(7−2)マギーと眠れずの夜②
「眠れないのって、いつからなんですか?」
食卓の明かりを消し、暖炉の炎だけがぼんやり照らす居間のなか。自分の体がずいぶん冷えていることに気づく。カモミールティーを一口含んでから、マグカップを傍に置いて、両手をオレンジ色の炎にかざす。そのままの体勢で、フィリアスさんに尋ねた。
「ずっと」
隣から短い返事があったけれど、その顔はずっと炎に向いたままだ。前髪に覆われた目は、今、いったい何を見ているんだろう。
「子どもの頃は、寝ていると、水をかけられて、蹴られた。起きていてもたいして変わらなかった。寝ないのが当たり前になった」
「……なんでそんな」
「南ファーレンでは、銀髪は生きてはいけない。生まれてすぐ、殺されても死ななかった俺が悪い」
まるで他人事のことのように、淡々とフィリアスさんは言う。
「無意識に魔力で防御していたから死ななかった、って拾ってくれた師匠は言ってた。魔力だけは、無駄にあるから」
その手のひらから、青い魔力のもやが立ち上る。より合わさってひとつのリボンになり、節ばった長い指の合間を戯れるように、ジグザグにすり抜けていく。それからふわりと空中に浮かぶと、するすると絡み合い、花びらが生まれ、おぼろげな丸い八重の花の形になった。
「魔力の使い方を知らなかったから、子どもの頃は、こういう遊びしかできなかった。よけいに気味悪がられて、殺されかけた。気絶したら、寝ていられるから楽だった」
青白い花は漂って、ゆるやかに私の膝に着地する。その瞬間、ふわり、と解けて消えた。
「師匠に引き取られてからも、眠らなかった。眠る方法を、知らなかったから。時々、気絶したように意識を落として、すぐに目覚める。夜は、こうして身を丸めていると、終わる」
「……ずっと、眠れなかったんですか?」
「師匠が気づいて、睡眠魔法をかけるようになった。それでも時々眠れずに起きてると、」
私の体が、ふわりとひとりでに浮いた。そのまま少しだけ横に移動して、そっと着地した。背中をフィリアスさんの胸に預ける形で、長い足の間に、すっぽりと。
背後から腕がぎこちなく伸びてきて、私の前に回される。ぎゅうと引き寄せられて、頭の上に、のしり、と顎が乗っけられる感触があった。
「こうやって、捕まった」
「な、あの、私、別に、その」
「眠れないんだろう。こうされると、子どもの頃の俺は、いつの間にか寝てた」
「……」
ただただ私は口をパクパクさせて、言葉がいくつも滑り落ちる。返す言葉を捕まえられず、それでも一つ、わかるのは、このまま眠れるはずがないよね!!
冷えた体に、じわじわとフィリアスさんの熱が移ってきて、逃げようとしても、体に力が入らない。抵抗するのは諦めて、静かに深呼吸を繰り返す。口から飛び出しそうな心臓、静まれ。
そのままの姿勢で固まって、揺れる暖炉の炎を見つめる。パチリ、と薪が小さくはぜる音がした。
「俺には、君の言うことが、生きているというのが、よくわからない。だが、君の描く魔法陣は、とても美しいと思う」
ぽう、と青く淡い輝きを放ちながら、目の前に小ぶりの魔法陣が現れる。光の魔法陣。私の学生時代のノートに描いてあった、陣の一つだ。
音もなく弾けて、鮮やかな花火が広がった。手のひらサイズの紅い華。
「わぁ!」
とたんに緊張も吹き飛んで、私は歓声を上げる。次々と魔法陣が浮かんでは、青、緑、金色——色とりどりの小さな花火をさまざまに咲かせていく。
「すごい!」
興奮のまま、思わず両手でフィリアスさんの腕をぎゅっと握った。綺麗な円を描いて、幻影の花火が次々と開き、静かに消えていく。うっとりと眺めながら、何か少しだけ物足りない気分になって、私は小首をかしげた。
「ああ、でも、ちょっと追加したいのが……音かな!」
