(8−3)マギーと見知らぬ魔術師②
見慣れた山並みが見える。初めて来た時より季節が少しだけ進み、風がぬるむ春の気配。
一瞬でたどりついたのは、ヴェルナン高原だった。平たい岩が幾重にも重なっていく、あの魔法陣を写した場所。
あの時と違うのは、空中に大きな魔法陣ふたつ。空気をうならせながら、高速で緻密な文字が展開されていく。
「こんな危険な魔法陣ごと転移するとか、お兄さんも相当頭のネジがぶっ飛んでるねぇ。ごめんね、勝手に追いかけてきちゃって」
広がった陣の向こうから、無邪気な白銀の魔術師が、楽しそうに声を張り上げる。
「さてさて、これからどうするのかな。君の逆さの陣と、この通常の陣。どれだけ強くできるか勝負してみる? ぶつけあったら、力比べになるのかな。君、腕ずもうってしたことある? なんであんなくだらないことするんだか、初めて理解できたかも。ちょっとワクワクするもんなんだね」
私を抱き込んでいたフィリアスさんの腕がゆるむ。
「はいよ、預かる。フィーは思い切りやっといで」
ハーフォードさんがさっと私を抱え込むと、大きく宙を飛んで、はるか後ろに下がった。
フィリアスさんの両手が、魔法陣にかざされる。陣を生成するスピードが、格段に上がっていく。フィリアスさんの陣は、青白く硬く輝く。対する陣は昏く深い青を帯びて、すべてを貪欲に呑み込もうとするように見える。
「へぇ、君、えっと、フィリアス君? そのスピードを手に入れるまでに、相当いろいろ無茶したんでしょ。もはや、人間じゃない領域にまで達しかけてない? そっか、それで仕上げにマーガレットさんの完璧な魔法陣が欲しかったんだ。完全な力にたどり着いて、とっとと人間を卒業したいの、わかるわかる。めんどくさいもんね」
冷やかすような少年の声が胸に刺さって、私は思わず傍らのハーフォードさんを見た。苦い苦い想いが、その顔に浮かんでいる。
「どういうことですか?」
自分の声が、いつもより低く、こわばっている自覚があった。ハーフォードさんは、静かに答えた。
「人間は、生きているといつか、土に還るだろ。それと同じことだよ。魔術師も、行きつくところまで魔術を極め終えると、還るんだ。体は土に、魂は風に水に光に、これまで魔力を借りてきた、ありとあらゆるところに。戻って、跡形もなく消えていく。俺たちの師匠がそうだった」
「……魔術を極めたら、消える……それって……それって死んじゃうってことですか?! フィリアスさんも、ハーフォードさんも?!」
「俺は違う」
きっぱりと、ハーフォードさんは首を振った。
「俺は、嫁と一緒に、普通に土に還ると決めてんだ。フィーは……どうだろうな」
喉元に、何かが絡みつく。毎日毎日、筆写する私の向かいで、限界に挑むように高速で魔法陣を浮かべていた姿を思い出す。裏庭で、私のはしゃいだ言葉に、とまどっていた顔を思い出す。あのとき、フィリアスさんは、本当は早く消えたかったんだろうか。よけいな感情とか、感傷に、永遠にわずらわされない場所に。でも、でも。私は思い出す。迷子のようにおぼつかない態度で、私にそっと寄り添ってくれたあの顔、あの声、やさしいぬくもりを。
「……でも……でも!」
私は目をしばたたいて、無理やり、まつげに絡みつこうとする何かを飛ばした。
これは、涙じゃない。悲しかったからじゃない。さびしかったからでもない。怒っているからだ!絶対に!!
