(6−3)マギーの飼っていない愛犬
「子どもの頃、犬を飼ってたんだけど、もっと大きくて重かったから、気軽に抱っこできなかったんだよね。フィーさんは、軽くっていいですねぇ」
腕の中ですっかり落ち着いて抱っこされている犬に話しかけると、私の二の腕に顔を預けたまま、「ふんっ」とわずかに鼻を鳴らした。得意げ、なのかなこれは。
「正直、フィーさんは、もっと大きな犬のイメージだったんですけど。犬というより、むしろオオカミとか……。でも、このサイズだと、一緒にお散歩しやすいし、これはこれでいいいのかな。というか、フィーさん、犬でいることに妙に慣れてません? けっこう時々犬にされてる感じですか?」
今度はまったく返事がない。ただ、尻尾が下がってちょっと力が入っている。あ、図星なのね? あからさまに不機嫌だ。
「お客様、お待たせいたしました。こちらのワンピースなどはいかがでしょうか。グリーンとボルドーがございます」
物腰優雅な店員のお姉さんに声をかけられて、はっと顔を上げる。いけない、お買い物の途中だった。
品のよい小ぶりのシャンデリアが頭上できらめく広い応接室。しかも、王宮で働く女性なら名前を知らない人がいない、憧れの高級ブティック。これまで一度も踏み入れたことのない特別なエリアで、なぜか私たちは紅茶とケーキでもてなされている。
ことの原因は、私がどうしてもワンピースを調達しないといけなかったところにある。大園遊会に出席することが決まっていたものの、おしゃれで品のある服を持っていなかった私は、そろそろコーディネートを考えないといけない時期だった。
なので、これ幸いとシャーリーに付き添ってもらって、人気ブランドのブティックに突入したのだ。
値札を見ると、いつもの私服の10倍以上の値段がついている。血の気が引くけれど、大丈夫! 今の私には魔術師団出向の5倍のお給料があるから、まぁ、なんとかなる!たぶん!
大園遊会に招かれるということは、とても栄誉なことだ。そこでまとう服に選ばれるのは、ブティックにとっても栄誉だし、絶好の宣伝チャンスに繋がる可能性もある。
私が服を探していること、大園遊会に着ていきたいことを正直に店員さんに告げると、あからさまに目の色が変わった。
店の奥の応接間に通され、表のショップには出ていない、この上なく素敵な服が次から次へと目の前に用意される。高級品に慣れていない私は、すでにもう逃げだしたい気持ちでいっぱいだ。思わずぎゅうとフィーさんの小さな体を抱きしめる。温かくて、すごく落ち着く。
「マギー、このグリーンのワンピース、似合いそうね」
出されたケーキを遠慮なく食べながら、シャーリーは気楽にずけずけという。
「生地がふわふわしているし、森から出てきたばかりのリスみたいな印象になれそう」
「私は人間がいいです」
きっぱりと答えてから、私はフィーさんを抱っこしたまま立ち上がった。ハンガーラックに下げられたドレスワンピースの数々を、一着ずつ見ていく。
「わぁ、これ、きれいなグラデーションですね。明け方の空を逆さにしたみたい」
裾は濃紺で、花びらのように何枚も薄い透け感のある生地を重ねてある。上にいくに従って、少しずつ色が薄くなり、腰に巻く幅広のレースリボンは群青色。首のあたりは、少し白みがかった空色になっていた。
「今朝の空が、ちょうどこんな感じだったなぁ。ね?フィーさん」
抱っこした犬の頭に話しかけながら、私は朝のことを思い出す。
実は、昨夜はあまりきちんと寝られなかったのだ。大きな作戦に重要な役割で参加することに、自分なりに緊張していたらしい。
明け方に起きてしまって、二度寝しようと目をつぶって、待てどもまてども、再びの眠りが訪れない。
