表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
筆耕マギーは沼のなか  作者: コイシ直
【第1部】第1章 筆耕官マギーは出会う
3/79

(1−3)マギーともじゃもじゃ①

「それで、いきなり変態って呼ばれちゃったんです。ひどくないですか」


 ぶつぶつ言う私に、先輩筆耕官のサティさんは、吹き出してペンを置いた。


 今日はふたりで、近衛騎士隊の人事異動の掲示を書いている。


 活版印刷を使えば楽なのに、と王宮の外の人からは笑われるが、王宮の掲示は伝統的に手書きと決められているのだ。ちなみに地方の役所にも配布される場合は、私たちが書いたものを版面に起こして、大量の紙に刷られて配られていく。


 今回は、王宮内4カ所に貼るので、ひとり2枚ずつ。枚数は少ないが、この時期、見習いを経た新規配属隊士が多く、結構なボリュームの仕事だ。作業室のテーブルに大きめの紙を広げ、規範に決められた事務用の書体で、きっちりと名前を書き連ねていく。


 手を止めたサティさんは、立ち上がって大きく伸びをしてから、隣のテーブルに腰を落ち着けた。


 ひと足さきに作業を中断してお茶の準備していた私は、彼女の前に、紅茶のポット、なみなみと注いだマグカップとクッキーを置き、向かいに座った。

 

 自分のカップにも口をつける。少し渋みが強くてさわやかな香りが、口いっぱいに広がる。サティさんがくれた茶葉の缶を封切りしたばかり。マドレーヌとかチョコレートケーキにも合いそうな紅茶だ。明日のおやつはどっちかにしよう。


 ずっと同じ姿勢で集中して書いていたせいで、肩も腰もバッキバキに張っている。そろそろ一息つきたい時間だった。


「いや、それ、閣下が合ってると思うよ。マギーちゃん、変態でしょう」


 尊敬する職場の先輩女性にまでそんなことを言われてしまって、どうしてくれましょう。私は思い切りクッキーに八つ当たりして、勢いよく2枚、口の中に放り込んだ。もごもごと味わいながら、サティさんをにらんでみせる。あ、このクッキー、ナッツが入っている。好き。


「もう、みんな遠慮がなさすぎる」


「だって、文字が好きすぎて、古今東西のいろんな言葉と書体を覚えまくって、それだけじゃ満足できなくて魔術語にまで手を出しちゃうとか。普通じゃないよね。もはや変態の域だよね」


 事実をたたみかけられると反論できない。かわりにむぅと頬を膨らませると、ケラケラとサティさんは笑った。


「大丈夫、変態でもリスみたいに可愛いから」 


「うれしくないです、それー」


「魔術語っていえば、先月うちの下の子が高熱出した時、お守りにって《快復》の魔法陣を描いてくれたでしょ。あれ、かっこよかったなぁ。子どもの宝物になっちゃって、来るお客さんみんなに見せびらかしてるの、あの子」


「えへへ、気に入ってもらえてうれしいです」


 思い切りニコニコ笑み崩れる私に、サティさんがニコニコとお茶のお代わりを注いでくれる。


「だいたい、古代ジュール語ってどんな文字なの? やっぱり筆耕者としては知らない文字に血がうずくよねぇ」


「模写で良ければ再現しましょうか」


 私は机にあった適当な紙とペンとで、便箋に描いてあった魔術紋を再現してみせた。サティさんは、私の手元を見ながら「ひぇぇぇ」と大声をあげた。


「え、右から左に横書きするの?! え、これで文字なの?! (つた)と葉っぱと木の実がいっぱい描いてある絵、みたいにしか見えないんだけど!?」


「いつもと逆側の位置から書き始める文字って、かなり新鮮ですよね」


 私が描き終えた紙を持ち上げたサティさんは、近くから遠くから眺めては、しきりと感嘆の声を上げている。それを聞きつけた他の筆耕メンバーも、わらわらと近寄ってくる。さっそく自分でも写してみようとする人も出てきて、部屋はちょっとしたジュール祭りと化してしまった。みんな結局、探究心の塊のような文字マニアなのだ。断じて私だけが変態ではない。


 そんなこんなで、その後も時々休憩を挟みつつ、無事に掲示を清書し終えた頃には、すっかり日が暮れかかっていた。二人のお子さんのお母さんでもあるサティさんは、あっという間に帰宅の準備を整えて、「また明日」と手を振ると、風のように帰っていった。


