(12-2)マギー、実家に顔を出す②
なんだか仲良くなってしまったフィリアスさんと父は、さっきから本棚の前に立ったままだ。
古書店でずっと売れなかった魔術書を一緒に覗き込んで、何やら熱心に話し込んでいる。熱心すぎて、周りの声すら聞こえていない様子なのがすごい。
「すっかり意気投合しちゃったわね」
アンナさんが笑ってお茶のおかわりを差し出してくれた。私たちがお土産で持参した紅茶だ。
本当はフィリアスさんに魔術でお菓子を作ってもらおうかな、とも思ったのだけれど、父が食べたら興奮して収拾がつかなくなりそうな気がして、今回は諦めた。アンブルストンにスイーツショップを出そう、とか言い出して、実際に店舗を借りかねない。
父が「これ!」と思い定めた時のバイタリティーと決断力は、凄まじいものがあるのだ。
何せ12年前、兄が王立学院に進学すると決まった時に、「心配だし家族で一緒にいたいし王都に2店舗目を出そう!」と思い立ち、たった1カ月ですべて段取りし、意気揚々と家族3人そろって王都に住んでしまった人だ。
「わぁ、アンナさんのお茶好き!ありがとう!」
お礼を言って、カップを受け取る。王都の家では、しょっちゅうアンナさんと兄とごはんを食べていた。
でも、実家でアンナさんがお茶を入れてくれるなんて。なんだか特別で、少しこそばゆいような、不思議な心地がする。
「それで、兄さんたちの顔合わせは、昨日無事に終わったの?」
「父さんとアンナは仲良しだしね。そりゃぁ大喜びだった。むしろ僕が、ようやくか!って怒られたよ」
アンナさんは、もともと王都の店の常連さんだ。たぶん、アンナさんが王立学院に入ってすぐの頃から通ってくれているから、もうかれこれ10年くらいになる。
私たち兄妹と読書の趣味が似ていて、アンナさんは本だったらなんでも読みたがる。1学年上の兄と一緒に学校からうちの店に帰ってくるなり、夢中で本を読んでいることも多かった。
そのころの父は、平日は王都の店を開けて、観光シーズンの休日だけ毎週アンブルストンの店を開けに帰る、みたいな変則的な生活をしていて、いつもにこにこしていたけれど、実は相当大変だったのではないかと思う。
父が不在の時は、兄がごはんを作ってくれて、アンナさんが手伝ってくれることもしょっちゅうだった。
そして、兄は、父の後を継いで古書店の店主になり、アンナさんは王立図書館の司書になり。私はふたりの背中を見ながら、王宮の筆耕官になった。
ふたりがいてくれなかったら、今の私はいない。
「ずっとこちらのお家に来てみたかったから、昨日は興奮してしまって」
アンナさんは言いながら、応接間の壁をぎっしりと埋め尽くしている本をうっとり見回した。基本的に、うちの実家は、壁という壁が本棚になっている。何もないのは廊下ぐらいだ。
「今朝もマギーちゃんたちが来るまでずっと、本をあれこれみていたの」
「アンナさんたちのために張り切って臨時休業してるんでしょ。下のお店の本も、上の家の中も、いっぱい見ていってあげてね」
お店の本、と聞いて、兄が何かを思い出した顔をした。
「そういえば、マギー、マルタ帝国のお菓子に興味があるって言ってたよね? さっそく父さんがレシピの本を何冊か仕入れてたよ。店のカウンターの中に置いてある。読みたかったら持っていっていいって」
「ほんと?! ちょっと見てこようかな!」
ちらりとフィリアスさんを見る。まだ魔術書を読み込んでいて、しばらくかかりそうな雰囲気だ。邪魔をしたくないから、声をかけずにさっと見てこようと決めて、立ち上がる。
「まあ!私も見たいわ。王立図書館でもあまり見たことないもの」
私と一緒に、アンナさんもうきうきと腰を上げる。
「ついでにこの写真アルバム、片付けてくるね。あれ、そういえば、アレクの写真ってこのアルバムになかったっけ?」
口に出した瞬間、大きな違和感が、あった。
つい最近、どこかで、その名前を聞いた気がする。
思い出そうとする。もやもやとした何かに阻まれて、たどりつけないもどかしさがよぎった。
どうして? 大好きだったオオカミ犬の名前を?