とうとう寝ることを諦めて、2階の客室から下に降りていった。
高原の空気を吸いたくなり、何とはなしに裏口のドアをあける。未明の薄闇の中で、閣下が薬草畑の手入れをしていることに気づいた。
早起きの鳥たちの声。風が吹き抜ける木の葉のざわめき。ピリリと澄んだ空気の中で、
「おはようございます」
「……おはよう」
少し早めのいつものあいさつを交わす。
夜空の端が、白々と色を変えていく。
やがて、家を取り囲む湖面が、細かい朝日のかけらを一面にまきちらしたように、鈍く輝きはじめた。
淡々といつも通りの作業を終えた閣下に、ハチミツを入れた甘めの紅茶のマグカップを手渡す。
そのまま、家の裏口にある階段にふたりで腰掛けて、顔をくすぐる湯気を感じながら、ゆっくりお茶を飲んだ。体の内側から、あたたかくなっていく。
「なんだか……ほっとします。今日、がんばれそう」
呼気混じりにつぶやいて、もう一口、紅茶の甘さを味わう。
「フィリアスさんの愛情いっぱいの畑、本当にきれいですね」
「……あいじょう」
その言葉に慣れないのがよくわかる口ぶりで、ぼそぼそと返事があった。
「……そういうのは、よくわからない」
私は、マグカップを両手で包みながら、言葉を探す。
「私もよくわからないですけど……毎日、気にかけて、様子をみて、ケアしてあげて……そういう、日々を健やかに送るための努力をしてあげるのって、愛情の一種な気がします」
閣下は、しばらく黙ってから、ふわり、と右手を私の頭の上においた。ぽんぽん、という軽い揺れとともに、全身をあたたかいものが巡った。
「……こういうのも?」
ぼんやりと、閣下はつぶやいた。私の頭に手をおいたまま、ぼうっと目の前の薬草畑をみている。私も、答えの言葉を探せずに、ただ朝焼けの始まった空をみた。
そうして、ふたりでしばらくじっとし続ける。気づけば、出発の準備を始めないといけない時間ギリギリになってしまっていた。
その今朝の未明の空みたいな、静かな美しさのあるワンピースを気に入った私は、試着をし、買うことを決めた。
服にあう靴、バッグ、アクセサリーも揃えてもらい、当日のヘアメイクサロンまで、ブティックが紹介してくれることになった。あっという間に筆耕官の半月分のお給料が飛んでいく。
「お買い上げ誠にありがとうございます。どちらに一式お送りいたしましょうか」
送付先の住所を書類に書き込むところで、私は迷った。兄のところには、いつ戻れるかわからない。かといって、高原の家には送れない。
はたはた、と、フィーさんのしっぽが私の腕を叩いた。灰色の犬の顔が、気づくとこちらを見上げている。もしかして、職場に送っていいってことかしら。公私混同な気もするけれど、たしかにそれ以上によい選択肢も思いつかない。
さらさらと住所を書き込む。首をのばしてそれを覗き込んだ灰色の犬は、満足そうにしっぽを振った。閣下は犬でいたほうが、思っていることが伝わりやすい気がする。
「王宮魔術研究棟、第2魔術師団長室、業務補佐官マーガレット・レーン様宛ですね。かしこまりました」
店員さんの声のテンションが、いっそう上がった。王宮の魔術師団といえば、強くてかっこよくて王都民の憧れの存在、だものね。そして何より、魔術師団はお給料がいい!
それを知っているであろう店員さんは、控えめに微笑んで、さらりとセールストークを繰り出した。
「レーン様、もしよろしければ、この機会にそちらのワンちゃんのトリミングもいかがでしょうか。腕の良いトリミングサロンをご紹介させていただきます。レーン様とお揃いのイメージで、ワンちゃんのお洋服をご用意することも可能でございます」
聞いた瞬間、向かいに座っていたシャーリーが、ぶふっと吹き出した。
また夜に投稿します!




