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3 理性の人

 逆行してから四年と数ヶ月が過ぎた。

 その日、アレクシアは朝から屋敷の掃除に励んでいた。


「お嬢様、もうこの辺で終わりにしましょうよ。もう充分綺麗になりましたよ」

 ハンナがウンザリしたように声を掛けてきたので、窓を磨いていたアレクシアは苦笑して、

「だから、ハンナは休んでいていいわよ。私がやりたいからやっているだけなんだから」と答えた。


「さすがに私も、お嬢様が目の前で働いているのに休むのは気が引けますよ。それに、どうせお坊ちゃまはそんな所まで見ませんよ」

「そうだろうけど……お兄様がここにいらっしゃるのは年に一度だから少しでも綺麗にしておきたいの。私の自己満足なんだからハンナは気にしなくていいのに」

 明日はアレクシアの十三歳の誕生日だった。アルベルトが誕生日プレゼントを持って会いに来る年に一度の日。そのため、アレクシアは朝から掃除に励んでいたのだ。


「お坊ちゃまが来ると言っても、どうせいつものように護衛の騎士の人たちも一緒でしょう。あの人たち、お嬢様がお坊ちゃまのそばに近付かないよう、いつも目を光らせていてどうかしていますよ。こんなに大人しいお嬢様が何をやらかすと言うんでしょう」

 結局ハンナは掃除をやめてソファにドッカリと音を立てて座った。アレクシアはそれを咎めることなく黙々と作業を続ける。


「お嬢様、お坊ちゃまが貴族様の間で何と呼ばれていると思います?」

「何て呼ばれているの?」

 飛びがちになるハンナの話を、アレクシアは穏やかに促す。


「それがね、この間、街で侍女仲間に聞いたんですが『感情よりも理性の人』と言われているんだそうですよ」

「お兄様が? ふふ。なるほどね」

「私も妙に納得してしまいましたよ。あのお坊ちゃまが感情的になっている所なんて想像も出来ませんもの。まあ、それを言うならお嬢様も同じですけどね。お嬢様が感情的になっているのも見たことないですよ。お二人の年齢を合わせても私より年下になるというのに、驚くべき落ち着きぶりですよ。カーン侯爵家のお血筋ですかね」

「うーん。どうなのかしら」


 幼くして父母を亡くしているアレクシアは曖昧に答えるしかなかった。

(私はともかくお兄様が理性の人というのは納得だわ。お兄様のイメージと言えば、大体いつも穏やかに微笑んでいる感じなのよね。そうじゃなかったのは……私が知る限りで二度だけだわ)


 一度目は母親であるユーリアが亡くなった時だ。アルベルトが十一歳、アレクシアが六歳の年に、それまで寝たきりだったユーリアは肺炎で亡くなった。


「アレクシア、お母様が亡くなったよ」

 震える声でそう告げた後、アルベルトは静かに泣いていた。

 その時、ハンナは別室に控えていて、部屋にいたのはアルベルトとアレクシアとアルベルトの護衛騎士だけだった。

 初めて見る兄の涙に、アレクシアは思わず手を伸ばそうとした。

 けれど、そばに控えていた護衛騎士がすぐさま兄とアレクシアの前に立ち塞がった。そして、アレクシアの行動を制するように視線で咎めた。

 自分より大きな男に見下ろされる形になった視線に、怯えるようにアレクシアは手を引っ込めた。


「アレクシア、お母様が私とお前にお守りをつくってくれていたんだ。お前の分はハンナに渡しておくから後で受け取ってほしい」

 そう告げたアルベルトはもう泣いてはいなかった。琥珀色の瞳はまだ涙で濡れていたが、表情はいつものように理性的で穏やかなものだった。

「……はい。お兄様」

 アレクシアは引っ込めた手を握りしめて震える声で答えた。

 泣いてしまいそうなのを何とか堪えた。護衛騎士の人は兄を守ろうとしただけ。母が亡くなって一番大変なのは幼くして侯爵家の当主となった兄なのだから、自分が泣くことで誰かの重荷にはなりたくなかった。

 

 そして、アルベルトたちが帰った後で、アレクシアはハンナからお守りを受け取った。

 

 その夜は一人で泣き続けた。

 大好きだった母が亡くなったこと、母を寝たきりの身体にさせてしまったこと、それでも自分を思ってくれていたこと、そんな母の最期にすら立ち会えなかったこと、そしてどんな時でも兄に触れることが許されないということ、全てが悲しかった。

 

 母の葬儀には、さすがにアレクシアも参列することを許された。しかし、その時でも兄はとても遠い人に思えた。ハンナに付き添えられて母が残してくれたお守りを握り締めながら、少し離れた場所から侯爵家の当主として立つアルベルトを見ていた。

 

 母が残してくれたお守りは、今でももちろん大切に保管している。

 

 

(お兄様は、穏やかで理性的な人。幼い頃から色んなものを背負ってきたから、そうならざるを得なかったのかもしれないけど。……だから、私のことで感情的になるとは思わなかったんだよね)


 アルベルトが感情的になった二度目の出来事は、アレクシアの処刑時のものだった。

 アルベルトがあんな風にアレクシアのために処刑場で叫ぶとは、普段の兄からは想像し難いことだったのだ。


「お嬢様、どうなさったんですか? さっきから同じ所を拭いていますよ?」

 ハンナに声を掛けられてはっと気付く。いつのまにか、ぼんやりとしていたらしい。

「……そろそろお掃除はお終いにしようかな」

「そうですよ。もう充分ですよ。さ、お茶にしましょう」

「そうね。手伝うわ」

 掃除の時とはうって変わって、楽しげにお茶の準備をするハンナの手伝いをしながらアレクシアは思った。


(今年の誕生日もいつもと同じね。私がお兄様に近付くことは許されないのよね。逆行前の誕生日もずっとそうだったもの。でも、お兄様に会えるだけで嬉しい)


ーーしかし、予想に反してその年の誕生日は何もかもが違っていたのだ。


 

 

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