(4−3)マギーはもてなされる
その家を入ってすぐに、小さな玄関ホール。右側は2階に続く階段になっている。左側の通路の奥の扉が、居間の入り口だった。
パチリと閣下が慣れた様子で指を鳴らす。ひとりでに窓の鎧戸とカーテンが動き、部屋に日差しが差し込んだ。窓もギィと軋みながら開いて、外からの風が吹き込んでくる。
本当に便利すぎる、閣下の魔法。あまり使いすぎると、運動不足になりそうだなぁ、と思いながら居間のなかを見回した。
ほこりっぽさはなく、ついさっきまで人がいたような、清潔感とぬくもりのある空間だった。
手前に暖炉と小さな応接セット。ロングソファの端っこに、私の出勤リュックがちょこんと置かれていた。暖炉の前には毛足の長めのラグ。クッションがいくつか転がっていて、たいそう居心地良さそうだ。あそこでゴロゴロする人がいるんだろうな、と閣下をちらりと眺めて思う。
奥にキッチンと丸いテーブル、食器棚。壁からいくつか薬草の束が下がっている。私がわかるものもちらほらまじっていて、例えばそこにある瑞々しい緑色と白い花の束は、たぶん初夏に花咲くカモミール。摘みたてにも見えるが、まだ季節には早かった。去年の花に、保存魔法がかけられているのかもしれない。わずかに青みのある爽やかな香りが、部屋全体を包み込んでいる。
食器棚から茶器が意志を持ったみたいに勝手に飛び出し、カモミールの花がいくつもティーポットに飛び込んでいく。
おずおずと食卓についた私の前に、淹れたてのカモミールティーの入ったマグカップが、ことりと着地する。フレッシュな芳香が鼻をくすぐった。サンドイッチが盛り付けられたお皿が、いきなり目の前に現れる。その具だくさんな見た目に、思わず「わぁ」と歓声をあげながら、思い出す。
「そうだ、うちの兄がお腹が空いた時にって、持たせてくれたフラップジャックがあるんですけど。食べますか? 私のリュックに入ってるので、ちょっと待ってくださ……いね?!」
言い終わるより前に、ポンっと、赤と白のチェック柄の布の包みがあらわれた。私のリュックの中身を閣下に掌握されてるような気がするんだけど……うん、深いことは考えない。
ワックスペーパーに包んだフラップジャックを開く。私が急な出張に出かけると聞いた兄が、その日のうちにありあわせの材料でちゃちゃっと作って持たせてくれた。
いくつか取り出して、自分のサンドイッチ皿の端においた。残りを包みごと、向かい側に座る閣下にごっそり手渡す。彼は手の中のものを見つめたまま、首を傾げた。
「もしかして、フラップジャック、食べるの初めてですか?」
よく家庭で作られる焼き菓子のひとつだと思うのだけれど、レシピが簡単すぎるので、あまりレストランなどでお目にかかれるものでもない。
「その粒々に見えるのはオートミールで、えっと、ドライフルーツとかも適当に混ぜて焼いたお菓子です。日持ちもするし、うちの家では朝ごはんにもおやつにも、よく食べますよ。お好きなだけ食べてくださいね。全部食べてもいいですけど、甘くて手がべとべとするので気をつけて」
うなずくと、閣下は平たいバーの形をしたそのお菓子を手に取る。一口齧って、ふたくち噛んで、ぴたりと動きを止めた。手元のフラップジャックを、まじまじと見つめる。そこから猛然と食べ始めた。
私もカモミールティーを一口含む。ねぎらうようなあたたかさが、やわらかく、体の中に落ちていく。
目の前の閣下を見た。フラップジャックはすでに半分くらい消えている。私の4倍の量はありそうなサンドイッチも、あっという間に減っていく。完全に閣下はいつも通りだった。
そっか、ここは本当に安全なんだな。
思った瞬間、体から力が抜けた。この家は、この人のそばは、安心していい。
ゆっくりと昼食を口に運ぶ。
チキンと卵とクレソンの挟まったサンドイッチが、絶妙の歯応えで美味しくて、頬をほころばせつつ、じわじわと睡魔がやってくるのを感じる。
子どもの頃は、筆写に集中しすぎたあと、疲れ果て、猛烈な眠気に襲われることがあった。大人になってからは、本当に久しぶりだなこの感覚……と思っているうちに、どんどん頭が働かなくなり、体が重くなっていく。
なんとか自分の分を食べ終えた頃には、ほぼ限界だった。
「おやすみ」
閣下の声がする。ぽんぽん、っと、いつもの手が、優しく頭に降りてくる。ふわり、と体があたたかい何かに包まれるのを感じながら、私はゆっくりと目を閉じた。
今日はあと1話、21時すぎごろ投稿します!




