(15-3)マギーはなかなか脱出できない
ゆっくりと目を開ける。真っ暗だった。あったかい。
なんで?どうして?……目覚めたはず、なのに?
たぶん、私は椅子みたいなものに腰掛けている。ほっぺたが、耳が、ぎゅうぎゅうとあったかくて硬い何かに押し付けられている。
ドクドクドクドク。早鐘みたいに何かが脈打つ。
ドクドクドクドク。誰かの……心臓の音?
息を吸い込んだら、嗅ぎ慣れたハーブみたいな、いい匂いがした。
ああ、フィリアスさんの匂いだ。こわばった気持ちがゆるゆる溶けてしまう。
ああ、でもなんでこんなに暗いんだろう。
……ああ? もしかして、これ……フィリアスさんの、ローブの中?!
「フィ、フィーさん、起きた。私、起きた。ねぇ、聞いてる?起きたってば!」
言えば言うほど、ぎゅうぎゅうと体が圧迫される。たぶん魔術師ローブの上から思いっきり抱き込まれている。
「もう大丈夫だから!これローブ?ねえ外そう?」
「……いやだ」
ひさびさに出た!駄々っ子フィリアスさんだ。真っ暗闇の中で、思わずふふっと笑ってしまう。
「いやなの?どうして?」
「……ここから、出したくない。ここなら、危なくない。ずっと、ここにいたらいい」
小さな声が、ぼそぼそと、なんだか泣きそうに震えている。
魔術師ローブの横糸には、あらかじめ守りの魔術紋が編み込まれていると聞く。縦糸に、着る本人の魔力を流して、さまざまな魔術をかけてカスタマイズして、そうして初めて完成する。
フィリアスさんのローブの中は、絶対に安全にちがいない。ここならきっと、悪夢に取り憑かれることはない。でも。
「ずっとここにいたら、フィリアスさんの顔が見られないなー?」
びくり、と座面が動揺して軽く跳ねる。違うな、これ、フィリアスさんのお膝の上だ。膝上抱っこのまま寝てしまって見た夢に、アレク少年が入り込んできたんだな。
「フィリアスさんの顔が見たいなー?」
言いながら調子に乗って、指でフィリアスさんの脇腹らしいあたりを軽く突っついた。くっと腹筋が震える。もうひと押しかな?
「かわいいフィーさんのお顔はどこかなー? お顔が見えなくてさびしいから、代わりに脇腹くすぐっちゃおうかなー?」
「……別にかわいくはない」
ふわっと、横から光が差し込んだ。外の涼しい空気が顔に当たって、私はもぞもぞと頭を外に出した。
完全に体は魔術師ローブの内側に包み込まれたままだった。顔だけフィリアスさんの胸元に突き出しているみたいな状態だ。こういう動物、異国の図鑑で見たことあったな……えっと、袋から顔を出す……コアラの子ども?
私の顔を見たとたん、フィリアスさんの顔がほっとしたように、わずかに歪んだ。
「わあ、フィーさん、お顔がすごい汗」
「ああ……」
ようやく気づいた顔をして、ハンカチで淡々と額を拭う。
「ごめんなさい。無理をさせてしまって」
きっと慣れない精神系魔術を使わせてしまったせいだ。しょげる私に、フィリアスさんは首を横にふる。
「いや。先に君を抱えたまま寝落ちした俺がいけない。それに、別に難しい術を使ったわけでもない。ただ……うかつに無理やり使って、眠りの中にいる君を傷つけてしまわないようにと……怖かった。こんなに緊張したことはないな」
「本当にごめんなさい。ありがとう」
頭を下げる私を、フィリアスさんの食い入るような目が、じぃぃぃぃっ、と穴が開きそうな勢いで隅々まで観察する。
「何もされてないな?」
「うん。大丈夫。話を聞いただけ。アレクとシュネーの話」
「……あぁ」
その顔が歪んだ。心配と不安を煮詰めたような焦りの色が広がる。
「できれば、君には、聞かせたくなかった」
「……聞けてよかった、と思ってる」
「…………そうか」
しぼりだすようにつぶやいて、しっかりと私を抱き直したフィリアスさんに、伝えた。夢で知った過去のことを、できるだけ冷静に、落ち着いて。自分の心から、切り離して。
一言も口を挟まずに聞いてくれたフィリアスさんは、ひとつ、噛みしめるようにうなずいた。
「俺の把握している内容と、合っている」
「そっか。だからフィリアスさん、出張でアンデラに行ったり、うちのお父さんに会いに行ったりしてたんだ。……お父さん、大丈夫かな……?」
目頭が熱くなる。今まで隠し続けていたことを話すには、きっと相当の覚悟と痛みが必要だったはず。うちの父は、バイタリティーの塊で、パワフルでとってもカッコいい人だ。だけど、心が鋼鉄でできているわけじゃない。
「泣いてたよ」
フィリアスさんは私の頭を撫でて、静かに言った。
「マギー、大丈夫かな、って押し殺すように泣いていた。君とおんなじ反応だった。……親子なんだな」
指先が、そっと目のきわを擦って、涙のしずくを丁寧に払ってくれる。私は鼻をぐずつかせながら、胸を張った。
「だって、私のお父さんだもん」
「そうか」
穏やかに相づちをうちながら、ぱちりと指を鳴らす。ざらりとした何かが、私のくちびるに押しつけられる。
「甘いものを食べると、元気が出るんだろ」
ころん、と口の中に転がり込んできたのは、フルーツボンボンだった。さっきお土産の大箱のなかにあったお菓子。懐かしい故郷の味がする。砂糖の膜をしゃりっと噛むと、中からピューレが飛び出してくる。ふんわりと広がったのはりんご味だった。
馬車からみたりんご園の夕焼けを思い出す。家族全員そろったあの日、たいそう嬉しそうにはしゃいでいた父。どんな気持ちであのときの風景を見つめていたんだろう。
「君のお父さん、テンスには自分から話すから、って言いながら、また泣いていた。どうしたらいいのか分からなくて、せめて水分補給にと白ゴマアイスを出したら、猛然と食べ始めて……そこから泣くどころじゃなくなった」
ああ、うん、なるほど。それであの父からの手紙か!
