(6−1)マギーの予期せぬ来客
突然、青い光が部屋に満ちた。
と思う。閣下の胸に強く抱き込まれて、よくわかっていないのだけれど。
頭が白い絵の具をぶちまけたみたいになった。心臓が自分のものだと思えないくらい遠くで早鐘を打っている。体が凍りつくくらいに温かい。逃げ出したいのに心地よい。そしてひたすら、ものすごくいい匂いがする。ハーブみたいな、少しレモンみたいな、いつまでもずっと、かいでいたいみたいな。
「そんなに警戒しなくて大丈夫だ、俺だよ俺、フォード兄さんだよ。フィー、お前、来てやったのにこっちに背中を向けるな! 肩越しににらむな!」
聞き覚えのある明るい声が耳に届いて、はっとした瞬間、のぼせたような頭が一気に冷えて、我に返った。もだもだと身じろぎをすると、体を囲んでいた腕が少しゆるむ。
閣下の腕からどうにかひょっこり顔を出せた私を見て、移動魔法陣でいきなり室内にやってきたらしいハーフォードさんがギョッとした。
「フィー、どさくさに紛れてマギーちゃんに抱きついてんじゃねぇよ!……ってか何? おそろいのエプロン着て、え、何?新婚さん?」
言葉の最後の方はもごもごと尻すぼみになって、何を言っているのか聞こえなかったけれど、とにかくハーフォードさんが驚いているのが伝わってくる。
「すみません、こんな格好で。今、魔法でいかに美味しいお菓子を作るか、テナント閣下と実験していたんです。——閣下、とっさに守ってくださってありがとうございます! いきなりのお客様で、ちょっとびっくりしましたね」
笑顔でどうにか平常心を装い、動揺と得体の知れない熱を体の外に強引に押し出しながら、閣下の腕をぽんぽんと手で叩く。ようやっと、あたたかな体が一歩後ろに離れた。
ハーフォードさんは、穴が開きそうな勢いでテーブルの上を見つめている。
「は? 菓子? フィーが? このテーブルにあちこち山積みになってるシリアルバーを? 作ったの?」
「です! これが先ほど完成した最終形です! すっごい美味しいです!」
私は胸を張って自慢しながら、背の高い閣下の肩をちょいちょいとつついた。「ちょっと屈んでもらっていいですか」とお願いして、その頭の後ろの三角巾の結び目を解き、エプロンの腰ひもの蝶々結びも引っ張って、料理用の格好をおしまいにする。自分の三角巾とエプロンも外そうとしたら、閣下が黙って後ろに回ってやってくれた。
「……お前らね、その距離感ね……俺が王都で駆け回ってる間にね……」
ぼそぼそと小声で何ごとかをつぶやきながら、ハーフォードさんは口の中にフラップジャックを放り込み、目を丸くした。
「おっ、これ、本当に美味いな。嫁と娘たちに食わせたいわ」
「お土産に包みます?」
「そうしてもらえるなら、物々交換で、フィーにいいものをやるよ」
にやっと笑ったハーフォードさんが、フィリアスさんにポンと新聞を投げてよこす。
「今日の朝刊。3面に出てるぞ」
無言で、閣下が新聞をめくる。街の人々に人気のあるゴシップ新聞だ。気になった私は横からのぞき込んで、小さめの記事の見出しに「ふぁ?」と間の抜けた声が出た。
『王宮文官、王都路地裏で刺殺される?!——筆耕官女性(20歳)か』
「え、私、いつ死んだんです?」
今、確実にぽかーんとした顔をさらしている自覚がある。20歳の筆耕官女性って、王宮には私しかいないんだけど。いや、でも、この1週間、湖の中から一歩も出てないし。
「おとといの昼間かな。王都2区のさびれた路地で、若い女性が血を流して倒れているのが見つかった。マギーちゃんそっくりの。なぁ、フィー、あらかじめ替え玉人形を作っておいてよかったな」
