2 隔離生活
グローセン王国では王族や貴族に子どもが生まれると『見識の加護』を持つ者により、赤子が加護持ちであるか、加護持ちならば何の加護かを見定める慣わしがあった。
カーン侯爵家の長子であるアルベルトも当然、生まれてすぐに見定められ、何の加護も持っていないことが分かっていた。
父オスカーと母ユーリアは、息子が何の加護も持たずに生まれたことを気にするような人たちではなかった。それは、アルベルトの五歳年下の妹アレクシアが世界最強の加護を持って生まれたことを知ったあとでも同じだった。父と母は、アルベルトもアレクシアも同じように愛し慈しんだ。
しかし、カーン侯爵家に仕える家臣たちは違った。
武の名門家に生まれながら何の加護も持たないアルベルトを軽んじる者たちが現れたのだ。そして、カーン侯爵家に忠臣である者たちと対立するようになる。水面下で起こっていた対立はお互いの感情を煽りたてた。やがて、その対立は表面化する前に思わぬ形で終わった。
アルベルトが六歳の時に父オスカーが亡くなると、アルベルトを軽んじていた家臣たちは侯爵家を去ったのだ。残ったのは、煽られた結果、些か過剰とも言える忠誠心を持った家臣たちだった。
その一年後、アレクシアが二歳で『戦神の加護』を発現させ制御出来ずに、ユーリアを寝たきりの身体にさせてしまった。
忠義溢れる家臣たちは、アレクシアを手に負えない危険な猛獣のような存在として捉え、これ以上の被害が出ないようにと侯爵家の別邸に隔離することを進言した。
寝たきりの身体になってしまったユーリアと幼いアルベルトには、それが忠誠から来るものゆえに逆らうことも出来なかった。
そうして、アレクシアは『頑健の加護』を持つハンナという侍女と共に隔離されて育つことになる。
(ハンナ、心配しているかな。ハンナのことだから、私が抜け出したことにも気付いてない気もするけど)
花祭りから侯爵家の別邸へと帰る道を走りながらアレクシアは思った。
アレクシアが二歳の頃から世話係として雇われた侍女のハンナは、豪快な性格だった。
五歳くらいの時、ハンナに聞いたことがある。
「ハンナは嫌じゃないの? 何年もこんな隔離された所で、みんなから怖がられている私みたいなのと生活しているの」
アレクシアの言葉にハンナは豪快に笑った。
「お嬢様、私はね働かずに済むのなら、ずっと働かずにグータラして生きていたいんですよ。でも、働かなきゃ生活出来ないから仕方なく働いているんです。仕方なく働いている身としては、これ以上楽な仕事はありません。お嬢様は大人しくて、私が最低限の家事育児さえしていれば文句も言わない。二歳の頃からお嬢様は本当にいい子で、普通の二歳児を世話するほうがよっぽど大変でしたよ。こんな楽な仕事なのに給料は相場の三倍。こんな美味しい仕事、他にありませんね」
率直すぎるハンナの言っている言葉の意味は幼いアレクシアには分からない所も多かったが、豪快に笑う侍女に救われた気持ちになった。
そしてハンナの言う通り、確かにアレクシアは手のかからない子どもだった。自分の癇癪が原因で母が大変なことになってしまったと、幼いながら悟った日から感情を押し込めてきた。強大すぎる加護を、感情を押し込めることで制御してきた。
侯爵家の別邸に着くと、アレクシアはそっと中に入った。
ハンナはソファの上でいびきをかいて寝ていた。
主が屋敷を抜け出したことにも気付かず、真っ昼間からいびきをかく侍女。普通の貴族令嬢であればこんな侍女はすぐに解雇していただろう。
(私にはこんなハンナがちょうどいいわ)
寝ているハンナの上に、そおっと毛布をかけると、アレクシアは自分の部屋に足を進めた。
自分の部屋に入ると寝台にゴロンと横たわる。
(本当に八歳の頃に戻っちゃったんだな)
