(5−5)マギーは知らずに隠される②
閣下のやぶから棒な発言に、だいぶ慣れてきてはいたけれど、それがさっき自分が何の気なしに放った言葉だと気づくまでに、少々時間がかかった。
「材料からいきなり料理を生成」
もう一度、閣下は自分で意味を確かめるように繰り返し、うん、とひとつうなずいた。
「それはいい。やろう」
「え、料理を、魔術で、ですか? 何を作りたいんです?」
「フラップジャック」
出張初日に持参したおやつの名前を出されて、私は目を剥いた。魔術で作るより、手で作っちゃったほうが絶対に簡単だと思うんだけど。確かに、ラッフルズやアンドレスみたいな高級店が作るお菓子のラインアップには入っていないだろうし、食べたければ自分で作るしかない。
レシピを頭の中に思い浮かべながら、材料をひとつひとつ口に出してみる。
オートミール、バター、ハチミツ、砂糖、ナッツを数種類。
言うたびに、魔法の力でぽんぽんと素材が目の前に現れ、景気よく積み上がっていく。
「あ、あと、ドライベリーが欲しいんですけど、」
パチリと鳴らそうとするそぶりを見せる閣下の右手を、とっさに両手でぎゅっと握って阻止した。便利に慣れすぎたらまずい!うん、動こう!
「ノルベリーが裏庭になっているから、摘みに行きませんか? ちょっと運動しましょう、運動!」
ノルベリーは冬の終わりに白い花を咲かせ、早春、真っ先に小さな赤い実をつけ始める。低木なので、身をかがめて摘む。ちょっと腰や膝は痛くなるけれど、春の訪れを感じられる楽しい作業だ。
さっそく小さめのカゴを手に、庭におりる。
裏庭は小さな薬草畑になっていて、手入れの行き届いた葉っぱたちが、のびのびと風に揺れている。
閣下は毎朝、起きてすぐの時間を、この畑で過ごしている。丁寧に葉っぱの表裏を見たり、朽ちた葉をむしったり、頃合いのよいものを摘み取ったり。小さな雑草は一つひとつ魔術で引っこ抜く。仕上げに、小さな雲をぽんとひとつ薬草たちの上に浮かべ、細かく優しい雨で、根元をそっと潤していく。
晴れた日には、水やり雲からゆらめく雨の帯のあいまに、小さな虹がかかってみえることがある。そんな、おとといの朝のこと。
「きれいですね!!」
澄んだ空気を入れようと窓を開け、偶然その光景に出会った私は、歓声を上げた。
閣下は振り返ってこちらを見上げ、
「きれい?」
理解できない不思議な言葉を聞いたように、首をかしげる。
「その雲と虹です。それから緑の薬草たちも。すごくきれい! 見ていて楽しいです」
閣下は、薬草畑に顔を戻し、しばらくしてから、
「……そうなのか?」
とだけ、ぼんやりと言った。わずかに、行き場にまよう迷子のような、不安な響きがあった。私は、聞いてはいけないものを聞いてしまった気持ちになる。
それきり黙ってしまった閣下の背中の向こうで、小さな虹が淡く浮かんでいる。手を伸ばしたらつかめそうで、そのとたんに消えてしまいそうで、それでもやはり、夢のようにきれいだった。
今日は、その薬草畑の脇を通り抜け、庭の片隅に生えているノルベリーを目指す。
黙って後ろからゆっくりついてきた閣下は、無数の赤い実をつけた木を腕を組んで見やった。
「これか」
「はい!けっこう豊作ですね。美味しいお菓子が作れそう」
閣下は身を屈め、赤い実に顔を寄せて、すんすんと匂いをかいだ。無造作に手をのばし、指先でつまんだ瞬間、思いっきりぷしゅっと赤い果汁が飛び散った。
「大丈夫ですか?! 汁が飛んで……服にはついてないですね、よかった!」
握りつぶした果実の赤で、前髪と頬と指先が染まっている。慌ててぎゅうぎゅうハンカチで拭う。
「ごめんなさい。皮がはじけやすいんです、この実。最初に言っておけばよかった」