にやりと笑ったハーフォードさんは、暖炉の前に移動して、応接ソファにどっかりと腰を下ろした。パチリと指を鳴らすと、途端に食器棚が開いて、自動でお茶の準備が始まった。さすが兄弟、魔術の使い方もよく似ている。
「どうせ、フィーからは何も聞いてないんだろ?」
向かいのロングソファに閣下と並んで座った私を見ながら、ハーフォードさんは尋ねた。そのとおりだったので、隣の人を見上げると、ふいっと目線を逸らされた。都合が悪い時にごまかそうとする犬みたいだなぁ、と思う。
ハーフォードさんは、「やっぱりかよ」と苦笑いをしてから、表情をあらためた。
「平たく言うと、マギーちゃん、厄介な連中に目をつけられてる」
「あ、それは、なんとなく……友人の魔術師から忠告もらってました。変な追跡魔法が私にかけられてて、それをフィリアスさんが打ち消してくれてるんじゃないか、って」
「へぇ。その友だちってもしかして、コール・デネリー2等魔術師?」
ハーフォードさんの眉が、興味しんしんにはね上がった。
「いえ、コールの彼女で、シャーリー・ミルズっていう2等魔術師です。今は第2区役所の魔術管理部で働いてて……って、あれ、2区ってさっきの新聞の事件のあった……?」
「なーるーほーどー。理解した」
うなるようにハーフォードさんは言って、ぐしゃぐしゃと自分の髪の毛をかき回した。
「事件に遭ったマーガレット・レーン筆耕官そっくりの女性は、2区の病院に運ばれててな。一報を受けてコール・デネリーと一緒に向かったら、立ち会いの役人が、魔術管理官のシャーリー・ミルズだった。コール、出会い頭につかみかかられてたぜ。『私のマギーをどこにやったの!この人、絶対マギーじゃないでしょ!!』って」
「シャーリーが?! 実は運び込まれた女性、そんなに私に似てなかったとか……?」
「いや、そっくりだった。フィーが魔術で作った人形だからな。完成度はかなり高い」
「ふぁ?いつ?」
私はまじまじと閣下を見る。閣下はやっぱり目を逸らす。
「この出張初日だよな。魔術人形に、ある程度の表情と受け答えができるように設定して、レーン2等筆耕官が宿泊予定だったヴェルナン軍部の部屋に連れていったの」
「え、出張初日って……もしかして私が昼寝してた間に、ですか?!」
閣下はますます目を逸らす。もう、首がよじれそうな勢いでそっぽを向いている。
「レーン筆耕官はその後、何者かに連れ去られ、次に見つかったのが王都の路地裏だった。急所を刺され、呼吸は止まっていた」
「えぇぇ、私、誘拐されて殺されたんですか?」
気の抜けた声が漏れる。とうてい自分ごとと思えないけれど、
「あああ、どうしよう、父も兄も絶対泣いちゃう」
「そこは大丈夫。事情は俺から内密に伝えている」
私は脱力した。よかった。用意周到なハーフォードさんに感謝しかない。そして、安堵した瞬間に、のんきで素朴な疑問がわきあがる。
「でも、殺されるくらい似ている人形だったら、どうしてシャーリーは私じゃないって分かったんでしょう」
「ほくろ」
「え?」
「シャーリー嬢いわく『マギーをぎゅっと抱きしめると、首の下あたりにほくろが見えるんです! 襟元をのぞかないと見えないくらいギリギリのところ! 私、いっつも可愛いマギーをハグして可愛いほくろ見て癒されてたのに、それがないなんて! 絶対この人マギーじゃない!』ってさ」
隣から強烈な気配を感じて、閣下を見上げる。じぃーーっと私の首筋を見つめた閣下は、
「…………あ」
かすかに、悔しそうな声を漏らした。
私はとっさに両手で首を押さえ、どこにあるかもわからないほくろを隠しながら、とうとう真っ赤になった。
また夜に投稿します!
よろしくお願いします。




