(7−3)フィリアスと眠らない夜①
すっかり脱力した彼女の体を、そっと抱え直す。
静かで規則正しい寝息が聞こえてくる。小さな頭のつむじを眺めながら、フィリアスはぼんやり思った。
このあたたかさは、何だろう。
冷たく動かない、彼女そっくりの魔術人形のことを思い出す。
1週間以上前。ハーフォードが新聞を届けにきた日の夜。マギーが寝るのを待ち、家の周りの結界をこれ以上ないくらいに手厚く固めてから、フィリアスは王都に戻った。寝るよりも、興味のあることができたからだ。
魔術研究棟の地下。関係者以外には厳重に隠された小部屋のベッドに、彼女は無造作に横たわっていた。
マギーに似ている青ざめた顔は表情を失い、もはやただの人形だった。胸と首を大きく刺されていて、赤黒いものがべったりと、王宮文官の制服にこびりついていた。
フィリアスはそっと栗色の頭に手をのせ、目を閉じる。人形に記録されていた行動の形跡を追った。
移動魔法を使いながら、王都に来るまでに3カ所に滞在。関わった人間は、人形が察知した限りでは10人。
映像で残っている一人ひとりの顔を確かめる。軍人が2人。一般人と思われるのが2人。どこかで見たことのあるいやらしい顔をした役人ひとりと、そのおとも。魔術師と思われるのが4人、そのうちの一人は、第3魔術師団の所属だった。
魔術師の中に、気になる人間がいた。白とも銀ともとれる髪を後ろで結び、ブルーグリーンの瞳を持つ。映像の中では、いつでも一番後ろの位置にいて、まだ幼さの残る端正な顔に興味なさそうな表情を浮かべ、壁にもたれかかっている。
目をつぶったままのフィリアスの眉間に、わずかなシワが寄る。
その時、小部屋のドアが開いた。
「やっぱりフィーか。お前、侵入感知の術にあえて引っかかっただろ。俺を呼び出す便利道具がわりにするんじゃねぇよ」
ハーフォードは、ぽんと軽くフィリアスの頭を叩く。
「まぁ、どうせ今晩来ると思って寝てなかった俺を褒めていいぞ。あと、お前に土産を用意していた嫁さんも。パウンドケーキ。明日、マギーちゃんと一緒に食べたらいい。本当のところ、昼間、土産にしろって言われてたのに、持ってくのを忘れたんだ。すっげぇ怒られた」
怒られたことをこの上なく幸せそうに報告しながら、布の包みを差し出したハーフォードは、眉をひそめてフィリアスの顔をのぞき込んだ。
「お前、大丈夫か」
「なにが?」
「顔から血の気が引いてる」
「なんで?」
「さあ、なんでだろうな」
ハーフォードは苦笑する。
「自分で考えろ」
言いながらぐりぐりとフィリアスの髪の毛を掻き回し、横たわる人形を流し見た。
「もし、これが、うちの嫁さんだったら、俺は確実に犯人を全員灰にしてやるな」
「……今、犯人たちは?」
「7人は捕らえた。記憶が消されていて、ひどいありさまだよ。残りの3人のうち、ギールグッド内務省長官補佐長次官殿とその内務省長官補佐長次官補佐官殿は、いつもの厚顔無恥をさらして毎日出勤中。ちょっと面倒だから泳がせてある」
そういえば、人形の記憶に残っていた、おともを従えたあの下卑た役人はそんな名前だったな。どうでもよいことを思い出しながら、フィリアスは別のことを指摘した。
「よく噛まずに言えるな、名前」
「これぞ王宮勤めならではの特殊能力だろ」
鼻で笑いながら、ハーフォードは腕を組む。そして、自分の鼻先に、人差し指を1本、立ててみせた。
「あと1人。魔術師が逃げている」
「あの、同類に見える人間か」
「そ、白銀の髪の毛をした奴。あいつ、間違いなく俺らと同じくらい魔力を持ってると思うぜ。あれで宮仕えをせずにフリーランスなんて、気楽でいいよなぁ」
「追跡魔法は?」
「してみたけど、見事に巻かれた。俺、かなり追跡得意な方なのになぁ。傷つくよなぁ」
まったくショックを受けていない陽気な口調でニヤニヤと笑いながら、部屋の隅に置いてあった椅子にどっかりと座り込む。そのままハーフォードは足を組み、そこにだらしなく頬杖をついて、面白そうにフィリアスを見上げた。
「で? 本当にマギーちゃん、おとり作戦に参加してもらうの? お前、それに耐えられるの?」
「もう人形を使うのはやめる」
「見たくないんだろ、傷付いた彼女の姿。人形だろうが、何だろうが」
「……人形の性能に限界があるだけだ」
「はいはい。正しい判断だと思うよ。あの白銀の奴、さらったマギーちゃんが自動人形だって完全に気づいてて、あえて知らないふりをしてたみたいだからな。もし次に本気でマギーちゃんを狙うなら、間違いなく人形は無視して、彼女をさらいに来るだろうよ。直接守ってやるのが確実だ」
ハーフォードは、だらりと椅子に背を預けて、上を見る。何もない白壁の天井に、遙かな何かを見ているように、目を細めた。
「あの子の能力、やっかいだよなぁ。力のある魔術師であるほど、彼女の魔法陣が欲しくなる。あの子がくれる美しい世界に、焦がれちまう」
俺は違うぞ!嫁と子どもがいるからな!と首を振ってから、ハーフォードは勢いよく立ち上がる。
「あ、それから、これも土産だった」
ハーフォードはパチリと指を鳴らし、現れたそれを、ぽんとフィリアスに投げてよこした。
「俺が隠し持ってても、宝の持ち腐れだからな。フィーが上手いこと使え」
丸められたその紙を開いて、フィリアスは軽く眉を上げる。それは、ヴェルナン高原でマギーが写した、あの魔法陣だった。ただし、フィリアスが何も書き込んでいないほうの1枚。破壊の衝動に満ちた、完全版の模写。
「お前も早く帰って、適当に寝ろ。それの使いみちは、よく考えろよ。あの子を悲しませるな」
ひらひらと手を振って、ハーフォードが部屋を出ていく。
「……悲しませる?」
フィリアスは、動かない、冷たい、彼女を見た。あれは人形だ。知っている。
それでもしばらく彼は、その場で、たたずんでいた。
それからの日々は、しばらく平穏に過ぎた。
敵を誘き出すために王都に戻ることになったその日の朝。出発前にと早めに畑の手入れをしていると、彼女が起き出してきて、マグカップを差し出した。
ふたり並んで、甘い、あたたかい液体をゆっくりと飲む。
こうして一緒にいることが、当たり前のようになっている。たったの3週間にも満たない間に。
フィリアスは、目の前の薬草畑を眺めた。この家には住んでいないが、毎日、冬以外は畑の手入れをしにきていた。当たり前の、単なる日課だと思っていた。これまでは。
「毎日、気にかけて、様子をみてあげて……そういうのって、愛情の一種な気がします」
当たり前だった作業が、彼女のひとことで、当たり前ではなくなっていく。
当たり前ではなかった時間が、彼女の隣で、当たり前になっていく。
ここは、どこだろう。自分の居場所ではない気がした。それでもフィリアスはなぜか動けずに、ずっと、風に揺れる薬草たちを眺めていた。
もう1話、夜に投稿します!




