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筆耕マギーは沼のなか  作者: コイシ直
第7章 筆耕官マギーと高原の夜

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(7−1)マギーと眠れずの夜①

 夜になって、高原の家に戻った。


 眠れない。

 何度寝返りを打っても、眠れない。


 昼間に見たサティさんの泣き顔が目の前にちらつく。私はこめかみのあたりを手のひらで思い切りぐりぐりとマッサージしながら、思い切ってベッドから起き上がった。


 こういう時には、なにも考えずに、筆耕するに限るのだ。


 サティさんの事情も、教科書に書かれていないジュールの歴史も、私の写した魔法陣にどんな可能性があるのかも、さっき、初めて知った。


 サティさんの旦那さんとは、前に何度か会ったことがあった。お家に遊びにいくと、あたたかく出迎えてくれて、笑顔の優しそうな人だった。議会の政治家の秘書官をしていて、自分もいずれ政治家になりたいんだって、子どもたちがより住みやすい国にしたいんだって、笑っていた。


 でもなかなか思うような道を進めず、悩んでいた時に、ジュール氏族の過激派に取り込まれていったらしい。


 そんな時、たまたまサティさんのお子さんが体調を崩し、私がお守りにと魔法陣を描いてあげた。その陣の描き手に利用価値がありそうだと踏んだ旦那さんの仲間たちは、すぐに私を無理やり誘拐しようと企んだ。


 それを知ったサティさんは、どうにかやめてもらおうと説得したらしい。それでも聞き入れない旦那さんたちに、せめて、本当に私にそんな価値があるかどうか、試してからにした方がいいと提案した。旦那さんたちを諦めさせようとして、遠回りにジュール紋を写させるテストを行なって、残念ながら、私は合格してしまったのだ。


 サティさんだったら、私の友だちのこともよく知っている。ハリー先輩と一緒に飲んだこともある。サティさんだったら、今回の一連の流れが整えられてしまう。


 あのハリー先輩へのラブレターも、サティさんが書いていたという。腕利きの、私が尊敬していた筆耕官だもの。女の子らしい文字でそれらしく書くなんて、お手のものに決まっている。


 旦那さんたちは、ジュールの末裔(まつえい)であることを誇りに思っていたけれど、誰も、サティさんも、ジュール紋を完璧には写せなかったらしい。


 彼らはそれでも、正しい写しさえ手に入れば、その紋や魔法陣を簡単に使いこなせる、と考えた。正しく紋を理解できない人たちが、どうやって、力を正しくコントロールするつもりなのか、私にはわからない。


 そして、とうとう誘拐された私そっくりの魔術人形は、彼らの期待した魔法陣を、正しく写せなかった。だから、殺されて、捨てられた。

 

 私にかけられていた謎の追跡魔法は、サティさんが持ってきてくれたお茶の葉が原因だったらしい。仕事の手を休めるティーブレイクで毎回いただいていたお茶に、魔力でマーキングがされていて、飲んだ人間の痕跡を追えるようになっていた。


 あのお茶、美味しかったのにな。サティさんと一緒に食べたお茶菓子、美味しかったのに。


 寝室を出て、階段を降りながら、胸がどんどん苦しくなる。


 いけない。こういう時には、なにも考えずに、筆耕するに限るのだ。


 胸に抱えたノートと本に、ぎゅっと力を込める。高原の春の夜は寒い。暖炉に火を入れて、あったかいお茶を入れて、それから、とにかく文字を写そう。美しくて、嘘のない文字を。


 そう心に決めて、1階の居間のドアを開けた。


 あたたかかった。


 暖炉にはオレンジ色の炎が燃えていて、その前に、人間の姿に戻った閣下が、膝を抱えて、灯りもつけずにじっとうずくまっていた。シンプルな白いシャツに黒いズボン。寝る前の格好だ。


「まだ起きてたんですか?」


 閣下は顔だけこちらに振り返った。前髪は下ろされている。そういえば、今日の犬のフィーさんはかわいかったな、とぼんやり思う。とっても腕の中があたたかかった。


「お茶、飲みますか? あ、自分で()れたい気分なので、魔法は使わないで良いですよ」


 キッチンに灯りをつけ、丁寧にお茶を淹れ、マグカップの一つを、暖炉の前の閣下に手渡す。そのまま自分は、食卓に移動した。


 ノートを広げ、ペンを置く。本を広げる。


「写すのか?」


 閣下が、こちらに顔を向けている。


「はい、ちょっとそういう気分で。今日は、西のカザル国の中期写本を。本当はうちの古書店の売り物なんですけど、1年も売れてないし。借りてきちゃいました」


「君は……息をするように、いつでも何かを写しているな」


「どうでしょう。息をしたいから、文字を写しているのかも」


 私は笑いながら、ペンを取り上げた。


「文字を写している時は、すごく楽しくて、自分が生きているって実感があります。ここだったら、私は好きに生きていていいんだよーって、許されている感覚。だから今日みたいに悲しいことがあって、気持ちが底なし沼に落ち込みそうな時には、こういう別の楽しい沼に飛び込むんです」 


 目の前の本を見つめる。文字を見つめる。形を眺める。意味を受け止める。


 ふう、っと一呼吸をおいて、私は写し始めた。


 文字、文字、文字。


 文字は私に嘘をつかない。私を置いていかない。私を傷つけない。いつでもそこにいてくれる。ものの見方が一つではないことを、表し方が一つではないことを、美しい自由な世界があることを、私に教えてくれる。


 集中して写し続ける。


 見開きを丸ごと写し終えて、ふう、と再び一呼吸ついた。


 いつまでも写していたいけれど、なかなか体が許してくれない。背中をバキバキと鳴らしながら、大きく伸びをする。頭の中が、ほどよい疲労感でとろんとしている。


 もう少し写そうか、迷いながら、疲労した眉のあたりを揉みほぐしつつ、暖炉の方を見た。閣下はまだそこにいた。


「眠れないんですか?」


 大きな手に持ったままだった空っぽのマグカップを取り上げて、新しくカモミールティーの入ったマグカップを手渡す。


「眠れないことがある。たまに」


 静かに答えるフィリアスさんの隣に、私も腰を下ろした。


あと1話、夜に投稿します!

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