(16-3)ルイーズ殿下の運命じゃない王子様
お見合いなんて、受ける気がなかった。
ルイーズ・リラ・ド・カンティフラス。
自分の名前の重さはわかっている。王女である自覚も、王家の一員として正しく生きたい気持ちもある。
でも、100年前ならともかく、いまどき国家同士の王族の政略結婚なんて。時代遅れにもほどがある。
それでも建前として、マルタ帝国皇弟殿下と交流してほしい、1週間でいいから、と頼み込まれ。国際親善の一環のつもりでルイーズはここにいる、のだけれど。
——それにしても、アシル殿下、お顔がよろしすぎませんか?!
これは断じてお見合いではない。ないのだけれど、顔が良すぎて目の前の男からなかなか目を逸せない。
浅黒い肌、彫りの深い華やかな顔立ち。すっきりと通った鼻筋に、黒曜石のように気品ある黒髪と黒い切れ長の目。
まるで恋愛小説の挿絵に出てくる砂漠の国の王子様みたいだ。
というか、本当に王子様なのだが。
ルイーズは、実は恋愛小説が結構好きだ。王立学院の女子の間で大流行しているからと初めて読んだらなかなか面白く、クラスメイトたちが貸してくれる本をこっそり自室で読んでいたりする。気恥ずかしくて家族には内緒にしているけれど、病んでいるくらいに愛の重たい王子様とお姫様の運命の恋物語など、最高じゃないの!と読み耽っていたりする。
というか、自分もお姫様なのだけれど。
では、自分も物語のお姫様みたいになりたいかというと、絶対無理だ。
小説は小説だから素敵なのだ。現実のルイーズには結婚よりもやりたいことがある。
「それにしてもルイーズ殿下はなんとお美しいことでしょう。まるで我が国特産のイエローサファイアのように煌めいていらっしゃる。私の所有している鉱山からも採れましてね。父である前皇帝から3歳の誕生日に贈られた山でして。ぜひ今度献上させていただきたいが、あなたの前では至高の宝石もさぞやくすんで見えることでしょうね。私のそばで輝くのにふさわしい美しさだ」
それに、目の前の男はダメだ。滔々と話している口調が、自分に酔った調子で軽薄すぎる。口先だけの賛美なのが丸わかりだし、あなたがいかに金持ちかなど本当にどうでもいい。ただ、カンティフラス語の発音は完璧で、教養が備わっていそうなことは伝わってくる。
ペラペラよく動く口を眺めながら、それでも顔がいいのが残念すぎる。
だから、ルイーズは、きっぱり告げることにした。初めてのお茶会のあと、少し庭を二人で散歩しているときに。お付きの侍従たちは少し離れたところにいて、声のトーンを落としていれば会話の内容は伝わらない。
「私、大変申し訳ないのですが、あなたと結婚するつもりはございません」
「おや、それはどうして」
相手の反応が少し怖くて目を逸らしていたルイーズは、耳に届いた小声の穏やかな音色に驚いた。うっかり相手の顔をまともに見てしまう。うっすら軽薄そうな笑みを口元に貼り付けているけれど、まなざしはとても冷静に見える。
「王立学院を卒業したら、やりたいことがあるのです」
「やりたいこと?」
「昔から、動物が好きなのです。王家の管理する森林地区で、特定鳥獣保護官になりたいと考えています。そのための訓練も、子どもの頃から重ねております」
「……なるほど。それでか」
低く笑いを含んだ声でつぶやいて、アシルは庭の向こうの建物を仰ぎ見る。
「あそこの窓から熱烈な視線を送ってきている3頭、あなたの犬でしょう?いい笑顔だ」
その視線の先には、2階の窓があった。大きな犬が3匹。大切なご主人を見つけた犬たちが、並んで窓のへりに手をかけて立ち上がり、身を乗り出してルイーズを見ている。こちらからは見えないけれど、きっと尻尾は大きくちぎれそうなくらいに振られている。
「そうです。ふふ。今日も元気ね。あとでブラッシングしてあげたいわ」
