は使用禁止にされています。そこへ行ってレコードに耳を貸しながら読書をする、なんてこともしたり。読書に疲れたら、頭を上げてジャズに黄昏ます。ぼやぼやしているとたまに、はっとする好きな音楽が流れてきて読書どころではなくなったりします。

 その喫茶店は、チーズケーキがとびきり美味しく、季節ごとに多種多様なチーズケーキを楽しめたりします。

 店主さんはつかず離れずの距離感で、そっと料理を出してくれます。頼んでいたチーズケーキの表面はまっさらな雪の原を彷彿とさせるほどの静謐さ。その静謐な台座にゆらゆらと花びらが揺蕩っています。ワインでちょびっと唇を濡らし、チーズケーキの雪の原を盗み取りながら、背徳感をジャズでかきまわす。脳は甘やかに溶けていく感覚を覚えながら、再び甘美な物語の世界へ戻っていく。


 ただ、それでも、書けないときがあります。


 今!


 一週間経っても、二週間経っても、全く進まず、いえ、進んではいるのですが、話したいことがまとまらず、インプットだけは粛々とこなしてしまう。やっぱり本はいいなあ、と思いながらも、定型作業ルーティンとなっている。本当に良いのか? 本当はネタのためにやっているんじゃないのか。気持ちは動いているのか?


 そうしていると時間は刻々と過ぎていきます。全く書けない。没、没、没……ああ、没ってなんて素晴らしいのでしょう。


 書けないときは書けない。どうしたって書けない。書けているけれど、書いているうちに入らない!


 一週間、二週間経つと焦りが積もって参ります。

 SNSではきらびやかな作家仲間たち。

 新刊でます!(書籍化さん)

 1000字書けました!(尊敬しかない)

 更新しました!(毎日)

 完結しました!(十万字)

 いつ私は書けるんだ。

 書かせてくれ。

 今生のお願いだ。


 夜毎に書けなくなる焦燥感は私を追い立て、ついに唸りながら弱音を吐いてしまう。なんなら昨夜「書けなくなるのが怖い」とすら声をあげて泣いてしまった。私は、そう書けないのが怖い。おそらくどんな人よりも。


 一昨年、お世話になった父のようなバーテンダーさんにこう言われたことを思い出します。


「依存だよ」


 では、これは離脱症状なのか。

 依存症には、離脱症状と言う、依存するものから離れるときに起こる身体の症状があります。離脱症状には、手の震え、けいれん、苛立ちや不安などがあり……


 って、ほぼあのバーテンダーさん当てはまってるんじゃない?

 なんだかアルコール依存症気味の人に言われると癪ですので書いてやりましょう。


 だけど、思い返せば、そうしたのは過去の私です。ないと生きていけないほどにしなければ、きっと事をなせない。

 依存であることの何が悪いというのでしょうか。

 これは列記とした、私の生き方。どんな人よりも怖いのは、それほど私が文字や物語が愛しているから他ならない。それを依存だから、と誹謗されるいわれはないのです。


 そうして悲嘆に暮れ、明けぬ夜を過ごし、暗澹たる思いを抱えながら、最終手段の、三つ目の銭湯に行きます。

 銭湯は、本当は作品を書き上げてから行くことにしています。頭を重たくしたまま入るのは、私の定型作業ルーティンではないのです。

 ですが、過去に数度、この定型作業ルーティンを外していることがありました。三月にあるKACAです。三日に一個のお題と短編を書き上げたり、お題が特殊でねをあげてしまい、入るしなかった。案外、銭湯で流れるお湯とともにのんびり頭を整理していると、ぱっと降りてくる。


 ああ、なんてこと。そのシーンは、私の思い描いていたもの!


 そう、神がいることを確信します。


 仕方あるまい、こんなに書けないのだから、行くしかないのか……ともくもくと脳内に雲を浮かばせながら数日。重たい。とにかく重たい。執筆の速度も。身体も。どうして、こんなに重いのでしょうか。本を読んでいても寸胴を頭にもたげているよう。重苦しい煙が黒々と覆っています。


 昼休みを返上して書いています。とにかく書いています。読み返します。だめです。こんなもの見せられません。感想……は見たら書けなくなるので一旦離れました。グロックさんに言ったらまた書けなくなるので、AI全般も離れました。


 早く銭湯に行かなければならない。でも、それも重くて、歩けなくて、行く気がしない。


 本当に書けなくなったらどうしよう。怖くてたまらない。泣きそうになりながら、ベッドに転がります。みんな何千字と日々書いてます。書籍化作家さんなんて、一ヶ月に一冊書けるほどの文量を書いてることでしょう。イベントに向けてみんな必死になっているはず。公募を一緒に頑張る同士は、それ以上に。


 怖くてたまらない。もし過去作以上のものを書けなかったら。今の桜エッセイ以上のネタが浮かばなかったら。来年はどうなるのでしょうか。ネタが浮かばない。まとまらない。

 銭湯は最終手段です。だから、もし、もしですよ、もし行っても書けなかったら……


 私は、どう生きたらいいのでしょうか。


 だから、自然と行く気が起きずに1000字、また1000字と無意味な没を積み重ねていきます。

 没です、没。

 没、没、没、没!

 そこで、冒頭のサリンジャーを思い出しました。

 これも没!

 楽しいかもしれません。

 仕事中に脳内をかきまわして、没を作り上げます。もしかしたら、サリンジャーは私の神様かもしれません。


 最後まで書けました。

 今、すごく清々しい気持ちでいっぱいです。怖くてたまらなかったのに、また書けました。拍手喝采を全国の私から受けています。私は一人しかいないんだけれど。


 思えば長く険しい道のりでした。こうして見直してみると大したことはないのかもしれないと思うほどです。


 今年は桜を見れなかった、から始まり、一ヶ月半。怖くて嘆いた昨夜。長くてつらくて仕方なかった。あまりの怖さにひれふすかと思った。今年も書けたことに乾杯をしたいです。


 ようやく脳内花見をします。なんとかやり過ごせたよ、と思いを馳せます。桜は散りきってしまったけれど、心の中にはすっと桜の光景が過っています。


 そこは今年は行けなかった駅前の喫茶店。私は豪雨の中を歩き、辿り着きます。木製の扉を開けます。店主さんはもじゃもじゃカールの親しみやすくはないけれど、厳しくもない男性。レコード盤を裏返したり、新たなレコードを設置したり。私は席につき、赤ワインとチーズケーキを頼みます。すっと差し出されたケーキには、ひらり、と。

 きっと今食べたらとびきりに美味しいんだろうな。


 桜のチーズケーキ。

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