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筆耕マギーは沼のなか  作者: コイシ直
第13章 マギーと不穏な気配

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(13-3)フィリアス、覚える①

 

 向かった林檎亭は、仕事あがりの人たちで大にぎわいだった。


 シャーリーがすでに待っていてくれて、私を見るなりぎゅうと飛びついてくる。あのおとり作戦以来の再会で、私もぎゅうと抱きしめかえした。


「マギー! 無事でよかったよぉぉぉぉぉ」

「心配かけてごめんね。本当にいろいろありがとう」


 心からお礼を言って、アンブルストンの人気店で買ってきたフルーツケーキの包みを手渡す。


「これ、お土産。ちょっと週末、実家に帰ったから」


 同じケーキを受け取ったコールが、ギョッとした顔で私を見た。


「え、アンブルストンのお菓子なの? ちょっと週末だけ帰る、ていうにはかなり遠いし時間が足りないよね? ……って、あ。いや、すぐに往復できる方法あるね。そうか」


 隣に座ったシャーリーと目を見交わし、何かを小声で話している。


「……フィリアス閣下、移動魔術で実家挨拶?めっちゃ攻めるね。僕たち、先越されそう?」

「……マギーの髪留め、閣下の魔力の色よね?」


 私は別のことに気を取られていて、かばんの中を漁った。思わず首を傾げる。お土産を3つ持ってきたはずなのに、2つしかない。残りの1つは置いてきてしまったのだろうか。念のため、今日の飲み会のメンバーを確認する。


「今日は、ハリー先輩は来られないの?」

「衛兵隊の詰め所にいたから声は掛けたけど、深夜番なんですって。夜廻り警備をするから、今回はパスって半泣きで言われたわ」


 同じ王都第2区勤めのシャーリーが直接声をかけてくれたらしい。

 半泣きの熊みたいに豪快にベソをかく先輩の顔が思い浮かんで、私は慌ててブンブンと首を振った。少しの申し訳なさを頭から追い出す。


 気の毒だけれど、街の治安は大事だよね。また次回、誘ってあげよう。思いつく次の機会と言えば、


「じゃぁ、今度、学院でロッカさんのネイルアートセミナーをする時にでも、声をかけてみる? 打ち上げにって、大きなお肉持ってきてくれそうじゃない?」


 注文のために店員さんを呼び止めようとしていたシャーリーの手がぴたりと止まる。ぐいぐい大きく身を乗り出した。


「え、ロッカさん、って、ロッカ・キシン?! あの?ネイル魔術の?!」

「そう、魔法陣研究サークルのためにセミナーしてくれることになって」

「ほんと!? 私も行きたい!」

「シャーリーならそう言うと思った。一緒に行こ!」

「ぜっっっったいに行くわ!!!」


 シャーリーも昔からロッカさんのネイルアート魔術の大ファンなのだ。そういえば、と私は思い出す。


「ハーフォードさんの娘さんのルミちゃんとレイちゃんもセミナーに参加したいって、すっごく楽しみにしてた。当日紹介するね」


 とたんにコールが本日2度目のギョッとした顔をこちらに向けた。


「え、第1魔術師団長のお嬢さんたち? マギー、面識あるの?」

「うん、最近ときどき夕ご飯を一緒に食べるんだよね。私のネイル、ロッカさんにしょっちゅう色々塗り直してもらってるから、ふたりとも興味しんしんで。自分もやってみたい!って」


 今日みたいにフィリアスさんが仕事で遅くなることも時々あって、帰りを待ちつつハーフォードさんのお家で夕飯をご馳走してもらう機会が増えていた。

 食事のお礼に子どもたちの宿題を見てあげたり、レイちゃんが自分の好きな小説をニコニコしながら貸してくれたり。妹ができたみたいで、本当にうれしい。


 ちょうど昨日は、ロッカさんのセミナーのあと、みんなでお揃いのネイルにしようねって盛り上がったところだった。


「すっかり家族扱いだね……閣下ほんとに攻めてるな……」

「囲い込みがすごいわね……」

「え?なに?」

「ううん。僕も楽しみだなって。お嬢さんたちって、学院生なんだ?」

「そう、2年生と1年生。制服着てるの、とってもかわいいんだよね。懐かしくなっちゃう」


 そこから先は、学生時代の思い出話に発展していって、いっぱい話して、もりもり食べて。あっという間にラストオーダーの時間、というところで、ぽんぽんと後ろから頭を叩かれた。


