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筆耕マギーは沼のなか  作者: コイシ直
第4章 筆耕官マギーと初出張

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(4−1)マギーと不穏な高原地帯①

「長距離移動……こんなにすぐ着いちゃうとか、ありですか?」


 魔術科出向2日目の朝。


 私は思わず両手で頬をつかみ、むにーと引っ張った。いつもどおりよく伸びるし、しっかり痛いし、これは夢ではないらしい。


 ここは、北部のヴェルナン高原にある防衛施設のなか、だと思う。


 自分の立っている場所にいまいち自信を持てないのは、王宮の移動魔法陣から閣下に腕をつかまれ一緒に飛んだら、いきなりがらんと広い部屋だったからだ。


 部屋には窓がない代わりに、壁にヴェルナン駐屯部隊の大きな軍章旗が飾られていた。


 鷹のシルエットにあしらわれた、いかめしく角張った文字が渋くてたまらなく痺れる。

 

 私のこれまでの筆写歴の中には、もちろん軍章旗をまとめたノートもあって、特に目の前にある旗はお気に入りの一つだった。


 今回の調査の目的地ヴェルナンは、ほとんど国の北端に近い場所だ。


 本当だったら、王都から国立鉄道で北に丸1日。終着駅で降り、そこから馬車で3日。片道だけで4日はかかるこの距離を、閣下は私を連れて一気に移動してしまった、らしい。


 今回の調査は、第2魔術師団が行うことになっている。私たちのほかに、5人くらい同行の人がいるのだけれど、気になるヴェルナン軍旗をちらちら横目で観察しつつ、待っても残りの人たちは姿を見せない。駐屯部隊から出迎えの人が来る気配もない。


「閣下……もしかして、勝手にここまで飛んできました……? ほかの人はここまで直接飛べないんじゃないですか? 中継地点をいくつか通って、休み休みくる予定なんじゃあ……?」


 とぼしい魔術知識を頭の中でかき集めつつ、隣にいる閣下を見上げる。今日は前髪を上げている彼は、ふいっと目を逸らした。図星らしい。さすが特級魔術師、やることが桁外れだ。

 

 王都に戻ってからカワードさんにお説教されそうな閣下が容易に想像できてしまって、思わず笑ってしまった。


「勝手な行動すると、またカワードさんに『待て!』って怒られちゃいますよ」


「問題ない」


 勝手な行動が問題ないのか、カワードさんに怒られるのが問題ないのか。その両方かな。


 私は肩をすくめると、時間を有効活用することにした。宿泊荷物は直接、部屋に届けてもらえるらしいし、出勤リュックを背負っているくらいで身軽なものだ。


 いつもの5倍の給料をもらうのだから、さっそくがっつり働かないと!


「じゃあ、お仕事できるところから始めます? まずは、この砦の責任者の方にご挨拶でしょうか」


「それは他のやつに任せる。俺たちはこっち」


 言いながら、閣下は私の手首を軽くつかむ。移動魔法陣を青く光らせてから、次にふわりと降り立ったのは、澄み切った青空の下だった。


 膝より下の高さの低木が生い茂る高原地帯。


 その向こうには、急峻な岩壁が連なる山脈が立ち塞がり、隣国との北の国境を守る天然の要塞となっている。私はヴェルナンに来るのが初めてだったけれど、その荘厳な景色は多くの画家の心をとらえ、国立美術館にも人気の大作が飾られている。


 目の前に、絵でしか知らなかった雄大な山々が、雪を頂き、広がっていた。踏み込むのを拒絶されていながら、その懐に大きく包み込まれているような、不思議な気分だ。そうか、あの絵を描いた画家も、こんなふうに、言葉にしがたい感動を味わっていたのかな。


 容赦ない太陽の光のまぶしさに、目に痛みを感じ、しばたたかせる。王都と比べると、1カ月は季節がさかのぼるようで、髪を揺らす澄んだ風は引き締まってぴりりと肌寒い。制服ジャケットの下に、薄手のセーターを着てきて良かった。


「後ろだ」


 手首を引かれて振り返ると、低木と高山植物の中に埋もれるように、平たい岩がいくつも層になって広がっていた。


 ぐっと腰を引かれ、閣下に引き寄せられたかと思うと、体が宙に浮いた。風の浮遊魔術だと思う。呼吸をするように自然に、閣下は無詠唱の魔法を使いこなし、軽やかに空中を移動して、やがて一つの岩の上に立った。


 風にさらされて、白く表面のざらついたその岩は、いたって普通の岩に見えた。周りのものと比べても、特に何の特徴もない。


 しゃがみ込んだ閣下の右手が、さらりと石の表面を撫でる。


「《解除》」


 足元の石の表面が、水面のさざなみのように青くゆれる。みるみる色を、白から黒へと変えていく。


 黒く艶めいた盤面に変わったそこに、描かれていたのは、一つの魔法陣だった。見た瞬間、私は息をのむ。複雑に書き込まれている文字に、吸い寄せられ目を走らせた。


「ジュール文字……なんて細かい……! こっちは、マルタ帝国の原初語に……あっちはまさか、南ファーレンの中期文字……?!」


 それは奇妙な陣だった。今まで見たこともない。書かれていたのは、時代も地域も違う3つの言葉。長い文字列がいくつも紡がれ、執拗に絡み合い、一つの陣を織り成している。


 一つひとつ、意味のわかる言葉を夢中で拾っていくうちに、冷や汗が流れた。


「これ……怖いです」


 いつの間にか、閣下のローブの端っこをぎゅっとつかんでいたことに気づいて、慌てて離す。その拍子に、指先が冷え切っていることに気づく。


「……悪意と執念のかたまりみたいです」


 言いながら、息苦しさに飲まれそうな自分がいる。あえてお腹に力を入れて、冷静に冷静に、と頭の中で繰り返して呟きながら、じっと陣をにらんだ。


「厄災を望む言葉がいくつも読めるのと……願いの達成を祈る言葉が、あちこちに織り込んである。こっちも、あっちも、ほらここにも。ジュールでも、マルタでも、ファーレンでも、『そうなりますように』って意味の言葉。普通だと、一つの陣にひとつだけ、ですよね?」


 ともすると腰が引けそうになる背中に、力を入れる。怯えて力が抜けそうになる両手を、これでとかと自分の意志で握る。ぽんぽん、っと閣下に頭を叩かれた。ほんのりあたたかい空気に体が包まれた感覚があって、「ありがとうございます」と私は少し笑った。笑えた自分にほっとする。


「写せるか」


 閣下は静かに問いかける。


「可能です」


 この陣を見せられた時点で、自分の仕事はそれなのだろうと分かっていた。私はしっかりとうなずいた。


「複雑な陣なので、念のため2回写します。1枚写したら閣下にお渡しします。問題なく写せているか、原文と付き合わせて校正していただけますか。その間に、2枚目を写します。表記ミスがあったら、お知らせください。落ち着ける室内に戻り次第、最終版を清書します」


「所要時間は」


「野外で2時間、室内に戻ってから30分」


「承知した」


 リュックを下ろし、道具を取り出しながら、よし、と気合いを入れる。内容はどうであれ、そこには描いた人の意志と歴史があるはずだ。私はそれを知りたいし、触れたい。


 なにより、こんなに物騒な陣を写せる機会なんて、そうそうあるものではない。


 しかも出向してからの初めてのお仕事がこれなんて、きっと一生忘れられないよね! 


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