(16-2)マギーは予期せず頼られる②
この事態の始まりは、昨日の出勤直後のこと。
魔術研究棟で書類整理をしていた私に、突然の呼び出しがかかったのだ。筆耕業務で緊急案件があるという。
何かと思って小走りで向かった先は、前日からマルタ帝国皇弟一行が滞在している離れの東棟。そこに青ざめた初老のマルタ人が待ち構えていた。先方が連れてきた秘書官長の男性らしい。
「これを、清書していただけないでしょうか」
慌てふためいた様子で差し出されたのは、小さな手のひらサイズの二つ折りカードだった。
中を開くと、
——親愛なるルイーズ王女へ 真心と感謝を込めて アシル・エルデム・マルタ
上にはカンティフラス語で、下にはマルタ帝国語で、それぞれ同じ内容が漆黒のインクで書かれている。かっちりと上下の高さの揃った文字だった。一筆ごとの左右のバランスは多少悪いけれど、見苦しいほどではない。内容的にも愛を伝える文面でもなく、なんだか全体的に落ち着いた生真面目な印象だ。
「ルイーズ殿下に差し上げる花束に添えるカードなのですが、こちらをもっと華やかな遊びのある印象で書いていただけるとありがたく」
「……これは、もしかして、アシル殿下がご自分でお書きになった下書きですか?」
状況的にもしかして、と直感が走ったのだ。でも。手元のカードを凝視する。いい加減な遊び人が、いい加減に書いた文字だとはとても思えない。
「さようでございます。大変申し訳ないのですが、2時間後の初顔合わせに間に合わせたく。本来であれば、このぐらいはこちらの事務官が対応すべきところを……恐縮です」
「今回は、筆耕対応できる方がいらっしゃらないのですか?」
うっかり素直に尋ねてしまった。非難するつもりはなく、純粋に疑問すぎて。秘書官が何人かいるはずだし、その中には綺麗な文字を書く技術を持った人だっているはずだ。
「こちらの国に入った時には2名ほどいたのですが……今は、その、おりません」
あまりに素直でとんでもない返事をもらってしまい、一瞬反応に迷った。今はおりません……って、もしかして、うちの国に来てから逃げてしまったってことだろうか。政情不安定な国から来た外交関係者が亡命申請をすることはたまにあるとは聞くけれど。
結局、私はあいまいに微笑んで、仕事の話を進めることにした。筆耕道具を詰めたカバンの中から、お手製の文字見本帳を取り出す。確かにこれは私にぴったりの案件だな、と急に呼び出された理由を納得しながら。
王宮の筆耕官は、国規定の書体を使って清書するのがメインの仕事だ。その中には飾り文字もいくつか含まれているけれど、バリエーションは少ない。いま私がやろうとしていることは、個人の趣味の領域に足を突っ込んでいる。
「華やかな文字、といっても、何かご希望のイメージはありますか? クラシックで華美な印象を出したければ、無難なところではこちらの飾り文字がおすすめですね。200年ほど前に王家の舞踏会で重用されていた字体です。ただ、ルイーズ殿下にお渡しするお花の印象にも合わせた方が良いとも思いますので……。ちなみに、花束はもう出来上がっていますか?」
そうして運ばれてきた花を見て、私はまた、とまどった。てっきりキザでベタな真っ赤なバラでもあげるのかな、と、なんとなく思っていたのだ。
なのに目の前の花束は、ほんのり淡いピンクのバラと、それより少しだけピンク色の濃いガーベラ。素朴な薄桃色のヤグルマギクと、柔らかい色合いの緑の葉も控えめに合わせてある。
とてもとてもやさしい印象のブーケだった。
公の場所ではいつも冷静で凛とした振る舞いを見せるルイーズ殿下だけれど、学院の中庭でお友だちと話し込んでいる時の横顔は、年相応に幼くて明るかった。あの明るい笑顔の女の子が持ったら、すごく似合いそうなお花だ。
え、これ。もしかして、アシム殿下。けっこう本気なんだろうか、今回のルイーズ殿下とのお見合い。自分の国から若い女の子を10人以上連れてきているのに?
