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筆耕マギーは沼のなか  作者: コイシ直
第16章 マギーとマリオネットの夜

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(16-6)その少年と操りの糸②

 

 客席フロアから、大きな拍手と称賛の声。マルタ帝国の関係者と招待客たちがショーを楽しんでいる。最後の歌が終わったらしく、客席が少し明るくなる。


 立ち上がって「ブラーボー!」と叫ぶなり、テーブルを離れてステージに駆け上がっていく人がいる。傍若無人なふるまいだけれど、どう見てもマルタ帝国の皇弟殿下だった。


「これからアンコールの歌があるのに……」


 フロアの一番後ろにたたずんで、私は思わず小さくつぶやく。移動魔術が発動されたのが、ちょうど拍手の沸き上がったタイミングで、ほとんどの人は突然現れたアレク少年にも私にも気づいていない。


 ステージの下、右端の壁沿いに控えていた人影が、ステージに駆け出す皇弟殿下の方に数歩近づいて、立ち止まった。ハーフォードさんだ。一瞬だけその視線がこちらに流れてきて、すぐに離れる。


 確実に、アレク少年を意識している。それでいて、見逃している。


 おそらくそれが、今日のハーフォードさんに命じられた仕事だからだ。


 くくっと小さく笑い声を漏らして、少年は肩をすくめた。


「短髪のお兄さんも見て見ぬふりで大変だ。国の言いつけに服従するって、犬の仕事も楽じゃないね。ああ、その感じだと、マーガレットさんもこれから何が起こるのか、知ってるんだね?」

「私は、何も聞いていない」


 きっぱりと、小声で答える。聞かなくても、この状況を考えたら筋道は見える。 


 アレク少年は、自分を閉じ込めた皇弟派の魔術師を、次々に消した。でも、「命じられない限り、殺しはしない」。


 そうして皇弟殿下の一行は、ろくな魔術師を連れず、カンティフラスにやってきた。この国は、優れた魔術師に恵まれている。ここまで魔術体制が充実している国は、他にはない。軍の組織も整っている。きっと守ってもらえると、普通だったらそう考える。

 でも。


 ——カンティフラス王国は、あえて、私が清書した禁術の魔法陣を、この魔術師に使わせようとしている。


 くすくすと笑いながら、少年は言った。


「マルタ皇帝陛下の密命なんだ。自分の地位を脅かす穀潰(ごくつぶ)しの異母弟を消してしまえー、ってさ。カンティフラス側にも交渉済みだし、遠慮なく殺っちゃっていいよ!だって。僕が適任なんだってさ。まぁ、そうだろうね。こういうのは、いつだって僕の仕事だ」


 皇弟殿下は、ステージ上の歌姫に興奮しながら話しかけている。

 冷めたまなざしが、それを見据える。そして、「さて」とぐるりと首を回した。


「こんなにお膳立てしてもらったのも初めてだし、少し派手にやろうかな。よかったら見ていってよ、僕の最後の仕事。じゃあねマーガレットさん、おしゃべりできてうれしかった」


 最後の一言だけ、素直でまっすぐな声で告げて、くしゃりと笑う。


 パチリ、と、その指が鳴った。


 フロアの明かりがすべて消え、真っ暗闇に包まれる。


 甲高い悲鳴、動揺の叫び声、ガタガタバタンっとたぶん椅子の倒れる音。混乱を極めた音がいっせいに重なって、目の前に、無数の魔法陣が重なりながらパッと咲いた。


 睡眠の、中級魔法陣。


 まるで空いっぱいを埋め尽くす、青白い星図みたいだった。

 ぱんっと弾けて、彗星のように尾を引いて、力に満ちた青い光球が四方に散らばっていく。


 星が堕ちてくるようだ。こんな時なのに——なんてきれいなのだろう。


「マギー」


 後ろから小さく低く名前を呼ばれて、飛び上がる。この声を聞き間違えるはずがない。小声で返す。


「フィリアスさん!」


 ばさっと衣擦れの音がして、あたたかい何かに体が包み込まれる。たぶん、ローブの中に抱き込まれた。


「ちょっ、他の人の警護は」

「もう場内ほとんど寝てる。寝かせたままの方が警護対象少なくなって楽」


 あたりが静まりかえる。ローブが私の頭からそっと外された気配がする。


 何も見えない。音を吸い込んでしまったような、底なしの暗闇。自分も黒の中に形なく溶けてしまいそうな恐ろしさがあった。背中にぴったりフィリアスさんがくっついてくれるから、私は私の形を保っていられる。


