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筆耕マギーは沼のなか  作者: コイシ直
第11章 マギーのようやく魔術科の日々

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(11-3)マギーと楽しいことひとつ

 

 その後は、ロッカさんとのやりとりを見ていたメンバーから次々と資料確認を頼まれて、とっても充実した時間になった。


 見たことのないオリジナル開発の魔法陣もたくさんあった。まだ試験段階のものなんだそうだ。

 さすが魔術研究の最先端をいく部署なんだなぁ、とあらためて実感する。

 そんなとびきりの研究が書かれた紙をほいほい渡されて、背筋が伸びつつワクワクしているうちに、あっという間に時間が過ぎていく。


 その日のフィリアスさんの会議は、17時には終わる予定だった。いくつかの資料チェックを預かりつつ、執務室のある5階に戻って待機する。


 でも、会議終了の予定時間を過ぎても、フィリアスさんは戻ってこなかった。

 まあ、会議が長引くのはよくあることではある。


 なので、先に筆耕科に行って、午前中に仕上げていた書面を提出することにした。


 魔術研究棟を出て、勝手知ったる一般棟を足どり軽く歩いていく。


 廊下の角を曲がったとき、声をかけられた。


「マギーさん、お久しぶりです」


 近衛隊の軍服をきた黒髪の男性で、何回か話したことがあった。名前と階級は……ロック…何だっけ?


「ケント・ロック第2近衛隊少尉です。ご無沙汰しています」


 ああ、そうだ。昨年末の王宮の納会で、同年代の気軽さでお話しした人だった。

 大園遊会の時の近衛隊の公開パレードがきれいですよね、って話をして、公開練習があるのでぜひ見にきてください、って言っていた人だ。そのあと、こんな感じの立ち話で、何度か練習の日程を教えてくれていた。


「ロック少尉、ご無沙汰しています」

「お元気そうな顔を見られて、ホッとしました。あの新聞記事を知ってから、とても気がかりで」


 私が殺されたという記事のことだろう。こういう品行方正で真面目そうな人でも、ああいうゴシップ新聞を目にすることがあるのか。びっくりだ。


「それはお騒がせして申し訳ありませんでした。どうしてあのような記事が出てしまったのか、私もよくわからないんですけれど……」


 苦笑いを浮かべて、何となくあいまいにごまかしておく。


「長い間、マギーさんの姿を見なかったので、余計に心配でした」

「お気遣いありがとうございます。しばらく出張に行っていたんです。今、魔術科に出向しているので」

「なるほど。それでだったんですね。テナント閣下と一緒に歩いているのをお見かけしたので、少しびっくりしてしまって。その封筒に書かれた文字も、魔術関連のものですか?」

「いえ、これは筆耕科の手伝いの書類です」


 そうだよね、レット語で書かれた文字なんて、普通読めないよね。これを読めるフィリアスさんはやっぱりすごい。

 あ、フィーさん、この爪の色に気づいてくれるかな。何か言ってくれるかな。このネイルアートの魔法陣、知ってるかな。もうそろそろ帰ってくるかな。早く執務室に戻らないと。


「出張からお戻りになって、お疲れでしょうか? 今週末に近衛の公開練習があるので、もしお時間あったらと思ってお声がけしたのですが……」

「すみません。今週末は予定があるんです。練習、頑張ってくださいね」


 週末は、フィリアスさんとキャラメルを作って、翌日はおいしい白ワイン目指して野バラの丘をハイキング! 

 顔がどうしてもゆるんでしまう。ふふふ。父と兄にお土産のワインも買って帰りたいな。


「……かわいい……」


 何かが聞こえて、はっと我に返る。いけない、週末に意識が飛んでしまっていた。


「あの、何かおっしゃいましたか?申し訳ありません、聞き逃してしまって」

「いえ、何も」


 首を振ったロック少尉は私を筆耕科まで送ってくれようとしたので、丁重に辞退して、ぺこりと頭を下げて失礼した。


 だって、筆耕科って、次の角を曲がったすぐそこなのだ。近衛の人は、どの人もとても紳士で、だいたいみんな目的地まで送ってくれようとするのがすごい。


 筆耕科に入って、部長に仕上げた書面を提出する。また手があいた時には手伝わせてほしいことをお願いして、オフィスを出ようとしたら、


「マギーちゃん!いいところに」


 筆耕官の先輩のお姉さま方に声をかけられた。


「どうしました?」


 盛大に手招きされたのでひょいひょい近寄っていったら、


「ねぇねぇ、マギーちゃんが一緒にランチ食べてた美形、誰?!」


 いきなりぐいぐい詰め寄られる。一瞬、ん?と思ったけれど、ああそうか、フィリアスさん、そういえば顔は整ってるもんね。ついさっきは売られた子牛そっくりだったけど。


 なるほど、だから食堂であんなに視線を感じたのか。ハーフォードさんも筆耕科のお姉さま方の目の保養対象だったから、フィリアスさんもお仲間入りかな?


