(14-2)ハーフォードは思い出す
凶行を重ねる魔術師がかつて住んでいた部屋は、目を疑うほどの無邪気さで覆われていた。
表情を消したハーフォードが、書き物机の引き出しを開ける。そこにあったのは、
「日記?」
封印の魔術を解いて、扉を開く。
中に書かれていたのは、たくさんの日付と、たくさんの人名と地名。
人名の頭には、バツ印が書かれている。
「この名前……。さっきの複写の中から詳細取り出せるか」
問われたフィリアスはすぐにパチリと指を鳴らし、空中から現れた1枚の紙をつかむ。差し出された複写記録と日記を見比べて、ハーフォードはうなった。
「やっぱりだ。この日記、あいつが手をかけた人間の名前のリストになっている」
その紙上には、皇弟派と対立するひとりの貴族の情報がまとめられていた。最後に記されていたのは、「処理済み。記憶消去」というマルタ帝国語。
いかにも皇弟派らしい、おぞましい言葉だった。水面下の策略をためらわないのが彼らのやり方だ。
どうしてそんな一派が暗躍することになったのか。その原因は、17年前の出来事にさかのぼる。
広大なマルタ帝国は、古くから大陸の交易に欠かせない街道をいくつも持ち、皇帝の強い権力のもと、栄華を極め続けてきた。
だが、17年前、そんな帝国の治世を揺るがしかねない事態が起こった。
病に倒れた皇帝が亡くなったのだ。
皇帝には、正妃と側妃、そして愛妾の間に5人の子どもがいた。上の3人は娘で、国内の有力貴族に嫁いでいる。空となった玉座の前には、側妃を母とする7歳の皇太子と、愛妾の生んだ4歳の第2皇子が残された。
そして帝冠をめぐり、ふたつの派閥で熾烈な駆け引きが行われることになる。
結果、諸外国からの支持を取り付けた皇太子が皇帝に即位。第2皇子は皇弟という立場に落ち着いた。
だが、皇弟派は、帝位を諦めなかった。表向きは皇帝に忠誠を誓いながら、じわじわと目障りな人間を片付け、いずれ兄である皇帝の命を密かに消す機会をうかがい続けた。
皇弟派には、暗殺のひとつの成功体験があった。かつて、ひとりの魔術師を、便利な暗殺道具に仕立て上げたことがあったのだ。
まだ幼いうちに攫ってこられたその少女には、強力な炎の魔術を操る力があった。
逃げ出さないよう呪具を付けられ、父親と慕う世話係の命を盾に取られて脅され、命じられるままに魔術を使って暗殺に手を染めた。
「鬼火の悪魔」と呼ばれたその魔術師は、しかし、先代皇帝が病で亡くなるより少し前に、帝国から姿を消した。
ハーフォードが逃したからだ。
当時17歳だった彼は、師匠から押し付けられたやっかいな案件を解決するため、放浪生活を送っていた。そんな時、依頼を受けたのだ。マルタ帝国の宮殿に囚われている魔術師を救い出せ、と。
大陸いちばんの美しさとも称される大宮殿の広大な敷地の外れ。帝国軍の兵舎裏にある、うち捨てられたような古びた小屋の前。
そこで初めて彼女たちに会った。
小屋の少し離れたところに枯れ枝の小山があって、オレンジ色の炎が踊っている。その前でしゃがんでいる人間がふたり。
調子の良い口笛がぴたりと止んで、栗色の髪の毛をした男性がこちらを振り返る。明るい緑の瞳が笑った。40代になるかならないか、おそらくハーフォードの親くらいの年頃だ。
「見ない顔だな。見習い兵か?」
「そう。今日からあんたたちの世話係になった。よろしくな。名前はディーだ」
ハーフォードは、得意の人懐っこい笑顔を浮かべてみせた。一般兵として軍内に潜入してしばらくのこと。銀色の目立つ髪を茶色に変え、うまく立ち回ってこの役をつかんだ。
といっても、「鬼火の悪魔」として恐れられる魔術師の世話係など、好んで引き受ける者はいない。むしろ積極的に面倒ごとを押し付けられる形で、この場にたどりつけた。
「へぇ、お前、変わってるな。俺たちを見ても怖くないのか」
「なんで? あんたたちだって、好きでこんなとこにいるわけじゃないだろ。それより何焼いてんの? うぉ、芋?!うっまそう!」
ほとんど白に近い銀髪の少女が、枝に突き刺して炎の中から持ち上げたのは、こんがりと黒く焼けた芋だった。
ハーフォードと年の頃が近い少女は、無言のまま、慣れた手つきで次々と焼き上がった芋を引き上げる。ハーフォードはすっ飛んで兵舎の厨房に潜り込み、小さなフライパンと壁から下がった燻製肉をいくつかかっぱらい、その場に戻った。
「これも焼こうぜ!芋と食ったら、絶対にうまい」
「お前、本当に肝がすわってんな。盗んできたのか」
少女の世話係の男、ニックは少し呆れたように言う。
「盗んだんじゃない。昼飯を前借りしただけ」