 とたんに心が跳ねた。振り返る。思ったとおりの人がそこにいただけで、うれしくなって私は笑った。


「フィリアスさん、お疲れさまです。会食、終わったんですか?」

「うん。疲れた」


 見上げたフィリアスさんの顔が、完全にげっそりしている。会食も会議と同じくらい好きじゃないんだろうな、と一目でわかる。


「何か食べます?」

「ううん。いらない」

「じゃぁ、帰りましょっか。お会計を」

「済ませた」

「え、済ませてくれたの?」

「うん」

「僕とシャーリーの分、払います」


 慌てて中腰になるコールを、フィリアスさんの右手が押し留める。


「いや、いい。先日からの働きを考えると、これでもまだ足りないだろう」

「あ、ありがとうございます……?ごちそうさまです……。今日の閣下、めちゃくちゃしゃべりますね……? あ、いや、その」


 思わず、といったようにぽろりとコールがこぼし、慌てたシャーリーに脇を小突かれる。


 フィリアスさんは私の腕を取って立たせ、通勤リュックをひょいっと取り上げながら、口元をほんのりゆるめた。


「そうだな」


 ちょびっと得意そうに言われ、あぜんとしているふたりに「またね!」と手を振って店を出る。


 私は隣を歩きながら、機嫌良さそうに頬をゆるめたままの横顔を見上げる。やっぱり、少し疲れの色があった。食べたいものをたくさん食べた時のフィリアスさんは、こんな顔をしていない。心配になってしまう。


「フィリアスさん、会食でお腹いっぱいになったの? お料理そんなにたくさん出てくるもの?」

「いや。量は足りない。そもそも、心を許せない人間の前で食事をとりたくない」

「あはは、会食全否定しちゃった」

「最初からこちらに来たかった」


 言いながら路上で立ち止まり、私の手を取る。移動魔術を使うんだろうな、と思ったのに、魔力の青い光は現れず、そしてフィリアスさんは眉をひそめてこちらを見た。


「手が冷たい。……今日は、いつもみたいに酔ってないんだな?」




 高原の家に戻って、ゆっくりお風呂に入っても、スパイスを入れたホットワインを飲んでみても、私の手の冷たさはそのままだった。


 なんだか暗い部屋で眠る気がしなくて、ひさびさに居間の暖炉の前にマットレスを敷いてもらった。


 座り込んで毛布にくるまり、炎を見つめる。ヴェルナン高原は、初夏でも夜はかなり涼しい。その冷気が体の内側に入り込んでしまったみたいに、体の中で冷たく重いものがわだかまっている。


 何かが気になる。何かを忘れている気がする。でも、何を。


 後ろから毛布ごと包み込むようにして、フィリアスさんの両腕がにゅっと伸びてきた。炎にかざしていた私の手を握る。


「まだ、冷たいな」

「ね。どうしたんだろうね。風邪の引きはじめだったらどうしよう。フィリアスさんにうつしちゃう」

「そうしたら堂々と仕事を休める」

「でも、フィーさん、特級魔術師だし、きっと自分に治癒魔法をかけられるんでしょう?」


 私の友だちの魔術師たちは、誰も自分自身に治癒の魔術を使えない。でも、本当に力の強い魔術師だけは、使えるのだと聞いたことがあった。


「会議にも会食にも行かなくて済むのなら、風邪がいい。治癒魔法なんて使わない」


 ふてくされたように言いながら、ぐいっと体を引き寄せられる。背中がフィリアスさんのお腹にぴったりくっついた。ふわりと追加の毛布がひとりでに現れて、私たちの体を包む。さらに体の内側にふわっとぬくもりが走った。


