(8−1)マギーの帰宅
サティ先輩たちのことを知った翌々日、自宅に帰っていいことになった。ただし、まだ残党がいるから、家から出る時には魔術師を同伴すること、という条件付きで。
うちの古書店にも兄にも私にも、ガッチガチの守護魔法がかけられた、らしい。
フィリアスさんが、銀色の伝令鳥を1羽貸してくれた。せっかく我が家にきてくれたのだから、と、兄がドーム型の白い鳥籠を買ってくれた。ところどころに透かしのおしゃれな花模様が刻まれていて、小鳥は籠を一目見るなり、嬉しそうにピルルと鳴いた。その割には、気づくといつも、私の頭か肩の上でくつろいでいる。
くるんと巻いた頭の飾り羽を撫でてもらうのが大好きなその小鳥を、フィリアスさんの名前の最後の音をいただいて、「スーちゃん」と勝手に呼ぶことにした。
3日間の休暇をもらった。その間、私はずっと、家の売り物の本を写して過ごした。
貴重なエッセイを父が買い付けていて、まずは私に、と送ってくれたのだ。はるか遠い北の国の生活を描いた本で、灯台守の毎日が綴られていた。見たことのない北の海を想像しながら、あっという間に時間は過ぎていった。
毎日、夕ごはんの時間になると、なんとなくフィリアスさんのことが気にかかる。あの人は、大食漢のくせに、魔術書を読み始めると、飲食を忘れて没頭するクセがあるのだ。魔術師はしっかり食べないと、あっという間に痩せ細ってしまうのにね。
夕飯が並んだ食卓で、頭の上に乗る伝令鳥のスーちゃんを呼ぶ。小鳥はすぐに、伝言用のメモ紙に姿を変えた。指先で短く、
「ごはん、食べてますか?」
とだけ書いた。なんとなく、ジュール語にしてみた。私のやっていることを興味しんしんでのぞき込んだ兄が、
「ジュール語か、渋いね」と笑ったあと、「ちょっと待って」と立ち上がる。そして、ワックスペーパーで包んだものを、そっと伝言メモの上に置いた。
「これも持っていけるのかな。さっき焼いたクッキーがちょっと入ってる」
ぽん、っとメモが小鳥の姿に戻る。そのくちばしに、小さくなった包みをくわえている。
「クッキー、持っていってくれるの。えらいね。ありがとう」
私が指先で頭を撫でると、小鳥はするりと窓を通り抜けて、夕空を飛び去っていった。
スーちゃんは、夕飯を食べ終わる頃に、悠々と戻ってきた。口に、小さな包みを加えたまま。
「あれ、クッキー、渡せなかったのかな?」
思わず首を傾げる私たちの目の前で、小鳥が姿を変え、大きな包みと、メモ書きが現れた。
メモに書かれていたのは、
「食べてる」
の一言だけ。ただし、
「……マルタ帝国語!!!しかも書体がかっっっこいい!!!」
私はその文字を見るなり、机に突っ伏した。
「兄さん、これ見て!やばくない?ギュンとくる!あぁあ、筆写ノート、ノート取ってくるから、スーちゃんそのままもうちょっとメモのままでいて!」
バタバタと自室に向かい、ノートとペンを引っつかんで食卓に戻ってくる。兄が目を丸くしながら、スーちゃんが持ってきた包みの中のものを眺めていた。
そこにあったのは、山盛りのフラップジャックだった。
「びっくりするくらい美味しいんだけど。これ、どこで売ってるの? マギー知ってる?」
「たぶんそれ、フィリアスさんの魔法で作ったフラップジャック」
私は言いながら、ひとつ、口に放り込む。わぁ、さらに腕を上げてませんか、閣下。
兄は絶句して、真顔になった。もぐもぐと続けざまに3つ食べ、そして、
「うん、店を出そう。僕、他のレシピも教えるから」
私と同じことを言った。ですよね、そうなりますよね。
その翌日も、翌日も、夕飯どきに、フィリアスさんに伝言を送った。兄のお菓子付きで。
決して、けっして、びっくりするくらいかっこいいマルタ語とか、びっくりするくらい美味しい焼き菓子とかが戻ってくるのを、期待していたわけではないです!
