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筆耕マギーは沼のなか  作者: コイシ直
第13章 マギーと不穏な気配

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(13-4)フィリアス、覚える②

 

 窓を開けて、ひんやりとした夜風を部屋の中に呼び込む。


 フィリアスさんが魔法で空気を大きくかき混ぜてくれて、ちょっと長袖だと暑いかな?という体感温度になったあたりで、私は食卓の上にレシピ本を広げた。


 父が先日仕入れてくれたマルタ帝国の本だ。きっと私が喜ぶものを厳選してくれたのだろう。なんといっても各ページの見出しに使われている書体が、とにかく素敵なのだ。伝統的な書き方を少し崩してあって、斬新さにとっても痺れる。


 完成図や途中の作り方がイラストで丁寧に説明してあって、とても作りやすそうだった。珍しい食材を使ったレシピも多い。


「これ、私が食べたいのびーーるアイスについては残念ながら書いてなかったんだけど。ほら、これ、タヒニアイス、って読むのかな。ゴマのペーストを使ったミルクアイス。のびないみたいだけど、美味しそうじゃない?」

「ああ、マルタはゴマの産地だから。あちこちにゴマ畑がある」 

「見てみたい!白いちっちゃなベルみたいな花がたくさん咲くんでしょ? マルタの国内、早く落ち着くといいね」


 マルタ帝国もいずれ行ってみたい場所のひとつだった。ただ、今は政情がとても不安定で、個人で気軽に旅行できる国ではないのだけれど。


 こうして本を広げながら想像するだけでもワクワクしてしまう。


「このレシピを見る限りだと、まず、生の白ゴマのペーストを作るみたい。でも、生ゴマってさすがに現地じゃないと手に入らないだろうし、フィーさんのマジックボックスの中に入ってたりしないよね? 普通の煎りゴマはあったりする?」

「ああ」


 フィリアスさんはちらりと上の方を見て考え、パチンと指を鳴らした。マジックボックスから引き出してきた瓶を一つ、私に手渡してくれる。


「もしかして、これか?」

「もしかしなくても、これ!もうペーストになってるやつだ!どうしたの?!」


 瓶に貼られたマルタ語のラベルを読んで、私はうろたえた。欲しかった生白ゴマのペーストだ。


 カンティフラス国内で売られているものは、何でもフィリアスさんのマジックボックスから出てきそうだな、とは思っていたけれど。まさかマルタ帝国の食材までストックしているなんて。


「ハーフォードの土産。ハチミツと一緒にパンに塗ると美味いって言われてもらった。忘れてた」

「ハーフォードさん、マルタ帝国に行ったの?」

「あの国は、まともな魔術師が本当に少ないから。時々、うちの国に応援要請が入る。俺も、何度か行ったことがある」

「あんな大国なのに、魔術師が少ないんだ?」

「いても2級魔術師レベル。あまり魔術師の住みやすい国でもないから」


 言いながら、本に書かれている食材をせっせとマジックボックスから取り出して、テーブルの上に並べてくれる。


「このゴマペースト、確かにパンに塗っても美味しそうだね」


 そう口にしたとたん、ぽんぽんっとパン籠とハチミツも登場した。ずらり、と並んだ材料を眺めて、私はくふふ、と悪人のように邪悪に笑みこぼす。


「こんな夜中にこんなに食べちゃうなんて、背徳的でぞくぞくする! 回復魔法でギンギンに元気になっちゃってるから、いくらでも食べられちゃいそうなのがまた怖い」


 フィリアスさんがさっき、信じられないくらい治癒魔法を重ねがけしてくれたから、私の体はきっと人生でいちばん病気も怪我もなく健康だ。

 しかも、信じられないくらい回復魔法を重ねがけしてくれたから、疲労も眠気も吹っ飛んで、今たぶん人生でいちばん元気いっぱいだ。


 そんなこんなで大人しく寝られる気がしない。まぁ、明日は仕事も休みだし、こんな夜があってもいいよね。

 エプロンと三角巾をつけて、さて、真夜中のお菓子作りスタートです!


 まずは実際に作ってみる。


 お鍋に卵黄だけをぽんぽんっと入れて、牛乳を加えながら溶く。砂糖も入れてしっかり混ぜまぜ。そこから弱火でじっくりとろみが出るまでかき混ぜる。


 フィリアスさんの鋭い目が熱心に観察している。私の隣にぴったりくっついて立って。覗き込むようにして。ち、近い!料理見学の距離じゃない!


「フィリアスさん、もうちょーっと離れてくれるかな?」

「俺もやってみたい」

「混ぜるのやってくれるの?」

「うん」


 木べらを受け取ったフィリアスさんが、手首を返しながらリズミカルに混ぜ始める。

 料理というより魔法薬の調合みたいな手際のよさ。口元がゆるんで、かなり楽しそうだ。フィリアスさん、お菓子だけじゃなくて普通の料理にも適性ありそう。今度、何か一緒にしょっぱいものも作ってみようかな。


 火から下ろしたら白ゴマペーストを投入。混ぜながら、フィリアスさんに魔法で冷やして粗熱をとってもらって、ゆるめに泡立てた生クリームと合わせてさらに混ぜる。

 そうして、がっつり氷魔法で凍らせてもらって、はい、出来上がり。


 とにかく混ぜる。いろいろ混ぜる。腕の筋トレにすっごく良さそうだ。


「わ、できちゃった。すごい!」


 感動しながら、黄色みを帯びたアイスクリームを、ティーカップふたつに盛り付ける。さっそく試食してみた。


「コクのある濃厚な味!煎りゴマより、香りが爽やかな感じがする」


 フィリアスさんは、無言であっという間に試食分のアイスを完食し、すかさず鍋ごと抱え込んで食べ始める。その目が、順に食材を追って確かめている。これはもう魔術で再現する気まんまんだ。


