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筆耕マギーは沼のなか  作者: コイシ直
第14章 マルタ帝国の影

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(14-1)フィリアス、勝手に潜入する

 

「彼女に、術が掛けられていた。精神と記憶に作用する高度魔術。あいつだ」


 ハーフォードの隣に突然現れるなり、フィリアスが低くはっきりと言った。


 ここは、マルタ帝国の離宮の中でも隠された場所。限られた一部の人間しか出入りできない。しかし、そんなことはまったくおかまいなしの勢いだった。自分が招かれざる客であることなど、歯牙にもかけていない。


「相変わらず、マギーちゃんにガッチガチの守護魔術かけてるんだろ? 物理攻撃も精神干渉も防げるはずだ」


 ハーフォードは、手元の書類を見る目を休めず、淡々と返す。

 フィリアスの気配に、怒りが混じる。


「守護膜に針のような穴を開けて侵入された。隠した痕跡があった」

「そんな緻密なことする白銀のやつが怖いし、それに気づいたお前も怖いわ。で、マギーちゃん、今のところ無事なんだな? だから次に備えて調べに来たんだろ」


 ようやく顔を上げたハーフォードは、苦笑いした。


 勝手にハーフォードの気配を追ってここまで押しかけてきた弟の顔は、さざなみひとつ立てない水面のように静かだった。しかしその両手は、爪が手のひらに食い込むほどに固く固く握りしめられている。


 非常にわかりにくい有様だが、フィリアスは、今、確実に激怒している。


「ほんとよかったわ。マギーちゃんに何もなくて。じゃなきゃ、お前、今頃とっくにマルタ帝都まるごと吹き飛ばしてるだろ。でも、今は落ち着いとけよ。力はいざっていう時に思い切り使え」

「わかってる」 

「ほんとか? だったらお前な、いきなり俺んとこに飛んでくるんじゃねぇよ。俺、一応、単身潜入捜査してんの。意味わかってんの?」

「わかってなかったら、こんな格好していない」


 そういうフィリアスは、完全にマルタ帝国の直属魔術師に成りすましていた。黒髪、黒眼、浅黒い肌、別人の顔、制服の灰色のローブ。ちなみに姿を借りた相手は、催眠の魔術をかけられ、隣室でぐっすり強制昼寝中だ。


 ハーフォードの現在の姿も似たり寄ったりだった。完璧な変身の魔術を駆使している。傍目から見ると、マルタ帝国の宮廷魔術師ふたりが、離宮の資料保管庫にいるようにしか思えない。


 フィリアスは、わずかに首を傾げた。


「しかし、歯応えがない。マルタ皇弟の離宮なら、多少は守護魔術が手厚いかと思った」

「防御系の魔術が穴だらけでボロボロだったろ。皇弟派の魔術師がどんどん失踪しているらしい。まともな術を使えるやつがもういないんだろ。ちょうど報告書の控えを見つけたとこだ」


 厳重に隠蔽魔術で秘されていたはずの書類をあっさりと暴いて、ハーフォードは肩をすくめる。ぱらぱらと紙の束をめくった。 


「5年前にいた魔術師が、次々に消えている。白銀の魔術師と密接に関わっていたやつから、だ。状況から見て、白銀のやつがやったものだと推定されている。いくら警戒しても、かいくぐって一人ずつ消されていったらしい。襲われる側にとっては、相当な恐怖だろうな。同情はしないが」

