(5−4)マギーは知らずに隠される①
「フィリアスさん、ところで、そろそろ王都に帰ります?」
私はたった今、描き上げたばかりの魔法陣を満足しながら眺め、それから食卓の丸テーブルの向かいに座っている閣下を見て、思い出してそう言った。
出張にきてから、すでに1週間以上が過ぎていた。高原の湖の中の小さな家に、ずっと滞在している。軍の防衛施設に戻ったほうがいいのでは?と最初の頃に尋ねた私に、閣下は、「こっちのほうが安全」と一言。
それもそうなのかな、と漠然と納得してしまった私が、そこからこの家の生活に馴染むのは早かった。
あの空恐ろしい魔法陣のことを尋ねても、「調査結果待ち。コール・デネリーも分析担当」との言葉が返ってくるばかり。
これは王都に戻ってコールから事情を聞けということなのかな、と判断した私は、早々に聞き出すことを諦め、別の仕事に熱中しだした。上級魔法陣の筆写だ。
閣下が見本となる本を貸してくれた。おいそれとお目にかかれない上級陣ばかりをまとめた本で、あからさまに年代物だ。これ、何なら、国宝級の本じゃなかろうか。ところどころインクがかすれていて、背表紙にもガタがきている。確かにいま、筆写を残しておきたい気持ちがわかる。
複雑な上級陣ばかりだった。練習と集中力が必要なので、1日に清書まで行きつけるのは、せいぜい3〜4種類。
次にどの陣を写すか、閣下の指示に従いながら、せっせと書き写していく。本の保存状態から考えても、本当は、頭から順番にじっくり取り組んで写本をつくりたい。いずれ閣下に相談してみようかな。
「出張は2週間」
ぼそりと閣下は言いながら、写したての魔法陣を、降ろしたままのもじゃもじゃの前髪の隙間からじっくりと眺めている。カワードさんに言われない限り、前髪は降ろしておく主義らしい。
前髪、伸ばしすぎではないのかな、と気になって、毎日横目で見ていたら、ときどきブルブルっと顔を振っている。邪魔なら切ればいいのに、と思いつつ、ブルブルする仕草が水に濡れたときの犬に似ているかも、とうっかり気づいてしまった。それから目撃するたびに、「犬!」と妙に得した気分になっているのは秘密だ。
黒い魔術師ローブも、ここにきてからはずっと脱ぎっぱなしだった。もじゃもじゃしていて、時々犬っぽいけれど、それ以外は至って普通の青年にみえる。
素朴な家の中にいると、閣下、というよりフィリアスさん、という方がしっくりくるので、自然とそう呼ぶようことが多くなっていた。
「当初の予定では確かに2週間の滞在予定でしたけど、あの岩の魔法陣は写し終えましたし、これ以上ここにいる意味あります……?」
「出張は2週間」
はい、そうですね。あと6日はありますね。
閣下との共同生活は、あんがい気楽なものだった。
私が筆写に集中している間、彼は一切声をかけてこない。向かいの席で、たぶん王都の執務室から転送したと思われる大量の書類をものすごいスピードで捌いたり、本を読んだり。大量の魔法陣を次々空中に展開してみたり、本を読んだり。その間に、数羽の銀色の伝令鳥が、行ったりきたりを繰り返す。いつも手元に降り立つたびに甘えてくれる小鳥たちは、すっかり私と仲良しだ。
夕食後はいつも、その日に筆写した分の上級魔法陣を、閣下が空中に転写して仕上がりをチェックする。目の前に大きく広がる魔法陣は、青白く魔力に満ちて研ぎ澄まされた輝きを放ち、私が描いたものより何倍も美しく見えた。
不思議と心地の良い距離感で、筆写の後の達成感も大きい。
だから、しばらくこの生活が続いても、特に大きな問題はない。ないのだけれど、筆耕官のいつもの仕事より、圧倒的に筆写の物量は少なくなっていた。これでいつもの5倍の給料と出張手当をもらえるとか、なんだか罪悪感を覚えてしまって困るのだ。
困ると言えば、もうひとつ。
私がうーんと両手を上げて伸びをしていると、ぽん、っと目の前に突然ランチが現れた。今日はバゲットサンド。中の具は、燻製ニシンと酢漬けの玉ねぎ、ディルの緑が美しい。
食事は毎回、閣下が出してくれる。魔術でいとも簡単に。私は食事に好き嫌いはないし、閣下もなんでも食べる派らしい。毎回、信じられないくらい上品で美味しい味付けの食べ物が出てきて、ふたりで盛大にぱくついてしまう。
それだけじゃない。掃除や片付けをしようとすると、全自動で魔法が発動するし、洗濯物は桶に入れておけば、いつの間にかきれいになって、きっちり畳まれている。
ひたすらすべて閣下の魔法がやってくれるから、ひたすら便利すぎて……要は体を動かさなすぎて、私、絶対太ったと思う! あと、肩こりもすごい!
