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筆耕マギーは沼のなか  作者: コイシ直
第15章 マギーとアレクの夢

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(15-1)アレクの夢①

 

 野バラの丘のてっぺんに、私だけが立っている。


 周りをぐるりと見渡す。花びらのほんのりした薄紅色。瑞々しい葉っぱの緑。見たかった風景のはずなのに、どうしようもなくさびしくなる。


 フィリアスさんは、どこだろう。


 引き返して探してみよう。背高のっぽで銀色ふわふわ頭のフィーさんは目立つ。はぐれても、すぐに見つかるはず。


 くるりと踵を返して、でも、そのまま一歩も進めなくなった。


 ——足元に、人がいる。


「そんなにがっかりした顔しないでよ。どうせ夢の中じゃない」


 しゃがみ込んで、バラの花をひらひらと指で弄びながら、白銀の長い髪が笑って揺れる。


「あなたは」

「うん、アレクだよ。遊びに来ちゃった」


 パチン、と指を鳴らしながら、少年のようにも少女のようにも見える小柄な魔術師は立ち上がる。

 いきなり記憶が一気に頭の中で膨れあがって、一瞬、呼吸を忘れた。


 そうだ、私は、姿を変えたこの人と、前に図書館で会っている。


「この間のフルーツケーキ、ありがとう、美味しかった!」


 ハリー先輩にあげようと思ってかばんに入れたのに、見当たらなくなっていたお土産のケーキ。

 ……なるほど、この人が持っていったのか。


「レット語のエッセイも、あっという間に読んじゃった。マングローブのカニの捕まえ方、すごいね。びっくりするね。網にエサをつけて半日置いとくって、無駄に時間がかかってしょうがないよね。魔術を使えば一発で獲れるのに。そもそもカニって足がいっぱいで奇妙だよね。食べる部分も少なそう。なのに、何でそこまでして食べたいんだろう?本当に人間ってよく分かんない。でも、船には乗ってみたい。大きいやつ」


 私は深呼吸した。不思議と、まったく怖くなかった。フィリアスさんの腕の中で、すでにさんざん怖がってしまった後だ。前倒しでたくさん癒してもらった分、今は落ち着いてこの人から聞き出せることがあるはず。


「本の話をしにきたの?」

「そうだよ、次のおすすめを聞こうと思って。大きな船が出てくる話がいい。白い帆を張った、どでかい船。金持ちが乗ってる気取った客船じゃなくて、荒くれ者の船乗りたちが後先考えずに殴り合うみたいなやつ」

「それなら『フィリップ航海記』かな。紀行文でよければ」


 考える前に、とっさに口が動く。ちょうどお気に入りの一冊にそんな本があった。


「へぇ、実話?」

「そう。カンティフラスの港から旅立った貿易船の航海録。嵐で漂流しかけたり、海賊に襲われたりしながら、1年かけて世界を巡って戻ってくるの。船長の日記が加筆されて、本になってる」