「さて、本日最後のショーをはじめようか」


 闇を突き抜けるように、弾むような、歌うような、アレク少年の声が響いた。


「まずは、照明」


 1本のスポットライトが、正面から舞台を照らし出す。


 照明スタッフは誰もいない。アレク少年ひとりの魔術がすべてを生み出すショーが始まろうとしている。


「さて、本日の主役をご紹介しましょう。アシル・エルデム・マルタ殿下」


 まばゆい光の中にたたずんで、まるで影のようだ。そこに見えているのは、確かにマルタ帝国の皇弟殿下だった。


 どうしてだろう。立ち方がおかしい。ぎこちなく両手両足を広げて、まるで何かに吊るされているような——


「ああ、明るすぎるな。ちょっと光量を抑えよう。それから、僕にも照明」


 闇の中の少年に、一条の光が当てられる。

 舞台中央のアシル殿下の姿もはっきり見えた。俯いていたその顔が、のろのろと持ち上がる。離れたところに立つ白銀の魔術師を見た。その皇弟殿下の表情には、怒りも驚愕もなく、場違いに思えるほどの無感動で——たいそう美しい人形のようだった。


 ゆっくりと、感情をのせない平坦な声が問いかける。


「こんなことが許されると思っているのか」

「誰の許しが必要なんだろう? あなたの異母兄さんの許可ならもらっているよ」

「……」


 その体のあちこちから上に伸びているのは、銀色に光る長い、


「糸?」


 思わずつぶやく。耳元で、フィリアスさんがささやいた。


「魔紡糸。あいつの魔力と媒介とで作られた糸。刃物ではまず切れない。あれは……特にやっかいなパターンだ。あいつの髪と魔力で紡がれている。普通の魔術攻撃では切るのが難しい」


 皇弟殿下は、魔紡糸に吊り下げられていた。その頭上には、十字の形をした木組みの糸受けが浮かんでいた。何本もの糸の先が結ばれている。


 ——まるで、マリオネットだった。


 アシル殿下は自由の効かない自分の手首からのびた糸を眺めて、かすかに眉間にしわを刻んだ。


「ずいぶん手の込んだ悪趣味な芝居だ。誰か糸を切ってくれませんか」

「マリオネットの糸が切れたら、利用価値はないでしょう? 誰か切ってくれる人はいるかな? では、観客も紹介しようか」


 少年の一言で、客席フロアの何カ所かに、ぼんやり柔らかい明かりが当てられる。私たちの姿も見える程度に明るくなった。フィリアスさんが私をかばうように、斜め前に出る。


 ほとんどの人が、机に突っ伏したり、床に転がったり、深い眠りについているようだった。


 起きているのは、客席脇の壁にもたれ、苦々しそうに腕組みをしているハーフォードさん。部下のジャンニさんは、反対側の壁際にいて、油断ない目つきで周りを見回している。


 マルタ帝国側で起きているのは、3人だけだった。皇弟の側近の男性2人と、カンティフラスに駐在している大使。いずれも顔が蒼白だ。

 側近たちは立ちあがろうと(うめ)いても見えない何かに拘束されているようで指一本動かせず、大使はただ、震えながら座っている。 


「エンダー、これはどういうことだ? 私を助けるつもりはないと?」


 名指しされた大使が、びくりと震えて顔を伏せた。


「無理じゃない? その大使、殿下が始末されるところをしっかり見届けてこいよー、じゃなきゃお前を殺すから、って皇帝陛下から指名されてたし。残りの寝てる人たちは、殿下の味方だよ。寝てるけど。カンティフラス側も助けてくれない。だって、助けない代わりに帝国のセルロ鉱山の採掘権が手に入る約束だから」