「今、私に治癒魔法を使ってくれた?」

「うん」

「残念。仕事、休めなくなっちゃったね」


 笑いながら、背中を完全にフィリアスさんに預ける。後ろからすっぽりと抱っこしてもらって、あたたかくて、心から安心して、力が抜けて、それでもまだ手は冷たいままに、

 ——カタカタと、体が震え始めた。


「あれ、なんでだろう」


 笑おうとする端から、くちびるが震えて、歯の根が合わなくなる。カチカチと歯が鳴る。

 背中から冷たい汗が吹き出してくる。

 まるで図書館でのうたた寝から目覚めた時みたいに。


「マギー」


 フィリアスさんが鋭く名前を呼んだ。横から私の顔をのぞき込んでいるのがわかる。でも、私はそちらに向く余裕もなくて、


「マギー、どうした」

「わ、わからない。すごく、すごく……こわい」


 震える手でフィリアスさんの腕を必死でつかんだ。


 なんでこんなに怖いのか、わからない。絶対に何かあるはずなのに思い出せない。それが怖い。本当に怖い。何かを書き写そうか。とっさに思う。それがいつもの心を落ち着ける方法。でも、こんな震えた手で?思うそばからますます体が冷たく震える。


「どうしよう。こわい。思い出せない」


 それだけ言うのが精一杯な私の体が、きつくきつく抱き込まれる。あごのすぐ下にフィリアスさんの腕がきて、とっさに顔を埋めて彼の匂いを吸い込んだ。あたたかい。いいにおい。安心する。なのに震えがまだ止まらない。こんなの絶対変だ。何かがおかしい。


「大丈夫だ」


 目の前に、青白い魔法陣が瞬時に浮かんだ。震える視界でもすぐにわかる。回復の魔法陣。私の体に吸い込まれていく。


「俺がいる。大丈夫。君のためなら、なんだってする」 


 耳元に流し込まれる言葉と、伝わってくるぬくもりに、私はしがみついた。知っている。この人は、いつだって、私のことをこうやって守ってくれようとする。それに甘えすぎちゃいけない。でも今だけ少しだけ、


「もっとぎゅっとして」

「うん」


 さらに魔法陣が目まぐるしく浮かび上がる。嵐のように湧き上がる。


 回復の魔法陣、治癒の陣、解呪、守護、加温、召喚、治癒治癒、加温加温加温加温加温——


「ちょ、ちょっと、ちょっと待って、フィーさん!暑っつ!落ち着いて!フィーさんってば!ねぇ、」


 夢中で叫んだ。


「フィリアスさん!待て!」


 湧き続ける魔法陣が、ぴたり、と止まる。


「お手!」


 差し出した私の両手のひらに、ぽん、っとフィリアスさんの両手が後ろから乗っかる。


「よし」


 ぎゅうとその手を捕まえて、とっさにほめる。


「待てができるフィーさんかわいい!えらい!好き!」


 くぅ、っと私の頭の上で変な音を発したっきり、フィリアスさんが完全に動きを止めた。

 私の体の内側から、笑いが込み上がってくる。なんだこれ。よくわからないけど、


「こわいもの、なくなっちゃった」


 口に出したらますますおかしくなる。何に怯えていたんだろう。フィリアスさんがいてくれたら、私は、こんなに大丈夫。体も心もすっかりあたたかい。


「フィーさん、守ってくれてありがとう。でもこれ、なんだろう……私たち、キャベツかな?」


 いつの間にか、胴より下に、何枚もの毛布がぐるぐる巻き付いている。剥がしても剥がしても毛布が出てくる。


 そして、異様に汗だくだ。あからさまに魔術の使いすぎだった。得体の知れない恐怖の汗はとっくに引っ込んでいて、もうひたすら物理的に暑い。皮膚に触れてくる部屋の空気が、もわりと暑い。この感じ……サウナだな! 一度、実家近くの温泉リゾートで体験したことのある暑い小部屋にそっくりだ。


「マルタ帝国の砂漠って、これくらい暑いのかな?」

「……いや、これよりは涼しい」


 体をねじって見上げたフィリアスさんの顔が真っ赤だ。 


「あはは、マルタ帝国に勝っちゃった!」


 よく見たら、つかんだ大きな手まですっかりのぼせて赤くなっている。

 これはもしかして、実家から持ってきたレシピ本の出番かな!


「フィリアスさん、こんなときこそアイスじゃない?!」 



早いもので、三が日も今日まで…!

明日から、朝5時投稿にさせていただきます。

引き続き、どうぞよろしくお願いします!


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