一生懸命な犬たちが愛おしくて、思わず自然な笑みがこぼれた。
「いい目標だと思います」
「え?」
「いい夢だ。やりたいことがあるのは良い。叶えられるといい。私に巻き込まれる必要はない」
軽々と、けれど思いがけないことを告げられる。その意図をつかみかねて、ルイーズは小さく口を開けて、まじまじと相手を見つめてしまう。
アシルは目を細めて、まだ犬たちを眺めている。横顔には穏やかで落ち着いた笑みがほのかに浮かんでいる。
「ああ、賢そうな子たちだ。この1週間は……そうですね、友だちになりませんか。一緒に過ごす予定が組まれてしまっていますし。時々、公的な場であなたを軽く口説くまねをしてしまうかもしれませんが……そうしないと口うるさい人間が本国にいるので、ご容赦いただけると助かります」
「お友だち」
「ええ。あなたの大事な犬も紹介してもらえると嬉しいな。私も犬と猫とウサギとカメを飼っているんです」
「まぁ!多彩ですのね」
「そうですね。動物のそばにいると安心します」
その笑みの中に混じったわずかな苦さに、目を奪われる。
——この方は、どんな方なのかしら。
友情のしるしに、とプレゼントされた花束はふんわり明るいピンク色で、ルイーズは内心、ひどく嬉しくなってしまった。いつもは大人に見られたくて、背伸びをした落ち着いた色の服や物を身の回りに揃えているけれど。本当はほんのり心を包み込むような、甘いピンク色はかなり好きだった。
友だちにだったら、なってもいいかもしれない。
友だちだったら、もっと知ってもいいかもしれない。自由奔放そうでいて、実はそうではないのかもしれない、底が見えないあの人のことを。
そう、ルイーズは思ってしまったのだ。
「私のわがままに付き合わせてしまった。本当にオペラをご覧にならなくてよかったのですか?」
気がかりそうに至近距離からアシルに顔を覗き込まれ、ルイーズの心臓が跳ねる。だから、顔が良すぎるのは困る。
「ええ、私、オペラを観る機会に恵まれていて。王立劇場の新作は、いつも、初日前の最終通し稽古を拝見させていただいているのです。今回は、初日にも観劇させていただきましたし」
「そんなに良い作品なのですか?」
「新進気鋭の作曲家が手がけていて、とても素晴らしい出来だと感じました」
「それはよかった。私のお花さんたちも喜びますね」
今日のオペラの昼公演のチケットは、アシルが連れてきた令嬢たちに譲った。アシルは彼女たちのことを、「私のお花さん」と呼ぶ。その割には一切女性たちに近づかず、彼女たちも近寄らず、女性だけで慎ましやかに観光を楽しんでいる。どういうことなのか、一度思い切って聞いてみたけれど、にっこり笑って濁された。
彼のそばには、いつも側近の男性が2人、控えている。アシルの乳母の子どもたちとのことで、こちらもなかなか見目麗しい。
彼らが3人だけで何かを話していると、時折、アシルの表情がリラックスしたものになる。
まさか!とルイーズと侍女たちは色めきたった。
——まさか、アシル殿下は、男性がお好きなのかしら?!
あの大勢の「お花さん」たちは、カモフラージュだったりするのだろうか。
ルイーズはそういう小説も、実は大好きだ。男性と男性の禁断の恋!最高じゃないの!とベッドの中でお布団をかぶって魔導具のあかりをつけて読み耽っていたりする。そういう小説が好きな侍女がいて、こっそり貸してくれるのだ。家族には絶対に、口が裂けても言わないけれど。
「私はあなたの犬たちと遊べる方が楽しみだ」
アシルはもしかしたら禁断の恋のお相手かもしれない側近兄弟を後ろに連れて、ルイーズに魅力的な微笑みを惜しみなく向けてくる。ルイーズは、ついつい離れたところにいる自分の侍女を見てしまう。彼女は、うんうん!と両手を握りしめ、代わりに激しくうなずいてくれる。
——そうよね、何なのかしらこの最高のシチュエーション!