落ち込んだ後の甘いものは、沁みるよね。しかも料理魔法で作られたアイスなんて、好奇心の塊の父に見せてしまったら、それはもう、
「急激にテンションがてっぺんまで上がって、びっくりした。親子だな。膝詰めで矢継ぎばやに質問された」
「で、ですよねー……もうしわけない」
「いや、楽しかった」
「ほんとに?」
「ほんとに。あれこれ思考が湧き出してくる熱量は、君みたいだな。いや、むしろ君がそっくりなのか」
「やめて、私、あそこまで前のめりじゃないよ。って、そうだ!」
思い出して飛び上がる。
「そうだ!魔法!魔法陣!あのね、見てほしい陣があるの。さっきの夢に出てきたんだけど、何か重要なものかもしれない。しっかり覚えているうちに描きたい。すぐ描きたい!知らない文字があって悔しくって。でも絶対フィーさんなら楽勝で読み解けると思う!」
やる気が噴き出した私の頭を、ぽんぽん、っとなだめるように叩いて、フィリアスさんはじわじわと肩から力を抜く。
ほころぶように微笑った。
「魔法陣を勉強しておいてよかった。頼ってもらえてよかった。初めてそんなこと思ったな。あと、君、やっぱりお父さんとテンション似てるだろ」
吹き出したいのを堪えてます、みたいな顔したフィリアスさんにのぞきこまれる。目が合って、息ができない。まばたきもできない。
だって、微笑っている。あの、フィリアスさんが。自然に。
そのまま顔が近づいてきて、おでこにキスが落ちてくる。同時にじわりと何かが体を駆け巡って、私はふるりと震えた。額をとっさに手で隠そうとして、今さら気付く。
どうしよう。顔以外、まだローブの中にしまい込まれたままだった。手を出せない!顔だけ防御力ゼロ!ひゃあ!どうしよう!
目を泳がせて膝上から脱出しようともがいた瞬間、くっとフィリアスさんの胸が揺れた。えっ、もしかしなくても、笑われた?
「動揺してるマギー、かわいいな」
つむじに顔が寄せられる気配がして、またじわりと体が温かくなる。もしかして、キスと一緒に、
「守護魔術、かけてる……?」
「これが一番効率良い。あと、マーキングがわり」
とんでもないことを言い出したかと思うと、再びおでこに口づけと守護魔術が降りてくる。
「もっ、もういいと思う!」
「まだ。ぜんぜん足りない」
わずかに楽しそうな調子が混じったと思ったら、くちびるが軽く重なった。そこだけ、守護魔術がなくて。
ただの、本当の、キスだった。
至近距離でつぶやかれる。
「君は、誰にもやらない。あいつになんか、絶対やらない。あと、アレクにも負けない」
なにそれ。ずるい。
そんな真剣な顔になってずるい。
私だけこんなに全身ふわふわでへにょへにょなのに。いきなり凛々しくなるとか……ずるい、悔しい、うれしい、かっこいい!
発作的に、伸び上がる。キスっぽいのをすばやく一発お見舞いしてやった。どうだ!見たか!やられっぱなしでなるものか!ちょっと口より下にずれちゃったけど気にしない!
そのまま勢いよくフィリアスさんのお膝から飛び降りる。
「……ぇえ?」
一瞬にして、フィリアスさんの体がぐらりと傾く。ぱたんとソファーに仰向けに倒れる。そのまま、ふにゃりと溶けた。
「……ぇぇぇぇ」
うめきながら片手で顔を覆って、ふにゃふにゃ悶えている。どうしよう。フィリアスさんが壊れた。骨抜きになるって文字どおりこういうこと?!
困った。これ以上壊れちゃったら、本当に収拾がつかなくなりそうだ。だいたい、ここ、今さらだけどそういえば執務室じゃない?!
「フィリアスさん、ほ、ほら、起きよ!」
「むり」
「お仕事に戻ろう!」
「むり。君がかわいすぎるのが悪い。むり」
「先にマーキングしてきたのフィーさんでしょ!」
「もっとマーキングしてくれたら起きる」
「もうむり」
「俺もむり」
悶えるフィリスさんを視界から押し出して、自分の机にたどりつき、とにかく忘れた。無かったことにした。
夢の中で見た魔法陣を描き起こしはじめる。
描き終えても、溶けてしまったフィリアスさんはなかなか元に戻らない。溜まっていた承認待ちの書類チェックがまったく進まない。私は大いに反省した。本当にダメだ。もう二度と執務室ではお膝に乗らない。
「フィリアスさん?」
「むり」
「もうそれはいいんですけど。後でちゃんと書類チェックしてくれたらそれで」
「うん」
「たぶん、私、うちに帰ったら、思い出して大泣きしちゃうと思うので」
フィリアスさんが真顔でむくりとソファーから起き上がる。
「そしたら、ぎゅっとしてもらってもいいですか?それから、フィリアスさんのアイスも要求する!」
描き終えた魔法陣の紙をフィリアスさんに差し出しながら、私は笑った。ちゃんと笑えていた、と思うのだけれど。
「すごくすごく……忘れられない夢でした」
都合で明日は投稿をお休みさせていただきます。
よろしくお願いします……!




