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筆耕マギーは沼のなか  作者: コイシ直
第16章 マギーとマリオネットの夜

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(16-4)ハーフォードは問いかける

 

「かしこまりました。これからのことは、一夜の(まぼろし)、ということで」


 微笑みとともに慇懃(いんぎん)な一礼を見せたキャバレー・アイリスの支配人に、ハーフォードも硬く頭を下げる。


「理解いただき助かります」

「ご安心ください。お客様のことを外に漏らすようでは、アイリスのスタッフは務まりません。王族のお方でも文壇画壇のお方でも、心ゆくまで堪能いただけるよう、おもてなしさせていただきます」


 王都2区にいくつかあるキャバレーの中でも、一番の歴史を持つアイリス。その支配人室は、家具調度がアンティークで揃えられ、隅々からこだわりが伝わってくる。


 若いころ、いっとき詩人として名を()せていたこともあるらしい支配人は、50代中頃といったところか。長年の客商売で身についた物腰は低く、ひょうひょうとした(たたず)まいからは、癖の強い文化人を相手にしても動じないだろう柔軟さと豪胆さがうかがえる。


 そろって支配人室を出ると、隣の事務所スペースにいた部下の魔術師が立ち上がった。


「じゃぁマギーさん、約束ですよ!」

「わかりました。楽しみにしていますね」


 部下のジャンニ・トンプソン2級魔術師が、デレデレと崩れた笑顔でマギーに念押ししている。

 お前いったい何を約束したんだよ勇者だな、とハーフォードが一気に肝を冷やしたところで、思いがけない声が隣から上がった。


「おや、マギーちゃんじゃないか!どうしたの」

「マルセルさん!お久しぶりです」


 にこにこしながら、マギーが弾けるように腰を上げて支配人に両手を振る。ここにフィリアスがいたら、かわいい、とひっそり噛み締めそうな可憐な笑顔だ。いや、最近の弟の成長っぷりを考えると、嫉妬の一つもしそうな気がする。修羅場にならずに済んでよかった。幸い、フィリアスは現在アシル殿下の身辺を警護していて、あと1時間もすればこちらに向かって出発するはずだ。


「ふたりは面識があるのか?」


 思わず口を挟んだハーフォードに、マギーから「はい!」と元気良く言葉が返ってくる。支配人のマルセルも、穏やかに首を縦に振った。


「彼女の家の古書店に、昔からよく通っていましてね。しかし、まさかマギーちゃんが来るとはびっくりだ。王宮の事務官になったって聞いてはいたけど」

「はい、私も仕事でアイリスに来るなんてびっくり! こちらの魔術師のジャンニさんとさっき到着したところなんです。しばらく事務所に控えさせてもらいますね」

「どうぞどうぞ。お父さんは元気? 最近、こっちの店には来てるの?」

「父なら、明日から2週間くらい王都にいますよ。大園遊会の最終日のパーティーにご招待していただいたから、すっごく張り切ってて」

「それは素晴らしいな。じゃぁ来週、店に顔を出すよ。ひさびさに飲みたいってサイモンに伝えておいてくれるかな」

「はい! マルセルさんの好きそうな本も何冊か用意しておきますね」

「そういう商売っ気、サイモンそっくりだなぁ。財布に金を詰めていくよ」


 和やかに会話が弾むふたりをそのまま残し、ハーフォードはジャンニを連れて事務所を出た。

 目の前の通路が、楽屋廊下につながっている。ちょうどステージではこれからのショーに向け、ウォーミングアップと最終稽古が行われていた。バンドの演奏が、華やかに聞こえてくる。


「今晩の警護に向けて、移動の導線、あらためて確認しとけよ」

「了解っす!」


 打てば響くように返事するジャンニの顔は、まだ少しにやけている。

 ハーフォードは弟の顔を思い浮かべ、一応さりげなく探りを入れることにした。


「お前、マギーちゃんと何を約束したんだよ」

「一緒にケーキを食べる約束を!」

「え」

「このアイリスの斜め向かいにあるケーキショップ、マクデュールって名前なんすけど。めちゃくちゃ美味いんですよ! さっきマギーちゃんと一緒に移動してくる時、食べたいねーって話で盛り上がって!」

「ああ、あの菓子屋な」

「今日は仕事だから食べられないけど、日をあらためて食べましょうねって!っって!!」

「……お前、まさか、店に一緒に食いにいくのか?」

「………誘う勇気がなくてオフィスに買って持っていくね!って約束しちゃったおれがバカ……」

「あー、それ。もれなくマギーちゃんの後ろにフィリアスがくっついてくるな」

「…………知ってた。もうそれでもいい!おれはかわいい女の子とケーキが食べたーーい!」


 魔術と体術の合わせ技を得意とするジャンニ・トンプソンは、勤務4年目の21歳。金茶の髪と深緑の目、鍛えられたしなやかな体を持つ。外見は割といいはずなのに、ケーキが大好きすぎて毎日の消費量が半端なく、百貨店勤務の彼女に見限られたばかりだ。