 私も部長に終業のあいさつをしてから、部屋を出る。さて、これからどうしようか。


 通勤用リュックの中には、1冊のノートが入っていた。学生時代から書きためた、魔法陣の筆写帳だ。昨日、閣下に見せましょうか、と言ったことがなんとなく記憶にぶら下がっていて、今朝、カバンにつっこんできてしまったのだ。


 とはいうものの、私は閣下の居所を知らない。魔術研究棟の上階のどこかにオフィスがありそうな気がするけれど、そもそも私のような一般文官には、秘密が凝り固まったような魔術研究棟の内部に足を踏み入れる権限もない。


「うん、無理だな」


 昨日の魔術紋の分析がどうなっているのかは気になるけれど、進捗(しんちょく)があれば、きっとコールが教えてくれる。頭の中にこびりついていた閣下のもじゃもじゃ顔を、あっさりと吹き飛ばす。


 その足で、日課となっている王立図書館に向けて歩き出した。


 王宮の敷地内にある図書館には、ありとあらゆる智の書が集められている。王族か、王宮に勤めているか、特別な許可を持つ者でなければ入れない場所だ。


 私はここに入り浸りたくて、今の職を選んだといってもいい。家業の古書店を手伝うのにも心惹かれたのだけれど、やっぱりこの王立図書館には勝てなかった。


 壁一面、天井のへりまで書棚で埋め尽くされた空間は、静けさと書物独特の香りで満たされている。色々な年代のインクと革と紙の匂い。いつでもここにくると心が落ち着く。


「マギーちゃん、いらっしゃーい」


 受付カウンターで本を読んでいたアンナさんが、顔を上げて小声でにっこりと笑った。そうすると頬のあたりのそばかすがきゅっと持ち上がって、あどけない感じになる。私より3つ年上の23歳なのだけれど、今は頭の後ろでまとめている赤毛をおろしたら、10代の学院生に見えるキュートさだ。


 ほぼ毎日図書館に通っているので、ほとんどの職員と顔見知りだし、仲良くなった司書さんも多い。なかでも、アンナさんとは就職前からのつきあいで、格別仲良しだった。私には兄しかいないけれど、お姉さんはアンナさんみたいな人がいい。


「とれたてぴっちぴちの新鮮新刊、あるけど見たい?」


 マーケットの魚屋みたいなことをおっとりとした口調で言い出したアンナさんが、カウンターの奥から、1冊の本を持ってくる。


「東のマルタ帝国から取り寄せた創立国記。豪華特装版」


 私は無言で飛びついた。どっしりと重い革の表紙は繊細な金箔で飾られていて、開くと中面のページには、鮮やかな装飾罫で四隅を囲まれた、格調高い文字、文字、文字!


「さいっこう」


 うっとりとつぶやく。私の書物の好みを完全に把握している、仕事のできるアンナお姉さんが、利用申込票を差し出した。


「館内閲覧のみの書籍で、研究者への貸出が最優先なんだけど。閉館まであと1時間だもの。今はマギーちゃん以外にこの本に(かじ)り付く人もいないでしょ」

「ありがとう!完璧!」


 カウンターに向かって、中腰で規定の書類を記入しながら、私はアンナさんをちらっと見上げた。


「あとさ、アンナさん。『古ガーラー記』って借りられたりする?」

「うーん、禁書ね。私も見たことがないわ」

「そうなんだ。ちょっと興味があっただけだから、気にしないで」


 昨日、閣下が口走っていた本の名前を持ち出してみたけれど、案の定の答えが返ってきた。禁書を取り扱えるのは、勤務20年以上のベテラン司書だけと聞いたことがある。私はあいまいに笑って話を切り上げ、奥のフロアに進んだ。


 閲覧スペースの右奥、書見机に腰かける。


 閉館時間が近づいて、まわりに人影もなく、物音を立てるのは自分だけ。何となくこの世界に私一人しかいないような、少しさびしくて、少し自由な心持ちになる。毎日のこの瞬間が、とても好きだった。

 

 斜めになっている書見台に、本をそっと立てかける。手前の平らになっているテーブル部分にノートと鉛筆を取り出すと、一心不乱に写し始めた。


 まずは文字。それから装飾罫。


 1ページ目を写し終え、ノートを見返して、そっと撫でた。最高峰の職人たちによって作られた、最高峰の本と文字。鉛筆での写しは簡易的なものだけれど、初めての書籍の世界が自分の手の中にある。うれしさに、ふふふ、とこっそり声を漏らして笑った瞬間、もぞりと視界の隅で灰色の何かが動いた。


 ビクッと半身を翻して、隣を見る。


 閣下がいた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