いつも犬たちと遊んでいる広い芝生のエリアにやってくる。オペラより犬と思い切り遊びたい、とアシルが言い出したのだ。
ルイーズは、お利口に座っている愛犬たちを誇らしく紹介する。
「体ががっしり大きいこの2頭は狩猟犬です。こちらの茶色の短毛の子はマッシュ。黒くて少し毛が長いのがチル。少し小柄な白黒のこの子は牧羊犬で、名前はソックス。ほら、足に黒い靴下を履いているみたいな毛並みでしょう?」
「本当だ。ああ、いい子だな」
アシルは慣れた手つきで、犬の顎や首に触れ、背中を優しく撫でて揉みほぐす。
それなりに警戒心のあるはずの犬たちが、すっかり気を許すのもあっという間だった。それからふたりと3匹は、棒やおもちゃで戯れたり、一緒に走ったり。さんざん遊んで最終的に、人間ふたりは芝生に両手両足を投げ出して転がった。
まだ遊び足りない犬たちは、しばらく人間の顔をなめ回し、また走り出してじゃれあっている。
「はは。こちらでこんなに運動するとは思わなかった。楽しいな」
アシルはまだ少し息を弾ませている。
「申し訳ありません、こんな格好、ぜんぜん淑女らしくなくて」
ルイーズも荒い呼吸を整えながら、起き上がる気がしないままに謝った。
「いえ。裏表がなくて素晴らしい」
飾り気のない口ぶりで言いながら、その目は走り回る犬たちを愉快そうに追っている。ルイーズは、自分に言われたのか犬のことを言っているのか、受け止め損ねて思わずたずねた。
「私、犬と同じですか?」
「そうですね。一緒にいると落ち着きます。お、なんだ、マッシュ、もっと遊んでほしいのか。ジャーキー食べるか、ほら、いい子だ」
「……」
身を起こしたアシルが、犬の首に抱きついてじゃれあい始める。ルイーズは、気づかれませんように、と願いながら身を起こす。顔が赤くなっている。
そっと顔を逸らしたその先で、銀髪カール頭の男性が視界の隅に入る。フィリアス・テナント第2魔術師団長。距離を取りながら警護を務めてくれている彼は、なんの感情も浮かべない冷徹な顔で佇んでいる。
——うらやましい。
その言葉が突然浮かんできて、ルイーズは密かにうろたえた。
フィリアス・テナントと、マーガレット・レーン先輩が想い合っているらしいことを知ってから、ルイーズは時々マーガレットのところにおしゃべりしにいった。
正直、テナント団長が恋する人間らしい心を持っていたなんて、にわかに信じられなかったのだ。あのコミュニケーション不全の魔術師と仲良くなれる女性がいるなんて。
団長の心の氷を溶かした秘訣がつかめたら、もしかしてアシムとも、もっと仲良くなれるかもしれない。とっさにそう思ってしまった。あくまで、友だちとして、だ。
そして、ルイーズは、あぜんとした。
テナント団長は、時間が許す限り、控え室のマーガレットのそばに座っている。と言っても時間を浪費しているわけではない。彼自身の書類業務を持ち込んで、その場で次々と片付けている。
一方で、彼女が筆耕書類を1枚仕上げて一息つくたびに、すかさずそっと一言話しかけ、様子を伺いながら、時折さりげなくお菓子を口元に持っていったり、頭をやさしくぽんぽんと撫でたり。彼女の仕事を邪魔しない範囲でかまってスッと引く。そして彼女に向けるまなざしだけが、どこの別人だと思うほど甘い。どう見ても、テナント団長の方がベタ惚れだった。
マーガレット先輩が意図して氷を溶かしたのではなく、テナント団長が勝手に溶けたんでしょうね、となんとなく伝わってくるふたりで、でも見ているだけでも面白いので、ルイーズは勝手に見続けた。
そして、身に染みた。
周りの人間になどまったく興味を示さなかったテナント団長の、意識のど真ん中に、マーガレット・レーンがいる。マーガレットの意識のなかにもテナント団長がいて、彼の好意をくすぐったそうに、嬉しそうに受け入れては、打ち解けた笑顔を返す。
ふたりの心の中に、お互いが自然と住んでいる。黙って並んで座っているだけでも、ふんわり満たし合うような、幸せな気配がする。
うらやましい、と思った。
ルイーズの心の中には、まだ、誰も住んでいない。
——まだ?
ただ、知りたい、と思ってしまった人なら、いる。
——どうしましょう。
誰もいない自分の部屋で、手を固く握りしめた。
マルタ帝国の政情が不安定なことは知っている。あの人は、その要のひとりだ。きっと、いろいろな顔を持っている人。これ以上、知りたいと思ってしまったらいけない。心を許したらいけない。本当は。
なのに、日を追うごとに、知りたい気持ちが膨らんでしまう。
犬たちに見せていたような、取り繕わない落ち着いたあの笑顔。知らなかったらよかったのに。知ってしまったから、もっともっと見てみたいと思ってしまう。
この気持ちの先に何があるのか、たぶんルイーズは知っている。
だから、知らないふりをする。
1週間。たった1週間のお友だちなのだから。
だったら、もう少し、もう少しだけ。近くにいっても、いいでしょう?
明日の投稿はお休みを頂戴します。よろしくお願いします…!