「こんなタイミングで皇弟殿下が来なかったら……こんなに忙しくなかったら! 今頃おれと一緒にホールケーキを食ってくれる女の子の1人や2人や3人や4人!見つけられてたはずなのに。最悪だ」

「お前、いったい何人と付き合うつもりなんだよ」

「ひとりでいいのに出会えない!おれの未来の奥さんはどこにいるんすかね。ともに生クリームの海に沈んでほしい!諦めない絶対!」

「はは。結婚できたら生クリームで祝ってやるよ。俺の嫁の実家近くの農場のやつな。めちゃくちゃ美味いぜ」

「ああはいはい。いっすねー団長はいっっっつも奥さんとラブラブで」


 ジャンニは若干うつろな目で答える。ハーフォードが嫁自慢をすると、たいていの団員はこんな目になるからまったく気にもならない。団員が死んだ魚の目になろうとも、俺の嫁のかわいさは変わらない。


「だいたいお前さ。マギーちゃんが毎日つけてる青の髪飾り、あれ、うちの嫁さんが作ったんだけど。誰の魔力の色だか知らないわけじゃないだろ」

「そりゃもう魔術科で気付いてない奴いないと思いますけどねっ。テナント閣下の牽制(けんせい)完璧っすけどねっ。眺めて癒されるぐらい、いいじゃないっすかぁ。マギーちゃんとケーキ食べたーい」

「お前……本当に勇者だな。フィリアスに消し炭にされないように気をつけろよ」

「え、消し炭にするってケーキを?おれを?」

「ケーキは無事だろ」

「ケーキが無事ならまぁよかったっす……」


 彼らしい納得の仕方に、ハーフォードは軽く眉と口元をつりあげた。なんせ先日、彼女に「ケーキと私とどっちが大事なの」という残念な捨てぜりふとともに振られた男だ。


 ジャンニはがっくりと肩を落としながらも、その目は鋭い。壁を触り、あらかじめ張っておいた守護結界の様子を確認している。


「めちゃくちゃ重ねがけしてある。3人がかりで張った結界か。警戒厳重っすね」

「そりゃそうだろうよ」

「ですよね。俺の分も上から重ねときますね。今日の業務の危険手当ってもらえます?」

「マクデュールのマカロンでどうだ?」


 ハーフォードは先ほど話題に出たばかりのケーキショップの名前を口にする。


「え、もらえるの?!めちゃ並びますけどあの店」

「こないだ、うちの一番上の娘が大量に買ってきてくれた。マジックボックスに保存してあるから、これを乗り切ったら特別に食わせてやるよ。確かに美味いなあの店」

「おっ!まじで?!長女ちゃんって何歳で?」

「14歳。手ぇ出したら殺す」 

「おれと7歳しか違わなかった!4年経ったらいける!運命感じる!」

「いけねぇよ。お前ほんと消し炭にされるの好きだな」

「団長、娘ちゃん6人いるんでしたっけ。言い寄る野郎を何人殺せば気がすむんです?」

「何人でも」


 いつものようにくだらないことを言い交わしながら、いつも以上に丁寧に、張り巡らせた魔術の状態を点検していく。廊下、楽屋、ロビー。

 

 客席フロアには、大きな丸テーブルが7つ。

 中央のテーブルに、これからアシルとルイーズが座る。テーブルや椅子にも、念入りに守護魔術をかける。尋常ではない強度で。


 魔術に反応して青白く光るテーブルの木目を眺めながら、どうしても脳裏から離れない言葉を反芻(はんすう)する。


「……どうしてルイーズ殿下もお誘いしたのですか?」


 王宮を()つ前、アシルに問いかけた自分の言葉を。

 

 ルイーズとアシルの交流がはじまって、今日で5日目。

 当初の予定では、キャバレー・アイリスはマルタ帝国側の人間だけが楽しむ時間になるはずだった。それが、最終的には、ルイーズまで行くことになっている。


「彼女がとても行きたそうだったから」


 アシルは何でもないことのように言った。滞在の拠点にしている貴賓室のソファーで、優雅に紅茶を楽しみながら。人払いをしていて、部屋にはひとり、ハーフォードが立っているだけだった。

 くつろいだ様子で、アシルはソファーに背を預ける。


「どうして彼女の好奇心を止める必要がある? キャバレーはあなたたちの国の誇るべき文化でしょう。特に今日は、良識ある作家や画家が客席に集められていると聞いている。品行方正なキャバレーショー!不思議な響きですね。でも、今回を逃したら、きっとルイーズ王女には一生足を踏み入れることが許されない場だ」

「失礼ながら、アシル殿下は、お噂とはずいぶん違って見えますね」


 ハーフォードは踏み込んだ。この青年の、(はら)のうちを確かめたい。


「おや、どのような噂かな」

「皇弟殿下は軽率な女好き。物の道理を理解せず、権力と栄光に固執する」

「驚いた。的確だ。アシル・エルデム・マルタはその通りの人間だよ。帝国の中ではそう見えるように生きてきた。ああ、この国はいいな。正直者でも生きやすそうだ」


 くつくつとアシルは笑った。落ち着いた様子で、何かをすっかり諦めたように。


「マルタ帝国でさっきのような正直で的確な物言いをしようものなら、カワード団長の首を()ねよと私の母と一族が息巻くでしょう。でもまあ、あなたを本気で怒らせたら、首が消えるのは母の方でしょうけれど。大昔、あなたはうちの大宮殿を一瞬で半壊させたと聞きました。悪鬼のごとき活躍だったとか」

