序章3
アレクシアは普段よりも意識して声を低くした。恐怖と畏敬の対象となるために。
「あまり勘違いをするな。ーーたわいなく儚く、ほんの気まぐれで吹き飛ぶような脆弱な命を持つ者たちよ。お前たちが私を処刑することを選んだのではない。私が自ら選んだのだ。私の罪に罰が下されることを私自身が選んだのだ」
戒めるように語りながら右足に力を込める。
「私の罪は私だけが犯したもの。それに対する罰は私だけに下されるべきもの。ーーもしも、この事実を歪め私が死した後、己の都合の良い正義のために私の縁者に仇なす者あればーー!」
そのまま右足を振り上げ、渾身の力で踵を叩きつける。
「私は邪神となって蘇り、その者の四肢を引き裂き地獄の業火で焼き尽くす! このこと、己の脆弱な魂に刻みつけ、決して忘れるなーー!」
ドゴオーーメキメキーー!
凄まじい轟音を響かせ大地が二つに裂けたーーと群衆は感じた。正確にはアレクシアの足元から地面に大きく深い亀裂が出来ていたのだが、衝撃の大きさに誰もが大地が裂けたと感じたのだ。それは百年経っても消えずに、この地に残ると予想出来るほど大きく深い亀裂だった。
そうして思い知る。
『英雄の加護』や『聖女の加護』といった人知を超えた奇跡を呼び起こす加護は他にもあるが、神の字を許された加護はただ一つーー。
『戦神の加護』だけなのだということを。
「お許しください」
ガタガタと震えながら群衆の一人が膝をつき頭を下げて許しを乞う。
「……お許しください」
「お許しくださいいい!」
一人がすれば、皆同じように次々と震え恐れながら許しを乞い平伏していく。
あのザイフリード宰相も許しを乞う言葉はなかったが椅子からずり落ち、アレクシアと目が合わないように膝を折って頭を下げていた。
この場を支配するのはこれから処刑される大罪人である少女であったーー。
アレクシアは許しを乞い平伏する群衆の中、ただ一人、自分を見つめる瞳と目を合わせた。自分と同じ琥珀色の瞳。
(アルベルトお兄様)
アルベルトは呆然としたように立ち尽くしていた。その瞳に悲しみを宿して。
賢い兄は悟ったのだ。妹の決意を。自分の犯した罪に対する罰を受け入れようとする決意を。
そして自分が処刑された後も兄を守り続けるために、人々に畏敬と恐怖を植え付けたことも。
全部、悟ってくれたからもう何も言わないのだと、アレクシアは理解した。
ーーありがとう、と言おうとした。
今までありがとう。疎まれて当然だった妹なのに、毎年必ず誕生日に会いに来てくれた。
大罪を犯した妹なのに、こんな所に来て我が身を顧みず庇おうとしてくれた。
ーー嬉しかったよ。ありがとう。ありがとう。
そう言おうとしてやめた。
(私は邪神として死んでいかなきゃいけないものね。ありがとうなんて言葉、邪神様が言わないよね)
だから、何も言わずに処刑台へ上がる段に足をかけた。
死ぬことは怖かった。恐ろしくないはずがない。どれほど人外の加護を持っているとはいえ、まだたった十七歳の少女だった。
(ダメ! 震えるな。恐れるものなんて何もないようにしなきゃ。最後まで)
処刑台の上では処刑人が群衆と同じように平伏してガタガタと震えていた。
アレクシアが「しっかりしろ」と声を掛けると、処刑人が上擦った声で「は、は、はい」と返事をした。
処刑人が落ち着くまで、ほんの僅かな時があった。
ーーもしも『戦神の加護』を持たずに普通の女の子として生まれていたら。社交会にお茶会にドレス選びに婚約者選び、そんな侯爵令嬢としての日々を送っていたのだろうか、と考えた。
(でも、私がいなかったらドレスバルト平原の戦いは負けていたよね)
それは驕りではなく事実だった。アレクシアの『戦神の加護』がなければ負けていた。あれはそういう戦いだった。
あの戦いで負けていれば、今頃この王都は戦火の中にあっただろう。
だから、『戦神の加護』を持って生まれたことは嫌なことではなかった。
(お母様と王太子殿下のことは心が痛むけど……それでもこの加護があったから多くの人の命を守れた)
大切な人たちの命を守れた。アルベルトお兄様、戦場で出会った仲間たち、ここにいる人たちだってちょっと煽動されやすいけど、家に帰れば大切な誰かの親であり子どもであり恋人であり夫婦であるだろう。
「お、お待たせしました。よろしいでしょうか」
何とか落ち着きを取り戻した処刑人が恐る恐る声をかけたのでアレクシアは頷いた。
処刑人がやりやすいように俯いてやる。
(もし、もう一度生きられるならーー)
刃が首に落とされる瞬間。
(私の好きになった人が私より強くて、私のことを守ってくれたらーーいい……なあ)
密やかに願った。
少女の最後の願いは誰も知らない。
そしてーー。
「一時はどうなるかと思ったが何とか計画通りになったな。あの娘が最後まで王太子殺害未遂が、自分のせいだと思い込んでくれたおかげだな。まさか、あれが私によるものだとは夢にも思わないだろうな」
ザイフリード宰相の小さな呟きを聞く者も誰もいなかった。