カンフェティ王国で生まれ育ったら、たいてい誰でも一度くらいはベリーを摘んだことがあるものだ。遊びやお小遣い稼ぎ、自分のおやつ代わりで。郊外に行けば自生している森があるし、王都内の公園や学校、街路にだってあちこち植えられている。だから、フィリアスさんもやったことがあるものだと思い込んでしまった。
子どもの頃、家族でベリーを摘みにいっては、加減が分からず握りつぶし、こうやって兄にきれいにしてもらったことを思い出す。
フィリアスさんは、どんな子どもだったんだろう。この国の育ちではないのかな。笑顔だったら、さぞかしかわいい子だろうな。でも、普通に遊んでいる姿が想像つかなかった。
私の中の閣下は、いつでもたいてい無言で、ほとんど無表情だ。子どもの頃から、きっと変わっていないような気がする。それは少し、なんだかさびしい。
そのままの姿勢で固まっている閣下に、ベリーをうまく摘めなかった小さい頃の自分が重なる。申し訳なさ半分、懐かしさ半分になりながら、隣にしゃがみこむ。自分の指先が彼に見えるよう、体を斜めにした。
「こうやって左右にそっと挟んで、ちょっとだけ右側に傾けるように力をかけるんです。そうすると、簡単にぽろっと採れますよ」
閣下はこちらを見て、少しだけ首をかしげ、壊れものを扱う慎重な手つきで、ゆっくりとひとつ、ノルベリーを摘んだ。
「初収穫、自分で食べてみます?」
手のひらの赤い実を、自分の口に放り込んでみせる。同じ仕草で、閣下もぱくりと食べた。酸っぱくってほんのり甘い、春いちばんの味が口の中に広がった。
「ちなみにお隣の木は、ブルーベリーですね。夏になって収穫できたら楽しそう! うちの兄さんのブルーベリータルト、絶品なんです」
「……楽しいのか?」
また、少しだけ、途方に暮れたような響きだった。私はノルベリーを摘む手を止めないまま、笑った。
「もちろん。頑張った分だけ、美味しいものが食べられるって、最高じゃないですか?」
閣下はもう一粒、小さな赤い実を丁寧に摘んで、口の中に入れる。
しばらくしてから、ゆっくり微かにうなずいた。ベリー、美味しかったのかな。よかった!
そこから先の収穫作業は、おおむね順調だった。十分な量のノルベリーを確保したあと、家に戻った。さっと洗い、食卓にカゴごと置く。
「閣下、弱い風魔法で、半生くらいのドライベリーにできますか?」
特級魔術師の力をこんなふうに使うなんて、ぜいたくすぎる! けれど、おかげさまであっという間に、摘みたてほやほやドライベリーのできあがり。
そして、フラップジャックの材料ごとの分量と、調理の手順を伝えると、閣下はぶつぶつと口の中で何かを唱え始めた。
高速で手のひらサイズの魔法陣がいくつか広がっていき、そろって淡く光る。そして、用意した皿の上にころころんと積み上がったのは、
「……黒いですね」
真っ黒な何かのかたまりだった。ケーキを焼くときにオーブンの火加減を失敗して、消し炭みたいなのができあがったとき、みたいな。
「これ、焼き時間とか、調理のあんばいとか、いろいろうまくいっていない気がしますね……」
しげしげとお皿を眺める私の隣で、閣下は黒いかたまりを持ち上げて、なんと勇気のあることに、一口齧った。正確に言うと、齧ろうとして、全然噛み切れなかった。
「苦い」
「苦そうですね」
同時に言葉が重なり、笑ってしまう。閣下はどこかからグラスを取り出して、水をごくごく飲んでいる。
「うーん、いっぺん、実際に作ってみます? 作業を知ってもらって、それに合う魔術をひとつひとつ確認していくのがいちばん確実な気がします」
と言うわけで、突然ですが、フラップジャックお料理会の開催です!
あと1話、22時ごろ投稿します!