ハーフォードは明るく言い放ち、さっさとフライパンを火に差し込み、肉を焼き始めた。
少女は黙って、黒焦げの芋の皮をむく。中からほかほかと湯気を立てる黄色い芋が現れる。半分に割って、じっと探るようにハーフォードを見た。
「いい焼き具合だな。肉、もうちょっとだから待ってな。あんたの名前は?」
「……シュネー」
「へぇ。ロコ語で『雪』って意味か。あんたの髪みたいだな」
「……何が狙い? ニック父さんには手を出すな。じゃなきゃ、あんたを燃やす」
「狙ってるのは、あんたたちの芋だな! あと、俺、一般兵のふりしてるけど、一応魔術師だ。いずれあんたたちを逃す。でもまずは、やっぱり芋だな!ほら、肉、いい感じに焼けただろ。食おうぜ」
あっけらかんとフライパンの中身を見せびらかすハーフォードに、ふたりはとても驚いた顔をした。それから、結局、3人でひとまず芋と肉をむさぼり食べた。
そうやって、するりとハーフォードは彼女たちの生活に入り込んだ。
時々、思い出したように、裏庭の焚き火の会は行われた。
ハーフォードはすぐに気づいた。世話係のニックが焚き火の用意をするのは、決まって、シュネーが暗殺の仕事を強制された翌々日だ。
彼女の能力は、常軌を逸するほどの強い火の魔術に特化していた。ここに閉じ込められながら、遠隔で、炎を操ることができる。物を、人を、一瞬で灰にすることができた。シュネー自身は、まったくそれを望んでいないにもかかわらず。
仕事の翌日、シュネーは決まって高熱を出す。だから、翌々日。
シュネーの目の前で、平凡な芋や、肉を焼く。
目の中に、平凡な、おいしい記憶だけ残るように。平凡な、ありふれた炎の記憶だけが残るように。残酷な遠い業火の記憶を覆い隠すように。
焚き火の日になると、ハーフォードはこっそり立ち回り、色々な食材を調達するようになった。少しでも、その瞬間だけでも、楽しい思い出になるように。
今でも、ハーフォードはその時の光景を時々思い出す。
記憶の中で、その時だけは、ニックもシュネーも笑っている。
その後、シュネーは脱出に成功し、ハーフォードの知り合いの魔術師の元に身を寄せた。その魔術師に魔力封じの腕輪を作ってもらい、自分で魔力を使えないようにし、白銀の髪をよくある焦茶色に変え、静かに普通の暮らしを始めたと聞いていた。
ハーフォードが会いに行っても、辛い記憶が蘇るだけだ。その後は、一度も会っていない。
まさか、彼女の子どもが、同じような目に遭っていたなんて、考えたこともなかった。シュネーの面倒を見ていた魔術師はすでに亡くなっていて、今のハーフォードとシュネーを繋ぐものは何もない。
もし、自分があの頃、もう少し視野を広く持てていたならば。シュネーのその後を気にかける余裕があったならば。
彼女の子どもを、こんな目に遭わせなくて済んだのかもしれない。
ハーフォードは目の前の部屋を見た。
そこには、平凡な、日常的な、楽しいものばかりで満ちている。
あの時の、焚き火と同じだ。
こうしなければ、現実から目を背けなければ、心をまっとうに保てない。
だが、こんな部屋に閉じ込められていた子どもが、どうやって外に出た?
出るには何かきっかけがあったはずだ。それは誰が、どうやって、何のために?
5年前にいた皇弟派の魔術師が、次々に消されている。それは確かだ。最初は白銀の魔術師と密接に関わっていた人間から消えた。そして、ほとんどつながりのなかった魔術師も、確実に消えている。
たったひとりで調べ上げ、たったひとりで息を潜め、すべての関係者を跡形もなく消していこうとしているのだろうか。
フィリアスと対峙していたあの魔術師の姿を思い出す。目の前の心惹かれるものに異様に興味を示して飛びつく姿は、正直、まるで歪んだ子どものようだった。根気強く、執念深く、ひたすら報復を果たそうとする復讐鬼とは、印象がかなりずれる。
今の、白銀の魔術師の復讐行動は、本当に、すべて本人が望んだものなのか。
そして残るターゲットは、おそらくもはや皇弟だけだ。
皇弟を消すことで、最大の利益を得る者は。
ハーフォードは目を閉じた。
——マルタ帝国皇帝か。今あの子の後ろにいるのは。
「ハーフォード」
隣に立つフィリアスが、ふいに言った。変装の魔術を解いて、いつもの姿に戻っている。
「ひとりで背負うな」
その指が、日記の一番最後を指さしている。
「これは、俺の案件だ」
ひとつの人名と、地名が記されている。しかし、そこだけ、バツ印が付いていない。
そして、一文が、書かれていた。
——アレク・テイン(カンティフラス・アンブルストン) どうしてこんなことを?