どこで?
——思い出せない違和感が、するりと溶けて、消えていく。
……あれ、何を思い出そうとしていたんだっけ?
「そういえば、マギーがアレクの首にしがみついてる写真あったよね。別のアルバムかな。アンナは知ってたっけ? アレクって、昔、ここで飼っていた犬なんだ。すごく賢かったんだけど、ある日、どこかに行ったまま戻ってこなくて。僕もマギーも大泣きしたよね」
兄は懐かしそうな顔をすると、立ち上がった。
「僕も一緒に行って、探してみようか。ひさびさにあの写真を見たいな」
結局、お目当ての写真は見当たらず、いろいろ過去のものをひっくり返しているうちに、兄の描いた絵やら、私が授業でやった刺繍やらが出てきて、父の物持ちの良さにびっくりしてしまった。
それから、マルタ帝国のレシピ本を開いて、お菓子の多彩さと文字の美しさに大興奮したり、フィリアスさんが店の倉庫を見学しにいったり、ランチをみんなで食べにいったり。
あっという間に時間は過ぎて、とうとう父が今日いちばん楽しみにしていたビッグイベントの時間がやってきた。
昼さがり。
張り切った父に連れられて、街から少し離れた湖に移動する。蒸気自動車や魔力自動車のタクシーもあるのだけれど、アンブルストンはいかにも観光地らしく、クラシックな辻馬車もいまだに活躍している。
せっかくだからそれに乗って行こうか、ということになった。
初めて辻馬車に乗るフィリアスさんは、2頭立て4輪の馬車を凝視し、「屋根と手すりしかついていない」と驚き、「案外揺れない」と驚き、「風を感じる」と驚き、「馬のお尻の筋肉」と驚き、とにかく私の隣で時々小さくぼそぼそ驚いているうちに、あっという間に目的地に到着してしまった。
降りた後、ほんのわずかに名残惜しそうにちらりと横目で見ていたので、きっととても気に入ったのだと思う。帰りも馬車で帰ってあげたほうが良さそうだ。
ついた先にあったのは、父お気に入りの湖畔のレストランだった。
この湖では、鱒の養殖が行われていて、レストランの裏手に作られた広いデッキで釣りができる。好きなだけ釣って、それをすぐに料理してもらえる形式で、とても評判の人気店だった。
ムニエルや、旬の野菜やチーズと一緒に揚げたフリット、白ワイン蒸しやパイ包み、とにかくどれを食べても美味しい。子どもの頃から家族3人で、いったい何匹釣り上げてきたことか!
「よし、誰がいちばんたくさん釣れるか競争だ!」
父の号令で、釣り竿片手に5人横ならびで準備を始める。
釣り初体験のアンナさんは、兄と父に挟まれて楽しそうにやり方を教えてもらっていて、私が手伝う必要もなさそうだ。私が気にしなくてはいけないのは、隣のフィリアスさんだけで——
「だめ!」
とっさにフィリアスさんの右手をぎゅっと上からつかむ。練り餌の入った容器に手をかざしかけている。小声で止めた。
「今、魔術を使おうとしたでしょ?」
無言でわずかにフィリアスさんの目が泳ぐ。
「魚が寄ってくるように、エサに術かけようとしたでしょ?」
ちょっと動揺したようにアイスブルーの瞳が一瞬そらされてから、きょろっと私を見た。
「……だめ?」
「だめ。魔術は使わずみんなで公正に釣り競争」
「………わかった」
くっ、と私の隣に座る兄が我慢できずに小さく喉を鳴らして笑う。
「マギー、すっかり慣れたね」
何にかな?!と思いながら、自分の釣り針を湖に放り込んだ。
そして非常に公正に釣りを進めた結果、一番釣ったのはなんとフィリアスさんだった。手つきもあれこれとってもスムーズで、なるほど釣りが趣味というだけのことはある。
するすると大きな鱒を5匹も釣り上げて、
「使ってないから」
言い訳するように、もそりという。
「使ってないから」
大事なことなので、2回も言う。
「魔術無しでよくできました!」
いつもの逆で私がフィリアスさんの頭をぽんぽんと叩いてみたら、
「うん、よくできた」
