(14-3)マギーと迷惑な客
「ごめん、マギーちゃん!本当に助かる!」
筆耕科の先輩お姉さまに、半泣きで頭を下げられてしまった。私は慌てて手を振った。
「いえいえ、私こそ。こんな大変な時に筆耕科から離れちゃってて、本当に申し訳ないです!」
目の前には、マルタ帝国語で書かれた大量の原稿があった。これをすべて清書しなくてはいけない。どう見ても、先輩ひとりの手に負える量ではなかった。
しかも、書面はだいぶ書きなぐられていて、非常に読みにくい。原稿の文章は外務部の専門官が作ってくれるのだけれど、よっぽど余裕がないらしい。イライラしている気持ちが、文字から痛いくらいに伝わってくる。
2年に一度の大園遊会まで、あと3週間。
着々と準備は進んでいたはずなのに、ひとつ、どうしようもなく大きな問題が起こっていた。
今回、マルタ帝国からくる賓客が、とんでもなくワガママなのだ。これまでは高位の外交官が派遣されていて、とっても常識的で平和だったのに。
今年、おいであそばすのは皇帝陛下の弟君。アシル・エルデム・マルタ殿下、御年21歳。
しかもこの訪問の最大の目的は、実は大園遊会への出席ではない。我が国の王女殿下とのお見合いだ。
マルタ帝国側から持ち込まれた縁談だった。
かの国は、いまだ皇帝ひとりが絶大な権力と決定権を持ち続けている。そんな独裁国は、今や世界でも少数派だった。帝国内でも世界の潮流から離れていることへの危機感と皇族に対する不満があるようで、いつ民衆による革命が起こってもおかしくない状態だと聞く。
だからこそマルタ皇室は少しでも他国との結びつきを強くし、立場を強めようと考えたのだろう。
縁談を申し込まれた側のカンティフラス王国は、すでにはるか昔に立憲君主制に移行している。国の意向は、法と議会によって決められ、国王陛下は国のトップに立つ「元首」という立場だ。
古い体制を維持した大国、しかも政情に大きな不安を抱えた国との縁談に、正直、カンティフラス側にはメリットがない。
でも、一応は友好国であるマルタ相手に無下に断るわけにもいかず、ひとまずは顔合わせの場が設けられることになったらしい。
私は政治にあまり詳しくないけれど、「壮大な茶番劇だし、迷惑だし、でも皇弟殿下はかなりの美男子みたいだからそこはちょっとテンション上がるわよねー」と筆耕科のお姉さまがたが噂していた。
お相手として白羽の矢が立ったのが、カンティフラス王室の第3王女、ルイーズ殿下。現在17歳。王立学院で生徒会長もつとめている。
在学期間が私とも少し重なっていて、時々校内で見かけたことがある。毎年恒例の弁論大会では、毎度キレッキレの論理展開で演説を披露していた。とても聡明な、はっきりとものを言うお姫様という印象が強い。
対して、マルタ皇弟のアシム殿下は——
「この殿下、なんでこんなに関係者を連れてくるんですかね。しかも女性ばっかり」
私は、賓客リストを眺めて、呆れ果てる。マルタ帝国から来客リストが更新されるたびに、人数が増えていく。それも、年若い女性ばかり。
しかし、増えるからには客室を新たに用意しないといけない。賓客に渡すための案内カード類も。人数が多少増えることを見越して予備分も準備していたのだけれど、それをあっさり上回る勢いで客人の数が増え続ける。
そして、山ほど追加の清書案件を押し付けられることになってしまった先輩が、うんざりしたように首を振った。
「マルタ帝国って、いまだに一夫多妻制でしょ。この女性の数……『俺の嫁たちだから仲良くよろしくな』って大群を連れてくるつもりじゃぁ……って思っちゃうわよね」
「私がルイーズ殿下だったら、皇弟をぶん殴って細かく刻んで捨てますね!」
「私も協力するわ。っていうより、今すぐ刻んで捨てたい。砂漠に沈んで干からびろ。しかも滞在中の見学希望に、第2区のアイリスが追加されてるの。信じられる?」
「アイリス、って、キャバレー・アイリス? お忍びってことでもなく?! 正気かな……」
先輩が、今にも原稿を刻んで捨てそうな勢いで睨みつける。いつもは温厚な人から、毒がダダ漏れだ。でも、私もすっかり同じ気分だった。お見合いを本当に成功させるつもりがあるんだろうか、この男。
