(9−3)フィリアスの一輪の花
次に私が起きたのは、翌日の朝を少しすぎた時間だった。
しかも目覚めたら、暖炉の前のマットレスの真ん中で、頭まで毛布をかぶって、ひとりで芋虫のように寝ころがっていた。さすがに寝すぎじゃないだろうか、私。
ソファのところに、見慣れた通勤用リュックと、それから旅行カバンが一つ。カバンの上には兄の筆跡のメモ書きがあった。
「マギーへ。ハーフォードさんから事情を聞きました。ひとまず1週間分の衣類を送るよ。追加で欲しいものがあったら遠慮なく連絡して。まずは体をいたわって。フィリアスさんと、仲良くね。テンス」
何をどう聞いたのか、ものすごく気になった。けれど、それは王都に戻ったら聞き出せばいいか。それまでは忘れよう。
2階の客間でありがたく身支度を整えてから、裏庭に出ると、やっぱりフィリアスさんはそこにいた。
「おはようございます」
「うん。おはよう」
いつの間にか、当たり前になっている朝のあいさつを交わす。日差しの中で見るその顔色は、すっかりいつも通りのようで、ほっとする。
「よく眠れました?」
「うん。君もよく寝ていた。ハーフォードが来たのにも気づかなかった」
「……え? ハーフォードさん、来たんですか?」
「うん、さっき」
裏口の階段に、思わずへなへなと座り込んでしまう。風のようにすっ飛んできたフィリアスさんを、「ううん、具合は悪くない」と片手のひらで押しとどめる。
「もしかして、私が抱き枕になってるの、見たとか……?」
「すごく見てた。でも、頭まで毛布をかけて隠したから大丈夫」
いや、それ、全然大丈夫じゃないです。
急激にほてった顔を、両手で隠すと思い切り深呼吸する。起きた時に全身すっぽり毛布をかぶっていた理由を知ってしまった。知りたくなかったよね!次にハーフォードさんにあった時、どんな顔をすればいいのか分からないよね!
どうにか気持ちを立て直してから、階段の自分の隣のスペースを、ぽんぽんっと叩く。不安そうに眉間に微かにシワを寄せていたフィリアスさんが、ゆっくりとそこに座った。
「あのカバンも、ハーフォードさんが?」
「さっき持ってきた。あと、君の家のアップルパイも」
「さすがの気配りがすごい! お礼いわなきゃ」
「ハーフォードがすごいんじゃない。あれがあんなふうなのは、奥さんのおかげ」
少し硬い声で、フィリアスさんは、もそもそと言う。妙にちょっと不機嫌だ。こういうときには、美味しいものを食べるに限るよね。
「朝ごはん、アップルパイにします? コーヒーがいいかな。そうだ、湖のそばに行って食べましょうか。日中、だいぶあたたかくなってきたし、プチピクニック」
「……うん」
「あ、移動魔法つかわないで。すぐそこ。歩いていきましょ」
「…………なんでわかるんだ」
「だって、フィリアスさん、わかりやすいもん」
私は笑った。フィリアスさんはなんとも言えない顔で、押し黙った。
その目が、私から離れ、広げた自分の大きな手に落とされる。
するりと、小さな魔法陣が、浮かび上がった。
私のノートに書かれていた陣だった。
ぽん、っと、やさしいオレンジ色の花に変わる。
手の中の花一輪を、フィリアスさんは私の膝の上に置いた。
「ハーフォードに、もらってただろ。花」
耳を疑って、まじまじとその顔を見る。すこしそっぽを向いて、口はちょっとだけ、とんがっているように見えた。これ、もしかして……拗ねていらっしゃるんでしょうか。でも、おとといハーフォードさんにもらったのは、単なる空気花なのに……?
ギュン、と心臓がまたしても盛大にうめいた。にやけてしまいそうな顔を、何とか引き締めようとするけれど、たぶん、完全に失敗している。
オレンジ色の花が、いとおしい。
「きれい。これ、前にお昼寝してた時にも、咲かせてくれましたよね」
「……気づいてたのか」
「目が覚めたら、体の上にお花がいっぱいで、落としちゃいそうで動けなくて」
思い出して、ふふっと声が漏れる。
「ここは天国かなぁ、ってびっくりしながらじっとしてたら、パッと消えちゃって。残念だな、って思いながら起きました。だから、消えない花、うれしい。これ、このまま枯れないようにできます?」
ぽうっと花が一瞬光を帯びる。大切に持ち上げて、みずみずしい花びらを、そっと撫でた。
花の形だけを再現するはずの魔法陣だった。なのに、かすかに、花芯から良い匂いが漂ってくる気がする。ハーブみたいな、少しレモンみたいな。胸が軽くなるような、ひどく苦しくなるような。ずっと、かいでいたいような。いつでも、私を、包み込んでくれる、誰かさんのやさしい香り。離れたくない。
「ありがとうございます。ずっと大事にします。とってもきれい」
フィリアスさんは、何かをひどくためらいながら、やがて、ゆっくりと言った。
「俺には、君の言うことが、まだ、よくわからないことも多い。だが、できれば……知りたいと思う。君の描く魔法陣は、君の描くものは、君は、とても、」
それからそっと、私の手の中の花を見た。
「とても純粋で、とてもきれいだ。何よりも。あんなやつに、いや……誰にも触れさせたくないくらいに。隣にいたい。ずっと見ていたい。一緒に、いてほしい。……絶対に、汚されたくない」
まっすぐに、アイスブルーの瞳がこちらを見た。それから、とても困ったように、私の頬を、手のひらでぬぐった。何度も、壊れ物に触れるように、そっと、何度も。
そこではじめて、自分が泣いていたことを知った。
私は、笑った。ぽろぽろ、涙がこぼれ落ちる。めまいがするくらい、隣にこの人がいることが、幸せだった。
「マギー」
フィリアスさんが、大きな両手で私の頬を包み込んだまま、本当に困ったように、名前を呼んだ。
笑いながら、思いきり抱きついて、泣いた。
たぶんその日、私は浮かれていたのだ。
だから、自分の通勤用リュックから、筆写ノートが1冊無くなっていることに気づいたのは、それからだいぶ後のことだった。
(第1部おわり)
第1部、お読みいただいて、ありがとうございました!
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