(11-2)マギーの魔術科オフィスデビュー
「ご挨拶が遅くなりました。マーガレット・レーン業務補佐官です。本日より、オフィス勤務をさせていただいております。階級は2級筆耕官。筆耕科より出向してまいりました。席はテナント閣下の執務室と、こちらのオフィスエリアの両方にあります。閣下のチェックが済んだ業務レポートは、今後、私より直接返却させていただきます。提出についてはこれまで通り、決裁ボックスにお出しください。どうぞよろしくお願いいたします」
はっきりきびきびと、声を張って挨拶する。
魔術研究棟3階にある、第2魔術師団のオフィスフロア、15時。
所属の20名全員が揃ったタイミングで、とうとう顔合わせすることができた。挨拶し終わったとたん、どよめきが起こる。
「めちゃくちゃしっかりしてんな」
目の前に座っている壮年の男性が、日焼けした顔をくしゃっと崩しながら笑う。
「ダイン・クールさんですね。これからよろしくお願いします!」
笑顔で昨日の業務レポートを手渡す。
「え、何で僕の名前、知ってるの? どこかで会ったっけ?」
「座席図でお名前と等級を覚えました」
「うへっ、全員分??」
「はい! それに、ダインさんの小麦改良の論文、学生時代に読みました。種まき前の畑にかける魔術、魔法陣の一部に風魔法を取り入れているのがすごく興味深くて! 今でもあの魔法陣、描くことができます」
「え? 何も見ずに」
「え? あ、はい、もちろん!」
目の前にいるのは、ダイン・クール1級魔術師。43歳。メインの研究は土魔法による農地の土壌改善と作物の品種改良。各地の農業団体と協力しながら、全国を飛び回って活躍している。
——配属先の情報は、せめて最低限のことを覚えてから着任するものだと思っていたのだけれど、あれ、違うのだろうか? ダインさんの目がまんまるになっている。
「閣下、今ここでレーンさんにその魔法陣を描いてみてもらってもいいかな?」
半信半疑の様子でダインさんが、私の後ろに立っているフィリアスさんを見上げ、フィリアスさんは黙ってうなずいた。
あれ、フィーさんの口角がほんのわずかに上がっている。何だか楽しそうですね?
まぁ、作者の目の前で魔法陣を描ける栄誉をいただいた私がいちばん興奮しているんですけど!
私は、紙とペンを借り、ダインさんの席に座らせてもらう。
「だいぶ複雑な陣なので、5分くらいかかっちゃうと思いますが、お時間大丈夫ですか?」
「……いや、時間は大丈夫だけど、あれを5分で描けるの?」
「はい、大丈夫です!」
背筋を伸ばし、目を閉じる。その魔法陣を思い起こす。
どっしりと書き込まれた土魔法の文字と線の中に、吹き込むように軽やかに風魔法の言葉が横切っていく。そのバランスがすごく好きで、学院生の頃、何度も練習してから、清書した。忘れるはずがない。ああ、今思い返しても、やっぱり好きだ。
少し懐かしく微笑んでから、集中した。周囲の音が何も聞こえなくなる。
目の前にあるのは、真っ白な紙。
それから、私の頭の中から生まれ出るのを待っている、魔法陣が一つ。
一気に描き記していく。
文字を連ね、線を連ね、また文字を記して陣を生み出す。
最後の一筆まで描き切って、ふう、と息を吐いてペンを置いた。
疲労感がある。でも、とても満足感もある。
「……すごいな、完全に描けている。しかも僕が描くよりはるかにきれいじゃないか」
ダインさんがまじまじと魔法陣を眺めて、笑い出した。いつの間にか、他のメンバーもみんな机の周りに集まってきていて、次々と魔法陣が回覧されていく。
「あははは、閣下肝入りで筆耕科から引き抜かれてきたって聞いて、何で?!って思ったけど。こりゃすげえや。たまに魔力がなくても王立学院で魔術理論を専攻する変わり者がいるけど、レーンさんもそのクチかな?」
「いえ、普通科です!」
「うん?……じゃあ何でこんなに詳しいの?」
「趣味です!」
「趣味」
ダインさんまで、こいつヤバい奴だ、という目で私を見た。
「あ、いえ、学院の魔法陣研究サークルに入って勉強しました。そこのコール・デネリー2級魔術師が部長だったので、いろいろ教えてもらえてラッキーでした」
私はニヤニヤ笑って少し離れたところに立っているコールを見た。助けて。この雰囲気をどうにかして。
そして頼みの綱のコールは、爽やかな笑みを浮かべ、悪魔のように言い放った。
「何言ってんの、マギーが副部長だったでしょ」
「学院普通科で、趣味の魔法陣研究で、副部長……そりゃやべえわ!」
あああ、とうとうダインさんに口に出してヤバい奴認定されてしまった。周りのメンバーたちもダインさんと似たり寄ったりの表情をしている。
こうして、一瞬にして、私は第2魔術師団のヤバい新人として受け入れられてしまったのだった。
いや、受け入れてもらえて、お仕事はとてもやりやすいけれども!