と、ぽんぽんと叩き返されて、ふわりと体に守護魔術がかかった。完全に「ぽんぽん」と守護魔術が一式セットになってしまっている。私にはできないのがちょっと悔しい。
5人で13匹も釣ったので、大変豪華な食事になった。いつもだと、食べきれない分は持ち帰るのだけれど、この場に魔術師がいるからには残るはずもなく。
「フィリアス君はよく食べていいねぇ! アンナちゃんはそろそろデザートを食べるかい?」
上機嫌な父は次から次へとフィリアスさんのお皿に食べ物を盛り、フィリアスさんは次から次へとひたすら平らげている。
あまりにテンポの良い盛りっぷりと食べっぷりに、アンナさんは「息ぴったり」と微笑み、兄は「何かの修行かな」と笑いを噛み殺している。
私は父とフィリアスさんが並んでごはんを食べているのがうれしくて、幸せそうな兄とアンナさんを見ているだけで幸せで、そして自分のお腹はとっくにパンパンだった。
ワインのボトルもどんどん空いて、みんなでいい気分になっていく。
フィリアスさんがあまりに食べるものだから、はしゃいでしまった酔っ払いの父が、メニューにあるデザートを山ほど頼み、フルーツ山盛りのホールケーキまで出てきてしまい。
本当に何の修行だろう、という量を、フィリアスさんはひとりでぺろりと食べ切った。
さて、帰るか、と立ち上がったとき、
「あ」
フィリアスさんが、淡々と、小さく声をこぼした。少し驚いたように目が見開かれて、もうすでに店の出口に向かい始めている父の背中を見ている。
「なに? どうかした?」
「満腹だ」
「……え?」
「満腹だ」
「ええ?!初めて聞いた」
「俺も、初めて言った」
フィリアスさんは、ぼうぜんとつぶやいて、自分のお腹を見る。
「そうか、こんな感じなのか。すごいな。君のお父さん」
「大丈夫? お腹ぎっちぎち?」
「うん。ぎっちぎち」
「あはは。私とおそろいだね」
「……そうか」
フィリアスさんは、ふっと息を吐き、口元を大きく緩めた。小さく、うれしそうに言った。
「おそろいか」
私は何だか言葉が出てこなくなってしまって、フィリアスさんの手をぎゅっと握った。この顔を、きっと一生忘れないんだろうな、と思う。
帰りものんびり馬車に乗った。
カンティフラスの夏の日は長い。この時期は、20時を過ぎた今ごろになって、ようやく夕暮れが訪れる。馬車は果樹園の合間を抜けていく。
あたりいちめんリンゴの花が満開で、咲きほこる白い花びらが可憐に揺れている。行きは青空のもと、薄ピンク色のつぼみまではっきり見えていたけれど、今はすっかりすべてが夕焼け色だ。
馬車の一番後ろの席で、ぼんやりと景色を眺めるフィリアスさんの横顔は穏やかだった。隣の私も、すっかり満たされて、刻一刻と色を変える日没の空を眺める。
少しずつ空の上の方から、夜がやってくる。ほんのり酔いの回った頬に、宵闇の涼しい気配が心地よい。
フィリアスさんが、ふと、落ち着かない様子で両手を見た。魔力量の多い人は、あまり魔力を使わないのも体の負担になる。私は急に心配になった。
「もしかして、魔力を溜め込みすぎた?放出したい?」
「朝の移動でだいぶ使ってるから、大丈夫。……でも、少し使おう」
その手に、青い魔法陣が立ち上がった。
ふわりと光の粉に転じ、瞬く間にキラキラ金色に輝く蝶の群れが生まれる。
馬車のなかを、華やかな光の蝶がひらりひらりと飛び回る。
目の前で戯れるように羽ばたくたびに、そこから光のかけらがこぼれて空気に溶けて。
やがて馬車の幌の内側に止まり、夕暮れの車内をふんわりと明るく照らした。
父も兄もアンナさんも、初めて見るフィリアスさんのやさしい魔法に言葉を失っている。
「本当は、ホタルにしようかと思った。でも、それは、君とレットにいってから」
身を屈めて小さく私にだけ聞こえる声でささやいて、フィリアスさんは私の小指に自分の小指をきゅっと絡めた。