ちなみに翌日の返事は、びっくりするくらいかっこいいファーレン語と、びっくりするくらい美味しいクッキー。その翌日の返事は、びっくりするくらいかっこいいジュール語と、びっくりするくらい美味しいパウンドケーキだった。
私たち兄妹が、毎日小躍りしてしまったのは、言うまでもない。
その翌日。私のひさびさの王宮出勤の日。考えてみたら、魔術科に出向してすぐに出張が入ってしまい、まだ通常業務に取り組んだことがない。
少し緊張して早めに起き、身なりを整えてリビングに足を踏み入れた私は、
「え?」
大きめに声が出た。食卓に、黒いローブ姿のフィリアスさんが座っていた。
それはいい。なんとなく、お迎えに来てくれるんだろうな、と思っていたので、それはいいのだ。
「フィリアスさん、頭、どうしたんです?!」
とっさに、大声を出してしまって、自分に慌てた。違う、彼の正気を疑いたいわけじゃなくて、頭が、髪型が、
「トリミングしたんですか?!」
あ、なんか違う、完全に間違えた。
食卓に焼きたてのパンを置いていた兄が、ぷはっ、と吹き出して、くるりと向こうを向き、とうとうお腹を抱えて笑い出した。「マギー、それ、あんまりじゃない、でも、トリミングって、確かに!」笑いの合間の途切れとぎれに、相当失礼なことを言っている。
「切った」
ぼそり、と無表情にフィリアスさんが言った。そうです、それを言いたかったんです。髪の毛を切ったんですね、って。私は、カクカクとうなずいて、すっ飛んで近寄ってフィリアスさんの頭をまじまじと眺めた。
ボサボサと膨らんでいた頭が、半分くらいの量になっている。くせっ毛なのは相変わらずだけれど、あちこち絡んでいた髪の毛がだいぶおしゃれにすっきりと流れていて、くすんだ灰色に見えていたのが、今ではツヤを取り戻してすっかり銀髪だった。
そして、何より、目が、目が見える!
「ずいぶんさっぱりしましたね。あと、ブラッシングすっごくしました?」
「ブラッシング」
兄が繰り返して、また肩を笑いで震わせる。絶対、犬のトリミングとブラッシング姿を想像していると思う。我が兄ながら、私とよく似ていて失礼すぎる。
「ハーフォードの奥さんに切ってもらった。髪の毛のツヤは、勝手にハーフォードが魔法でやった」
「ハーフォードさんの奥さん、美容師さんなんですか? すっごくカットが上手。でも、目の上まで前髪切っちゃってよかったんですか? こだわりがあって伸ばしてたんじゃぁ……?」
「よく見えていた方が、よくなった」
「あー……今までやっぱりよく見えてなかったんですね」
私は深く納得しながら、兄からオレンジジュースの瓶を受け取り、フィリアスさんのコップに注ぐ。
「目の健康にも良さそうだし、よかったですね、切ってもらえて」
下の面をカリッと焼いた目玉焼きに、ベーコンとトマトと豆の煮込み。にんじんとナッツとりんごのサラダ。それからサーモンとマッシュポテトのパイと、チーズと山盛りのパン。自家製マーマレード。
昨日より格段にボリュームのある朝食だった。フィリアスさんが今朝来ることを予想して、兄が準備してくれていたのだ。「まぁ、来なかったら、マギーが持参して出勤すればいいよね。美味しい焼き菓子を毎日いただいたお礼」とニコニコしながら。
あっという間に用意したごはんのほとんどが、フィリアスさんの胃袋に消えていく。4日ぶりの食欲は健在で、見ているだけで、なんだかほっとして、無性に嬉しくなってしまう。でも、……あれ?髪を切ってすっきりした顔は、そのせいだけじゃなく、いつもより少し痩せてしまっているように思えた。どうしたんだろう、お仕事で何かあったんだろうか。オフィスに着いたらすぐに聞いてみないと。
食後のお茶まで飲み終え、食器も下げたところで、黒いローブから伸びた指が、パチリ、と鳴った。
空っぽのパン籠に、ツヤツヤと光る大きなリンゴが、山と積まれている。それを見た兄が、
「ああ、明日の朝ごはんは、アップルパイだね」
と、笑った。フィリアスさんは、少しだけ目元を和らげると、歩き出す。
「行こうか」
「はい!」
私も元気よく通勤用のリュックサックを手に持って、リビングの中央に移動する。フィリアスさんがひょいっとリュックを取り上げて、当たり前のようにひょいっと消した。そして、私の頭を当たり前のように、ぽんぽんと撫でた。
「先にオフィスに送ってくれたんですか?」
「うん」
「いいのに、そんな重くないし。でも、ありがとうございます」
お礼を言いながら、フィリアスさんの腕を取る。
「いってらっしゃい」
小鳥のスーちゃんを頭に乗せた兄に見送られながら、青い光に包まれる。やっぱり便利すぎるな、この移動魔法出勤!
兄に手を振りながら、ふうっと体が浮かび上がる感覚がして、目の前の光景が切り替わる。
あっという間に移動は完了し、次に視界に飛び込んできたのは、フィリアス・テナント閣下の執務室の机だった。
そして、手を振った形のまま、私は凍りつく。
白銀の長い髪に、深緑のローブをまとった魔術師が、ゆったりと机の向こうに腰かけていた。
続きは、夜に投稿します!