ぐるぐる渦巻く疑問を胸の奥に押し込めて、私は赤みを帯びた金色のインクと、太めの飾り文字を描けるペンを選んで取り出した。
きちんと相手を思って作られたとおぼしき花束には、それにふさわしい文字を書きたい。ルイーズ殿下の髪色に似たインクを見つめながら、頭の中でこれから綴る文字のイメージを浮かべ、口に出してまとめていく。
「あまりごてごてと全体を飾り立てた文字だと、清楚な花束のイメージから離れてしまいそうです。文字のカーブを少し大きく優美に目立たせつつ、細い線も織り交ぜて繊細さを出したいと思います。合わせて、アシル殿下が元々お書きになった文字の印象も多少活かせるように、文字の上下のラインを大きくして」
「いえ、元の文字の雰囲気は残らないようにお願いします。まったく別物の、華やかな仕上がりを期待いたします」
「まったく別物、ですか?」
「はい。アシル殿下は、ご自分の文字を公的な場所に出すのを好まれません」
どうしてだろう、もったいない、真面目な好印象の字なのに。
——どうして、隠すのか。
違和感が、黒いインクのしみみたいに、心にこびりつく。
私はペンを取り、一瞬目をつぶった。イメージを組み立てなおす。皇弟殿下の筆跡をすっかり完璧に覆い隠すような、華やかで、軽やかで、踊るような——まるで、別人のような文字を。
「一度お書きしてみますね」
そうしてまずは下書きのつもりでカードに文字を綴ったけれど、
「素晴らしい!さすがカンティフラス王国の筆耕官殿ですな。芸術的な仕上がりに感服いたします」
一発で食いつくようにOKが出てしまった。拍子抜けしつつ、ほっとする。そしてうっかり口走った言葉がまずかった。
「喜んでいただけて幸いです。このレベルであればすぐに書けますので、」
「なんとありがたい!ぜひお次にお願いしたいものがございまして……」
秘書官長から思いっきり泣きつかれてしまった。そして、臨時の筆耕案件にも即座に対応できるよう、連日控え室に待機することになってしまったのだ。
でも、皇弟殿下直筆の下書きを見たのは、その1回きりだった。ルイーズ殿下に贈るカードだけ。秘書官長の言うとおり、筆跡をなるべく外に見せたくないのかもしれない。にもかかわらず、お見合い相手に贈る言葉だけは下書きを誰かに任せず自分で考えて書くって……なんだか人柄の根っこの部分の良さが透けて見えるような気がして、とても落ち着かない。
そうして控え室の端っこに座って筆耕道具を広げている私を見つけたハーフォードさんは、わずかに驚いた顔をしてから、事情を聞いてからりと納得した。
「まぁ、いいんじゃねぇの。マギーちゃんこっちにいてくれた方が安全だし。俺かフィーのどっちかが必ずいるからさ。で、フィーは? このこと知ってんの?」
「いえ、まだ直接話せてなくて。筆耕科から魔術科に連絡自体は入っているはずなんですけど」
「じゃあ会っていけば? 俺、これからあいつと交代でアシル殿下の警護に入るから。フィーはそのまま外回りに出ちまうから、そこのランチボックスひとつ渡してやりな。あいつ、仕事中は放っておくと食うの忘れるから。マギーちゃんからの差し入れなら確実に食べるだろ」
いつでも誰でも食べられるように、控え室にはランチボックスや焼き菓子が常備されている。それをくいっと顎でしめして、
「手間がかかってしょうがねぇよなぁ。マギーちゃんに世話かけてすまんね。ほんとありがたいと思ってる」
良いお兄ちゃんの笑顔でハーフォードさんは肩をすくめた。
ちょうどアシル殿下とルイーズ殿下の最初の顔合わせがまもなく終わるタイミングだった。天気も良いので庭園でのお茶会になったらしい。
庭に面する外回廊でハーフォードさんを見送って、戻ってきたフィリアスさんを出迎えた。
「マギー」
私を見つけたとたんにまっすぐにこちらに向かってくる。2時間ほど直射日光にさらされたその鼻の頭が少し赤くなっている。
人気のない回廊を並んで歩きながら、私はフィリアスさんを見上げた。
「筆耕科からの連絡、聞きました?」
「うん。君が巻き込まれたことは把握している。むしろ良かった。こっちにいてくれた方が安全」
「ハーフォードさんも同じこと言ってました」
「うん」
一番伝えたいことを真っ先に話せてほっとする。そうすると次に気になることが目についた。