「セルロ? あそこの金鉱は掘り尽くされている。クズ石しか出ないはずだ」

「そのクズ石がね、実は魔力を含んだ石なんだよね。魔術が発達してるこの国では、いくらあってもありがたーい媒介石。だからね、この国ではあなたは、クズ石よりも価値がない」 


 くすくすとアレク少年は指摘する。皇弟殿下はただ目を閉じて、深く長いため息をついた。


「さてと、殿下。僕さ、カンティフラスに遊びに来て初めて人形劇を見て、感動しちゃったんだよね。だって、アシル殿下そっくりじゃない?」


 カタカタと、頭上の十字の糸受けがひとりでに動いて、吊られた体がギクシャクと前に3歩進んだ。


「誰かの思惑で踊らされてるだけ」


 ぷらり、と小ぶりな操り人形が、突然鼻先に現れる。とたんにアシム殿下の表情が急変した。声もなく目を見開き、苦しそうに大きく顔を歪める。


「この顔、覚えてるんだね。殿下の一番最初の側近、幼なじみのセリム・エルデくん。あれはダメ、これはダメって口うるさい親友くん。彼が一番あなたのことを思って心配してくれてたのに。バイバイ。あなたの母親に鬱陶しがられて殺されちゃった」


 人形は両手で手を振ってお辞儀をしてから、ひたり、と皇弟の足元に座り込んだ。


「お次は、この人。名前を言わなくても分かるよね。それからこの人は? この人は? この人は覚えてる?」


 呼び出された人形たちが、それぞれの身振りで皇弟にお辞儀をし、足元を囲んでぐるりと座り込む。やがて座る場所がなくなって、人形の上に人形がよじのぼっては腰を下ろす。無数の人形が積み上がり、皇弟の体を埋めていく。


 そして最後の人形だけが、白銀の魔術師の脇に座り込んだ。


 灰褐色の、大きなオオカミ犬のマリオネット。


「この犬だけは、僕は何もしてないよ」


 少年は犬の頭を撫でて、ちらりと私の方を見て、かすかに笑った。


「それでね、このアレクってやつに会ってさ。初めて思ったんだよね」


 胸まですっかり人形に埋まり表情を無くした人に向かって、白銀の少年は、マリオネットのようにぎこちなくお辞儀をしてみせた。


「そんなに殺したかったらさ。自分でやれば?」


「……」


「僕の力が便利だったんでしょ。使いたいなら、あなたにあげる」


 晴ればれと言い捨てて、一つの魔法陣を大きく描き始める。


 私が渡した魔法陣だった。

 素晴らしい速さで、立ち上がっていく。私が描いた文字の、最後からさかのぼって。 


「このあいだのフィリアス・テナントの戦法をそっくり真似することになって、本当にしゃくなんだけど。殿下、王族だし多少は魔術適性あるでしょ。まぁ、激重プレゼントだけど、どうにか受け取ってみてよ」


 ヴェルナン高原で、フィリアスさんは、魔法陣を逆打ちしてみせた。元の効果を、逆転させる使い方。

 それと同じことをしようとしている。


 ——相手の能力を奪う魔法陣を逆転させて、自分の能力を相手に渡す術に。


 アレク少年は、自分の能力をむしりとって、皇弟の身体の中に捨てようとしている。


 私はとっさに、中央のテーブルを見る。ルイーズ殿下が突っ伏して、眠っている。


「アシル殿下のことをもっと知ってみたくって」


 そう小さく恥ずかしそうにつぶやいた顔を思い出す。次に目を覚ましたとき、あのかわいらしい女の子が涙に濡れるのを見たくない。


 いつの間にか横に並んだフィリアスさんが、舞台から目を離さないまま、ぎゅっと私の手を握る。背をかがめるようにして、小さな声が落ちてくる。


「大丈夫。きっと君が思っているようなことにはさせない。だから、泣かないで」

「まだ泣いてない」


 早口になる。答える声の震えを、どうしても止められない。


「うん」

「でも泣きそう」

「うん。それは困る。行ってくる」 


 やさしい声音でつぶやいて、ぽんぽん、っと私の頭をたたく。


 そしてフィリアスさんは、ゆっくりと歩き出した。




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