3階オフィスの私の席も、やはり部屋のいちばん入り口にあった。5階の団長執務室との連絡役として動きやすい配置だ。
フィリアスさんは、1日に一度はこのフロアに降りてくるらしい。いろいろな人から声をかけられて、とても簡潔に返事をしていく。
業務レポートに書き込んだ団長コメントについての質問が多いようだ。ときどき、手のひらから青い魔法陣を実際に出して見せることもある。そうしてしばらくメンバーの間を巡った後に、会議があるからといったん部屋を出ていった。
そのとき一瞬、売られていく子牛の目をしてこちらを見たけれど、私にできることは何もないからね!
私は部屋の隅にあるキャビネの前で、ファイリングに取り掛かる。先ほど返却した昨日の分の業務レポートの控えを、個人ごとのファイルに綴じる仕事だ。
「マギー、無事で本当に良かったよ」
そばに寄ってきたコールに声をかけられる。
「心配かけてごめんね。いっぱい捜査で働いてくれたんでしょ。本当にありがとう」
「まあね。ひとまず落ちついたし大丈夫。こんどシャーリーも含めて飲みに行こう。それでさ、」
コールは私の頭の後ろを見て、たいそう面白そうな顔をした。
「その髪飾り、どうしたの。フィリアス閣下の色にしか見えないんだけど」
今日は髪を一つにまとめて、ニーナさんからもらった青いガラスの花飾りをつけている。王宮の一般棟を歩いているときには、誰からも気にされなかったけれど。
「魔術師だったらわかるもの?」
「うん、この部屋全員気づいてると思うよ。どう見ても閣下の魔力の色だなって。強力な守護魔術も感じるし、俺のものだから手を出すなよって威圧感がすごい」
「いやいやそんな、大げさな。これ、ハーフォード・カワード閣下の奥様からいただいたの」
コールはそれを聞いたとたん、大げさにブルリと体を震わせて、交差した両手で二の腕を擦ってみせた。
「こわいこわい。それって要は、特級魔術師ふたりを敵に回してもいい命知らずは遠慮なくかかってこい!ってことだよね。いや無理むりむり。命が100個あっても足りないでしょ。この色の意味を知らない一般人には命の危機がありそうで気の毒だな」
あまりの言われように、私が思わず少し笑いかけたとき、遮るような声がした。
「ちょっとよろしいかしら。レーンさんに会議資料の点検をお願いしたいのだけれど」
「はい!うけたまわります!」
私に声をかけてきたのは、ロッカ・キシン2級魔術師。吊り目の気品ある猫みたいな美人さんで、年齢は26歳。専門は被服学全般で、強化布や染色の魔術分野で成果を上げている。
実は第2師団で私がいちばん仲良くなりたい人だった。けれど、まずは業務を優先させないと。
「会議資料用の魔法陣の描き起こしにミスがないか、チェックしてもらえるかしら」
「承知しました。原本と付き合わせての照合ですね。今すぐ拝見させていただいてもよろしいですか?」
2枚の紙を受け取り、空いていたテーブルと椅子に座る。原本照合はかなり得意な分野だ。左右に紙を並べて、書き漏らしがないかチェックしていく。
「あ、なるほど。原本のここの文字が間違ってますね。それで、新しく描き起こした方はすでに訂正済みなんですね。それ以外のところは、原本と相違なく写せていることを確認しました」
「あなた、本当に魔法陣がちゃんと読めるのね」
驚いた猫みたいに軽く目を見張って、ロッカさんが言う。