「音?」
「そう!花火といえば、あの、ひゅるひゅるひゅるどーん、って打ち上げ音を一緒に聞きたい気がする!追加できます……?」
「音か……」
頭上で一瞬、考え込む気配が伝わってくる。
「こういうのはどうだ」
ふたつの魔法陣が同時に空中に浮かび上がる。音の魔法と、光の魔法。陣がひとつに重なって、小さく空気を鳴らしながら、花火がぱっと誇らしげに弾けた。
「そう!そんな感じ!ちょっと控えめに音が鳴るのが、ミニチュア魔法花火らしくて素敵ですね」
いくつもの小さな花火が、空気をやさしく鳴らして、勢いよく咲き、散っていく。
「きれいですねぇ。わぁ、レモンポセット飲みたくなってきた」
「レモンポセット?」
「うちのお父さんが店をやっているアンブルストンって、夏に特に人気の保養地で。7月の終わりになると、大きなお祭りがあるんです。3日間、露店がいっぱい出て、サーカスも旅の劇団も来て、街に音楽があふれて。みんなで踊って歌ってたくさんエールを飲んで、夜には花火。すっごい大きいやつがいくつも打ち上げられて」
ふふふ、と私は思い出し笑いをした。毎年、夏のフェスティバルの時期には実家に戻る。そのたびに、楽しい記憶が増えていく。
「そのときに、レモンポセットを売っている露店がいっぱいあって、飲みながら花火を見るのが私のお気に入りなんです。美味しいんですよ、冷たくて、甘さと酸っぱさがちょうど良いバランスで。すごくとろりとしてるので、太いストローでかき混ぜながら飲んだり、スプーンですくったり」
「……飲んでみたい」
つぶやく声が、頭にのせられた顎から直接響いてくる。フィリアスさんと夏祭り……それは楽しそう! いつもの数倍はいろいろなものを食べ歩きできそうだし、実家にずっと売れずに秘蔵されている魔術書もあるし、感想を聞いてみたいかも。
「いいですね、ぜひ遊びにきてください! ちょうど大園遊会の1カ月後の週末だし、その頃には、お仕事落ち着いているといいんだけど……うちの実家、いくつか客室もあるので宿をとらなくてもいいし。魚釣りのできる大きな湖もあるし、退屈はしないと思いますよ。あ、ハーフォードさんのご家族も、もしよかったらご一緒に」
「……あそこは、8人家族だから大変」
「え、8人?! こないだのフラップジャックのお土産、全然足りなかったんじゃぁ……。ご両親と一緒に住んでるんですか?」
「ハーフォードと、奥さんと、娘が6人」
「ろくっ……うちの客室で足りるかな。私の部屋にも一緒に泊まってもらったら、なんとかなるかなぁ」
私はちょっと先の楽しい夏休み計画をあれこれ思案しながら、別のことも思い立つ。
「そうだ、レモンポセット、ひとまず明日作ってみましょっか。生クリームとレモンと砂糖を煮て冷やすだけなので、すぐ作れちゃう」
「作る」
私を引き寄せていた腕が少し緩んで、右手の指先が不穏な動きをする。これは今すぐフィンガースナップで材料を呼び出すつもりだな、と察知した私は、ガッチリとフィリアスさんの指先をつかんで宣言した。
「明日」
「えぇ……」
不満そうな小声が降ってくる。私は笑ってしまった。
「明日作りましょ。楽しみですね」
「…………そうだな」
体がぽかぽかとあたたかい。背中も、心の内側も。どろり、と今日1日の疲れと眠気が一緒に這い出してくる。でも、眠るのがもったいないなぁ、と働かなくなりつつある頭の片隅で思いながら、ふふふ、と笑い声を漏らす。睡魔にあらがって取り止めなく口走りながら、ずるずると眠りの渦に引き込まれていく。
「レモンポセット……魔法でも作れるようになれたら素敵…かも……フィリアスさんの魔法って…やさしくて…あったかくって………好き…です……」
続きはまた明日!
よろしくお願いします。