懐かしいような不思議な感覚で自分の部屋の天井を見つめて、これからのことを考える。
(処刑を回避すると言っても、当分は私に出来ることってあまりないよね……ドレスバルト平原の戦いが起こるのは分かっているんだから)
アレクシアが十七歳の時に、東南に位置する隣国レプブレア王国が二万人の大軍で侵攻したのが、国境にあるドレスバルト平原だった。
近年なかった規模の戦いに、戦場の経験もなくひっそりと隔離されて生きていたアレクシアが召集されたのには理由があった。
敵国であるレプブレア王国にも『戦神の加護』を持つ兵士がいたためであった。
ーー『戦神の加護』に対抗出来るのは『戦神の加護』だけ。
それは一度でも戦場でその加護を見た者なら知ることだった。その圧倒的な力の前では、あらゆる戦略も鍛錬も意味をなさない。
(私があの戦いで相手の兵士に勝てたのは、単に私のほうがわずかに加護の力が強かったから。それでも、かなり苦戦はしたけど)
ドレスバルト平原の戦いを無視することは出来ない。アレクシアが参戦しなければ、戦場の仲間たちが犠牲になり、やがて戦火はこの王都にまで及ぶだろう。王都にはハンナやアルベルト、大切な人たちがいる。絶対に守らなければいけない人たちだ。
(ドレスバルトで勝利して、処刑を回避するには……勝利後に王都に戻らなければいいんじゃない?)
自分の罪は王太子殺害未遂だ。王都に戻らなければ王太子に会うこともない。
(そうだ。そうしよう。ドレスバルトで戦って勝った後は、王都に戻らず、そのまま旅にでも出よう)
世界は広い。広い世界の中にはアレクシアより強い男がいるかもしれない。考えてみれば、『戦神の加護』を持つ人間は世界に数人ーー平時で三人から四人と言われているーー存在するのだ。もしかしたらアレクシアより強く素敵な『戦神の加護』持ちの男性がいるかもしれない。
(よし。方向性は決まった。ドレスバルトで勝って、そのまま旅に出る!)
処刑を回避するための今後の方針を決まった。……決まったのはいいが。
(長い。十七歳まで九年もあるよ。九年も大人しくまた隔離されて過ごすなんて……少しは近場から冒険に行こうかな。ハンナなら私が三日くらい帰らなくても気にしなそうじゃない?)
小さな手。小さな足。寝台のそばにあった鏡に自分の姿をうつす。幼い子どもの顔がそこにいた。ここからの九年間は長すぎた。逆行前の人生のほとんどを、この部屋で過ごした。またあの長く退屈な時間を過ごすのかと思うと、ウンザリする。
だけど、アレクシアは逆行前と同じように大人しくしていることを決めた。
鏡にうつった自分の琥珀色の髪と瞳が、同じ色を持つ兄を思い出させたからだ。
ーーお兄様の重荷になるようなことは何一つしたくない。
自分の存在がたくさんのものをアルベルトに背負わせている自覚はあった。
(お兄様は色んなものを背負いすぎている。ただでさえお父様とお母様が亡くなって、侯爵家の当主になって本当に大変なんだから。私が余計なことをしてお兄様を煩わせたくない)
だから、決めた。ドレスバルト平原の戦いまでは逆行前と同じように過ごすと。ドレスバルトで戦って勝って、それからは自由に生きると。
(とりあえず明日からはハンナのお手伝いをたくさんして、それからいっぱい本を読もう。逆行前もたくさん読んだけど、まだまだ読み切れてない本がここにはあるもの)
逆行について書かれた本も図書室のどこかにあったはずだし加護についての本、歴史書も読みたい。そう考えると退屈な隔離生活も少し楽しみになって来る。
そして、ふと思い出す。
(……そう言えば、あれ何だったんだろう。逆行する直前に聞いた不思議な声。確か、同時に二つは珍しいだか初めて、みたいなこと言っていたような)
ほんの些細な疑問。それは、日々の中で忘れていくような不思議で、アレクシアがそれ以降、思い出すことはなかった。