「複写するか」

「ああ、この資料は写しておいた方がいいだろうな。なんだ、お前がやってくれるのか」


 フィリアスは黙ってうなずくと、手のひらに魔法陣をひとつ浮かべる。それは、複写の魔法陣にしては大きく複雑すぎるもので、


「嘘だろ、お前、それ」


 目を見張るハーフォードの視界が、ひととき大きく青白く光る。すぐに何事もなかったように、複写の紙の束が差し出された。


 受け取りながら、ハーフォードは長くながい息を吐く。


「フィー、お前、今この部屋の棚にある資料全部、一気に複写しただろ。これ以外はマジックボックスに収納してあるんだな」

「ああ」


 悪びれる様子もなく、あっさりとフィリアスが肯定する。


「お前、マギーちゃんのことになると、本当にいきなり全力ぶちかますよな。そんな便利な魔法陣、いつ開発した?」

「8年前」

「は?」

「学院を卒業するときに、図書館の本を全部持って行きたいと思ったから」

「早く言えよ、それ。むちゃくちゃ便利じゃねぇかよ」

「一般向きじゃない。陣が複雑すぎて、魔力を過剰に持っていかれて危険。俺でも使うと少し疲れる。王立図書館をまるごと複写したときは、さすがに熱を出して1日寝てた」

「は? お前、相変わらずとんでもねぇな……」

「でも、今、マギーが描いてくれた魔法陣を使ったら、全然疲れない。魔力伝導の効率が格段に良い。美しくて完璧だ」


 急にフィリアスの声が、ほのかに明るくなった。身のうちに渦巻いていた怒りはすっかり影を潜め、やわらかい眼差しで、さっきまで魔法陣を浮かべていた手のひらを見つめている。

 ハーフォードは目を剥いて、軽く吹き出した。


「お前からデレッデレの惚気を聞く日が来るとは!最高だな!」


 笑いながら、部屋の奥の壁をちょいちょいっと指さす。


「最高ついでに、あそこにある隠し扉、開けてみようぜ。調査結果が正しければ、昔そこに白銀の魔術師が閉じ込められていたはずだ」


 かつて慎重に魔術で隠されていただろう扉は、今やその術もほころびかけていた。術の劣化に気づけないほど、今、この離宮にいる魔術師のレベルが低いのだろう。


 解術され、容易く開いた扉の向こうには、細長い石造りの廊下が続いていた。


 窓はなく、扉を閉めると漆黒の闇と静寂が訪れる。


 光魔術で照らして進んだその先に、地下に続く階段があった。

 特に妨害魔術なども仕掛けられていない。足音を響かせてひたすら降った先に、ひとつの扉があった。こちらの施錠の魔術も、朽ちかけている。


 踏み入れると、こぢんまりとした地下室が広がっていた。


 長い間、掃除がされていないのだろう。窓がなく、ほこりっぽく、澱んだにおいがする。


 そこにあるのは、書棚にぎっしりと詰められた本と、書き物机と、ベッドのみ。奥の小さな扉の向こうには、簡素なトイレとカビ臭いシャワールーム。


 かつて誰かが生活していたことは明らかだ。だが、人が住むにはあまりにもがらんと虚しい空間だった。


「隠蔽魔術の気配があるな?」


 ぐるりと部屋を見渡して、ハーフォードは眉をひそめる。


「ここまでの魔術がお粗末だったのに比べると、とても強力な力で隠され続けている。どう思う?」


 フィリアスは薄汚れた壁に手をつけて、目をつぶる。自分の中の感触を吟味するようにして答えた。


「部屋全体に、あの白銀のやつの魔力の痕跡がある。だが、良くない術が隠されている気配は感じない」

「だな。解いてみるか」


 軽く肩をすくめたハーフォードが、ためらいなく魔術語を紡ぐ。


「《解術》」


 強い力に満ちた一声に、空間がわずかに揺れ。


 ——殺風景だった空間を上書きするように、様子が一変した。


 壁が白さを取り戻す。そこに粗く太い筆さばきで描かれているのは、窓。ペンキの青空がのぞいている。

 壁一面に、手書きの世界地図。立てかけられた船の(いかり)や、丸い操舵(そうだ)のハンドル。瓶に詰められた海の砂。天井から下げられたいくつものランタンが、部屋を明るく照らし出す。


 書き物机の上に、板や工具が散らばっていた。その先に置いてあるのは、


「作りかけの船の模型? なんだか……子どもの秘密基地みたいな部屋だな」


 壁に棚が作りつけられている。飾られてあったのは、帆船、蒸気自動車、蒸気機関車、自転車——丁寧に色を塗られた、手作りの模型。


 ここに籠った子どもが何を考えて、この空間を隠し持っていたのか。


 一目見るだけでもわかる。

 外の世界への憧れが、そこには詰め込まれていた。




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