(2−2)マギーと恋文ミーティング①
夢から目覚めたみたいに我に返ると、閣下は消えていた。私の魔法陣ノートとともに。
すでにもう1冊は持っていかれているので、私の手元に魔法関連の写しは何も残っていなかった。どうやって返してもらえばいいんだろ、とぼんやり思う。
「閣下はもしかして、僕らリス兄妹を餌付けしたいのかな」
私と同じく、よくリスに似ていると言われる兄が笑いながら、テーブルの上、完食して空になっていたはずのパン籠を指差す。
そこには、殻付きのクルミが山盛りになっていた。
疑問符で頭をいっぱいにしたまま寝て、いっぱいにしたまま起きる。
昼休みにコールを魔術師棟の裏庭に呼び出すと、クルミがたくさん入ったパンケーキの包みを差し出した。
「これ、朝ごはんにいっぱい焼いたから、おすそわけ」
「うっわ、ありがたい」
受け取るコールの目の下にはうっすらと隈があった。おとといはなかったのに。覇気がなく、全体的にくたびれている。金髪も、心なしかくすんで見えた。
「寝不足? 栄養ドリンク差し入れた方が良かった?」
ハリー先輩の手紙の透かし魔術紋について、何か進捗があるかを確認しようと思ったのだけれど。呼び出したりして申し訳なかったかもしれない。昨日、閣下に聞ければ良かったのだが、でもあの流れで聞けなかったのは不可抗力だと思う。
力なく首を振りながら、コールは「大丈夫」と言った。どう見てもあまり平気そうには見えない。
「おとといの午後に、魔術師団長会議があって。あの手紙の件が話し合われて、テレンス閣下の預かりになった」
「仕事がはやい!」
おとといと言えば、閣下とここで初めて会った日だ。その日のうちに、手を打ってくれていたらしい。昨日は一切そんなそぶりもなかったのに。
コールはぐしゃぐしゃと短い金髪をかき回して、テーブルに突っ伏した。そのままの姿勢で「はやすぎるんだよぉ」と地を這うような声を出す。
「僕の所属、閣下直属の第2師団でしょ。今回の事情を一番よく知ってるからって、調査班のメンバーにぶち込まれた。ちょうど自分の研究実験が一区切りついたとこだから、それはいいんだけど」
そう言いながら、机に上半身を投げ出したまま、コールは少し身をよじって、左頬を机にぺったりつける。パンケーキの包みに右手を置いて、小さく呟いた。
「火の契約において《加温》」
そのままの姿勢で、ずるりと私の方に包みを押してよこす。引き寄せて、包んでいたワックスペーパーを開くと、しっとりふんわり温められたパンケーキが現れた。私はほくほくと笑顔をこぼす。火にまつわる魔術が得意なコールがいると、あたたかいご飯にありつけてとっても便利なのだ。
「アプリコットジャムを塗ると美味しいんだけど、要る?」
「うん、もちろん」
持参していた瓶を開けて、丸いパンケーキの半分にたっぷりとジャムを載せる。生地の端と端を軽く合わせて半月型にしてから、こちらにのびたままの右手に握らせる。コールはのろのろと横倒しの姿勢のまま、それを口に運んで、
「うっま!」
飛び起きた。猛烈な勢いで、パンケーキが口の中に消えていく。良かった、元気が出たみたいで。
「マギーの兄ちゃんの料理、ほんと美味いよね」
「ありがとう、今度食べにきてよ。シャーリーと一緒に」
「行く。腹いっぱいポトフが食べたい」
ベタ惚れの彼女の名前を出すと、コールの機嫌がさらに上向いた。学生時代の早いうちからコールと付き合い始めたシャーリー・ミルズも魔術師だ。今は、王都第2区役所の魔術管理部で働いている。魔法陣に夢中な一般人の私を面白がって、サークルでいろいろ話しているうちにすっかり仲良くなり、今では一番気心知れた友だちだった。
「今晩、ハリー先輩と例のラブレターの返事の件で会うんだけど、もし良かったら、コールたちも一緒に一杯やる? 林檎亭で、19時から」
「行く」
即答したコールは、「ちょい待って、シャールに連絡する」と言いながら、パチリと右手の中指と親指で軽快な音を鳴らした。目の前に現れた紙に、指先をペン代わりにしてさらさらと何かを書き込むと、再びパチンとフィンガースナップ。紙は消えて、黄色の小鳥が現れた。コールの伝令鳥だ。
小鳥は一度、頭をコールの指に擦り付けてから、軽やかに飛び立った。
魔術師は普通、慣れた魔術に対してフィンガースナップを使うことが多い。よほどしょっちゅうシャーリーと連絡を取り合ってるんだろうなぁ、と、ほのぼのとした気分で、小鳥が消えていった晴天を見上げた。春先の日差しと風が心地よい。
