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筆耕マギーは沼のなか  作者: コイシ直
第4章 筆耕官マギーと初出張

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(4−2)マギーと不穏な高原地帯②

 宣言したとおりの時間で、模写を終える。


 2枚目の紙を閣下に渡し終えた瞬間、集中力が切れてしゃがみ込む。


 直前までフル稼働していた頭の中は、ありったけの力を搾り取られたように、すっかすかのヨレヨレだった。陣の内容が内容だけに、いつもより気を張っていて、精神がガリガリと削られた感覚が酷い。


 気温の低い野外での筆写にも関わらず、頭がへとへとであるほかは、何もダメージを受けていないのが救いだ。閣下が魔法で守ってくれていたのかもしれない。


 しばらく紙に目を走らせていた閣下は、少しだけ口角を上げてから、パチリと右手を鳴らす。


 ぱたぱたと軽い羽ばたきとともに、銀の伝令鳥が現れる。


 そしてなぜか、座り込んでいた私の肩にとまった。ぴるるるる、とうれしそうに(さえず)りながら、頭を私の頬にぐりぐりと押し付ける。癒されるし、生きているようにしか見えないし、王都に帰ったら鳥を飼えたら幸せかも、と思ってしまうあどけなさだ。


 閣下が再び指を鳴らすと、手元の紙が空中に浮き上がり、くるくると丸められて、小さくなっていく。小枝の大きさになったそれを小鳥はくわえ、首をかしげてじっと私を見た。 


 その愛らしさに釣られて、よしよしと頭を撫でる。もっと、と言うように、小鳥はくいっと身を乗り出してくる。


「首も撫でてほしいの?」


 笑いながら、つやつや光る首の脇を優しくかいてあげた。目を閉じて気持ちよさそうに頭を傾けたまま、銀色の鳥はいつまでも飛んで行かない。


「そろそろお仕事する?」


 話しかけると、小さな首の反対側が差し出された。こっち側も撫でて!と無言で主張が伝わってくる。伝令鳥ってここまで懐くのか。黙って意志を貫くあたりが、ご主人様そっくりすぎて微笑ましい。続いて首をかいてあげながら、


「これをちゃんと運び終わったら、思い切り撫でてあげる」


 ぴんと小鳥の体が起き上がる。くるんと丸まった頭の飾り羽を揺らして、じっと私の方を見る。「ほんとだよ」というと、もう一度、頭を私の顔に擦り付けてから、猛スピードで飛び立っていった。


「かっわいい!」


 つぶやいて見送った私は、我に返って慌てて立ち上がった。小鳥のおかげで、疲れが少しやわらいでいた。足元の岩は、もとの変哲のない白い色に戻っていて、魔法陣の姿は跡形もない。閣下が再び隠蔽の魔術をかけたようだった。


「すみません、だらしなく座ってしまって。それに模写を2枚とも鳥が持っていってしまったので……清書できないんですけど、大丈夫でしょうか?」


「問題ない。他の仕事がある」


 慌ただしく物をしまい終わったリュックを持ち上げると、横からひょいっと奪われた。涼しげな顔をした閣下の手から、私のリュックがひゅんっと素早く消える。


 他の仕事って何だろう。たったいまどこかに行ってしまったリュックを使わないといけない業務でないと信じたい。


「さきほどの陣について、お伺いしたいことがあるんですが」


「それは、あとから」


 表情の変わらない閣下にぽんぽん、っと頭を軽く叩かれる。そのまま腕を取られ、青い光に包まれながら、またどこか別の場所に移動するのだと理解する。


 せっかくなら、この雄大な景色をもうちょっと堪能したかったのだけれど……魔術師の出張は慌ただしい!


 そうして再び移動した先は、草原のなか、湖のほとりだった。


 さきほどと同じ北の国境の山々がそびえ立っているのが、はっきりと見えた。ここもヴェルナン高原のどこかなのだと思う。


 見渡す限り、民家も人の気配も一切なく、あの軍部施設の影も形もない。まだ緑が芽吹き始めたばかりの草原は、ところどころで揺れる黄色い花が、慎ましく春の訪れを告げていた。


 そろそろお昼に近い時間だった。少し肌寒いけれど、まっすぐな日差しにはあたたかさを感じる。ここに敷物を広げて、ランチでも食べたら気持ちがよさそうだ。


 さっき頭をフル回転したせいか、すっかりお腹が空いている。リュックの中に、軽食が入っていたのだけれど……言い出すべきかと迷っていたところで、閣下が私の手をつかんだ。


「中に入る」


 どこの?と思う間もなく、閣下に引っ張られて歩き出す。


 数歩先、一瞬、ぐにゃりと柔らかくて分厚い何かに押し戻されるような感覚があった。まったく目には見えないのに。


 ぐい、っと、閣下に少し強く手を引かれる。ぬるっと自分の体が何かを通り抜ける感覚。


 そして、目の前の景色が変わった。


 湖があるのは変わらない。ただ、先ほどまでは何もなかったはずの湖の真ん中に、ぽっこりとした島が見える。


 水面から少し奥まって高くなったところに、木造の三角屋根のこぢんまりとした家が一軒、建てられていた。


 こちら側の岸から、木製の橋が架けられている。橋げたに板が渡してあるだけの無造作な橋で、ふたり並んで歩くのがギリギリの幅だった。


「この湖、めくらましの結界が張られているんですか?」


 手を引かれ、前を行く閣下の背中に問いかける。


「許可された者だけが入れるようにしてある。それ以外の人間には、この島は見えない」


 特別に守られた不思議な場所を、ギシギシと橋板を軋ませて歩く。


 手すりのない橋は、エネルギー切れでふらつく頭を抱えた今、少しだけ心もとない。閣下にしっかり引かれている手が、あたたかい安心感に包まれている。


 つながった手から、心地よい温度が広がっていって、じんわり気が緩む。


 とたんに、さっきの魔法陣の怖い言葉たちの残像が、脳裏でうごめいた。悪意と攻撃と破壊の意志が吹き出してくるような、あの文字。


 写しながら、(くら)い闇に引きずり込まれそうな感覚があった。よほど心が動じないか、あの陣に共鳴する魔術師でないと、そして術の制御に本当に長けた者でないと、あの魔法陣を使ってはいけない気がする。()み込まれてしまう。


 今ですら、頭の中から離れない。いざなうように、文字が浮かんでは脈動する。


 ほら、おいで、とでもいうように。


 ——ほら、おいで。世の中を壊したいと望むのは、こんなにたやすいことなんだよ。


 ああ、私、疲れているんだな、と思う。

 こういう時は、よけいなことを考えちゃいけない。


 前を向く。歩く。歩く。


 私の手を握ってくれている、ぬくもりに集中する。

 前を向く。話しかける。


「あそこにあるお家は、どなたのものなんですか?」


「俺の師匠の持ってた家のひとつ」


「ってことは、閣下もここに住んでたんですか?」


「子どもの頃、たまに」


「水がすっごくきれいですね。夏になったら泳げそう」


「泳げる。魚釣りもできる」


 ぽつりぽつりと言葉を交わす。閣下は、いつもより少しだけ、おしゃべりだった。橋の最後は階段になっていて、3段登ったところで終わっていた。


 そこから少し歩いた先に、家があった。玄関ドアの前は、階段と広いウッドデッキになっていて、振り返ると今渡ってきたばかりの湖がよく見える。


 閣下が、取り出した鍵で、かちゃり、とドアを開けた。


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