キャバレーは、カンティフラスの庶民の暮らしに咲き誇る夜の華だ。
うちの古書店の常連の作家さんに連れられて、何度か足を踏み入れたことがある。
目の前のステージで極上の歌や踊り、コメディ芝居が繰り広げられ、美味しいお酒と食事を心ゆくまで楽しめる。一列に並んで光り輝く脚を惜しげもなく披露する踊り子たちのラインダンスは本当に見事だし、別世界にいるような気持ちになれる。
男女問わず入り浸る芸術家たちも多く、今をときめく作家や詩人、俳優たちがにぎやかに酒を酌み交わし、冗談を飛ばしあい、恋に出逢う社交場にもなっている。
それでも、だ。それだけ自由な場所だ。多少なりとも風紀の乱れはある。少なくとも、王侯貴族がお見合いついでに堂々と、冷やかしに寄っていい場所ではない。
「そんな人のために、仕事が増えるのは勘弁してほしいですね……でも、やらないと終わらないし、さっさとやっちゃいましょ!」
私たちはしぶしぶ意識を切り替えて、原稿を山分けする。王立オペラのあらすじの清書、なんてものもあった。これ、私が観たかった新作だ。1週間の滞在で2回も観るとか、やりすぎじゃないだろうか。羨ましいし、腹立たしいし。
清書用の一式を抱えて、魔術科に戻ろうとしたところで、部長に申し訳なさそうに呼び止められた。
「すまないね、負担をかけてしまって」
「いえ、大丈夫です!ちょうど魔術科のお仕事が落ち着いているところなので」
「そのことなんだが」
いつもは穏やかな部長の眉がひそめられて、困惑の表情になる。
「マルタ帝国から、やっかいな筆耕の依頼が来ていてね。私の手に余る内容だったから、魔術科に回したんだ。テナント閣下の判断に従ってほしい。ちょっと絶句するような内容でね……何もないといいんだが」
第2魔術師団のオフィスフロアに戻ると、奥の打ち合わせテーブルで、ネリー・カーター1級魔術師と、コールが腕組みをして深刻そうな顔で何かを話していた。
コールは私に気づくと、ちょいちょいっと手招きする。
「ねぇ、マギー。この魔法陣、模写したことある?」
言われてテーブルの上を見る。
「うん、もちろん。上級の守護と、状態回復と、あと、魔術返し? ……でもこの魔術を跳ね返す魔法陣って難易度高くて、適性のある人じゃないと使えないよね……?」
いつも冷静沈着なネリーさんが、思わず、といった様子で笑顔をこぼした。
「マギー君にとっては『もちろんか』なのか。これ、相当珍しい類の陣だと思うけれど」
ネリーさんは、魔法陣分析のスペシャリストだ。キリッとした理知的なまなざしがクールなお姉さんで、年齢は32歳。得体の知れない魔法陣を持ち込まれたり見つかったりした時には、ネリーさんを筆頭に、分析チームが組まれる。最近は、コールがサブチーフのような立ち位置らしい。
「これ、どうしたんですか?」
尋ねる私に、ネリーさんは腕組みしながら、きびきびと歯切れよく答える。
「マルタ帝国から依頼が来た。これを護符用に清書して、大園遊会の皇弟殿下の居室に置いてほしい。いつでも発動できるように魔力を込めて、目立たないように絵画の裏に貼ってくれ、って」
「……はい?」
私は理解できず、ネリーさんとコールを交互に見てしまう。ふたりとも、苦虫を噛み潰したような顔をしている。状況は理解している、けれど、納得はしていない顔だった。そりゃそうだよね。だって、
「外国の王族ってことは、魔術師団からちゃんと警護の魔術師が付くんですよね?」
「付く。今回は、アシル殿下が最上格の賓客だから、魔術師団でいちばん攻撃魔術と武術に秀でた人間が警護に入る。平たくいうと、第1魔術師団長のハーフォード閣下だね。彼を筆頭に部下たちが警護を担当する予定になっている。1週間まるごと付きっきりで」
きっと、ずっと王宮に泊まり込みの対応になるんだろう。かわいい奥さんのニーナさんと、かわいい6人のお嬢さんたちの顔が浮かぶ。お家にいる時はいつも嫁と娘にデレッデレのハーフォードさん。1週間も家族と離れて生きていけるんだろうか。
それにしても、本当に分からない。