「テラス席で飲むのもいいかもねー。日もだいぶのびてきたし、19時だったらまだ少し外も明るいでしょ」
「それいいな。ようやく一息つける」
コールは深くため息をついて、パンケーキを頬張った。3枚目だ。
「今回の手紙の件、陸軍の第1騎兵隊と連携して調べることになってさ。とりあえず、先方から1名派遣されてきたんだけど、もう、陸軍にありがちな、脳みそまでほぼ筋肉人間」
それはそれは。第1騎兵隊といえば、王都を守護するエリートたちの集まりだ。ハリー先輩の所属する王都衛兵隊の上位にある組織で、運動能力に優れた人たちの集団だった。
判断力にも長けた人たちが多いと聞いているけれど、王宮魔術師にありがちな研究室引きこもり人間のコールとは、確かに相性が悪そうだ。
「おとといの夕方から、捜査だ!ってあちこち引きまわされて。昨日も一日中、街を歩いてさ。もう最悪。今日も昼飯一緒に行こう、って言われたけど、関係者のマギーに聞き込みがあるから、って逃げてきた。夕飯もマギーを口実に早く抜けられるなら、ほんと助かる」
4枚目のパンケーキに手を伸ばすコールに、私はテイクアウト用のドリンクカップを押し出した。
「まぁ、コーヒーでも飲んで、落ち着いて。それで、何かわかったことあった?」
「便箋を売っていた店がわかった。モリスだ」
雑貨の大店だった。いろいろな国の行商から仕入れた品物が並んでいて、ちょっと珍しかったり、小じゃれていたりしつつ、普段使いしやすい絶妙のセンスの雑貨が多い。特に若い女性に人気がある店だった。値段は少しお高めで、他の人へのプレゼントや、日頃頑張っている自分へのごほうびに買っていく女の子が多いと思う。
「モリスの便箋って、そこそこ高いよね? それでラブレターを送るって、気合い入ってるね。そんなにあのハリー先輩を好きなのかぁ……なんかすごいね」
「昨日、店頭から下げさせて全部こちらで買い取ったから、もう手に入らないけどね」
「え、魔術師団の手元にあるの? 私も欲しいあの便箋!」
「流通ルートがすべて分かって、安全性が保障されてから」
「えぇ〜。私、別に悪用しないよ?」
口を尖らせながら、今晩のことを確認する。
「モリスで普通に売ってたってことは、ハリー先輩に手紙を送った女の子が、悪意を持ってあの便箋を使った可能性は低そうなのね?」
「今のところは」
「じゃぁ、今晩は普通にラブレターの打ち合わせだけすればいい? 便箋の調査のことはハリー先輩に黙っておいてもいいよね。先輩に妙な心配をさせちゃって、実る恋も実らなくなったら申し訳ないし」
「いいんじゃないかな。手紙を先輩が受け取った時の状況は、さりげなく確認しときたいけど」
「了解した」
私がパンケーキ1枚食べる間に、残りの6枚がコールのお腹に収まり、空になったワックスペーパーを畳む。
「じゃぁ、今晩19時にね……って」
「返信がきたみたいだな」
ふたり同時に羽ばたきの音に気付き、空を見上げた。ふわりと小鳥の形をしたシルエットが、ふたつ近づいてくる。……ふたつ?
2羽は同時にテーブルに舞い降りた。1羽は黄色いコールの小鳥。もう1羽は……銀色の小鳥?
コールは黄色の小鳥の喉元をなでる。小鳥は「ぴるるるる」と気持ちよさそうにさえずってから、紙に姿を変えた。
「シャール、今晩大丈夫だって。17時には上がれるらしいから、ふたりで先に店に入って席を取っておくよ」
シャーリーからの返信を読んだコールが、頬をゆるませて言いつつ、眉をひそめて銀色の伝令鳥を見る、という器用な芸当を披露した。
銀色の小鳥は、じっと首を傾げて、鮮やかな淡い青の瞳でただ私を見ている。その頭の飾り羽根が、くるんとカールしている。
なんとなく既視感のある雰囲気に、灰色のもじゃもじゃ頭が脳裏をよぎる。私はおそるおそる手を伸ばし、そっと小鳥の頭をなでた。
とたんに鳥は消え、1枚の紙が残った。
紙を取り上げ、文字を見た。
そこには、たった一言、古代ジュール語で、
「同行する」
そして、次の行に、
「PhT」
のぞきこんだコールが、「うわぁ」と、きしむようなため息をこぼした。
「フィリアス・テナント閣下の署名だなぁ……なんでかなぁ……。……5名席を確保しとくよ」
次の投稿は、明日11時ごろを予定しています!
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