閣下のひょろりと細い体をチラッと眺める。こんな便利な生活していたら、そりゃ筋肉はつかないよね。太らない魔術師体型はうらやましい気もするけれど、さすがにこの「魔法がすべて」みたいな快適生活を続けていたら、健康にはよろしくない気がする。
「閣下、このお食事、毎回どこから取り出してくるんです? さすがに、材料からいきなり料理を生成、とかじゃないですよね?」
「ラッフルズに、俺のマジックボックスを置いてある」
「……え? ラッフルズって? あの老舗高級レストラン?」
バゲットサンドに嚙りつきかけていた私は動きを止めた。これ、ラッフルズのなの?! かつて就職祝いに一度奮発して入ったことがあるだけの、高嶺の花の名店だ。
ランチ1食だけで、私の7回分の昼食代が飛んでいくやつじゃないか!
「作った料理を、マジックボックスに入れると、こちらの手元のボックスに転送されるように契約してある。保存魔法が効くから、いつも多めに入れてある」
「そこから自由に取り出してるんですね……。もしかして、こないだうちで出してくれたあの美味しいひき肉のパンも、ラッフルズのですか? クルミも?!」
「クルミは、アンドレス」
数年前にできたばかりの、話題の高級百貨店の名前を出され、私は完全に撃沈した。
食べている最中にお行儀悪くて申し訳ないのだけれど、くらりとする頭を、肘をついて手の甲で支える。この分だと、王都のあちこちの高級店に、閣下のマジックボックスが置いてありそうだ。
マジックボックスは、たいてい手のひらサイズくらいの大きさだ。収納したいものをその上に載せると、契約条件に合うものであれば、自動で中に取り込まれ、収納されていく。保存できる点数は、その魔術師が設定した規模によるけれど、たくさん収納するほど、たくさんの魔力が必要になる。閣下の場合、無限に収納できそうだ。
でも、マジックボックスをお店に置いておくには、交渉して、契約を結び、お金を払わなくてはならない。その細々した作業を、この、基本的にしゃべりたがらない閣下がやっている姿が想像できない。
「契約したり、お金を払ったり、けっこう面倒じゃなかったですか?」
「ハーフォードの奥さんが」
一言だけ返すと、閣下はむしゃむしゃとランチを食べ進める。
カワードさんの奥様が、どうやらすべて仕切ってくれているらしい。ご夫婦そろってフィリアスさんの面倒をプライベートまで見ているようだ、と事情をうっすら理解した私は、素朴な疑問を口にした。
「カワードさんって、フィリアスさんのお兄さんなんですか?」
閣下はむぐっと口の中のものを飲み込み、ちょっとだけ上を向いて止まった。
「そうやって、ちょっと何かを考えたいときに、上を見る仕草とか、おふたりよく似てるし。フィリアスさんの髪の毛、今は灰色に見えますけど、ちゃんとお手入れしてブラシでしっかりとかしたら、たぶんカワードさんと同じくらい光沢のある銀髪になりますよね。それから、そこの柱に、」
私はキッチンの脇の柱を指さした。そこに書かれてあるのは、微笑ましいものだった。
「フィリアス6、とか、ハーフォード6、とか。柱に横線を引いて、わきにペンで書き込んでありますよね。あれって、その年齢の時の身長の記録じゃないかなー、って。うちの実家の柱にも、おんなじような書き込みがあって。フィリアスさんが6歳のときは、ハーフォードさんの6歳よりだいぶ小さかったんですね。今は、おんなじくらいの身長ですよね?」
「…………血はつながっていない。今も、あいつの方が、少し大きい」
だいぶ間を置いてから、もそり、と閣下は言った。ちょっとだけ悔しそうに。「ああ、そうなんですね」と私は簡単に返した。血のつながっていない兄弟や親子は、別に珍しいものでもない。
その後、いつもよりもそもそと、ちょっと食べづらそうに時間をかけてランチを終えた閣下は、突然、腕を組んで、言った。
「材料からいきなり料理を生成」
うん、お次はいきなり何ですか?
また夜に投稿します!
よろしくお願いします。