 とたんに、ブルーグリーンの目が見開かれ、前のめりになる。ワクワクした声色が、私に勢いよく尋ねる。


「海賊?! その船に魔術師は乗ってる?」

「乗ってない」

「そりゃすごくいいね! 海賊と腕っぷしだけで単純勝負とか、いかにも人間!って感じ。読んでみるよ。いいこと教えてくれたお礼に、いいもの見せてあげる」


 パチリ、と魔術師の指が上機嫌で鳴る。


 ——とたんに夢の中の景色が変わった。


 頭上に広がっていた爽やかな夏空が鮮やかさを失って、いちめん灰色みを帯びる。

 寒々しい雲が、ところどころに厚く垂れこめる。雲の切れ間から、白く冷たい陽ざしが切り込むように降りていく。


 照らされた先にあるのは、海。

 重く厳しく、深く冷えびえと広がる、濃紺の北の海。


 入江を見下ろすように、切り立った崖の上に私たちは立っている。


 少し離れたところに、ポツンと小さな灯台がある。

崖上を吹き抜ける、冷たい風を耐え抜くように。昼も夜もてっぺんの灯火を絶やさずに、ひたすら海ゆく船を見守り続ける。


 この光景を、本の挿し絵で見たことがあった。

 北国の灯台守の生活を綴ったエッセイ。


 そう、白銀の魔術師が持っていってしまったノートの元の本にあったイラストに、とてもよく似ている。


「マーガレットさんのノートを読んで面白かったから、すぐに移動魔術で現地を見にきたんだ。それから気に入って、時々来てる。シンプルでいいよね。最果ての北の灯台。遠くまで光を届けて、道しるべの役割をただひたすらに果たしてる。疑いなく、迷いなく、愚直で、単純で。とても強くて、美しい。——そっか、マーガレットさんの描く魔法陣にも似てるのかな」


 うっすら笑いながら、魔術師は灯台を見上げる。


「ここには、魔術師に無いものばっかりだ。アレクにも、君の番犬くんにも、僕にも。無いものばかり。うらやましくなるよ。虚しくなるくらい」


 少し言葉に迷ってから、私は固唾を飲んで……尋ねた。


「あなたの言うアレクは……私の知っているアレクと、関係がある?」

「あるね」


 あっさりと肯定が返ってくる。


「アレクは、今の僕の名前で、僕が暗殺を命じられた男で、僕の父親で、君の犬だ」

「……ごめん。内容がアクロバティックすぎてついていけない。順を追って話してほしい」


 それだけ言うのが精いっぱいの私に、魔術師は鼻を鳴らし、あどけない顔に不釣り合いな皮肉な笑顔を浮かべた。


「魔術師にはよくある、つまらない話だよ。君の犬のアレクは、生まれた時には人間で、アンデラ国の魔術師だった。優秀だったらしいよ。そりゃ僕の父親だからね。だからこそ、祖国からマルタ帝国に、大金と引き換えに売り払われた。まるで犬か家畜みたいに」



 *****


 アレク・テインの魔術師としての人生は、明るかった。19歳までは。


 マルタ帝国の隣の小国、アンデラ国で生まれた彼は、魔力の弱かった姉に比べ、生まれつき強い魔力を持っていた。そして、力の強い魔術師に現れがちな灰褐色の髪もあわせ持っていた。


 アレクは生真面目な性質(たち)だった。


 強い魔力があっても決して浮かれず、誰よりも謙虚にこつこつ魔術を習得した。外見の印象を裏切らない実力を、地道に日ごとに蓄えていった。


 やがて、アンデラ国では珍しい1級魔術師にも、いずれはなれるのではないか、と期待されるようになり。もてはやされ、わずか16歳でアンデラ国の王宮魔術師に抜擢された。


 そうして勤め始めて3年。


 またとないチャンスが巡ってきた。国の魔術レベルを高めるため、魔術大国カンティフラスの魔術師団に、研修員を派遣することになったのだ。対象は1名、任期は2年。


 当然、抜きん出た力を持つアレクが候補の筆頭だった。本人も、周囲の同僚も、ほとんどの人間がアレクが選ばれるものだと思っていた。


 だが、蓋を開けてみると、選出されたのは、アレクの次に実力があるとされている先輩だった。同時に、アレクはマルタ帝国の宮廷魔術師団に無期限で出向することになっていた。


 アレク本人の意思は何一つ確認されないまま。いつの間にか決まっていたのだ。


 人事の発表後、ようやく上司の魔術師団長から説明された。


「優秀な魔術師を欲するマルタ帝国に頼み込まれた。泣く泣く、アンデラ国で一番の魔力を持つアレクにこの任務を預けることにした。でもマルタは大国だ。給料も今の倍以上。これはまたとない栄転だ。おめでとう。あちらで得た経験をいずれこの国に持ち帰って活躍してほしい」と。


 だが、アレクは何人かの同僚から密かに聞いて、すでに知っていた。


 アレクの移籍のために、帝国からアンデラ国に信じられないくらいの額の大金が支払われたこと。

 一方で、このところ、めきめきと頭角を表すアレクが、次の魔術師団長になるのではないかと噂されていたこと。

 そして、どうせなら早いうちにアレクを団長にしてしまえ、と面白がって言い出した大臣がいて、魔術師団長がそれを苦々しく思っていたことを。


 今の魔術師団長は、2級魔術師だ。もし、カンティフラス王国にアレクが派遣されて力をさらに伸ばし、昇格試験で1級に合格したら、団長交代の可能性が非常に高かっただろう。魔術師団長個人にとっては、よいことなどひとつもない。