「はい、サークルで鍛えられました。ロッカさんも、魔法陣研究サークルで活動されてましたよね? 私、ロッカさんが卒業したすぐあとに入学したんです。その爪の色と形も魔術ですか?」
「そう、自分で作った魔法陣で」
「やっぱり!ネイルアート魔術のロッカ・キシン! 学生時代に本当にお世話になりました! ロッカさんがいろいろ残してくださったネイルアートの術、どれもすっごくすっごく可愛くて。サークルの友だちによく術をかけてもらってたんです。うわぁ、今のその爪の色もすごくすてき。上から下に寒色から暖色に変わるようにグラデーションがかかってるんですね?しかも全ての指で少しずつ違う色調!?うわぁ、どうしよう。さらに進化を遂げている!かっこいいー!」
一気に早口で鼻息荒くなった私に、ロッカさんがちょっと引いている。ごめんなさい。本当に憧れの人なんです。
「そ、そんなに喜んで使ってくれていたのなら、うれしいわ」
「ええ、本当に使いまくってました! 魔力がないので自分じゃできないのがすごくすごく残念」
「そんなに好きなら、今、何かネイルの術をかけてあげましょうか?」
しょんぼり自己申告したら、ロッカさんが気の毒な子を見る目で私を見た。え、本当に?ロッカ・キシンにネイルアートをしてもらえるの?! そんな幸運なこと、本当にいいの?! 興奮しすぎてよだれが出そう!
「マギー、落ち着きなよ。瞳孔開きすぎ」
呆れたコールの声に、我に返る。
「ご、ごめんなさい。あの、ロッカさんのネイル魔術で、すごく好きな色があって」
私はポーチから紙とペンを取り出して、魔法陣をサラサラと手早く描き出していく。
「この魔法陣で作るネイルアートなんですけど」
「ああ、オパールカラーのものね。懐かしいわ。これ、今ではもう少し発色を鮮やかにできるように改良していて……ペンを貸してくださる?」
ロッカさんは受け取ったペンで、私の魔法陣の一部をいくつか上書きしてみせる。
「ふわぁ!最新版! あの、これ、学院の在校メンバーに教えてあげてもいいですか。絶対喜ぶ!」
「もちろんいいわよ。何だったら、いつか直接講習に行きましょうか」
「え、本当に?どうしよう! あの子たち、絶対泣いて感動しちゃう! ぜひお願いしたいです。大園遊会が終わってからの方が落ち着いてお時間いただけますよね。お休みに申し訳ないんですけど、週末でもいいですか? 2カ月後の開催で調整させていただけるとうれしいです」
「ええ、もちろん」
うわぁ、何てこと。私のネイルアートの神様がやさしすぎる!
感動に打ち震える私の爪先を、ロッカさんは美しいオパールカラーに染めてくれた。
「どうしよう、一生この爪の色でいたい……」
「3日もしたら消えてしまうわよ。そうしたらまた違う色をつけてあげるわね」
ロッカさんにおかしそうに笑われて、コールは何やら目をむいている。
「……あの気位の高い人と一瞬で仲良くなるとか、相変わらずマギーのコミュニケーション力が高すぎる……」
「コール、サークルの今の部長の子の連絡先、知ってるよね? 伝令鳥出すのお願いしてもいい?」
「……相変わらず人を遠慮なく使ってくる……」
コールは口の中でぼそぼそと盛んに何かをつぶやいてから、大きく笑った。
「マギーが相変わらずで良かったよ。わかった。ひさびさに学院に行くのも楽しそうだね」