「手厚く守られるのは、マルタ帝国側も理解しているはずなのに。なのにさらに、守りの護符を隠し持ちたいんですか? 何をそんなに警戒しているんでしょう。しかも、絵画の裏に貼れって簡単にいうけど、王族をおもてなしする客室の絵なんだから、きっと国宝級のものでしょう? そんなキャンバスの裏で強力な魔法陣なんか発動させたら、とうてい絵は無事でいられないですよね?」
言っているうちに、お腹の底から怒りが込み上げてくる。この上なく貴重な絵画なのに、なんて扱いを。あまりに野蛮すぎる。
「それについては、依頼を受けた美術管理官が激怒してね」
ネリーさんが思い出しながら、とても愉快そうだ。
「そんな奴らには贋作で十分だって言い捨てて。最近摘発したばかりの精巧なフェイクを、そのまま飾ることになったらしい。ヴァンダイル作の『星降るマルタ砂漠のオアシス』の偽物をね。自分の国を描いた有名絵画なのに、もし皇弟が真贋を見抜けなかったら……こんなに間抜けで面白いことはないよね」
「それは……ちょっと痛快ですね! ハーフォードさんから結果を教えてもらわないと」
顔を見合わせて、ふふふ、と溜飲を下げたネリーさんと私に、コールは苦笑いをこぼしながら魔法陣を眺めやる。
「マギー、フィリアス閣下の行き先、何か聞いてない? 伝令鳥を飛ばしても差し支えない状況かな? 護符用に清書していいか、閣下に相談しないといけないんだけど。ほら、今週ずっと不在でしょ。どうしようかな、と思って。」
ここのところ、フィリアスさんもハーフォードさんも、とても忙しそうだ。
私はカワード家に泊まらせてもらっていて、フィリアスさんは、出勤と退勤の時間にだけふわっと現れる。ぎゅうぎゅうと私にしがみつくように移動魔術で運んでくれて、そのままぐりぐりと顎を私の頭の上にこすりつけるようにして、はぁ、と地を這うようにため息をついてから、毎回消える。
そのひと息が重すぎて「言葉を漏らしたら、もうそのまま動けなくなります、だからせめて代わりに息を吐いときます」みたいな有り様なので、私もうかつに話しかけるのがためらわれ。「おはよう」「いってらっしゃい」「気をつけて」くらいしか声をかけられないのだけれど。
「行き先は教えてもらってないんだけど、今日、退勤の時に一瞬、話ができると思う。明日、その返事を受けて対応する、でいいかな?」
「うん、そうしてもらえると助かる」
ほっとしたコールの声に被せるように、後ろから静かな声がした。
「清書していい。マーガレット・レーン2級筆耕官が適任だ。マルタ帝国から言いがかりをつけられないように」
勢いよく振り返った先に、フィリアスさんが立っていた。おもむろに歩み寄ると、手にしていた大きな箱を、どんっとコールに手渡す。とっさに箱を受け取った腕が、ずんと下に沈んだ。
「重っ! なんですこれ?」
その箱に、見覚えがありすぎる。
どう見ても、うちの実家近くのお菓子屋さんのものだった。しかも特大サイズの箱。中身はぎっしり詰まったフルーツボンボン。いろんなフルーツのピューレが砂糖で包まれていて、噛むととろりと飛び出てくる。甘酸っぱさが癖になって、パクパク何個も続けて食べられてしまう魔性のお菓子だ。
でも……なんでアンブルストンの名物菓子を?!
フィリアスさんが、無言で私に手紙を差し出した。
「マギーへ」
と書かれた封筒の文字が、完全にうちの父の筆跡だ。
おそるおそる中に入っている便箋を見る。
「マギーへ。フィリアス君の白ゴマアイス、反則的なまでに美味しくないか?! お父さんは悔しいよ。完敗だよ。あまりに悔しくて、チョコアイスも食べたいと駄々をこねたら、その場で魔術で作ってくれたよ。もう美味しすぎて、どうしてくれようか。マギーも作ってもらいなさい。店を開く場所は探しておく。体を大事にね。父より」
「なにこれ」
どこから突っ込んでいいのか、わからなくなった私は、じいっとフィリアスさんを見た。
堂々たる団長閣下は、とたんにちょっとだけ顎を引いて、ちょっとだけ後ろめたそうなワンコの顔になる。コールもネリーさんもフルーツボンボンに気を取られて、ワンコ降臨に気づいていない。
私はにーーーっこりと微笑んだ。
「閣下、続きは上の執務室でおうかがいしますね!」