 それでもアレクは、魔術師団長の判断を信じたかった。自分がマルタ帝国に行くのは、アンデラ国のためになるのだと信じたかった。


 だが、「よろしく」と肩を叩いて部屋を出ていく魔術師団長の横顔には、ゾッとするような冷酷な薄ら笑いが浮かんでいた。


 ——自分は体よく追い払われたのでは、と、アレクの心に重苦しい思いがよぎる。


 そのもやもやとした感情は、マルタ帝国に着任してすぐ、真っ黒な絶望に変わった。


 命じられた初任務は、「皇帝にとって目障りな貴族を追い落とすための証拠を捏造すること」だった。アレクは、きっぱりと断った。どれだけ罵詈雑言を浴びせられても、うなずかなかった。


 その次に命じられたのは、

 ——人殺しだった。


 皇帝の命を狙う凶悪なテロリストを、魔術で抹殺しろという。だが、それが本当なら、どうして逮捕しない。なぜ堂々と裁判の場で裁かないのか。


 これが帝国の宮廷に魔術師が居付かない理由か、とアレクは悟った。まっとうな感覚を持つ魔術師だったら、こんな闇に満ちた人殺しの仕事など、とうてい耐えられない。


 再びはっきりと断るアレクを、上司の魔術師はせせら笑った。


「お前は皇帝陛下の犬なのだ。犬なら犬らしく、大人しく言うことを聞いておけ。でないと、自分の命を失うことになる。犬を殺すことなど、たやすいことだからな。肝に銘じておくことだ」


「……犬なら犬で結構」


 こみあげる激情を噛み殺しながら、アレクは言った。


「だが、犬には犬の誇りがある」


 言い捨てるやいなや、早口の呪文の詠唱とともに、手のひらに一つの魔法陣を立ち上げる。上司がそれを制止する間もなく、アレクの体は大きな犬の姿に変わった。


 上司は口を開けて、驚愕の表情を(さら)している。


 変身の魔術は非常に難しい。普通なら1級以上の限られた高位魔術師にしか使えない。まさか田舎の小国からきた2級魔術師の若造が、そこまで高度な術を使えるとは思ってもいなかったのだろう。マルタ帝国を警戒し、自分の実力をひた隠したアレクの慎重さの勝利だった。


 アレクは、上司の脇をすり抜けて、疾風のように走り出した。


 もう、マルタ帝国にいるつもりはなかった。人間に戻るつもりもなかった。


 *****


「それで魔術師アレクはすべてに絶望して逃げ出した。人間でいることにすら嫌気がさした。やがて、カンティフラス王国で古書店を開いていた姉夫婦のもとに、犬のアレクが現れた。そこから先しばらくのことは、マーガレットさんの方が詳しいんじゃないかな」


 やれやれ面倒くさい話だね、と、白銀の魔術師は肩をすくめた。


 私は思い起こす。


 私の知っているアレクは、父の古書店の看板犬だった。子どもの頃、いつでもそばにいて、兄と私を見守ってくれていた。


 穏やかな、オオカミ犬の目を思い出す。とっても頭が良くて、まるで言葉がわかっているように動く、私たちの大切な家族。


 でもある日突然、いなくなってしまった。


 どこを探しても見つからなくて、兄と私は大泣きした。私は本当の両親が亡くなった時のことをよく覚えていない。だから、それが初めて知った、大事な家族を喪う悲しみだった。目が溶け落ちてしまうんじゃないかってくらい、ひたすら泣いた。


 父は両腕を広げて、兄と私をまとめてぎゅうぎゅうに抱きしめてくれた。その時、頭の上から聞こえてきた涙声を、今でもよく覚えている。


「アレクは旅に出たんだよ。きっとどんな小説にも負けないような大冒険だ。だから、僕たちはアレクの幸せと無事を祈ろう。いつかどこかで幸せな生活を手に入れますように、って」



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