「フィリアス・テナント閣下ですね」

「えぇー!うそー!」「ほらやっぱり。銀髪は王宮に2人しかいないし」「え、髪切ったの?!」


 口々に言われて、どれから答えよう。まぁ、いいか。逃げちゃおう!


「髪を切ったフィリアス・テナント閣下ですね。あ、そろそろ戻らないと!」


 また何か口々に言われたけれど、


「また落ち着いたらランチご一緒したいですー!今は時間がなくて本当にごめんなさい!」


 にこにこ笑顔で脱出した。すごいね、ただそこにいるだけで目立つ、って大変なんだな。筆耕科のお姉さま方にも、近衛隊の人にも、みんなから注目されている。だからフィリアスさんは伸ばした前髪で顔を隠していたんだろうか。




 執務室に戻ると、そのうわさのフィリアスさんが、デスクに突っ伏していた。いつも机にいるときは、背筋をぴんと伸ばして椅子に腰掛けているのに。


「フィリアスさん?! どうしました? 大丈夫?!」


 右肩に手をかけると、フィリアスさんの左手にぎゅうと上から握られた。少し持ち上がった顔が、ひどくげっそりして見える。


「大丈夫。会議が苦手なだけ」

「苦手なんですか?」

「知らない人が密集したところは、好きじゃない。……ドロドロした気配があちこちからして、胸が詰まる。今日は特にひどかった」

「じゃあ、ランチの食堂も、大変だったんじゃぁ……」

「君がいるなら、行ってみたかった。思ったとおり、平気だった」


 ゆっくりと体を起こし、ぐったりと椅子の背もたれに体を預けて目を閉じる。


 その間もぎゅっと手を握られていて、やがてするっと爪の形を確かめるように撫でられた。


「爪の染色魔術だ」


 目を開けて、じっと私の爪の先を見る。


「ロッカ・キシンの術か。不思議な色だな」


「そう!ロッカさんのネイル魔術! 私、この色がすごく好きで。乳白色で、ほら、光の加減でうっすら緑やピンクを帯びるでしょう? 学生時代、よくこの色にしてたの。まさかご本人にやってもらえるなんて、もう最高すぎる!」


「……いつも君の中には、好きとうれしいがいっぱいだな」 


 静かに言いながら、フィリアスさんはまた目を閉じて、私の指を、自分の額に押し当てる。


「心地がいい。俺がこれまで見ようとしなかったものばっかりだ」


 ぽつり、と声が漏れる。


 ——たくさんの人の注目を浴びても、たくさんのことを勝手に言われても、まるで平然として見えるけれど。この人の中は、きっととてもやわらかくて、やさしくて。


 もしかしたら、とても孤独で、あやういのかもしれない。


「フィリアスさんの中も、これから好きとうれしいと楽しいでいっぱいにすればいいと思う!」


 私はとっさにフィリアスさんのおでこに置かれた自分の指で、こしょこしょと硬い額をくすぐった。

 バッとフィリアスさんがのけぞって離れて、目を丸くしている。あはは。かわいい! 


 勢いづいて止まらなくなってしまって、思いっきり脇腹を両手でくすぐってみる。


「ちょ、やめ、うわ!」


 変に情けない声を出して、フィリアスさんが悶え、「あは!」と声を出してとうとう笑った。


 ——フィリアスさんが、笑った!!!


 声に出して笑った本人が、一番びっくりして固まっている。もう、どうしようもなくかわいい。


「はい!楽しいことが一つ増えました!」


 宣言して、両手の指をくすぐる形にわしゃわしゃ動かして見せる。フィリアスさんはびくりと身構えた。


「あはは!もうやらない!今日は」

「……今日は?」

「明日は明日の風が吹く」


 私は笑って、フィリアスさんの手を引っ張った。


「そろそろおうちに帰りましょ。明日が楽しみですね!」




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