「あ、ねぇ、その前に!あったかいキャラメルとアイスを合わせたら、最強な気がしない?」


 そもそも、明日は延期になっていた野バラの丘の散策をするつもりだった。今ここでキャラメルも作れるならちょうど良い。


「材料もだいぶ重なってるしね。一石二鳥!」


 小鍋に生クリーム、牛乳、砂糖、ハチミツ、バターを入れて火にかける。くつくつと甘い香りをさせながら煮えてくる。

 焦げつかないように混ぜ続けて、どろりと液が茶色く重くなってきたら出来上がり。

 これを四角いトレーに流し込んで、冷やしてカットしたらキャラメルになる。


 あたたかいキャラメルをスプーンに乗せて、ふうふう冷ましてからフィリアスさんに差し出す。

 さっき大量アイスをみるみる完食してしまったくちびるが、すこし青ざめている。これでちょっとでもあったまるといいのだけれど。


 ぱくっとスプーンの先をくわえたフィリアスさんの目が大きくなって、あ、これは美味しかったんだな、と表情だけですぐに伝わった。


「追加アイス、すぐ作ろう。キャラメル、絶対に合う」


 フィリアスさんは宣言し、ひとつ深々とうなずく。


 細かい初級の魔法陣が、迷うことなく空中に次々立ち上がっていった。計る、割る、分ける、混ぜる、点火、火力、加熱時間——さまざまなことを発現させる小さな陣が、にぎやかに、びっしりと目の前の空間を青白く輝いて埋めていく。


 そして、閃光がためらいなく端から端へと順に走り抜けて。


 みるみるうちに、白ゴマアイスが再び鍋いっぱいに現れた。


 フィリアスさんは鍋からひとさじすくって、私の口元に持ってくる。思わずぱくりといただいた。

 冷たい甘さが口いっぱいにほどける。そのまま喉を通り抜けて、お腹に幸せが広がっていく。


「うん、完璧にできてる!というか、こっちの方が口あたりが滑らかで好き! フィリアスさんすごいね。最初はあんなに料理魔術に手間取ってたのに。すっかりコツを飲み込んじゃった」


 大興奮しながら、冷やし固める分のキャラメルをトレーに流し込んでおく。

 一方で、フィリアスさんが作ってくれたアイスを盛り付ける。あたたかいキャラメルを、その上からとろりとかけた。


「おいっっっっし! あったかいのと冷たいのが口の中で溶け合っていくのが面白いこれ!」


 見るからに美味しそうなホットキャラメルのアイスは、想像を遥かに上回る初めての味わいだった。私はスプーンをくわえたまま悶絶してしまう。


「うん」


 食べながら、フィリアスさんは首を傾げる。


「これに、クルミを載せたらどうだろう」

「うわ、フィリアスさん天才! それ絶対美味しいやつ」


 とたんにパチリ、と指が鳴って、細かく砕いたクルミが出てくる。パラパラとアイスに振りかけたら、


「香ばしいし、食感が変わってこれまたいい感じ! もう、こんな絶品アイスがすぐ作れちゃうのって、フィリアスさんの魔術最高すぎる!!」


 興奮が止まらない私の口元に、隣からアイスを載せたスプーンが伸びてくる。


 ぱくりと反射的に食べてしまって、「おいしーい!」と顔がうっとり崩壊している間に、またひとくち、またひとくち。


 運ばれてきたアイスが、次々と口の中で溶けていく。


 とうとうフィリアスさんのカップの中のアイスがすべて私の口の中に消えてしまってから、我に返った。


「ごめん!美味しすぎて全部食べちゃった。ほんとごめん!」

「いや。たいへん満足した」

「でも、もっと食べたいんじゃない?」

「うん。でも、非常に満足した」


 よくわからないことを言いながら、フィリアスさんは自分の口の脇をトントンと指で叩いた。


「ついてる」

「あ、アイス?」

「うん」


 思わずぺろっと舌を出して、そのあたりをなめてみる。


「とれた?」

「まだ」


 口の脇にのばそうとした私の指を素早くつかんで、フィリアスさんの顔が素早く近づいてきて、素早く——ペロリと口の脇をなめた。


 な め ら れ た ! !


 瞬間、顔から火を吹いた。もはや大火事だ!消火!消火しなきゃ!空いた片手で顔の下半分を必死でガードする。


「ちょ、ちょ、フィーさん!待て!」

「待て、ということは、よし、になったらもっとなめてもいいんだろうか」


 大真面目に聞き返されて、私は固まった。きゅっと指がさらに強く握られる。


「甘くてとても美味しかった」


 やめて!なんだか期待に満ちあふれた犬みたいな顔してこっちを見ないで!


「だめ」


 じわじわ再び近づいてくる口を、慌てて手で塞いで押し戻す。


 アイスブルーの瞳が少し細められて、とろりと私を見つめている。その甘さに思わず息を飲む。


 先日、フィリアスさんと初めてくちびるを交わした。でも、あれは、キスというより何かとても大切な儀式みたいで。胸がいっぱいになって、頭が真っ白になって。その後、ふたりでしばらく固まって、「あ……そろそろ……寝とこっか?」みたいな感じになった。


 でも、これは。これはダメなやつ。甘い。溶ける。溶けちゃう。アイスより早く溶けちゃう。


 押しつけたままの手の下で、彼の頬がゆるむ感覚がする。ペロリ、と手のひらをなめられた。なんで、どうして、フィリアスさんの犬化が止まらない。またしても、ペロリといかれて、


 ——とうとう私は全力で叫んだ。


「フィーさん!ハウス!」




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