「大げさな。人を助け出すために、少しばかり壁と守護結界に穴を開けた程度です。17歳の魔術師の小僧にできることなど、たかが知れている」

「その穴のおかげで我々は丸2年、宮殿が使えなくなった。確かに『少し開けた程度』ですね。今のあなただったら、ひとりで壊滅できるのでは?」


 ハーフォードは、ただ首をすくめた。それが事実だったとしても、認める必要のないことだった。 

 アシルはふいに、壁の方へと目を向ける。


「その絵、とてもすばらしい。『星降るマルタ砂漠のオアシス』。ヴァンダイルが描いた本物よりも、よほど星の発色がきれいだ。輝きに見とれてしまう」

「お気づきでしたか」


 これが贋作(がんさく)だということに。アシルは目を細め、絵を味わっている。その裏に貼ってある護符の意味や、自分が命を狙われていることを含めて、すべてを受け入れ、(あらが)わない顔で。


「次期皇帝を狙えるように、って一族こぞって私に教養を叩き込んでくれたからね。絵画はそこそこ詳しいんだ」

「狙っておられるのですか?」

「カワード団長が私の立場だったら、なりたい? 滅びゆく(いにしえ)の帝国の最後の皇帝陛下に」

「お断りですね」

「はは。気が合うね」


 ハーフォードの歯切れの良すぎる返事に、アシルは吹き出した。


「本当にこの国はいいなぁ。何を言っても母上たちの目を気にしなくて済む。呼吸が楽だ。愛らしいお友だちもできたしね。命を狙ってこない友だちなんて、初めてかもしれない。ルイーズ嬢の純真さには癒される」

「あなたのお花さんたちは、友だちではないんですか?」

「まさか。彼女たちにとって、私は親の(かたき)だよ。友だちになりたいなんて、毛頭思えないだろうね。寝首を()きたいと思っているかもしれないけれど」


 知っているんだろう?と言葉に出さずにまなざしだけでアシルは尋ねる。


「昨日、アシル殿下がうちの首相に申し入れたことでしたら、聞いています」

「それが全てだよ。私は、皇弟派に親を殺されて、行き場のなくなった娘たちを保護して連れてきただけだ。安全に亡命できるように。息子たちには金を渡して逃した。たぶん今ごろ、帝国打倒の運動に加わっていることだろう」

「……どうしてそんなことを?」

「単なる反抗期かな。人殺しが好きな母親に表立って反抗する勇気も知恵もないし、自分の腕が伸ばせる範囲でささやかに動くだけの臆病者だ。でも、それも終わる。よかった」


 晴れやかな表情で、アシルは立ち上がる。


「その前に、あなたと話せて光栄だった。かつて我が一族を恐怖のどん底に突き落とした伝説の魔術師ハーフォード。母は当時、あなたの宮殿襲撃の場に居合わせたらしい。今でもその名を聞くたびに震えるんだよね。自由で強いあなたに、実は子どもの頃から憧れていた」


 ハーフォードの前に、手が差し出される。握手を求める手だった。


「カワード団長、今日までの警護、感謝する」


 ハーフォードは自分に伸ばされた手をじっと見た。母親とその一族の虚栄心に飲まれ、望まぬ暗殺の血を勝手に塗り重ねられてきたのかもしれない手を。

 この手を取るかどうか、決める前に。


「ひとつだけ、お伺いしてもいいでしょうか」

「なんだろう」

「ルイーズ殿下のことを、どう思われますか」

「素直でまっすぐなお嬢さんだね」

「もし、あなたが普通のありふれた市民の青年だったら。ルイーズ殿下が、普通の女の子だったら。どうしますか」


「デートに誘う」


 即答だった。


「へえ。どんなデートを?」

「街歩きデートがいいな。犬を連れて、どこまでも適当に散歩する。僕も犬を飼っているんでね」

「誘いたいのは、どうして?」


「だって、あんなにかわいくて聡明で素敵な子、なかなかお目にかかれないじゃないか」


 そう言って、一瞬だけありふれた青年の顔をよぎらせてから、アシルは(はかな)く笑った。




 ハーフォードは、その時の笑顔を思い出す。

 それから、キャバレー・アイリスのステージを見た。

 稽古の終わった踊り子たちが、笑いさざめきながら楽屋に戻っていこうとしている。  

 これからここで、食事とショーが始まる。


 関係者と招待客しかいない、しかもさして広くもないワンフロアのキャバレー。出入り口は楽屋側に2カ所と、店の正面エントランスのみ。


 いったん中に入ってしまえば、皇弟殿下は袋のねずみ同然だ。

 もしハーフォードが暗殺専門の魔術師であれば、間違いなく、今晩を狙う。


 白銀の影が、脳裏によぎる。シュネーの、息子。


 ——きっと、あいつも、そうだろう。





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