「フィリアスさんの魔法、全然、完璧じゃないですよ! まだ作れないお菓子、いっぱいありますもん!」
「……ん?」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、ハーフォードさんが私を見下ろした。
「まだアップルパイも、パンプキンパイも、チェリーパイも、ミンスパイも魔法で作れないし!」
「……なんでパイばっかり」
「カスタードプティングも、サマープティングも、ライスプティングも、シトラスプティングもまだだし!」
「……なんでプティング責め」
「あと、あとあと、世界にはいっぱいいろんなお菓子があるんですって!食べたことも見たこともないやつがいっぱい!知ってます?マルタ帝国の謎のアイスクリーム!もう信じられないくらい伸びるんですって!ビヨーンって、天井までいっちゃうくらい!素材が謎だし味も謎だし、私はそれを食べてみるまでは、死んでも死に切れない!!!」
私は一気に言い切った。ほとんど叫んでいたかもしれない。
「いろんなお菓子を魔法で作るって約束してるんです!お店だって出すんです!私、看板とメニューとチラシとポスター書くんです!いろいろ忙しいんです!ずっと!」
「は? フィーが? スイーツショップ出すの? え? フィーが??」
ぶっほ、とハーフォードさんが吹き出した。ばんばんと私の背中を叩いて笑った。そして、限りなく深く魔法陣を描いていくフィリアスさんに向かって、晴ればれと叫んだ。
「フィー、聞いてんだろ!お前、とっととコレ片付けて菓子作らねえと。もうすぐ午前のティータイムだぜ!」
「……わかってる」
小さいぼそりとした声が、風に乗って、揺らぎながらもはっきりと届いた。
「へぇ、並行して風魔法を使う余裕あるんだ。嫉妬しちゃうなぁ。で、どこまで強くする?まだまだ注げる魔力はあるけどさ。もともと爆発の威力の強い陣だしねぇ。あまりやりすぎると、ぶつけ合った時にこのあたり一面丸ごと綺麗に吹っ飛ぶんじゃないかなぁ。マーガレットさんと、隣のお兄さんも無事じゃ済まないよね」
「はん、心配すんな」
鼻を鳴らしたハーフォードさんが、宣言した。
「《展開》」
魔法陣が描き出されたとたん、空気がうなり、凝り固まり、分厚い半透明のレンガブロックの形になった。ハーフォードさんと私の周りを隙間なく堅牢に固めていく。
「《透過》《伝導》」
ぼやけていた目の前の景色が、急にクリアになり、遠くこもったように聞こえていた外の音が、突然はっきり聞こえてくる。
「マギーちゃんが見守っててくれないと、フィーが拗ねるだろ。そんで、ほい、密閉されちゃったからな。空気花のプレゼント。ごめんな、フィーからじゃなくて、こんなおっさんからの花で」
私の制服の胸ポケットに、半透明の花びらを持つバラのような花を数輪、差し込んでくれる。爽やかな空気が、胸の中に流れ込んでくる。これをもっていると水中でも空気に包まれ、息ができる花だ。学生時代、何度かこれで湖の中を探検したことがあった。
「ありがとうございます!」
言いながら私は、ハーフォードさんの袖口を引っ張って、その耳に口を寄せた。どうしても、意地でも伝えたいことがあった。
「あの、ハリー先輩の手紙のジュール紋」
「……ん?……ああ、そうか」
ハーフォードさんが一瞬首を傾げて、すぐににやっと笑った。さすがフィリアスさんのお兄さんだ。分かってくれた。
「わかった。ちょっと外に出てくるわ。マギーちゃんはここから動くなよ」
次の瞬間、ハーフォードさんの姿は、保護壁の外にあった。その口から、不思議な言葉が小さくこぼれ落ち始める。
呪文の詠唱だ。私には文字を読めても発音が未知の言葉。みるみるうちに、ジュールの魔術紋が立ち上がる。
——『太陽と月に守られて、私はあなたと共にある』
あの手紙に書いてあった、仲間との連帯を謳った帯。正しく使ったら、仲間の援護になるだろうジュール紋。私はそれを、どうしても、フィリアスさんのために、使いたい。私は、あなたとともにいる。ずっと。ずっと!
「ギャラリーが不穏だね」
笑いを含んだ少年の声が言い放った瞬間、白銀の魔術師の魔法陣が、ひときわ光を増した。フィリアスさんとハーフォードさんがそれぞれの魔力を解き放つのがほぼ同時だった。
キン、と、空気が裂ける。
二つの巨大な魔法陣がぶつかり合うのと、そこにジュールの魔術紋が広がりながら重なるのとがかろうじて見えた。
次の瞬間、白い閃光が膨らみながら視界を切り裂いて、そこから先は一瞬だった。
また夜に投稿します!
よろしくお願いします。