「フィリアスさん、日焼けした?」
「かもしれない」
赤い鼻を指先で軽くこすって、フィリアスさんはわずかに眉をしかめる。
「痛い」
「そりゃこすったら痛いよ!大丈夫?お薬塗る?自分で治せる?」
長い足が急に立ち止まったと思ったら、抱えていたランチボックスをひょいっと片手で取り上げられる。もう片方の手が、私の手を捕まえる。
「君がなでてくれたら治る」
「いやいやまたそういうことを」
言っているそばから強引に手を引かれて、腰をかがめたフィリアスさんの顔に、ぺとんと押し付けられる。上から重ねた大きな手がわずかに青白く光って、
「ほら、治った」
外された手の下から出てきた形の良い鼻は、すっかりいつもの色に戻っている。
「君の手は魔法の手だな」
「いやいやあなたの治癒魔術でしょ」
手品が成功した子どもみたいに得意そうに言われて、私は思わず笑ってしまった。その隙に、ひょいっとランチボックスが私の手に戻ってくる。
「あ、これ、フィリアスさんの分のお昼ごはん。サンドイッチ、美味しいよ」
「うん。わかった。食べさせて」
「……うん?」
周りに人がいないのをいいことに、なんだかずいずいっと壁際に押しやられる。フィリアスさんに上からずいずいっと覗きこまれる。
「食べさせて」
「いや、あの、フィリアスさん、自分の両手が空いてるでしょ」
「空いてない」
どうだすごいだろう、と口元を釣り上げたフィリアスさんが自分の手元に目をやる。確かにある。がっしりとした、何かイボイボのついた、よく分からない黒くて大きな塊が。ついさっきまで空っぽだったフィリアスさんの両手にずっしりと。
「どっから出したの何それ?!」
「ないしょ」
さらりと受け流したフィリアスさんが、私を見据える。アイスブルーの瞳が楽しそうに光っている。
「マギー」
「はい」
「お腹すいた。時間ない。すぐに外に出なくちゃならない。ここを逃したら夜まで君に会えない」
「う。」
ゆっくり静かにたたみかけられて、観念する。箱を開けて、ゆるゆるにほころんだ口にえいやっとサンドイッチを放り込んだ。おねだりされて食べさせる、ってこんなムズムズすることなのか……。
「美味しいな。次」
「うう。」
湧きあがる得体の知れない恥ずかしさを噛み殺しながら、目の前の口元にどんどんサンドイッチを運ぶ。美味しい美味しいと柔らかい声で言われるたびに、ふわふわとした未知のこそばゆさと満足感が胸の中に溜まっていく。単に食べ物を誰かに食べさせることだったら、数えきれないくらいしたことがある。でも、この特別感は初めてだ。
きっとこの人に甘えてもらえてすっごく嬉しいんだ、と、食べ終わる頃には自覚せずにはいられずに。でも、言葉には出せずに、黙ってナプキンで満足そうなフィリアスさんの口元を拭いた。
その時だ。
「まぁ!」
息をのむ声がする。
「テナント閣下……とマーガレット先輩?!」
優美なペールグリーンのアフタヌーンドレスを着たルイーズ殿下が、お付きの人々を数人従えて、これ以上なく目を丸くして立っている。
その腕には、やさしいピンク色の花束が大事そうに抱えられていて、ああ、もしかして、初顔合わせはうまくいったのかな、と、私はすっかり現実逃避した。
「もしかして……おふたり、お付き合いされてらっしゃるの?!」
え、これ、どう対応したら正解なの? 頭の中が真っ白で、まったく言葉が浮かんでこない。私は、とりあえず、フィリアスさんを見た。
フィリアスさんは、落ち着き払ってルイーズ殿下に黙礼する。片腕に黒いボツボツした何かを、片腕に空になったランチボックスを抱える。そのまま私の方に身をかがめたと思ったら、おでこにひとつ口付けを落として、
——ぴゅん、と青白い光を残して消えた。
え?……うっそ!消えた?!逃げた!?それってあり?ないよね?!
「きゃぁぁぁ!」
ルイーズ殿下の方面からいくつも黄色い声が吹き上がる。
私はなんとか踏ん張って、引きつった笑顔を貼り付ける。フィリアスさんが消えた空間を一瞬だけ思い切りにらんだ。
——よーし!今晩は、めちゃくちゃお説教だ!!
あっ!しまった!明朝の投稿分を、今投稿しちゃいました。失敗した……!
明日の投稿はお休みになっちゃいます。失礼しました〜(汗)




