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筆耕マギーは沼のなか  作者: コイシ直
第17章 マギーと約束

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(17-4)ハーフォードは見舞う

 

「お、起きてたのか。梨食うか」


 病室を覗き込んだハーフォードと少年の目が合った。そのまま王宮魔術師のローブを揺らしながら、銀髪の男はずけずけと室内に入り込んでくる。


 少年は問いには答えず、ただもぞもぞと、白銀の髪を揺らしながらベッドから起き上がった。


「おうおう、食う気まんまんじゃねぇか。いいことだ。子どもは特にいっぱい食っとけ」


 にかっと笑って、ぱちりと指を鳴らす。皿に盛り付けられた梨が現れた。

 一切れを問答無用で少年の口に押し込むと、ハーフォードは椅子を引き寄せてどっかり座る。


「これ、マギーちゃんの実家から送られてきた梨だってよ。お前の伯父(おじ)さんからだな。美味いか?」

「甘い。……初めて食べた」

「そうか。元気になったらマギーちゃんに礼を言っとけよ」

「……他の奴らは?」

「元アシル殿下か? お前と同じく入院中。命に別状はないが、症状が落ち着くまで1カ月くらいはかかりそうだな。こっそりルイーズ殿下が枕元に齧り付いてる。あのお嬢さんの恋も前途多難だな」

「へぇ」


 少年のそっけない返事に、ハーフォードは微苦笑を浮かべる。


「自分から聞いたわりには、興味なさそうねお前」

「だってもう終わった仕事だし」

「お前さ」

「なんだよ」

「これで親の(かたき)は討てただろ」

「……そんなんじゃない」

「そうか?」

「ただの暇つぶし」

「そうか」

「なんだよ」


 ふてくされて、少年は明後日の方を向く。その口に、また梨が押し込まれる。そっぽを向いているわりには嫌がらず、少年は黙々と梨を噛んだ。また一切れ。また一切れ。


「いやぁ、俺も師匠の気持ちが分かるお年頃になっちゃったかぁ、と思ってさ」


 ハーフォードはしみじみと笑いながら、自分の口にも梨を放り込む。


「お、うまいな、これ。さすがアンブルストン産の梨」


 もごもごと行儀悪く感想を言い、時間をかけて一切れを噛み締め、味わい終わった後。ハーフォードは穏やかに尋ねた。


「もし、お前がまだ魔術を使う気があるんだったらさ。俺の弟子になるか?」

「僕、もう十分知識あるもん」

「そうだな」


 ハーフォードは最後の一切れを、少年の口の中に突っ込んだ。


「でも、それ以外のことだって教えてやれるぜ。例えば、自転車の乗り方だとか」


 ごっくん、と少年の喉が大きな音を立てて咀嚼(そしゃく)したばかりの梨を飲み込む。


「はは、慌てんな。まあ、ゆっくり考えろ」


 伸ばした腕でぐしゃぐしゃと乱暴に少年の頭を撫で、そのまま押してベッドに沈める。


「寝とけ。ほんとは体が痛いんだろ。あんまり無理すんな」


 言いながら、ポケットから取り出した何かを、ことりとベットサイドのテーブルに置いた。


「なにそれ」


 問われたハーフォードは、それを持ち上げてみせる。雫型をした小ぶりなガラス細工で、細めの革紐(かわひも)が通されている。


「護符。うちの嫁さんが作ってくれたペンダントトップに俺の魔力を思いっきり込めといた。普通の魔術師からの攻撃くらいだったら、余裕で防げると思うぜ。まぁ、気が向いたら使えよ」

「向かないかも」

「はいはい」

「でも、海の色だ」


 枕に頭を預けたまま、ガラスに釘付けになっている少年の手のひらに、ハーフォードはぽとりとその護符を落とした。そのまま立ち上がる。


「そうだな。きれいで深い青色だな。お前の魔力の色だよ」


 ぽん、っと少年の頭に手を置いてから、(きびす)を返す。そうして部屋のドアノブに手をかけたところで、


「あ、そうだ」


 ハーフォードはひょいっと振り返った。


「お前、名前、本当はなんていうの?」


 さらりと聞いた。少年が、誰にも聞かれたことのないことを。


「あるんだろ。本当の名前」

「……なんで?」

「親父の日記。書いてあるんだろ。お前の名前。俺だったら絶対書くもん」

「……」


 少年は、ばさっと頭から布団をかぶった。


 今まで、誰にも言ったことがない。言ったら、減る気がしたからだ。誰も彼もが、自分からむしり取っていくだけの毎日だったから。


 でも、どうだろう。この男だったら。減らない、かもしれない。


 無遠慮な手で、髪をぐちゃぐちゃにかき混ぜてくる。無遠慮な口で、心にずけずけ踏み込んでくる。面倒くさい。でも……父親って、こんなに大きな手なのかもしれない。悪くは、ない、かも、しれない。 


 ドアの前の気配が、いつまでも消えてくれない。

 静かに待たれている。待たれたことなど、一度もない。


「僕は……ぼくのなまえ、は……」


 自分でもびっくりするくらい、蚊のなくような声が出た。


 言ってもいいんだろうか。信じても、いいんだろうか。

 ねぇ、父さん。



*****


【6月3日】


 深夜3時。シュネーの陣痛が続く。

 無力だ。魔術が役に立たない。祈るしかない。

 落ち着くために、日記を書いている。

 俺が、代わってあげられたらいいのに。

 駄目だ。落ち着かない。シュネーの手を握る。

 ふたりとも、無事でいてくれ。どうか。どうか。


 よかった。よかった。それしかない。よかった。

 大きな産声だった。頑張った。本当によく頑張った。

 息子だ。シュネーと俺の息子。かわいい小さな手。

 ああ。なんてきれいな朝焼けだ。

 幸せしかない。俺たちの子。ありがとう。無事に生まれてきてくれた。


 お前の名前は、レン・テイン。

 シュネーの希望だ。いい名だろう?

 昇る太陽みたいに、俺とシュネーを照らす。

 俺たちふたりの希望の子。

 レン。どうか。どうか。幸せな人生を歩んでほしい。



*****



 大園遊会の終了から3日後。


 マルタ帝国皇弟アシル・エルデム・マルタ殿下の急病による逝去(せいきょ)が発表され、カンティフラス王国から厚い哀悼(あいとう)の意が示された。


 いくつかの国の新聞の一面を飾ったのち、人々は、本当はアシルが急病ではなかったことも、陰に暗殺者の魔術師がいたことも知らず、その不運な王子様のことなど、次第にすっかり忘れていった。




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